第十六幕 ―― 枷と鍵

「今度はそっちのキミ、いいかね?」

「は、はい! どうぞ……」


 次にカシアが呼ばれるとすれ違い様にシキミを流し見みする。

 彼女はどこか不安そうな面持ちでカシアを見送っていた。

 初めて見せる表情に引っ張られて歩みを止めようとしたが、思い直して先へ進む。

 背の低いカミツレに合わせて屈むと、軽く息を吸って右手を差し出した。


「さて、どんな案配だろうねぇ」


 彼女の不敵な笑みにカシアは苦笑いで返す。

 と――次の瞬間、それは起きた。

 カシアの体に電撃が走って視界が暗転する。

 まぶたの裏にこれまで観たこともない景色が広がり、壊れた映写機のようにコマが飛んだ映像が流れ続けた。


《大きなガラス容器で培養される胎児、シーヴァとは違う近代的な都市、カグツチを抜刀して佇む銀髪の男。そして、夕暮れの水平線に浮かぶ……死体が山積みされた島――》


 覚えきれない膨大な情報がカシアの頭の中に流れ込み、思わず意識が飛びそうになる。

 ――もう無理だ!

 そう強く念じると重ねていた手が強制的に弾かれ、小柄な体が派手に後ろに倒れ込んだ。

 フリルの付いたスカートがめくれ上がり、白く膨らみのあるドロワーズが顕わになる。


「くひゅ~……」

「大丈夫ですか、カミツレ様!」


 ぼやけた頭を振ってカシアが辺りを見渡すと、シキミとヨモギが目を回したカミツレの元に駆け寄り抱え起こしていた。


「アイタタ……心配ない、ちょっと驚いただけさ」

「心配しますよ! あんなに派手に転んだのですから」


 安堵してシキミとヨモギが顔を見合わせる。

 よほど彼女の身を案じていたのだろう。

 すると、カミツレは――。


「いや参ったね。どうやらキミと私はあまり相性が良くないようだ。ひとまずキミの仕事については保留させてもらおう。のんびり街でも見学したまえ」


 そう言い残して足元まで丈のあるスカートをパンパンと叩き、テーブルに置いてあった細長い赤い煙管に手を伸ばした。

 ヨモギが油を塗った棒にランプの火を移して、カミツレが口にくわえた煙管の先に近づける。

 橙色の灯火が草煙草を焼いて小さな口から白い煙が吐き出された。


 方や、カシアは未だ戸惑いを隠し切れないでいた。

 カミツレに触れた瞬間、流れ込んだビジョン――あれは一体何だったのか?

 自分の記憶ではないことは確かだ。

 あれはカミツレが過去に経験した記憶だったのではないか?

 憶測ばかりが先行して、カシアは上手く整理を付けられないでいた。


 カミツレは白い煙をもうひと吐きすると、カシアとヒマワリを手招きする。


「フゥ~。ではキミ達、最後に右手の《腕輪》をこっちに出しなさい」

「こう、ですか?」


 二人は言われるまま腕を差し出す。

 彼女は手にした煙管で黒い腕輪を軽く小突いた。

 まるで魔法のステッキを振るかのように。


《ビッ――――……パシャ》


「は、外れた!」

「外れちゃった!」

「それは試験体の生体情報や言動、現在位置を監視するための《枷》さ。私が読み取ったのは中に蓄積されていた記録データ。キミらは便利な道具と思い込んでいただろうが、それは家畜に付けられるタグと一緒なのだ。これでもうシーヴァには届かないだろう」

