第四十六幕 ―― 因縁、そして決着へ……
するとそこへ、無線に次の連絡が入ってくる。
呼吸を整えてヘッドマイクをタップすると、通信の相手はニゲラだった。
『ザザッ――こちら潜入班。お嬢、どうにか入り口付近まで辿り着いた。とんでもなくデカい鉄扉だぜぇ。俺達は、このままアレの到着まで待機する』
「了解した、至急そちらに向かう」
『それと……だな』
ニゲラが何か言いにくそうに口籠もると……。
『……カシア、アイツはいけすかねぇ奴だが、一応は俺達の大切な仲間だからな。ヒマワリと一緒に絶対取り返して来いよ! 今度こそあの女に勝ってこい!』
シキミは少し面食らう。
あれだけ毛嫌いしていたカシアのことを認めてくれた。
ニゲラだけではない、ここにいるみんなが二人の身を案じてくれている。
その気持ちが何よりの力になる。
つい目頭が熱くなったシキミは……。
『うん、ありがとう――――』
と、うっかり素の受け答えしてしまった。
この通信が今戦っている全員に聞かれていたことを思い出し、シキミはハッとして口に手を当てたがすでに後の祭りだった。
『え? 今の声、シキミさんなのか?』
『すげぇ、しおらしい声だったぜ。誰か録音してないのかよ」
『馬鹿、あの人がそんな可愛らし気な喋り方するわけがないだろ。鉄の女なんだから』
『ギャッハッハ、それもそうか――』
それは乙女心を踏みにじる散々な言われようだった。
無線はたちまち賑やかになり、これまでティオダークスのシキミとして作りあげたイメージが、今の一言で台無しになった。血なまぐさい戦いの中で唯一みんなが和んだ時間だったが、このままにはしておけない。
顔を赤くしたシキミはどうにか話題を収拾しようと、無礼な輩の中から生贄を選ぶことにした。
「誰が鉄の女だ。今笑った者とニゲラは箱庭に戻り次第、24時間耐久空気イスの刑に処す。膝に20キロの土嚢も足してやろう。せいぜい楽しみに生き残っておけ」
『ちょ、まっ! お嬢、何で俺まで――――…………プツン』
嘲笑した連中に惨たらしい懲罰を告げ、シキミは有無も言わさず通信を切った。
――でも、おかげで少し肩の荷が下りた気がする。
元々、リーダーなんて柄ではなかった。カシアと二人きりで過ごしていた頃はヒマワリと変わらない、普通の女の子として過ごしてきた。それがシーヴァを逃げ出し、恩師ビヤクダンに救われたあの時を境に全てが一変したのだ。
――師匠、素晴らしい人だった。
誠実で、公平で、何より信じるということを教えてくれた。少し堅苦しいこともあったが、師の教えは今も胸の内で息づいている。それ以来こんな頑固な性格になってしまったが、ただひとつだけ語尾に《ござる》という、恥ずかしい口癖だけは移らなくて良かったと、心から思う。
シキミは握っていたカグツチと赤外線マーカーを元に収めると、頭にかけていたゴーグルを外して、硝煙で霞んだ先にそびえるジュークへ目を遣る。
「もうすぐだよ……」
そして、見上げた視線を元に戻す……と。
通りの先からこちらへ向かってくる人影が瞳に映り込む。
そのシルエットには見覚えがある。
……いや、忘れようがない。
「ついに出てきたか……!」
あの名前が脳裏に浮かぶと全身に寒気が走って身構える。
直後、人影が長い得物を横に振るうと、周囲に立ち込めていた黒煙が風圧で消し飛び、カミソリの如く鋭利な氷の刃が陽光を反射させてこちらに襲いかかった。
氷の斬撃がシキミの頭上スレスレを通過すると、残った方のチェインガンをバターのようにスライスする。切断された砲身は横滑りし、ズシンと重い音を立てて地面に落下した。
「……マトリカリアぁああああああああああっ!」
風で煙が流れて宿敵が姿を晒すと、激昂したシキミの髪が逆立つ。
あの女こそがカシアとの日々を引き裂いた元凶、そして我が恩師の仇。
あの女を倒さない限り、シキミの戦いに決着はない。
――ここで全てを終わらせる!
