第二幕 ―― 赤い果実
あれから97日目を迎えた、朝――。
カシアは川辺近くにあった背丈ほどの岩石に97個目の印を刻み込む。
丘を仰ぎ見ると陽を浴びた立木の緑が少し濃くなって、《赤い果実》がここまで甘い香りを漂わせていた。
木陰には、クエストを消化して増えた生活道具が点在している。蔓草を編んだハンモック、流木を削った砂色の長テーブル、定期的に行われる散水を防ぐ茅葺き屋根などなど、全てが血と汗と涙の結晶だ。
それと河原を掘れという苦行の末に掘り当てた、《温泉》という浴場もあったりする。
他にもカシアが機転を利かせて作った黒曜石を削りだしたナイフや、調理用の小道具など、古文書から得た知識を転用したものも数多くある。ちょっとした文明を築いた気分だ。こんな風にそれなりの快適な生活環境が整いつつあったが、カシアは未だにブロンドの少女の名前を知らなかった。
いつもの昼下がり。上着を脱ぎ捨ててキャミソール姿になったブロンドの少女がデッキチェアに横たわり、あどけなさが残った顔で微かな寝息を立てていた。
「お昼の用意ができたよ」
「うにゅ……もう、そんな時間?」
彼女は目を擦って身を起こすと大きな瞼を持ち上げた。
彼女の口元にヨダレの跡が残っていて、カシアはそそくさと小川で冷やしておいたタオルをブロンドの少女に手渡す。それを当然のように手からタオルを取り上げると、彼女は豪快に顔を拭った。
「ふぅ、極楽ぅ~」
これもまた古文書の豆情報。とある行動学によれば、人前で惜しげも無く顔を拭く行為は《オッサーン化》という老化現象によるものらしいが、それが彼女に該当するかは定かではない。
光沢が出るまで磨いた流木の机にハーブと鳥皮の焼けた匂いが広がる。
ブロンドの少女はまつ毛を伏せて、鼻をヒクヒクと動かす。
「むぅ~ん、いい香り。コレは?」
「今朝、エデン内に放たれたキジだよ。以前クエストで作った、弓矢を使って仕留めたんだ」
「ふーん。それじゃあ、さっさと切り分けなさい」
素っ気ない反応。自力で仕留めた興奮がまだ冷めやらないカシアだったが、ここに至るまでの苦労は彼女に何一つ伝わっていない。肩と眉が虚しく下がる。
黒曜石のナイフで焼きたてのキジ肉に刃を立てると、湯気とともに近辺で採取した胡桃、ニンニク、バジル、ローズマリーなど、薬草の香りが解き放たれて胃袋を刺激する。
「わぁ、美味しそうじゃないの」
「これね、下ごしらえが大変だったんだ。それに一人暮らしで味わったペースト食に比べたら……食事がこんなに楽しいものだなんて、思いもしなかったよ」
「あれはねぇ……酷かったわ」
そこは否定しないブロンドの少女。
やはり、あれは万人に不人気だったらしい。
苦情先が分かれば、毎日苦情のメッセージを送っているところだ。
カシアは止まった手を再び動かし始める。
むね肉、手羽先、骨付きのもも肉をきっちり半分に分け、今度は木製の皿に盛りつけた野菜の上に盛りつけた。ホクホクと湯気が立ち上る皿を手渡すと、ブロンドの少女は不器用な手つきで木製のフォークを逆さに握り勢いよく胸肉に突き立てる。
小さな口を思い切り広げると肉汁が滴る肉に齧り付いた。
――それはもう、旨そうに。
カシアは彼女が満面の笑みで肉を頬張る姿を一瞥して、気付かれないようにそっと口元を綻ばせた。
食事を終えて、満腹感と幸福感で頭の中がいっぱいに満たされる。
先に席を立ったカシアは粘土を焼いて作った器で湯を沸かし、お手製レモンバームティーを振る舞った。
レモンに似た爽やかな香りが気持ちをリラックスさせて、ほど良い甘みがもたれた胃を暖かく満たしてくれた。やはり食後のお茶はいい。
一服し終えて大きく伸びをすると、いつもはそそくさとデッキチェアに戻っていくブロンドの少女が、珍しくカシアに話しかけてきた。
「いつも……思ってたんだけど、どこからこんな情報を手に入れてくるのよ?」
「ん~、ほとんどが歴史書や古代の技術史からかな。僕は昔のことを調べるのが趣味だから、腕輪にはそんなジャンルのデータばっかり入ってるよ」
「ふん。せいぜいその知識を生かして、また美味しい料理を用意しなさいよね」