「そ、そんな……」


 その言葉はあまりに重く深く心を抉った。

 まだ心の何処かでウソだと信じたい気持ちが残っているのか。

 先を考えようとすると無意識にブレーキがかかってしまう。

 白と黒の感情が交ざり合い、灰色の空虚が頭の中を塗りつぶした。

 カシアは問いたかった――。

 自分たちは一体、どんな目的で生かされていたのかと。


「……アナタ達は何を知ってるのですか?」


 カシアが無気力に振り向くと、その場にいた全員が口を紡ぐ。

 静まり返る図書館、誰の返事も返ってこない。


 すると、煙を吹いたカミツレがもう一つ言葉を重ねた。


「キミらはまだここへ来たばかりだ。己を知り、世界を知り、真実を受け止める準備ができたならば、全ての問いに答えてあげよう」

「でも、僕は今知りたいんです!」


 神妙な眼差しでシキミを見つめると彼女は目を背けた。

 けれど、簡単に引き下がることなどできない。

 知りたい――あの夢の結末を。

 長年追い求めてきた答えが、今、目の前にいるのだから。

 しかし、カミツレは気の毒そうにこう言葉を続ける。 


「焦る必要はない。私は何一つ隠し立てするつもりはない。知るべき時がきたら自然と回りからキミに打ち明けてくれるだろう。まずは、ここの生活に慣れることを考えたまえ」

「はい……」


 それ以上返す言葉がなかった。

 すると、飽き飽きした面でニゲラが口を開く。


「あーあー、なんか湿気ちまったな。俺は暇じゃねーんだ。仕事に戻るとしようぜ」

「あ、あの……」

「あん? まだ言い足りねぇのか?」

「いや……仕事の話なんですけど、そこにある機械、僕なら直せると思いますよ」

「キミ、本当かいそれは!」


 解散ムードの中。

 カシアが気まずそうに手を挙げると、困り顔のメガネ男が目を丸くしてその手を握ってくる。

 ほう、と意外そうな顔つきでカミツレもカシアの言葉に興味を示した。


「これは我々でも解読困難な代物だぞ。キミにできるのかい?」

「そこに置いてる紙がチラッと目に入ったのですが、そんな難しいことは書いてませんよ」

「えっ……よ、読めるのかね! この文字がっ!」


 カミツレの手から煙管がポロリと落ちて、その場にいた全員がどよめいた。


「アンタ、いつからそんなことできるようになったのよ」

「あ……え、ずっと本を検閲する仕事をやっててさ。こなしてるうちに色々な言語覚えちゃった。主に英語、フランス語、中国語、ロシア語、日本語、ポルトガル語とか、他にも十カ国語ほど。古いものだとラテン語や古代ヘブライ語。あとは出処不明の言語もいくつか喋れますよ」

