第十八幕 ―― 告白
眩しい――久々に仰ぎ見る昼間の太陽。
体を溶かしてしまいそうなほど皮膚をジリジリと照りつけた。あまりに地下へ潜っていたせいで、カシアは不意に色白い腕が溶けやしないかと不安に思うほどに強い陽射しだ。
廃ビルの割れ残った窓ガラスに目をやると二人の姿が映り込む。そこには自分が訳も分からず情けなく女の子に引っ張られる姿があり、だんだんといたたまれない気持ちで一杯になる。
ガラスに映った自分と目が合い下唇を噛むと、カシアは思わず声を張り上げてシキミを呼び止めてしまった。
「あ、あの大丈夫! 大丈夫だから、ちゃんと自分で歩けるよ……」
当のシキミは不思議そうな顔つきでカシアの言葉を聞き入れると、握っていた手をゆっくりと手離す。指の隙間に風が抜けて手汗が乾くと同時にもの寂しさ感じてしまい……また繋ぎたい、と呆けた眼差しでシキミを見つめていたら、それを彼女に気付かれてしまった。
カシアは耳を真っ赤にして誤魔化すように周囲を見渡す。
そして、ここが以前ヨモギと通った田園の近くなのだと知ると、一反ほどある少し外れの畑から賑やかな声が響いてきた。
「やだもう、この肥料くっさいんだけど……」
「いちいち文句を言うな。田打ちが終わっても、土壌に手を入れておいた方が育ちがいいんだ。口より手を動かしてさっさと撒きやがれ」
ヒマワリは好きだった土いじりの仕事をもらってからすっかり機嫌が良くなり、伸び伸びと仕事に励んでいた。が、血気盛りなニゲラと毎日飽きもせず口喧嘩を繰り広げたので、二人の喧騒はちょっとした街の名物になりつつあった。
相変わらず勝ち気なヒマワリではあったが、シーヴァにいた頃に比べればその表情は生き生きとしている。
「もう、少しは女の子に対する言葉遣いどうにかしなさいよねっ! アンタがしっかりしないから、カシアに変な虫が付いちゃうんじゃないっ!」
「う、うるせぇ。それはこっちのセリフだ! アイツがお嬢に手ぇ出しやがったら、そこへ盛った牛糞の山に生き埋めにしてやらぁ!」
「ええっ? これって牛のウン――」
「だぁ~! 待て待て。女の子が軽々しくそんな言葉、口にするもんじゃねえ。まったくよう、箱庭でどんな教育受けてたんだ。お前にはお嬢の爪の垢でも煎じて飲ませてやりたいぜ……」
「何でアイツの爪の垢なんか飲まなきゃいけないのよ!」
「コ、コラ待て! 糞を投げるなっ!」
カシアは仲睦まじい二人の様子に苦笑いすると、額の汗を拭いてこう言った。
「放っておいても大丈夫そうだね」
「――そう、だね」
一瞬、シキミの口元と口調が少し柔らかくなった。
いきなり押しかけてきた時もそうだったが、今日はいつも彼女とは少し違うように感じる。身なりで言い表せば着飾った赤い和服、手入れが行き届いた髪、普段はしない化粧とか。どことなく女性らしさが滲み出ていたのだ。
すると、再びシキミが自然とカシアの手を握ってきた。
彼女は少し俯いていたため、髪が邪魔をして表情を見ることはできない。
続けてシキミはクイクイと手を引く。
「あの森の先だから、行こう」
「……うん」
手入れがされた砂利道が田園の先にある森へと続く。
カシアとシキミは稲穂を揺らす風に背を押されるように、その森へと踏み入る。
道なりに奥へ進むとそこには一面の竹林が広がっており、竹の葉が照りつける太陽を遮った。
二人の頭にかぶさった斑模様の影が風で揺らめきと、竹の葉が擦れ合う音が気持ちを穏やかにしてくれた。
薄暗い竹林を抜けると、ススキで組まれた茅葺き屋根がカシアの目に飛び込んでくる。敷地の前には製の看板が立てられており、それには《茶庵・御茶ノ水》と書かれていた。
「すごい、昔ながらのこんな家があったなんて」
だが、カシアはふと違和感を抱いた。
この古びた木造家屋は人が住むにはあまりに小さかったからだ。
――もしかして、これは納屋か何かなのだろうか?