少しはまともに会話ができるようになったかと思いきや、彼女は再びデッキチェアへと戻ってしまい、腕輪で暇つぶしを始めしまった。
他人と生きていくのは本当に難しいと改めて思い知る。
でも、このままでは何も変わりはしない。
いつもならここで引き下がっていたカシアだが、この日は少し違った。
意を決して喉から出かかっていた言葉を吐き出してみたのだ。
「あ、あの……」
「何よ、まだいたの?」
「え~っと、その……午後から下の草地で畑を作るクエストがあるんだけど、もし良かったら一緒にやってみない?」
「どうしてわたしが、そんなことやらなきゃいけないワケ?」
「いや、だっていつも寝転がってばかりだしさ。たまには体を動かすのもいいもんだよ」
「アンタ、ちょっと褒めたからって調子に乗ってんじゃない? そんなことしたら日焼けしちゃうし、爪だってボロボロになるでしょ」
「うん、そうだね、汚れちゃうもんね……嫌だよね」
カシアは自分の姿を見回す。酷く擦り切れた服。
白かった肌はすっかり小麦色になり、指は傷だらけだった。
「話はそれだけ? ならさっさと畑とやらをやってきなさいよ。ふあ~、私はお腹が満たされて眠いの」
「う、うん……邪魔してごめんよ」
グッと手を握り締めて砂色の長テーブルに残された食器を片づけ始める。
少し離れた場所に丘と河原を繋いだ蔓のロープがある。
それに食器を収めたカゴを吊して、廃材から作った滑車を使って河原まで下ろすという、ちょっとしたアイデア作品だ。
カシアは滑車に付けた紐を掴んで草の斜面に靴底を滑らせる。河原に到着すると畑の肥料にするため残飯を分別し、黙々と小川で食器を洗い始めた。
「はぁ、悪い子ではないんだけど。どうやったら心を開いてくれるのかな……いくら話題を振っても無視されるか、飽きたら途中で中断されるし」
ここでの生活は全てが新鮮だった。何もなかった白い部屋に比べれば生きるという実感が味わえるので気に入ってはいる。
とはいえ、悩みの種はブロンドの少女のこと。
話していると何となく分かる。彼女は見た目より言動や行動が幼くてどこか気を張っている感じがする。
それでも少しずつ馴染んでくればと思って見守ることにしたのだが、一向に改善される気配はない。
「もう一度、ちゃんと話すべきかな……。でも怒りだしてせっかく作ったイスやテーブルを壊されたくないしな、はぁ」
彼女以外の人間を知らないカシアにとって、和解は避けては通れない大きな壁だ。
パンッと手ぬぐいをはたいて洗った食器の上にかぶせる。再びロープにカゴを掛けると紐を引っ張って丘の斜面を登り始めた。
ため息混じりに丘の上を見上げる……とその一瞬、カシアの全身が凍りついた。
とんでもない光景が目に映り込んだからだ。
「何やってんだっ!」
「えっ?」
慌てて紐を手放すと籠が斜面に沿って勢いよく滑り落ちていく。カシアはそれを見向きもせず、立木に登って《赤い果実》をもぎ取ろうとするブロンドの少女の元へ駆け出した。
「早く降りるんだ! その実に触れちゃいけないって言われたじゃないかっ!」
「もう大袈裟ね。いいじゃない一個くらい、判りゃしないわ。デザートは別腹って昔の人も言ってたわよ」
ブチッ――と、枝から果実がもぎ取られる音が耳に響く。
カシアは突然あばらをへし折られたような苦痛を感じてグッと胸を押さえた。
鼓動が乱れ打ち、呼吸が荒く乱れていく。
「やめて……やめるんだ……」
「ち、ちょっとどうしたの? アンタ顔真っ青よ? 分かったわよ、降りればいいんでしょ? えいっ!」
尋常ではない慌て方をするカシアを見かねてブロンドの少女が枝から飛び降りたが、着地に失敗して尻餅をついた。
「イタタタぁ……もう、スカートが汚れちゃったじゃないの」
彼女はお尻を撫でると、眉を歪めてこちらへ近づいてくる。
あの《赤い果実》を握りしめて。
「……ダメ……ダメだよ。早くそれを捨てなきゃ」
「はぁ? まだ言ってんの? 食後のデザートに一つ拝借しただけじゃない。何をそんなに怯えてるのよ」
カシアは額に一杯汗を浮かべながら必死に訴えるが、彼女には届かない。
ブロンドの少女が服の裾で実を拭くと、その実を口元に寄せる。
