第二十五幕 ―― 守りたいもの
気分を変えようとヒマワリは飴色のバスケットを膝に乗せ、用水路に腰を落ち着ける。細い素足をほどよく冷たい水に浸し、籠の中にある手製のサンドイッチを取り出した。
大きく口を開いてかぶりつくと、マヨネーズが絡んだ卵からマスタードのツンとした刺激が鼻を刺す。それをシャキシャキとしたレタスから滲み出る水分が、ほんのり味を調えてくれる。至福の味が少しだけヒマワリに元気にした。
「ふう、おいひい~。今日はもうやる気が起きないわ……畑にお水だけ撒いて、私もこのままサボっちゃおうかなぁ」
ふと、そんな良からぬことを考えていたら、東に見えるスクラップの山から巨大な重機が黒煙を吐き出し、次々アキヴァルハラの街外れへと走り去った。ヒマワリが唖然としてその騒々しい光景を見送ると、遅れて数人の男達があぜ道の近くを通りかかり、こんなことを口にしていた。
「ありゃ~、大規模な発掘でも始めるのか?」
「いいや、聞いた話ではお嬢の命令で街外れに温泉を掘るらしいぜ」
「温泉! そりゃスゲェ。もし本当に掘り当てたら、アキヴァルハラに新しい名所が一つ増えるってわけだ」
「そう上手くいくとは思えないが、お嬢はこうと決めたら絶対だからな。駆り出された連中は災難だ」
「まぁ大半の男はお嬢にホの字の連中だし、むしろ喜んでやってんだろうよ」
「それで思い出したが、実はお嬢には想い人がいたとかどうとか……」
「マジか! 俺、結構本気で狙ってたんだけどなぁ」
「お嬢がお前なんかに振り向くかよ」
「ちぇ……どこのどいつだよ」
「それなんだがな、実はそのお相手っていうのが――」
――どうして男って、こうもデリカシーがないのだろう。
食べかけのサンドイッチを膝に置いて、ヒマワリは両手で耳を塞いだ。みんなが口にするのはシキミの名前ばかり……。やっとここの生活にも慣れてきて、新たな人生をカシアと一緒に再スタートできる。
そう思っていた――なのに現実はそう上手くはいかないものだ。
「私は自由なんてほしくない。二人きりだったあの鳥かごに戻りたいよ、カシア……」
本音を込めて千切ったパン屑を用水路に落とすと、そこへ一斉に小魚が群がってご馳走の取り合いを始める。その様子はまるで、カシアを奪い合う自分達のようにも見えてしまった。波立った水面が元に戻ると、そこには泣いて目を晴らせた自分の顔が映る。
鼻水をズズズっと啜り、残りのサンドイッチを全部口の中に放り込む。タオルで濡れた足を拭き上げて長靴を履き直す。お尻に付いた土をパンパンと払うと、ヒマワリは騒々しい重機の音が鳴り響く街外れに向けて呟いた。
「まだ負けって決まったわけじゃないわ。あの女が温泉を見つけられなかったら、私が一歩リードしたまま。そうしたらガツンと言ってやるの。カシアのつがいは私だけなんだって。 それに……あの時、ニゲラに邪魔されて言えなかった言葉、カシアにちゃんと伝えるんだ……!」
胸の奥から沸々と闘志が込み上げてきて、ヒマワリは今一度カシアにこの想いを告げる決意した。
西日と森がよく見える、ビル群の隙間にあった空き地。
ここではビルよりも高く組まれた重機が、化石燃料の黒い煙を吹き上げていた。地中に深くに突き立ったドリルが唸りを上げ、どんどんと大量の泥を吐き出している。
頭に響く酷い振動。ヒマワリはシキミやヨモギに見つからないように、少し離れた場所にある崩れた壁の隙間から掘削の様子を覗いていた。
「何よ、この騒音……あんなもので本当に温泉なんて見つけられるの?」
耳を押さえても伝わってくる空気の振動。まさか、自分が漏らした言葉がここまで大がかりになるとは思いもしなかった。せいぜい掘れても人が入れる程度の小さな穴だろうと思っていたヒマワリは、すでに築かれた泥の山に開いた口が塞がらずにいた。
