第十四幕 ―― 適才

 長閑な田園風景――。


 大麦、米、もちきび、もちあわ、トウモロコシ、黒豆など、多種にわたる穀物が陽を浴び青々とした葉を空に向けて背伸びをしている。その隣にある農園では、色艶やかな野菜やフルーツが豊かな実りを付けていた。

 以前、シーヴァ郊外で見かけた田園に比べると形も不格好。

 あぜ道も曲がりくねっていて、非常に効率が悪い。

 酷い場所では複数の穀物が同じ田畑で植えられていたりもしていた。


 それでもカシアはここの畑に親しみを感じた。

 人が、人のために、人の手によって作った畑だからだ。


 それに陽の光や、暖かい風、気まぐれな雨雲、全てが自然まかせで育った恵みに勝るものはない。


「こりゃ壮観だねぇ」

「みんなで種を持ち寄るとこから始めて、ようやく形になってきたところです。それにうちの兄が、ここの管理を任されて……」


 その時だ――。


「すっごーい。コレ、何て野菜?」


 どこからか聞き覚えのある甲高い声が響く。


「あ、ちょうど兄もいるようですね。行ってみましょうか」


 ヨモギに連れられて畑の土を踏むとカシアは肩まで伸びた稲穂を折らないよう、そっと手で掻き分けて進む。サラサラと掌を流れていく葉の感触がくすぐったく、自然と笑みがこみ上げてくる。

 騒々しい声へだんだん近づいていくと……。

 ヒマワリとあの目つきの悪いリーゼント男が二人、何か言い争いながら畑を掘り返していた。


「うんしょっと、何か出てきた!」

「そいつはサツマイモだ。焼いたり、煮たりしたら甘くなるぞ」

「きゃっ! 長細くて奇妙な生物が這ってるわよ!」

「耳許で喚くな! そいつはミミズ、土を掃除して作物が育ちやすいようにしてくれる益虫だ。噛んだりしねぇから安心しな」

「へぇ~、エデンでは一匹も見かけなかったわ。アンタ、見た目によらず物知りね」

「ふ、ふんっ! 外の世界で生きてりゃあ、このくらいのことは知ってて当然だぜ」


 気恥ずかしそうにしてリーゼント男は横を向く。

 改めてヒマワリに目を遣ると彼女もまたシーヴァで着ていた白服を捨てて、ヨモギと色違いのサロペットに着替えていた。二つ結びのおさげと相性が良く、新鮮でいつもに増して可愛らしく思えた。が、気にするべき所は他にあった。


「もしかして、キミのお兄さんっていうのは……」

「はい。このみっともない頭が兄のニゲラです」

「そう。ニゲラ、ね」


 たしかシキミもそう呼んでいた。

 苦笑いしてカシアは視線を逸らす。


「おいコラ、口の利き方に気をつけろ。ニゲラ、さんだろ? このもやし野郎め! ドラム缶にコンクリと一緒に詰め込んでスミダス川に沈めっぞ!」

「恥ずかしいからそういうのはやめてって何度も言ってるでしょ? 年下のわたしよりもオネショ直るの遅かったくせに、口だけは一人前のこと言おうとするんですよね。まったく手のかかる子供みたい」

「だぁあああ~っ! コイツらにおかしなこと吹き込むんじゃねぇ!」

「ふん。それはそうと、兄さん」


 ヨモギの面が大きくニヤける。


「あんな嫌がってた割に仲が良さそうじゃないの。シキミさん以外でそんなデレデレしてるところ、初めて見たよ。どうせ脈なんてナノメートルほども無いんだから、諦めて早く次を見つければいいんです」

「ば、馬鹿言うんじゃねぇ、俺はお嬢一筋なんだ。それにこんなちっけー胸の女なんて……」

「な、何ですってぇ!」


 ――あ、デジャヴか?

