第二十幕 ―― 残念な男

 日が西に落ちてようやく街にたどり着くと、カシアが寝泊まりしていた部屋にセージが担ぎ込まれる。そこには連絡を受けたヨモギが待機していて、白いシーツを長テーブルに敷き、湯に通したタオルを絞っているところだった。


「そこでいいのか? 移すぞ、いち、に、さんっ!」

「この方ですね? 体を拭きますので汚れた衣類を脱がせて下さい」


 天井の吊したランプが揺れ光と影が押し比べする中、セージは慌ただしく即席の寝台の上に寝かされる。ニゲラが妹の言葉通りに服を引き裂き、泥まみれだった白い服を投げ捨てた。

 何日も食べ物を口にしていなかったようで、セージは酷く痩せこけてどうにか息をしている状態だ。


「外傷はないようだな、骨も折れていない」

「良かったぁ」

「診療所で点滴をいくつかもらってこい。それと他に……ん? コイツ、服の中にこんなものを――」


 不意に一冊の本がニゲラの足元に転がり落ちる。彼は拾った本のページを不用意にめくると、一瞬、泥まみれの顔を引きつらせた。

 そして、ニゲラの背後からシキミがその本を覗き込もうとすると、


「何だ、それは?」

「ふぇっ!」


 彼は声を裏返して振り返り、咄嗟に手にした本を背中に隠した。

 額から油汗が噴き出し視線が激しく左右に揺れている。


「な、何でもないっす!」

「……? 可笑しな奴だ」


 もしかして、あれは倉庫でくすねた……。


 察しのついたカシアはまるで自分がやったかのうような罪悪感に苛まれたが、それを告げる勇気はない。シキミの興味が自然とセージに移ってホッと胸を撫で下ろした。

 当のニゲラは彼女が後ろを向いた瞬間、左右を一瞥して拾った本を素早く懐に仕舞い込んだ。やっぱり男ってそうだよねとカシアはほくそ笑み、オドオドした彼にほんの少し親しみが湧いた。


「う……うう……」

「もう大丈夫ですよ、ここは安全ですから。えいっ!」


 一方、ヨモギはセージの前歯に刺さったジャガイモを引き抜くと、熱湯を絞ったタオルで顔を拭いてあげていた。泥が剥げ落ちて凛々しい顔が現れる。

 セージは彼女の問いかけに答えることはなかったが、表情が少し緩んで見えたのでカシアはホッと胸を撫で下ろした。


「それにしても、どうしてあんな場所をさまよってたのかな?」


 まずはそれだ。セージが目覚めたらなぜ森を徘徊していたのかを、問いたださなければならない。彼のことは信じているが、もし仮にニゲラが言っていたように……その先はあまり考えたくはなかった。


「セージ!」


 そこへ――ドカっと扉を押し開ける音とともに、畑仕事をほっぽり出したヒマワリが、血相を変えて部屋に駆け込んでくる。心配そうに痩せ細った手を取ると若草色の瞳が彼の面を覗き込んだ。


