第二十一幕 ―― トレジャーハンター
スパイ騒動が収束して二週間ほど過ぎた日のこと。
ここ最近どんどんと日差しが強くなっていて、このまま干からびてしまうのではと心配していたら、今は四季でいうところの夏に差し掛かっていると、誰かに教えてもらった。
畑ではこの日差しを浴びてヒマワリの植えたトマトが貪欲に葉を伸ばし、絡んだ支柱に重くのしかかって小さな青い実が風に揺れていた。水田では用水路から水が送り込まれて稲がどんどんと青さを増すと、害虫駆除に放たれたカモがその隙間を悠々自適に泳ぎ回っていた……そんなある日こと。
カシアは朝から図書館まで続く大通りの石畳を踏みしめ、今日やる作業についてあれこれ思案しながら歩いていると、調子がいい声に呼び止められた。
「よう、相棒!」
振り返ってみると、その声の主はやはりセージだった。
行き倒れになっていた彼はすっかり回復し、今ではヨモギの付き添いで年老いた人々に配給する食事の配給当番を任せられていた。人柄がいいためか周りに自然と人の輪が広がり、ここの暮らしにすっかり溶け込んでいる。
けれど……以前とは少し雰囲気が変わった部分もある。
それは白いシャツに黒い革パン、二の腕まで折り上げた袖には赤いバンダナが巻かれていること。彼はすっかりティオダークスに染まっていたのだ。髪型は以前の長髪を一つ結びのままだが、近々誰かさんみたいなテッカテカのリーゼントになってしまうのではと、カシアは少し心配している。
「すっかり元気になったねぇ」
「おうよ。これもヨモギが手厚く看病してくれたおかげ……と言いたいところだが、うっかり殺されるんじゃないかと内心冷や冷やだったぜ。その緊張感が回復を早めたんだと俺は自負してる」
「あははは……本人は一生懸命で悪意の欠片もないんだけどねぇ」
「だからタチが悪いんだよ、自覚がないから……。身動きできない体に煮えたぎったスープを顔面にひっくり返される恐ろしさ、お前に分かるか? 一度や二度じゃないんだぜ……?」
「どちらかと言えば、僕はヒマワリに看病される方が怖いよ」
「ああ……アイツだったら、土まみれの人参を鼻にねじ込んできそうだしな」
「あ~、どいてどいてぇ!」
噂をすれば何とやら。そこへ《自転車》という、人力で走行する原始的な乗り物に乗ったヒマワリが通りかかった。弛んだおさげを靡かせてガラスを引っ掻いたような耳に障るブレーキ音を立てると、彼女は危なっかしく停車した。
「アンタたち、こんなところでまた悪巧みしてるんじゃないでしょうね?」
「よ、よう、ただの世間話さ? 野生剥き出しの男らしさがいかに女を惹きつけるかってことを、カシアに説いていたところだ」
「それを言うなら、馬鹿丸出しの愚かしさでしょうに……。カシア、こんなダメ男に被れちゃダメだからね」
「心得ていますとも」
カシアは男の友情よりも自尊心を選んでおいた。
そして、ふといつもとは違う彼女の様子に気が付く。
それは何というのか、男心をくすぐる不思議なアクセサリーだった。
「どうしたの、そのメガネ?」
「これ? ムフフ~、いいでしょ。私、本とか読むの苦手だったじゃない? あれって私の視力が低いせいだって分かったの。それをカミツレさんに相談したら、発掘品を修繕してこのメガネをあつらえてくれたんだぁ~」
得意げに赤いフレームを触りヒマワリが恥ずかしそうに顔を下げる。それに加え、夏らしい花柄のワンピースを着た彼女に思わずドキリとしてしまい、カシアも同じく顔を伏せた。
「それじゃ、わたし行くね。アンタたちも遅れないように、ちゃんと仕事に行くのよ」
「うん」
サドルを跨いだヒマワリの足がワンピースの裾を大きくはためかせると、ぎこちなくペダルを踏んで畑のある方角へと姿を消していった。
「――白だったな」
「――純白だったね」
今日は良いことがありそうな……そんな爽やかな朝だった。
他愛ない会話を終えると、カシアは自前で直したアナログな腕時計に目をやる。
急がないともうこんな時間だ。
「そろそろ僕も行かないと。今日は図書館の本をスキャンして、工場のスペースを拡張する予定なんだ。館長がいないから僕が監督しないと」
カシアはそう言い残して軽く手を振り、その場を後にしようとした……その時だ。
いきなり背中のサスペンダーをグイッと引っ張られて、カシアは大きく後ろにのけぞった。
「うわっ……ととと!」
「まぁ待て。今日は休みにしとけ」
「何言ってんだい? そんなの無理だよ。それに明日からパンピューたんの量産が始まるから、マニュアルも作らないとだし」
「いいからいいから、こっち来いよ!」