エスペランサーを発進させカグツチを抜刀すると、狙いを定めて猛進する。
全ての力を腕に込め、シキミはあの首を刎ねることだけに意識を集中させた。
「カミツレが来ると思っていたのだけれど、まさかアナタとは……。いいでしょう、ここで引導を渡してあげるわ!」
マツリカが手にした槍を頭上で回転させ、地面に突き立てる。
次の瞬間――アスファルトの下から無数の氷柱が突き出し、シキミとエスペランサーに迫るってくる。だが、シキミは一歩も引く気はない。ギリギリまで高度を上げて、氷柱を無理に乗り越えようとする。
だが、氷の塊はさらに高さを増してエスペランサーの機首を突き上げると、シキミは座席から投げ出された。咄嗟に身を丸めてアスファルトを転がり、カグツチの柄を地に突き立てて踏み止まる。
「あきらめなさい。アナタがいくら足掻いても、私がいる限りあの鉄門をくぐることは叶わないわ」
「黙れ! 何でも自分の思い通りになると思うな。その思い上がった鼻を今からへし折ってやる。カシアだって、お前の言いなりになんてならないぞ!」
「…………私もそう思うわ」
マツリカは不敵な笑みを浮かべると一瞬でシキミの間合いに踏み入った。
面前に顔を突きつけられ、暗赤色の瞳に自分が映り込む。思わず驚倒して後ろへ飛び退いたが、シキミは咄嗟に左から迫る殺気を捉えて強烈な氷塊の斬撃をカグツチで弾いた。
炎と氷――衝撃と共に大量の水蒸気が吹き出して周囲を白く包み込む。
「今のを受け止めるなんて多少はできるようになったじゃない。でも、どこまで持つかしら?」
「うるさい、いつもまでもそうやって他人を見下していられると思うな!」
カグツチを握り直してシキミが怒りで刀身を焦熱させると、グッと腰に力を溜め大きく水平に斬り裂く。マツリカは燃える斬撃を柄で斜めに受けると、そのまま勢いを左上へと流した。その際に槍の表面を覆った氷が溶けてしぶきが跳ね散り、一瞬で気化する。
間髪入れず、今度はマツリカが槍の柄を回転させて頭上に刃先を掲げると、それを渾身の力でシキミの右肩に目がけて振り下ろした。
「く……っ」
凄まじい衝撃で腕がしびれる。無慈悲な強打をまともに受け止めたシキミは耐えきれずに膝を折る。じわじわと圧されてカグツチの棟が自分の肩に触れると、バイオナノファイバーのスーツが焼け焦げた。
「あらあら、己の武器で傷つくなんてみっともない」
「黙れっ!」
シキミが手首を返して刃を寝かせると、氷槍はその上を滑って地面に刺さり、曲げた脚を踏み上げてカグツチを垂直に突く。マツリカはエビぞりになってその一撃を躱し、刃先がほんの少し髪に触れると銀髪が数本舞い散った。
長くしなやかな脚を見せつつ、マツリカはそのままバック転して距離をとる。
「フフフ、いいわよアナタ。ゾクゾクしてきたわ」
「……いいや、まだこれからだ!」
そう言いつつも、シキミはさっきの人間離れした動きを見せつけられ、根本的な能力差に愕然としていた。
強い……いくら力でやりあっても勝ち目はない。
ならば……。
握ったカグツチを下に構え、刃をゆっくりと円を描くように動かすと、熱波が四方に広がり空気をユラリと歪ませた。
「
カグツチの刀身が閃光を放ち、マツリカが掌でその光を遮る。
その一瞬を狙い、シキミは灼熱の刃をマツリカに浴びせかける。
だが、一太刀ではない。
周囲を取り巻いた熱が空気の鏡となり、幻影のシキミが一斉にマツリカを斬り込んだ。
立ち尽くしたマツリカに無数の刃が突き刺さる。
風で揺らぐように幻影が消えると、背後を取った本物のシキミが彼女からカグツチを引き抜く。