「それにしても、よくこんな重機が残ってましたねぇ」
「備えあれば憂いなし、というのが師匠の教えだ。使えそうな物は何でも持ち帰らせて整備しておいたからな」
ヨモギの問いに、感慨深く頷きながらシキミが答える。
――しかし、この仰々しい重機の数々は……やり過ぎでしょう、アンタ。
そうツッコミを入れてやりたいヒマワリだったが、覗きに来たのがバレると格好がつかない。モヤモヤとした気持ちを一旦、胸に仕舞い込んだ。
「エデンにいた頃はカシアがいつの間にか河原に造ってたけど……実はあんなに手間と人手がかかるのね。あ、ヤバっ! こっち来た……」
「おお~い。一旦、重機を止めろ!」
「へーい」
「それで進捗状況なんですが、お嬢……」
「どんな具合だ?」
騒々しい音が鳴り止むとヒマワリは慌てて口を両手で塞いだ。
シキミと髭面の現場監督らしき男がこちらへ向かってきたからだ。トクトクトクと、小さな心臓が鼓動を加速させる。厚さ一五センチの壁を挟み、シキミが受ける報告をヒマワリは文字通り壁に耳を当てて様子をうかがった。
「ドリルが何か固いモノとぶつかりまして、岩盤だったらこのまま掘り進んでも歯を痛めるだけかと……」
「ふむ、たしかに棟梁の言うとおりだな」
やった! どうやら雲行きは良くなさそうだ。
ゆっくりと口から手をどけて大きく息を吐き出す。これでシキミが諦めてくれれば、思い出を上塗りされる心配もない。
あれは――わたしとカシア、二人だけのモノなのだから。
「フッ」
すると、壁向こうから音にならない不敵な笑いが耳に入る。
「ならば、私のカグツチに地中の構造を熱探知させてみよう」
次第に遠ざかっていく足音。
「カグツチ……?」
以前、耳した覚えがあったがヒマワリはうまく思い出せない。シキミたちが重機の方へと戻っていくと、ヒマワリはそっと立ち上がってもう一度壁の隙間を覗き込む。
そうすると、シキミが腰の得物を抜いて刀に語りかけていた。神頼み? そんなもので解れば苦労はない、なんて鼻で笑うと……。
「起きろ、カグツチ――」
《声紋確認、セーフティー解除……スタンバイ》
刀が喋った。そうだ、今のいままで忘れていた。
シキミはあの不思議な刀を振って保安マーキナーを撃退したのだった。応答する電子ボイスから、それが何か機械の一種なのだと推察できるが、このアキヴァルハラにそんな高度な技術が残っているとは思えない。シキミが何時どこであんな代物を手に入れたのだろうと、ほんの少し興味が湧いた。
「熱流体解析を開始、地中にある異物を特定しろ」
カグツチの刃先が地面に突き立てられる。
《解析終了まで4秒、3、2、1……解析終了》
鍔の回りに円形のスクリーンが浮かび上がり、3D化された地下構造の映像が移し出された。ここからではハッキリとは分からなかったが、すでにかなりの深さまで到達していることはうかがえる。
「うむ、どうやら隣の古いビルの一部と干渉していたようだな」
「ふぇ~便利なモノを持っとりますな。どれどれ……こりゃコンクリの柱ですな。これなら問題ないでしょう。さらに深い場所には高い熱源も映ってる。充分、源泉を掘り当てる可能性も高いですな」
「そうか、では続けてくれ」
「おーい、ディーゼルに火を入れろ。日暮れまでには終わらせるぞ!」
再び周囲に轟き始める喧騒――。
「そんな……」
じっと俯いたまま、ヒマワリはその場に立ち尽くしていた。
シキミの心強さに圧倒されて声も出てこない、そして気付いてしまった。
彼女こそ、自分が理想とする姿なのだと。
壁に寄りかかって力なくその場に座り込むと、ヒマワリは肩を小さく震わせた。
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