 前にもカシアはこんな光景を目にしたことがある。


「ゴビャッ!」


 次の瞬間、ヒマワリが左手に握っていたサツマイモが渾身の力でニゲラの口にねじ込んだ。

 さらに彼女は小さな肩を震わせて拳を握りしめると、


「男って、男って、どいつもこいつも胸胸、胸胸、言っちゃって。デカけりゃいいってもんじゃないわよっ!」


 無念――いや、怨念のこもった右ストレートがニゲラの左頬を抉り飛ばした。

 口に押し込められたサツマイモが粉々になって吐き出されると、ニゲラは隣に盛られた肥料に勢いよく頭から突っ込んだ。


「……わたし、あの人とは仲良くなれそうです」


 カシアの横で同じく小さな胸に手をやったヨモギが、真顔でポツリと呟く。ある種の女性に決して口にしてはならない言葉あると悟ったカシアは、無残に倒れ込んだ男を見下ろした。


 決して、ああはなるまいと。


「ゲ、ゲホ……なかなかいいもん持ってんな」


 肥料の山から這い出したニゲラは髪についた土を払い落とし胸元から櫛を取り出すと、ポマードでテカテカした茶色い前髪を掻き上げた。どの時代に流行したヘアスタイルかは知らないが、彼はそれを何より大事にしているようだった。


「ゴメンよ、大丈夫かい? ヒマワリには後で言って聞かせておくから」

「ああん?」


 少しでも打ち解けようとカシアが手を差し伸べると、ニゲラはギラリとした鋭い視線でそれを突っぱねる。


「もう、兄さんもいい加減大人になってよ、気持ち悪い」

「うるせぇ、お前もお前だ。こんな連中の前で恥かかせるな、もっと兄を敬愛しろ!」

「――何を言っている。ヨモギの言う通りだ、気持ち悪い」


 するとそこへ……後ろから流麗な声色が睨み合う兄妹の間に割って入った。

 忘れもしない、あの声だ。


「お、お嬢! いたのかよ?」

「いたのかよ? じゃない。お前達がいつまで経っても来ないから探しに来たんだ、馬鹿者めっ!」

「……面目ねぇ」


 ニゲラは叱られた子犬のように頭を下げて大人しくなる。それを目にしてヨモギがにししっと笑うとシキミにジロリと睨まれ、慌ててカシアの背中に顔を隠した。


「すまなかったな、しつけがなっていなくて」

「そんなことないよ。道中いろいろ教えてくれてたし、僕もつい夢中になっちゃってあれこれ訊いちゃってたし……」


 少し気恥ずかしそうにカシアは頭を掻く。

 今日のシキミは昨日とは違い、刃物の如く尖った殺気を感じられない。

 それどころか昨日とはまるで別人のような姿だったからだ。


 腰まである髪を一つに結い、艶やかな紺の着物に臙脂えんじの袴を着付けしていた。清楚で可憐、上品さならあのマツリカに引けをとらない。

 昨日と同じなのは腰に帯刀した刀だけだった。

 それに先ほどから長い前髪の間に覗いた碧眼に見つめられて、カシアは目のやりどころに困った。


「さぁ、行こうか」

「あ……」


 どこか懐かしい髪の匂い。

 いきなり手を引かれてシキミの顔が間近に迫り、カシアの瞳にシキミが映り込む。

 やはり彼女を知っている――けれど、うまく言葉にできなかったので代わりに相槌を打った。

 カシアとシキミが肩を並べて歩き始める。

 と、それを快く思わない者が二人の後ろでうめいた。


「あっ……の野郎ぉおお……」

「あっ……の女ぁああ……」


 ヒマワリとニゲラの目つきが変わり嫉妬の炎を高く燃え上がらせる。

 さらにその後ろで泥沼化した恋事情を予見したヨモギが、ことの成り行きをニヤニヤと見守るという奇妙な人間関係がここに構築されていた。


「えっと……まだ、ドコに行くのか聞いてないんだけど?」

「アキヴァルハラ図書館、館長のところだ」

「えっ図書館があるの? 館長って、誰……?」

「今後の身の振り方を決めて下さるお方だ。心配しなくてもいい」

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