と、カシアがぼんやり眺めていたらシキミが耳許で小さく囁いてきた。
「こちらへ」
カラン、コロン――と、シキミが履いた漆塗りの桐下駄が庭に敷かれた飛び石を踏む度、心地よい音を立てる。カシアはその音色に誘われると、波模様に手入れがされた砂地を踏まないよう飛び石の上をテンポ良く渡った。
最後の飛び石につま先が乗る。
面を上げたカシアの目に映ったのは、子供がくぐるような小さな扉が一つだけ。
他に入り口は見当たらない。
言葉で表現しにくいが、あえて例えると小人の住まいと言ったところだ。
シキミ腰にぶら下げていたカグツチを頭上にあった棚に預けると、空いた手でカシアに白くしなやかな手を差し伸べた。
「さ、中へ」
胸の高さほどしかない戸に頭を屈めて、カシアは薄暗い部屋の中へと入る。
そこには、とてもとても狭い部屋が一つだけあった。窮屈な戸を潜って中に入ると畳と呼ばれる東洋の絨毯が敷かれていて、高い位置にある窓からわずかな光が差し込んでいる。
シキミが脱いだ靴を丁寧に揃えると、カシアは彼女に進められるがまま指定された場所に座った。
四畳半――息遣いが耳に入るほどの静けさと、張り詰めた空気が窮屈な密室を包み込む。他に聞こえる音は湯気を吐き出す釜と外で鳴く鳥の声だけだ、不思議と心が安らぐ。
そして正座したシキミと向き合うと、彼女は畳にそっと指を揃えて丁寧に頭を下げた。
「――お帰りなさいませ、旦那様」
「だ……だん?」
奇怪なセリフにカシアの頭の中は真っ白になった。
さっぱり意味が分からない。
けれど、シキミの碧い瞳はじっとこちらを見続けている。
か、可愛い……カシアは思わず喉から出かけた言葉をグッとこらえたが、もしかしたら顔に出てしまっていたかと思い、慌ててアゴを下げた。
声をかけづらい重い空気――。
シキミはそんなカシアを眉一つ動かさずに見続けていたが、脇に置いてあった数点の道具を使い何かの作法に乗っ取って腕を動かし始めた。器を濃藍色の布で丁寧に拭くと、濃い緑の粉を入れて湯を注ぎ、竹のマドラーで掻き混ぜる。
最後にシキミは器を手元で三回転させ、ふうふう、と2回吐息を吹きかけてカシアに器を差し出た。
「どうぞ、召し上がれ」
顔色を変えることなく鋭利な眼光を放つシキミに恐怖しつつ、カシアは器を受け取ると緑の液体を一気に喉の奥へと流し込んだ。苦味が口から喉の奥まで広がり顔を歪める。
「うげ……」
カシアは口元を拭って器を畳に置く。
今度はドス黒く赤茶色の光沢を放つゼリー状の物体が、青磁色の小皿に乗せられて膝の前へ丁寧に差し出された。
「こ、こ、これは、人が食べられるものなのかい?」
「
「書……く……とは?」
しばしの沈黙――。
シキミは紙に包んだクリーム色の粉末を手にしたまま、じっと声をかけられるのを待っていたので、カシアが選べる選択肢はすでに一つしかなかった。
「お、おまかせします」
「承知いたしました」
彼女は右手の甲をトントンと叩き、皿の回りに粉末で何かを描き始める。
重い――カシアはゴクリと唾を飲み込み額の汗を拭う。
それはこれまでに味わったことのないプレッシャーと、破壊力を秘めていたからだ。
「ハ、ハートマーク……」
続けてシキミは中心を抉るように竹の串を突き立てると、赤茶色の物体が持ち上げてカシアの口元に差し出す。
「アーン」
そして、ピクリとも笑わない顔で口を開けろとカシアに迫った。
何コレ、何だよコレ……この張り詰めた緊張感。
これは新手の罰ゲームなのか?
いやでも、胸の底から溢れ出てくるドキドキ感はクセになってしまいそうだ。
切迫した状況下、新たな自分の発見にカシアは戸惑ったが、言われるがままシキミの手に口を寄せた。
「あ、あーん……」
口の中に赤茶色の物体が放り込まれるとマッタリとした甘みが広がり、さっきまでの苦さを和らげてくれた。みてくれはあのゼラチンゼリーを彷彿とさせたが、意外と口に合って頬が緩んだ。
シキミが串を置いて皿を下げると、最後にカシアの耳許でこう囁く。
『こう言えば、お終いよ』
カシアは軽く頷き、彼女にその《言葉》を伝える。
「結構なお点前で――」
途端にシキミの頬が緩み、あの夢と同じ満面の笑みをカシアに見せた。
「おかえりなさい、カシア」
「やっぱり、キミだったんだね」
「うん……」
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