第十三幕 ―― 聖地

 翌日、天気は快晴。

 清々しい野鳥の鳴き声に誘われてカシアは寝転がったまま大きく伸びをする。

 見覚えがないヒビの入ったコンクリートの天井。その隙間から雑草が差し込む光を求めて床の割れ目から力強く葉を伸ばしていた。

 機械によって管理された空調ではなく、自然が生み出したままの空気が血流に乗って体の隅々に行き渡るのを感じる――そんな心地良い朝だった。


「おはようございますっ!」

「ほえ?」


 聞き慣れない声に引かれてカシアが寝返りを打つと、そこに見知らぬ少女が立っていた。


「カシア……さんですよね? わたし、ヨモギっていいます。シキミさんの言いつけで、アナタをお迎えに上がりましたっ!」

「ヨモギさんね……どうも」

「そんな気を使わないで下さい。私、まだ十四歳で成人もしてないから、呼び捨てで構いませんよっ」


 ヨモギは清々しいほど快活な子だった。

 ヒマワリよりも背が低く肌はほんのり小麦色。頭には緑のベレー帽を被り、ふっくらとした栗色のボブカットがよく似合っている。あどけないリーフグルーンの瞳と、艶のある頬が作り出す笑顔は見る者を無条件で和ませる。そんな魅力を秘めていた。

 服装は襟付きの白いシャツ。黒いサロペットにアイボリーを基調にしたサスペンダー、首には翡翠があしらわれたロザリオと赤いスカーフを首に巻いている。


「お召し物、泥だらけですよね? おしぼりと新しい物を持ってきたので、着替えたら外に出てきて下さい。お待ちしてますので」

「ありがとう、ありがたく使わせてもらうよ」


 ヨモギは軽く首を傾けてニッコリと微笑む。

 なんて清々しい子なのだろう。

 ヒマワリもこのくらい素直であってくれたらと、いけない考えが頭の片隅を過ぎった。


 しかし、しかしである。


 カシアのヨモギに対する好印象もここまでだった。彼女は回れ右をして部屋から退室しようとするとドア枠の段差に躓いた、それも豪快に。


「だ、大丈夫かい?」

「テヘヘ……わたし、鈍臭いからよく転ぶんです。慣れっ子なのでお気遣いな……」


 続けて踏み出したその足で落ちていたブラシを踏む。

 跳ね上がった柄がヨモギの額を打つ。

 そのまま後退りすると、床に転がったバケツに片足を突っ込んで……。


「キャ~っ」


 派手な音を廊下に響かせた。


「今までよく生きてこられたね……」

「イタタタタ……それ、よく言われます」


 そう、彼女はセージとは違う意味で残念な子だった。

 汚れた尻とハリのある太ももをパンパンと叩くと、ヨモギは何事もなかったように立ち上がる。

 まさに野花のように打たれ強い原生種だ。


「それでは、失礼しま~す」


 ふらつくヨモギを見送ると、カシアは女性みたいに華奢な腕を麻地の襟シャツに袖を通す。シーヴァでは基本、白を基調としたポリエステル製の服しか着る機会がなかったので、少し新鮮な肌触りだ。

 そして、少しウエストが大きいベージュのカーゴパンツを深緑のバンカーズサスペンダーで吊り上げる。が、まだ長かったので少し裾を折り返す。

 最後にジャングルブーツの紐を結ぶと踵で軽く床にノックした。


「これで合ってるかな?」


 カシアは一度、身なりを見回しておかしな所がないかとチェックする。

 以前、つなぎの着方を間違えて大恥をかいているので二度も失敗は犯したくない。

 これで良しとカシアは納得すると天井までツタが張った廊下を歩き、陽が差し込む出口へと向かった。



「まぶしっ!」


 いきなり手荒い歓迎を受ける。強い紫外線を帯びた太陽光が白い肌をジリジリと焼き付けた。シーヴァの天窓にはフィルタがかかっていたため、人体に有害なものは全て弾かれ可視光だけが施設内に入るようになっていた。

 だから《肌を焼かれる》といった表現を本で読んだ時にピンとこなかったが、今ならその気持ちが理解できる。

 ポカポカして、とても新鮮な感覚だった。


「おまたせ」


 カシアが額に手をやって外で待ちわびていたヨモギに軽く手を振ると、ヨモギは嬉しそうに腰の後ろで手を組みアゴを突き出して応えた。


「ようこそ、聖地アキヴァルハラへ!」


 そして、ヨモギの案内でを歩く。

 カシアが見たことも無いような光景が次々と飛び込んでくる。

 地盤沈下したビル群、廃棄された機械の山、それを掘り起こす重機の群れ。

 思わず呆気に取られてしまった。

 昨日は闇夜でここの様子が把握できなかったが、改めて見るとここは騒々しく、乱雑で、混沌としていて……。


 カシアが住んでいたシーヴァとはあまりにかけ離れた街であった。


「何だい、ここは?」

「びっくりしましたぁ? アキヴァルハラって、実は旧世界の遺産が数多く眠るトレジャーハントの街なんですよ~。ここでは整備した大昔の道具や乗り物、それに発掘された貴重な文化財が売買されてます。今のわたし達じゃあ、一からモノを作り出す技術はないので、こうして遺物から知恵を学んでいるんですよっ」


