第二十八幕 ―― 聖地炎上

 差し込む強い光に一瞬、目を細める。見慣れた天井。カシアは虚ろな意識で自分の部屋を見渡すと、ぼやけた視界に誰かの顔が映り込む。そのシルエットでシキミであることが即座に理解できた。

 しかし何故? 彼女がここにいるのかが思い出せない……最後の記憶といえば、そう。


「ヤマテノオロチ! ……ゲホゲホ!」


 痛む胸に手をやるとシキミが慌ててカシアを抱き起こし、ベッドと背中の間に枕を二つ挟んでくれた。呼吸を整えつつ、ゆっくり息を吸うと体がだいぶ楽になる。


「……あまり無理しないで、ね?」

「うん、ありがとう。楽になったよ。僕……どうしちゃったのかな?」

「覚えてないの? アナタはニゲラ達に捕まってあんな危険な場所へ……」


 ああ……だんだんと思い出してきた。


 あの爆破が実行された後のことだ。突然、壁の裂け目から地下水……いや温水が吹き出してきて、命からがら逃げ出したのだった。発見したお宝は全て押し流され、仲間も濁流に飲み込まれる中、大穴から垂れ下がるザイルの場所まで死に物狂いで走り抜けた。

 ニゲラや仲間達がザイルを登っていく中、カシアは押し寄せる流れに巻き込まれ、息をしようと必死に水面に顔を出した。

 万事休す……そう思った時だ。ザイルに捕まったセージがカシアに手を差し伸べてくれているのが目に留まった!


 ――これで助かる! キミってヤツは最高だよ!


 友情を噛み締めたカシアは流れに身を任せ、腕を伸ばし、彼の手を掴もうとした。

 キャッチ……掴んだ、たしかに彼は掴んだのだ。

 カシアの隣を流れていた禁書が詰まったズタ袋を!


 結局、カシアは断末魔とともに滝壺と化した最下層まで落ち、怒り、罵倒し、溺れ、意識を失ったのだった――。


「あのクズ野郎め……」


 セージへの怒りと憎しみが沸々蘇り、いつか必ず仕返ししてやろうと拳を握った。

 すると、シキミは目を赤くしカシアに抱きつく。無言で震える肩にそっと手を添えると、もう片方の手で優しく頭を撫でてやった。

 在るべくして、ここに在る。そう感じさせてくれる彼女の髪に軽く鼻を押し当てた。


「無事で良かった……またアナタを失うかと思ったんだよ……」

「うん……ゴメン」


 しばらく二人は無言のまま抱き合う。

 そして、お互い感じていた脈打つ鼓動は次第に落ち着きを取り戻すと、シキミはぽつりと耳元で言葉を漏らした。


「ニゲラ……セージ……無垢なカシアを無理やり堕落の道へと誘い込み、さらにはこんな危険な目に合わせるなんて……。死んだ方がマシと思えるほどの苦痛を味あわせてやる……」


 彼女のドス黒い心の闇が聞こえてしまったカシアは身震いする。元はと言えばセージが無理やりカシアを誘ったのだが、結局は自分も乗り気でそれなりに楽しんでいた。彼らと深め合った友情。それはたしかに存在したのだ。

 だが、それは一旦脇に置いておき、自分の命可愛さにカシアはシキミの肩に顎を乗せたまま、首を縦に振った。


 そうしてシキミがカシアから離れると、少し暗い表情で何か言おうとする。なかなか切り出せないようで彼女が視線を逸らしたため、カシアは口元を緩める。


「キミが言いにくそうなのは初めてだね。何かあったのかい?」

「それが……うん。ヒマワリのことなんだけど、彼女は――」


 重い口を開いてシキミがカシアに何か大事なことを伝えようとした時、それは起きた。

 大地を揺るがすような衝撃と凄まじい爆発音。天井に吊した裸電球が激しく揺れ、少し遅れてあちこちから悲鳴と叫び声が上がった。

 咄嗟に戦闘態勢へと切り替わったシキミは、カシアを庇うようにのしかかると大きな胸を揺らして言った。


「ゴメン、この話はまた後で! カシアは今すぐ図書館へ向かってカミツレ様の指示にしたがって!」

「うん、分かった……シキミも気をつけて」


 彼女の返事はなかった。

 ただニッコリ笑顔を見せると、そのまま爆発が起きた方角へと疾風の如く走り去る。

 残されたカシアは急いで靴を履き終えると、ふとヒマワリのことが頭を過ぎった。たしかあの方角は南の田園が広がっている近く、遅くまで頑張るあの子はまだ畑に残っているかもしれない。