大きく開かれたピンク色の唇が急激に細くなり、彼女が右手に握られた果実を一齧りしようとした――その瞬間だった。
「うあぁああああああっ!」
「キャッ!」
一瞬だった。
カシア自身、何が起きたのか分からなかった。
気が付くと自分がブロンドの少女の腰に跳びかかり、抱き合ったまま草の坂を転げ落ちていたのだ。
揉みくちゃになった二人の勢いは止まらず、川辺にある背の低い木をへし折って小川に転落する。その際、《赤い果実》がブロンドの少女の手から溢れ落ちると、流れに乗って川下へと消えていった。
「ゲホゲホッ……もう、いきなり何するのよっ!」
ブロンドの少女が咳き込みながら立ち上がる。突然のことに動揺して少し声を震わせていたがすぐにキツイ調子に戻り、滴る水を振り飛ばしてカシアの顔に指を突き出した。
しかし、そこにはいつもあるはずの下手で優しげな表情はなかった。
「このわからず屋っ! どうして人の忠告が聞けないんだ。アレは絶対に手を出しちゃいけないモノなんだよ! あの時だって約束を破ったばっかりに……えーっと何だっけ? とにかく二度とあんな真似するんじゃない、分かったか!」
初めて怒りを露わにしたカシアに、ブロンドの少女はビクリと肩を強張らせた。
先鋭な眼差しに気圧されて彼女は瞳に大きな雫を溜め込む。
「……ごめん……なさい」
「あっ! いやその……分かってもらえれば、それで……」
返事を耳にした途端、沸き立っていた血気が引いてカシアは落ち着きを取り戻した。それどころか、今にも泣き出しそうな彼女にしどろもどろしてしまった。
自分にこんな一面があるとは思いもせず、ただただ困惑するばかりだった。
そしてさらに、予期しなかった動揺がカシアを襲う。
ズブ濡れになった服が体に吸い付き彼女の肌が透けて見えると、体中の血液が逆流して頭が真っ白になったのだ。
初めての体験、沸き立つ熱い感情――。
やりどころのない気持ちに困惑して、カシアは必死に顔を背けるしかなかった。
どうして、恥ずかしいと思ったのだろう?
胸の高鳴りと、息苦しさ。
カシアにはすぐに理解できなかったが、これが古文書に書かれていた《性欲》というごく自然で太古から受け継がれてきた人の感情だと気付くまでに、しばしの時間を要した。
西の空が茜色に染まり始めた頃――。
カシアは河原にばら撒かれた食器を回収し終えると、夕食の食材を求めて手製の農具を振るい、芋掘りに精を出していた。
昼間あんなことがあってから、ブロンドの少女はデッキチェアで毛布を頭から被り、鬱ぎ込んでいる。あの時、どこか自分が自分ではなくなっていたようで、彼女に酷いことをしてしまった。
いたたまれない気持ちで一杯だった。
せめて何か美味しいものを作って彼女の機嫌が取れればと考えたのだが、転げ落ちた時に腰を痛めてしまい作業は思うようにはかどらなかった。
「アイタタタ……ほんと昔の人って凄いよな~。一人相手にするだけでもこんなに大変なのに、これが十人とか百人とかに増えていくんだろ? 信じられないよ……」
一体、自分は誰に向かって喋っているのか。
精も根も疲れ果てたカシアは愚痴を吐き捨て、ついでに農具を投げ捨てて草の上に腰を落ち着ける。すると、後ろから縦に伸びた影が頭の上に差した。
「何が信じられないの?」
「うわぁっ!」
久々に裏返った声を上げたカシアは身を翻して四つん這いになる。
ゆっくりと面を上げた先には、眼を赤く腫らせたブロンドの少女がこちらを見下ろしていた。
「ど、ど、ど、どうしたんだい、こんな所に来るなんて珍しいね?」
その言葉に彼女は恥ずかしさと不機嫌が混ぜ合わさった複雑な表情を浮かべ、音になりそうでならない声で呟いた。
「べ、別にいいじゃない。陽もそろそろ暮れそうだし、日焼けだってしないし……、したいし……」
「えっ? よく聞こえなかったんだけど」
カシアが耳に手を当てブロンドの少女にもう一度尋ねると、彼女は震える手を握り締め顔を真っ赤にしながら言い直した。
「てつ……だう、私も手伝うから!」
すると突然、叫びだしたかと思うと彼女は掘りかけた穴に手を突っ込み、素手で土を掘り始めた。
どうしてこうなった?