 改めて大通りを見渡すと道の隅には無数の露店が軒を構えていて、多くの人で賑わっていた。通貨は使われていないようで基本は物々交換。

 破損した機械のパーツ、赤く熟れたトマト、川で釣ってきた魚、手製の狩り道具などなど。生活に使えるモノ全てが交渉の材料みたいだった。

 その中でも特に人だかりの多い店があり、好奇心からカシアはヨモギに訊いてみる。


「あの一角はすごい賑わいだね、何か特別なモノを扱ってるのかな?」

「さっすが箱庭の人、お目が高いですね。あれは古美術商のお店です」

「古……美術?」

「はい、ここアキヴァルハラはトレジャーハントの街って言いましたよね。今立っている私たちの足元には広大な地下空間が広がっていて、たくさんの遺産が眠っているのですよ。俗に言う、お宝ってヤツですね!」

「へぇ~」


 カシアは少し興味が湧いてアゴに手を当てると、


「聞くより見ろ、ですよ。さぁ行きましょ~!」


 グイグイと手を引っ張られてひしめく人壁に引き込まれていく。ヨモギが手慣れた様子で最前列にぴょこんと顔を覗かせると、カシアも強引に体をねじらせて彼女の隣に頭を突き出した。


「こ、これは……」


 そこに陳列してあったのは古ぼけた人形だった。

 カシアは目を丸くして不思議と魅力を感じさせる造形に目を見張る。


「あれは《フォギア》っていう旧世界の神々を模した偶像ですね。古代の人たちはいつもこのフォギアを眺め、崇拝していたそうです。特に女性を象ったモノは人気があって、出土する数も圧倒的に多いそうですよ。祈りの言葉はたしか、《オレノ・ヨーメン》だったと思います」


 なるほど……愛らしい表情、魅惑的なポーズ、そして奇抜な衣装。

 思わず手にとってみたくなる魔力を秘めている。カシアが興味津々でフォギアを眺めていると、不意にその隣に山積みされていたモノに目を移した。


「本だ、本がある!」

「わぁ、これは掘り出し物ですね。ここで発掘される珍品の一つで、古代で信仰されていた聖典導人史です。何でも古代の神々の恋愛模様を描いた紙芝居だとか。中には《禁書》と呼ばれる神々の奥義が記された本があって大変価値があるそうですよ~。お目にかかったことはありませんけどねぇ」

「そっか~。この辺りは昔、信仰心に厚い人々が集う神聖な土地だったんだなぁ。それに今もこうして人が集まってくるのにも、特別な意味があるのかもね」

「ハイ! 地盤沈下したビルのもっと深い場所には、まだまだ未発見の遺物が埋まってるそうですし、わたしたちがこの先どう生きていくべきなのか。そんな答えも埋まっているかもしれません。それに……」


 活発としていたヨモギが少し表情を曇らせる。


「楽しいお話ばかりじゃないです。中には《滅び》を描いたモノも数多くあります」

「滅び……?」


 カシアはゴクリと喉を鳴らした。


「旧世界末期、世の腐敗と欲望が渦巻いていた時代。《チューニー病》という恐ろしい不治の病が蔓延して、人々を苦しめていたそうです。それを憂いた48人の巫女たちが舞を奉納して、神々に身を捧げたなど数々の逸話が残っています。でも、その願いは届かず結局世界は滅んでしまいましたけどね」


 旧世界が滅びた理由――それはシーヴァでも第一級の閲覧禁止要項だった。


 恐らく、ヨモギが語ってくれた逸話も時間の経過と共に形骸化したモノなのだろう。実際のところ何が起きたのかは解らない。旧人類は野蛮で、愚かで、浅ましいと教えられてきたが、一方でこんな素晴らしい文化も生み出していた。


 ――どうして、彼らは滅んでしまったのか?


 もし、このままここに落ち着けるならいつかその謎を解いてみたいと、カシアはこの街をだんだん気に入りつつあった。ヨモギがそんな大昔の物語をいろいろと話してくれたので思わず聞き入っていたら、今度は突然カシアの隣を見慣れないモノが通り過ぎていく。


「き、機械が地面を這ってる!」


 それは乗り物のようで黒く丸い四本足を地に転がし、お尻から黒く臭い煙を吐いていた。低音で野太い鳴き声まで上げて。

 さらに知識欲が刺激されてカシアは目を爛々と輝かせた。


「あー、アレですかぁ。最近ようやく仕組みが解析された旧世界の乗り物ですね。じどーしゃ、っていうモノだそうです」

「振動が凄そうだ。今じゃホバー式が当たり前なのに、一体どんな仕組みなんだろ?」

「何度か乗ったことはありますが、意外と乗り心地は良かったですよ。地面を転がるゴム製の輪や、サスペン――……とか、不思議な仕掛けがいっぱいあるからだそうです」

「へぇ~っ! 触ったりできるかな?」

「はい、大丈夫だと思いますよ」


 こんな感じでヨモギと会話を弾ませていると、いつの間にか大通りを抜けて二人は郊外に作られた農地付近を通りかかった。

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