「ヒマワリ……」


 そんな不安に掻き立てられたカシアはシキミの言いつけを破り、図書館とは真逆の方向へと駆け出した。





「なんてことだ……」


 辺り一面、赤、赤、赤、赤一色で埋め尽くされた火柱が視界の限りから立ち上っている。破壊された古いビル、賑わっていた商店、収穫されたばかりの穀物。全てが紅蓮の炎に焼き尽くされていた。逃げ惑う人々の悲鳴と黒煙が、夜空を黒く染め上げていく。


 問題なのはそれだけではない。

 爆発音は断続的に続き、銃声までもが聞こえてくる。

 ようやくカシアにも状況が飲み込めてきた。

 これが箱庭からの襲撃だということを。


 カシアは追いかけてくる過去に苦虫を噛み潰したような渋い顔をすると、燃え盛る炎を避けて南の街を抜けようとした。かなり離れていても熱で肌が焼かれそうになり、火の粉が服を焦がして穴を開ける。そんな状況でもカシアは歩みを止めようとはしない。両腕で顔を隠して一歩一歩、ヒマワリの元へと進んだ。


「あと少し、あの角を抜けさえすれば水路が……」


 熱さでふらつきながらも炎が切れた安全な道へ抜けると、突然曲がり角から大きな鉄の足が飛び出してきて危うく踏まれそうになる。咄嗟に足の間に飛び込み、転がったカシアは頭を押さえながら振り返った。


「マーキナー……」


 見覚えのある白く大きなボディ、いや以前目にした保安マーキナーによく似ていたが明らかに違う。それは二足歩行型というだけではなく、装備された武装が明らかに人を殺すものだということだ。その巨体はこちらに振り返り、赤いランプを明滅させてカシアに迫ってくる。


 ボディの下半分が開き、そこから小さなアームがカシアを捉えようとした――。


「喰らいやがれ、鉄クズ野郎!」


 背後で誰かが叫んだ瞬間、隣をロケット砲が飛び抜けて無防備なアームが出ている箇所に命中する。爆発で浮き上がったマーキナーはそのまま後ろへ派手に倒れ込んだ。息を飲んでゆっくり後ろを振り返る。そこには赤茶色で無骨な四輪駆動車と荷台に乗った、ニゲラとセージの姿があった。


「ニゲラ……セージ……!」

「おいコラ、もやし。さっさと乗りやがれ。お前にもしものことがあったらお嬢に殺されちまう。図書館前にバリケード作ってっからそこまで下がるぞ!」

「でも、まだヒマワリが……」


 苦しい顔でカシアが呟くとセージが口を開いた。


「大丈夫だ、さっきまでこの辺り見回ってたがもう誰も残っちゃいねーよ。お前の心意気はよく分かってる。ヒマワリもきっと避難してるさ。みんなの元へ戻ろうぜ」

「うん……」


 そう諭されてカシアは頷き、彼が差し出した手を掴んで荷台に乗り込む。急発進した四輪駆動車は来た道をUターンして、アキヴァルハラ最後の防衛線である図書館前へと加速した。


 カシアは振り返り燃え広がる炎を瞳に焼き付ける。

 滅んでしまった旧世界と何も変わりはしない。

 対立が起きれば争いになる。

 しかも今回は自分が事の発端であることは明白だ。


 申し訳ない気持ちで一杯になってこれ以上言葉にできなかったが、今はただヒマワリの安否だけを考えることにした。

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