今日一日ブロンドの少女に振り回されっぱなしのカシアは慌てて止めに入ろうとする。が、掻き出された土が顔に跳ね散って思わず腕で顔を覆った。
「ぺっぺっ! ちょっ、待って。待ってよ」
指の隙間からチラリと様子を伺うが、彼女の横顔には黄金色の髪が掛かって表情を見ることができない。
でも、震える肩から泣いていることだけは読み取れる。カシアはそっと手を差し伸べて彼女のか細い腕に触れた。
「いいよ、気にしなくていいから。本当は知らない人と二人きりにされて、怖かったんだよね。気を張って自分を守ってただけなんだって。あーあ、あんなに大事にしてた爪が割れちゃってるじゃないか。洗い流して手当しよう」
カシアは肩を抱きかかえると声を殺して泣きじゃくる彼女を河原まで連れていき、小さな手についた泥を丁寧に洗い流してやる。
服の裾を少し破り、痛々しく割れた人差し指の爪にしっかりと巻きつけてあげた。
「これで、良しっと」
「……がとう」
少し落ち着きを取り戻した彼女は掠れた声で初めて感謝を口にした。
それは、初めて他人に言われた心地いい言葉だった。
こういうのも悪くない――カシアはそう思った。
「よし! それじゃあ、もうひと頑張りしてこようか」
「えっ?」
沈んだ空気を吹き飛ばそうとカシアは朗笑して立ち上がる。
彼女の白く小さな手を胸元に引き寄せると、芋を掘りかけていた草地へと戻る。
近くに転がっていた丸い大きな岩を拾うと、それを掘りかけた穴の前にドスンと落とす。
「ふう、こんなもんかな」
「石……? こんなものどうするの?」
「この棒を、こうやって根元に差し込んでっと。古くから使われてきた重いものを動かす技術で、テコって言うんだ。僕が茎を引っ張るから、キミは棒を下に引いてよ」
「……うん」
「それじゃ、行くよ!」
ブチブチと無数の根が千切れる音がして周囲の土が盛り上がる。ブロンドの少女はオロオロしながらも石を支点にして力一杯引き下ろしたが、あと一息が足りない。
「体重をかけるんだ。棒の上に乗っかって!」
「こ、こう?」
オロオロするブロンドの少女は言われるがまま、棒に片膝を乗せて農具の柄に体重をかけると――、
「キャッ!」
「うあっ!」
観念した芋の根がへばりついていた土壌を手放した。無数に連なった芋が糸の切れた数珠みたいに夕闇の空へ飛び散り、ボタボタと音を立てて地面を叩く。
「イタタタ……」
尻餅を突いたカシアが腰を押さえて起き上がると、先ほどまで眼前にいたブロンドの少女が姿を消していた。
いや、呻き声に誘われて足元に視線を下げると、そこには負荷を失い、勢いよく掘り返した穴に頭を突っ込んだ彼女の姿があった。苦しそうにお尻を振って。
「フモフモ、フゴゴ……」
「だ、大丈夫?」
カシアは慌てて、彼女の体を引き起こす。
「ぷはぁっ」
ブロンドの少女は顔を真っ赤にして大きく息をした。
何が起こったのか分からないという様子で、きょとんとした顔をこちらに向ける。
その顔と目が合った途端、カシアは必死に笑いをこらえた。
「く……くぷぷ」
「何がそんなに可笑しいのよ?」
泥だらけになったブロンドの少女がムスッと顔を背けたので、カシアは慌てて真顔になる。
「う、うん。大丈夫、何でもないよ!」
訝しんだ彼女の視線を上手く躱すと、
「――意外といいわね、こういうの」
「あっ……」
何かを言いかけた彼女が照れくさそうに頬を拭うと泥が横に広がった。
せっかくの可愛い顔が台無しになってしまうと思ったが、これはこれで愛嬌がある。
照れくさそうにカシアがそれを告げようとしたが、先に彼女が大きく顔を綻ばせた。
「お芋掘り!」
それはブロンドの少女が、カシアに初めて見せててくれた笑顔だった。
雲一つない茜色の空。ミッドナイトブルーの闇が波のように押し寄せて、鮮やかなグラデーションを作り出す。次第に闇がその濃さを増していくと、浜辺に浮き出た貝殻のように、星々が小さな顔を覗かせる――そんな宵闇の下で。
「あ~ほんと温泉があって良かった。これで明日も生きていける……」
カシアは河原に湧いた温泉に浸かり、今日一日の疲れと汚れを流し落としていた。