カシアは強引に背中を押されて、荒廃したビルが立ち並ぶ薄暗い路地に連行される。そこにはニゲラを始めとする強面の五人が地面に座り込み、二人の到着を待ち構えていた。
嫌な予感しかしない……。
「遅せぇぞ、セージ。マジでそのもやし野郎を面子に加える気かよ?」
茶室の一件以来、ニゲラとの関係は最悪だった。彼は相も変わらずカシアに嫉妬していて、何かある度に噛みついてくる。今もまた恨みのこもった視線を向けられて、カシアはさっと目を反らした。
そんな事情を知りもせず、セージがニゲラの肩に腕を回してきて、
「まぁまぁ落ち着けって、仲良くいこうぜ。たしかにコイツには体力はないが、知識に関しちゃ右に出る者がいねぇ歩く図書館だ。地下に潜った時、古代語で書かれた標識や本の判別を誰ができるってんだ、ん?」
などと、ベラベラ勝手にカシアの有用性について語り出した。
まったく迷惑なことだ。
それに納得したのか、反論できないだけなのか……。
ニゲラはばつが悪そうに捨てセリフを吐き捨てる。
「……チッ、勝手にしやがれ」
そして、彼らの話は勝手にどんどんと進んでいくのだが、カシアはまだ何をやらされるのか知りもしない。
「あ、あの、これから何が始まるの?」
「おっ? まだ言ってなかったか。これからトレジャーハントに行くんだぜ」
「ト、トレジャーハントぉおおお~?」
そう、聖地アキヴァルハラのもう一つの顔――それがトレジャーハンティングだった。
大昔、ここ一帯が盤沈下を起こして街全体が地中に呑まれた。その際さまざまな要因や偶然が重なり、風化や木々の侵食を逃れた古代技術や知識がタイムカプセルのように眠り続けているそうだ。
そのおかげでアキヴァルハラには、発掘した骨董品や古書を求める人で溢れる知の聖地として賑わい、小さな街を形成するまでになった。だからこそ、この街には秩序を守るためのルールが存在する。
「それって無許可で発掘するってことだよね? バレたら後で館長にこっぴどく叱られちゃうよ……」
無許可の発掘は違法行為にあたり一週間の禁固刑の後、半年の奉仕活動が課せられる。カシアは仕事上、常に最新の情報や知識が耳に入ってくるし、希少な発掘品をこの手で触れることができる。だから、危険を冒す理由など何一つなかったのだ。
「心配すんな、バレなきゃいいんだよ」
「それってダメな大人がよく口にする……」
「まぁ警戒するなって、これはお前にとっても悪くない話なんだぜ、グヒヒヒ」
「そう言って、毎回酷い目に遭ってるから信用できないんだよ」
怪しいセージの言葉を鵜呑みにしなかったが、どうにも誘いを断れそうもない。
カシアは半分諦め気味に返事をする。
「はぁ。それで何がお目当てなのさ?」
「禁書だ」「禁書だ」
「きききき、禁書だってぇ~!」
セージとニゲラが声を揃えて答えた。
その名を耳にした途端、首筋にザワザワっとした電気みたいな感覚が走り抜ける。名前だけは以前、ヨモギから聞かされていた。けれど、これまで図書館であれだけ大量の本を閲覧してきたカシアでさえ、未だそんな本にお目にかかったことがなかったのだ。
もし発見できれば、この目で実物を拝めることができる……。
実にカシアの知識欲を駆り立てる話だった。
「それって神の御業が描かれているという、あの禁書だよね?」
「どうだ、やるか?」
――ゴクリと生唾を飲み込む。
「で、でも、どんな代物か知らないから、見つけても判別できる自信ないよ?」
「それなら安心しろ、ここに実物がある」
「えっ!」
セージが懐から一冊の本を取り出すと、
「コ、コレ……って、まさか」
「どうだ、信じられるか? 足元にこんな本が山となって埋まってるんだぞ! ロマンだろう? 血が滾るだろう? このことは女どもには内緒だぜ、男だけの宴だからな!」
それは――いつぞや目にしたことのある女性の裸が描かれた本だった。
周囲を見回すと、面を赤くしたいい年の男たちが気恥ずかしそうにその本を覗きこんでいた。やれやれとカシアは溜め息を漏らしたが、普段やさぐれた彼らにもそんな無邪気な一面があったことが可笑しかった。
「わかったよ、行こう。その禁書を見つけに!」
「よっしゃあ! お前がいれば百人力だぜ」
無邪気な少年のように目を輝かせるセージがちょっと羨ましい。それは自分にないものを持つ彼への憧れでもあったが、同じように感情をさらけ出すには羞恥心に邪魔をされてしまう……。
――けれど、いつも彼はこうやって僕の知らない世界へ連れて行ってくれる。
カシアは好奇心と不安を同じ箱に詰め合わせて、不良たちの悪行に付き合うことにしたのだ。
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