「……手応えがない!」
「愚かな、こんな子供だましが通用するわけがないでしょう」
マツリカの姿が水となって地面に流れ落ちる。
そこには氷槍が突き立つだけで彼女の姿はどこにもない。
氷槍の柄に冷笑したマツリカの面貌が映り込むと、背後から凍てつくような斬撃を喰らい、シキミは激痛で顔を歪めた。振り返るとマツリカの指先が鋭利な氷の爪になっており、彼女は爪先から滴るシキミの血をペロリと舐めた。
「このっ!」
カグツチを後ろに振るとマツリカは身を屈めてシキミの足を払う。
背中から地面に落ちかけ、慌てて受け身をとって後方に飛び退く。
だが、シキミもやられてばかりではいられない。
着地の反動を利用して脚に力を溜めると、鋭い突きを放つ。
けれど、マツリカが紙一重で首を傾けると刃先は虚しく空を裂く。
またもや、届かない……。
「……まだまだ無駄な動きが大きいわね」
すれ違い様、彼女にそう耳許で囁かれると、
突然、視界が上下逆転する。
右腕の関節を取られ、シキミは宙を一回転して地面に叩き付けられていた。
受け身がとれず一瞬息が止まり、投げられた弾みでカグツチを手放した。
「カハ……ッ」
無手となったシキミは即座に立ち上がると、師匠に伝授された体術に切り替え攻勢に出る。素早い乱打、下、中、上の連続蹴り……骨法と呼ばれる古代の武術を駆使して攻勢にでたが、どれも左手一本で捌かれてしまう。
「随分とビャクダンに仕込まれたようね。動きの癖まで彼そっくりだわ。でも残念、人間がどう足掻こうとも殺戮兵器であるバイオノイドに勝てはしないのだから」
その言葉は恨めしいほど真実を語っていた。
当たるどころか、掠りもしない。
だが、このままいいように弄ばれるつもりはない。
「私には、私なりの戦い方がある!」
大振りの回し蹴りから身を起こしたシキミは、振り返ると同時にホルスターから赤外線マーカーを引き抜く。マツリカの顔に突き出すと、そのまま赤いトラックボールを押し込んだ。
《カチリ――》
次の瞬間、マツリカの顔が苦痛で歪む。
道端で鎮座していたエスペランサーがアンカーを発射し、マツリカの脇腹に突き立てたのだ。勢いよく押し飛ばされたマツリカが朽ちた信号機に激突すると、鉄柱がくの字にへし折れた。
「ハァハァ、やった。いつまでもお高くとまっていられると思うな……」
息が上がったシキミはカグツチを拾い上げ、吐き捨てるように言った。
マツリカは力なく腕を揺らして立ち上がる。
手で押さえた脇腹から血が滲み、白いスーツを赤く染める。
そして、彼女は初めて見せる怒りに満ち満ちていた。
「いいわ、本気で相手をしてあげましょう……ブリュンヒルデ、セーフティー解除――」
《生体認証完了、バイオナノファイバーとのリンク開始――》
氷の槍が質量を増して細長く伸びる。次第にディテールが精巧になっていき、表層の氷が砕けると中から銀色の十文字槍が顕現化した。
――明らかに気配が変わった。
これまでとは比にならない殺気。
気圧されてシキミは少しだけ後ろへたじろぐ。
そして、マツリカの口元が大きく歪んだ。
「アナタを手にかけたらカシアが悲しむと思って我慢していたけれど、もういいわ。私は最初からアナタのことが大っ嫌いだったのだから!」
鋭い一撃が横面を突き抜ける。体を反らして紙一重で躱したつもりが頬に細長い血の線が引かれ、切り落とされた髪の束がボトリと地面に落ちた。シキミはハッとして目の色が変わる。
――カシアに撫でてもらうため伸ばした、大切な髪だったのに!