夜は気温が下がるので、周囲に立ち籠めた湯気が辺りを真っ白に包み込む。
乳白色のお湯で顔を洗って外縁を囲った岩に背もたれると、思わず大きな溜め息を漏らした。
「ふう~。何だか肩の荷が下りた気分だよ。これであの子もきっと……」
《ピピッ》
すると、脱衣した服の中から聞き慣れた電子音が耳に届く。
「こんな時間にクエストだなんて珍しいな。でも今日はもう勘弁だよ……」
嫌々ながらも湯から手を伸ばして腕輪を掴んでクエストを開くと、
《しばらくすると、しし座流星群が上空を通過します。二人で一緒に眺めましょう》
「流星……群?」
聞きなれない言葉にカシアが首を捻った。
上空、と言われて空を仰ぐと……そこには流星群ではなく、タオルで胸を隠したブロンドの少女が仁王立ちしていた。
「ちょっとそこ、退きなさいよ」
「うわわわっ!」
慌てて他所を向いたカシアは、生糸のように煌めくブロンドを巻き上げた少女に居心地の良かった定位置を譲る。爪先でお湯の温度を確かめた彼女は右足をゆっくりと湯船に沈めた。
その際、白く肌けた太ももがチラリと覗けてカシアは思わず凝視した。
「何ボサっとしてんの? 隣に来なさいよ」
あんなに泣いていた彼女はすっかりいつもの口調に戻っていて、不思議そうな面持ちで手招きされた。だけど、どうしらたいいのか分からなかった。問題は彼女ではなく、自分にあった。
彼女の白い肌を見た拍子に、体が急激な変化に襲われていたからだ。
タオルで股間を押さえると、よそよそしくアヒル歩きで彼女の隣に辿り着く。再び外縁にもたれ掛かって、顔半分を湯の中に沈めて元に戻るよう必死で股間に念じ続けた。
しばしの沈黙――。
「あの……さ……」
先に口を開いたのは、ブロンドの少女だった。
「クエスト、さっき届いてたじゃない?」
「うん――」
「それで、さ……。明日から私も一緒にやってあげてもいいかなって、思ってさ。いつまでも一人じゃ、アンタも可哀想だし~? ゴロゴロしてるのにも飽きちゃったから……だから、ね」
急に言葉を切ると、ブロンドの少女もカシアと同じように湯船に顔を半分沈めた。
すると、
『……ビバワリ』
ブクブクと湯船に小さな泡がいくつも沸き立つ。何かを伝えたいらしいが……、
「ごめん、上手く聞き取れないよ……」
バフっと大きな泡が一つ破裂して彼女が面を持ち上げる。
今度は大きな声でハッキリとした発音で、カシアの耳に残るように答えた。
「ヒマワリ、私の名前よ」
ヒマワリ、それは彼女にピッタリで不思議な響きのある名前だった。
そしてヒマワリが初めて自分の名を明かした瞬間――それも訪れる。
二人の瞳に、幾万の星々がにわか雨のように流れ始めたのだ。
「すごぉ~い!」
「……うん、そうだね」
無限に広がった漆黒の天幕に、絶え間なく光の線を引き続ける流星群。
今まで目にした何よりも壮麗で、自分がとてもちっぽけな存在に感じられた。
立ち込める湯気が雲に思えて、カシアとヒマワリはまるで天の川に安座しているようだった。
「世界ってこんなに美しいんだ……」
舞い落ちる星に夢中になっていると不意に二人の肩が触れ合う。
「あ――」
カシアは慌ててヒマワリから距離をとる。
驚くほど柔らかく心地良い感触だった。何かいけないことをしてしまった気分になり、カシアは制御の効かない心臓をドンドンと二回叩く。
すると、カシアは自分もまだ自己紹介していなかったことを思い出し、慌てて名乗ろうとした。
「あ、改めてよろしくね。僕の名前は――」
「知ってるわ。カシア、あのマーキナーがそう呼んでたでしょ?」
「うん」
「別に慣れ合うつもりはないんだけど……よろしくしてあげてもいいわ、カシア」
ようやく打ち解けられたけど、この皮肉めいた口調はまだしばらく直らなそうだ。
それでもカシアには分かっていた。ヒマワリが照れを隠して精一杯口にした言葉なのだと。
二人の間に張られていた見えない壁がようやく消え去り、これから本当の一歩を踏み出せる。
カシアは自分の胸の高鳴りに耳を傾けた。
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