「アンタなの? 酷い、どうしてこんなことに……」

「うう……ん」

「目を開いたわ! セージ、私が分かる? 何があったの?」

「マ……ツリカ…………98…………」


 ヒマワリの呼びかけでセージが薄すらとまぶたを開くと何かうわ言を呟いた。

 カシアも彼の元に寄り、ヒマワリの肩に手を添えて語りかける。


「もう大丈夫だよ、マツリカがどうしたのさ? キミも彼女と一緒にシーヴァを抜け出したのかい?」


「いいや……マツリカは……アイツは、98だったんだ…………」

「だからそれは何の数字よ、重要な情報? もしかしてマツリカの身に何かあったの? ハッキリ答えなさいよっ!」

「ゴホゴホ……ヒマワリか……」


 セージは震える手に力を込めて、ヒマワリの小さな手を強く握り返した。

 やはり何かあったのだ。

 カシアと仲間たちはその様子に固唾を飲んで見守る。


 ――そして、彼はこう答えた。


「お前、79だったのに、ゲホ。しばらく見ないうちに、80になっていたなんて……。良かったなぁ、あと5センチで俺の守備範囲の胸に育っ……オゲーッホゲホゲホ……!」


 その場にいた全員が手にしていた物を床に落とした。

 肩を震わせたヒマワリは、汚物を見るような眼差しでセージの手をシーツの上に投げ捨てると、笑顔を引きつらせてユラリと立ち上がる。


「言い残したいことは――――…………それだけかぁああああああっ!」


 彼女の右拳がセージの左頬をえぐり、彼は寝台から落下した。

 それでもやり足りないヒマワリは、床に転がったセージの腹にキツい蹴りを何度も食らわせた。それを止めようとする者は誰もいなかった。


「アンタって奴は、アンタって奴はっ!」

「もしかしてこの人、頭を強く打って脳に障害が――」


 ヨモギの問いにカシアは彼女の肩に手をやり首を振ると、清々しく答えてあげた。


「ううん、大丈夫。生まれ持った彼の個性だから」

「そうですか、可哀想な……人だったんですね」


 瞳に涙を溜めてヨモギが憐れむ。

 カシアはさすがにこれ以上は死んでしまうと思い、ヒマワリを止めに入った。

 罰としてはこれで充分だろう。


「そのくらいで許してあげなよ……」

「ペッ」


 息を切らせたヒマワリがセージの顔に唾を吐きかけると、後ろにあった丸イスにドカッと腰を下す。一方のセージはあれだけ殴られ、蹴られ、唾を吐きかけられたというのに何故か悦に入った表情を浮かべていた。


 訂正しよう、やはり打ち所が悪かったようだ。


「やはり、捨てて置くべきだったか」

「えっ?」


 ボソっと怖いことを呟いたシキミは首でニゲラに合図を送って、セージを寝台に乗せ直させた。周囲が静かになり、彼女は腰に手を当てて今後のことを語りだした。


「役を変更する。ヨモギ、この男が回復するまでお前が看病してやりなさい。代わりにカシアには私が付く」

「お、お嬢! カシアなら俺が。しっかり寝首……じゃなくて、面倒みてやるからよう!」

「ニゲラ、お前にはヒマワリの指導を任せてあるはずだ。それにちっとも上手くいっていないと聞いているが?」

「は、はい……それでいいです」


 シキミに流し見されたヒマワリはフンッと鼻息をを荒くしてそっぽ向く。

 ニゲラは苦虫を噛んだ顔をして、恨めしそうにカシアに殺意の視線を放っていた。またやっかいな問題が増えてしまい、どう解決しようかとカシアが肩をちぢこめると頬を赤らめたシキミがこちらをチラ見していた。


 うん、無理だ。


 その二人の様子を訝しんだヒマワリは頬をぷくりと膨らませると、最後にこう付け加える。


「いいわ。その代わりしばらく、私はヨモギちゃんの手伝いをするから。この下衆から幼気な少女を守らなきゃね」

「では、解散だ。カシア、後で私の元へ……ね」


 ぞろぞろとティオダークスの面々が退散していくと、シキミもカシアに手を振って部屋を後にする。ヒマワリは彼女の姿が見えなくなるとおもいっきり舌を出していた。




 落ち着きを取り戻したカシアの寝室。しばらくして気絶していたセージが目を覚ますと、カシアは錆びついた丸イスを寝台の前に運んで腰を下ろした。


「カシア、いるのか?」

「ああ、いるよ。何があったか教えてくれるかい?」

「良かったぜ、お前こそ無事だったんだな。マツリカが心配してたぞ」

「だよね……勝手なことしてゴメン」

「誰も責めてやしない、気にすんな」


 セージはいつもの気さくな笑顔でカシアの頭に手をやった。

 ヒマワリも隣にイスを寄せると彼の話に耳を傾ける。


「それじゃあ、マツリカは元気なのね」

「おう。あの後マツリカが上にかけ合って捜索隊を出すことになったんだ。俺もそれに志願して、森に入ったまでは良かったんだが……ゲホゲホ」

「ああ……無理しなくていいから」

「少し、暖かいものを口にした方がいいですね。今お茶入れますから」


 なんて気が利く子なのだろう。

 ヨモギは手にした泥だらけのタオルを絞りながら満面の笑みを溢す。


 けれど、カシアは見てしまった。


 零れ落ちた泥水が湯呑みにジョボジョボと溜まり、それに気が付かないヨモギが鼻唄を唄って、きゅうすに入ったお茶をその湯呑みに注ぎ込んでいたところを。


「カシアさんもお飲みになりますか?」

「いや……僕は遠慮するよっ!」

「そうですかぁ。ではセージさん、フウフウしますねぇ」

「カシア、この優しい娘さんは誰だ? 俺は生まれてこの方、女性にこんなに優しくされたことなんて、ただの一度も……ううっ」

「ウフフ、セージさんって大袈裟なんですね」


 ヨモギに背中を支えられて、涙目のセージは特製のお茶を何度も音を立てて啜った。


「うめぇ……何だろ、新鮮な土の味がする」

「良かったぁ~。コレ、私が作ったお茶なんですよぉ~」


 和気あいあいとした二人――。


 ヒマワリと面を見合わせるとなぜか笑いがこみ上げてきた。

 相変わらずの残念ぶり。彼にとって幸か不幸かは分からないが、意外といいコンビになるかもしれない。そんなことを思い浮かべると、カシアは二人の行く末を生暖かく見守ることにした。

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