「よくもっ!」
シキミはバック転と同時に振り上げた足でマツリカのアゴを狙う。だが、手の甲で弾かれてシキミの爪先は空を蹴る。そのまま一歩飛び退くと、再び振り下ろされたブリュンヒルデの一撃をカグツチで受け止めた。
反響する金属音、鍔迫り合いが続く。
「アイリス……アナタさえいなければ、カシアはこんな想いをさせずに済んだのに!」
「黙れ! お前こそがこの状況を作り出した張本人ではないかっ!」
「15年間、彼に見守り続けてきた私の想い……知りもしないで軽々しく語るな!」
二人は睨み合って一歩も引こうとはしなかったが、受け止めたブリュンヒルデに押されてその刃がシキミの顔に迫った時、不意に額を流れた汗が右目に入ってしまう。
「くっ」
そして、一瞬生じたその隙をマツリカは見逃さなかった。
「凍てつけ、ブリュンヒルデ――」
刀の背を押さえた両腕が瞬時に凍って顔にも冷気が吹きかかり、シキミは慌てて霜が張り付いた
『まずはクセの悪い右足からよ……』
冷徹な声が耳許にかかり、ゾッとして振り返った直後……。
激痛が右のももから全身に走り抜ける。
「――――ッ!」
「痛い時はちゃんと声をあげなさいと、昔、その身に教えてあげたでしょう?」
刃からじわじわと冷気が溢れ出し、刺し傷をさらにいたぶられた。
「ググッ、アァアアアアア――――ッ!」
「……フフフ。そう、それが聞きたかったのよ」
太ももから強引に槍が引き抜かれると、さらなる痛みがシキミを襲う。
刺し口が紫色に変色してしまい、足に力が入らなくなった。
「カ……カグツチ!」
カグツチを発熱させて氷漬けにされた腕を解凍すると、加熱した刀身を脚に当てて傷口を塞ぐ。
「ぐぅううう…………」
肉が焼け気が狂いそうな苦痛に、シキミは一瞬意識が飛びそうになった。
そして、マツリカは悦に入った表情を浮かべる。
「はぁ~快感だわ。あと何回刺せば、この胸のつかえが取れるのかしら?」
「ハァハァ……いいや、あと一回だ。それと最後に食らうのは、お前の方だ」
脚が動かない以上、この女を仕留める方法はあれしかない。
「カグツチ、私の全て吸い上げろ!」
カグツチを支えにしたシキミは、傷付いた足をバイオナノファイバーで補強する。細分化した糸状の束が筋肉繊維のように巻き付く。
《リミッター解放――オーバーチャージ》
シキミはカグツチを天高くに上げる。
刀身に周囲の空気が収束して風の流れが大きく変わる。風音がピタリと鳴り止むと、鍔の辺りから渦を巻いた5メートルほどの火柱が吹き上がった。
「やめておきなさい、本当に死んでしまうわよ。そんなことをしても人間のアナタに勝ち目などありはしないのだから」
マツリカも同じように、槍を空へ向かって突き上げる。十字刃から分厚い氷柱が伸び続けて火柱と同じ高さに達すると、巨大な大剣に成形する。空気中の水分が凍てついて、ダイヤモンドダストが光を反射させて舞い散った。
「たとえ死んでも、貴様にカシアは渡さない……」
「――私は最初からアナタに預けたつもりなどないわ」
ごめんね、カシア――。
アナタを助けに行くことは、もうできないかもしれない。
でも、ここでアナタの災いだけは断ち切っておくから……。
その想いをカグツチに込めて、シキミはマツリカを見澄ました。
その刹那――二人は同時に踏み出す。
シキミが渾身の力を振り絞って烈火と化したカグツチを振り下ろし、マツリカも同様に巨大な氷塊を薙ぐ。
二つの相反するエネルギーがぶつかり合い、急激な温度差が生じて水蒸気爆発が巻き起こった。周囲の廃ビルが吹き飛ばされ、アスファルトが大きく抉られると、そこに巨大なクレーターができていた。さらにその下に通じていた地下道が崩落して、数世紀以上闇に閉ざされていた空間に日の光が差した。
辺り一面に、粉塵やコンクリート片がパラパラと降り注ぐ中……。
シキミは灰色になった空を仰いでいた。
白かった髪が元に戻ってしまい、体に力が入らない。
穴だらけになった黒いスーツから白い肌が露出し、赤く灯っていた繋ぎ目のラインが光を失う。
そして、右手には小さなカプセル状の金属片だけが残されていた。
「……カグツチ」
砂利を踏みしめて、近づいてくる踵の音――。
「アナタはビャクダンが具現化した武器を間借りしていただけ。オーバーロードして初期化された兵装は、その小さな金属片に戻るの。つまり、アナタは戦う力を失ったということよ」
白いヒールが耳許で止まり、上からマツリカが覗き込んだ。
「今度こそお別れね――」
鋭利な槍先が喉元に突き付けられる、全てを出し切ったのに遠く及ばなかった。
もはや最後の言葉も思い浮かばない。
シキミが結末を受け入れて黒い大きなまつ毛を伏せた――その時だった。
「ぺっぺっ……。誰かね、いきなり天井を崩落させたのは。危うく生き埋めになるところだったではないか!」
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