「ほほう……では、これにはなんと書いておるのだ?」


 カミツレがアゴに手をやり眉根を動かし、し紙に書かれた一文を指差す。


「ええっと、《パーソナルコンピュータ》って書いてますね。面倒だからこの場で組み立てます」

「おぉ、やってみたまえ!」


 みんなが見守る中――カシアは古ぼけた説明書を読み解き古代の機械を組んでいく。

 そして、パーソナルコンピュータはわずか15分で現代にその姿を蘇らせた。


「で、できたのかね、キミ?」

「はい、部品が破損してなければ動くはずですけど。電源入れてみましょうか。ポチっと」


 カシアが黒い箱の正面にある、丸い大きなボタンを押し込む――すると。


《ピ、ガガッガガガ……カタカタカタ…………》


「う、動いた……動いたぞ!」


 モニターに古代のプログラム言語が走ってメガネ男のレンズに文字列が映り込む。

 不思議な起動音と共にレトロなOS画面が浮かび上がると、パーソナルコンピュータは起動に成功した。


「こ、これが古えの……どうやって操作するのかね? 矢印みたいなのが固まって動かんぞ。この、このっ!」

「カミツレ様、大事に扱って下さい! アナタが触るとまた壊れてしまいます!」

「チッ」

「部品が足りてないみたいですね。《マウス》っていう外部デバイスが必要みたい」

「よしキミ、ここで採用! 今から副館長に任命だ」

「ええっ?」


 突飛な人事にカシアは目を見開く。

 隣にいたメガネ男もカミツレに賛同し、拳を強く握って頷いていた。

 その瞳に情熱という名の炎を燃え上がらせて。

 つまり、この状況下でカシアに拒否権はないということだ。

 メガネ男が鼻息荒く言う。


「そうとなれば、マウスとやらを外のマーケットで探してきます! これで貯まり貯まった古代情報の解読が…………って、何か焦げ臭くありませんか?」

「キャッ!」


 ヒマワリの短い悲鳴で全員の目がテーブルの下に置いてあった木箱に移る。

 そこに入っていた貴重な発掘品からモクモクと煙が立ち上り、炎を吹き上げていたからだ。


「あぁああああああああああああ――――っ!」


 火元はカミツレが落とした赤い煙管だった。

 煙管が希少な発掘品の山に突き刺さり、炎が他の部品に燃え移っていく。


「は、早く消すのだ! 早く!」


 慌てふためくカミツレはお気に入りの煙管を心配する。

 シキミとメガネ男が壁に飾ってあった赤いタペストリーを剥ぎ取り、ウォータークーラーのタンクに浸け込むと燃え盛った木箱に覆い被せた。

 二人の的確な判断で小火は早々に鎮火された。


「あぁ、私の大切なコレクションが!」

「こちらの方が大損害ですよっ! もう館内は禁煙です!」


 メガネ男の言葉にシキミも同意する。


「自分で仰っていましたよね、本の山に燃え移っていたらどうするんです? 間違いなく死にますよ? 司書さん、後で図書館各所に火気厳禁の張り紙をしておいて下さい」

「そんな、私の唯一の気晴らしが……」


 喫煙という楽しみを奪われたカミツレは、ショックのあまり床に両手を突いて虚脱した。


「副館長くん、申し訳ないが続きは明日にしようか……」

「――ご愁傷さまです」


 他にかける言葉が見つからなかった。

 すっかり威厳を無くしたカミツレは悲愴な表情を浮かべ、焼け焦げた愛用の煙管を拾い上げる。


 カシアは《背中が泣く》とはこういうことだと初めて理解した。


「さぁ行こうぜ。肥料の作り方教えてやるよ」

「それよりも、さっきのサツマイモを食べてみたーい」

「おう、まかせとけ」


 ニゲラの言葉でみんなの足が外へと向かう。

 最後にカシアは虚脱したカミツレに連れ添うシキミをもう一度見返す。

 そして、後ろ髪を引かれる思いでヒマワリたちの後を追い、カシアは図書館を後にした。









 それから半刻――静けさを取り戻した図書館で。


 カミツレがロッキングチェアに深々と腰を下ろすと、迷い込んだ蛾が白熱灯の明かりで辺りに細切れの影を作る。

 シキミはカミツレの前に立ち、震える手をギュッと握りしめて彼女に尋ねた。


「……どうでしたか?」

「心配しなくてもいい。彼はキミと同じ《アーキタイプ》だ。つまり、キミのつがいということだね」

「良かった、本物……なのですね」


 急に込み上げたものが溢れてシキミの頬を伝い落ちる。

 しかし一方で、カミツレの表情は一段と厳しいものに変化していた。


「とはいえ、彼が本物だとすれば……管理者、いや《彼女》がこの事態を見過ごすはずはない。こちらも体勢を整えておかねば。箱庭にはしばらく手を出さず、守りを固めさせるのだ」


 その言葉が示す意味をシキミは重々承知していた。


「分かっています。もう二度と、にカシアを渡しはしません!」


 憎悪がこもった重い声が静寂した図書館に響く。

 カミツレは切ない表情を浮かべて怒りを噛み殺すシキミをじっと眺めた。


「――ところで」


 すると、さっきとは打って変わり上擦った声でシキミが話題を変える。


「何かね?」

「カシアにくっついてきたあの娘。アレは一体何なんですかぁああああ~っ! 私はずっと彼だけを想ってきたというのに……いうのにいいい!」


 普段、人に感情を見せることのないシキミが拳を振るわせてテーブルを強打した。

 カミツレはその様子を面白がってクスリと笑った。

 が、すぐ真顔に戻りヒマワリについて淡々と語り始める。


「そのことだがね、実はあの子の方が深刻なんだよ。恐らく、キミがいなくなった後に用意された《スペア》なのだろうが、少し気掛かりなこともある。彼女には、無かったのだよ」

「無かった……とは何がですか?」


 シキミはカミツレの神妙な面持ちを見つめる。

 彼女がこういう顔をする時は決まってよくないことが起きるからだ。


 その彼女が、少し言いづらそうにして答えた。


「――副館長くんと出会う、以前の記憶さ」

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