第三十七幕 ―― 帰郷

 真っ暗だった縦穴に丸い太陽の如く差し込む光。箱庭の白服に着替えたカシア達は100メートルほど続く手摺りを掴み、シーヴァの区域内にある作業用連絡路を登っていた。

 カシアが重い金属製のハッチに肩を当て勢い良く押し開けた途端、強烈な光と空調が吐き出す風で思わず腕で顔を覆う。だんだんと目が慣れてくるにつれ、見覚えのある情景が瞳に映り込んだ。

 シーヴァ――無味無臭の空気が垂れた前髪を揺らし、遠くに見えるセントラルを青く霞ませている。そして頭上を覆う巨大なドームの傘を見上げ、箱庭の内側に潜入できたことを知った。


 この懐かしい感覚、あの楽しかった日々――。


「うへぇ、壁の内側ってこうなってんのかよ……」

「…………」


 後に続いてニゲラとシキミも外壁に立つ。洗練された都市を初めて目にしたニゲラは驚嘆の声を上げ、シキミは口を紡いだまま何も言おうとはしなかった。

 

 カシアは思う。


 彼女は忌まわしい記憶しかないこの場所へ戻り、今どんな心境でいるのだろうかと。離ればなれになってからお互い随分と変わった。でも、変わらないものだってある。ほんの僅かな時間ではあったが、せめて二人で過ごしたエデンでの日々を思い出してくれればと、願った。


「あそこに何かあるぜ」

「あ~、あれはね……」


 ニゲラが右手にあるモノレールのホームに指差す。三人は壁を背にしてゆっくりと進み、無人のホームに降り立った。どことなく見覚えがある。ここは以前、建設途中だったあのホームだ。今ではすっかり様変わりしていて、市街地にあるホームと代わり映えしないほど綺麗に整備されていた。


 けれど、もう以前のような感動は感じない。

 無機質で人の温かみに欠けた殺風景な景色を一望して、カシアはぽつりと呟く。


「鳥のカゴか、上手いこと言ったもんだ」


 そして、右手にあの黒い腕輪をはめて電源を入れる。


《ピピ……本日の散水時間は16時より10分間――》

《ピッピッ……次のモノレール到着まで1分42秒です》


「よし、正常にリンクできてるみたいだ。お互いの位置情報も分かるように改造してあるから、右腕に装着してね」


 潜入のためカシアは以前自分達がはめていた《枷》を細工し、偽装IDで住人に成りすませるよう改変してあった。これで声紋や網膜スキャンを受けない限り、簡単に見つかることはまずない。


「スゲェな、お前……」

「どういう訳だか最近、驚くほど知識が湧いてくるんだよね。機械を見ただけで構造が分かっちゃうというか――」

「だがよ、爆弾を作るに関しちゃあオメェに負けねぇぜ!」

「シッ。おしゃべりはそこまでだ、来たぞ」


 シキミの声でニゲラとの会話が中断される。ホームから少し頭を出してみると、シルバーグレイの車両が陽光を反射させてこちらへやって来る。あれは以前、通勤で利用していた市街地へ向かうモノレールだ。


《セントラル行きが到着しました》


 アナウンスと同時にモノレールがドアが左右に開かれる。カシアは車内を確認し、眺めの良い左側の長席に腰を降ろす。その隣にシキミが白く丈の短いスカートをはためかせ、腕が触れ合うように座ってくると、彼女の瞳が少し悲しげにこちらを見澄ました。紫黒色の髪がはらりと手の甲に落ちてきて、彼女の頭がカシアの肩に寄りかかる。


 それは懐かしく、大好きだったラベンダーの香りで……。

 ふと、カシアはこんなことを考えてしまう。


 もし、シキミが《赤い果実》に手を付けず、何も知らないままシーヴァで暮らしていたら、こんな風に二人は穏やかな時間を過ごしていたかもしれない。それは叶わない幻想だけれど、今はこの時間がずっと続いてくれれば……と、カシアは在ったかもしれないもう一つの人生に思いを馳せた。


「カシアの手、温かいね」


 シキミが膝に置いた手に自分の手を重ねてくると、


「お嬢……俺のお嬢……」


 斜め向かいの席に寄りかかったニゲラが宿念の炎を目に浮かべ、こちらにガンを飛ばしていた。シキミは素知らぬフリを決め込んでいたが、カシアはジリジリと突き刺さってくる視線のせいで、せっかくの雰囲気を台無しにされてしまった。

 そして、窓の外では予告されていた人工雨の散水が始まり、悲恋な男心を洗い流した。




 モノレールがセントラルに到着し、カシアは通い慣れていたホームに降り立つ。散水で霞がかったビルの向こうに大きな虹が出ており、虹色の光がガラス窓を華やかに彩っていた。けれど、あの輝きさえ計算して演出されたものだと思うと、どこか物悲しいものがある。


 ホームを後にして改札のゲートをくぐると、ちょっとしたショッピング街がセントラルの中心まで続いている。ここは荒廃したアキヴァルハラとは違い、清潔感ある近代的な店構えに、全てが自動化された設備、売り子は人ではなくマーキナー。

 メインストリートには六列の移動歩道があり、ちょうど帰宅時間と重なったため、たくさんの人で溢れかえっていた。


 これは好都合、木を隠すには森の中だ。

 と、カシアはそう思案したのだが、一人……。


 箱庭の生活を知らないニゲラが目新しさと文明の格差を目の当たりにして、大いに驚嘆し、そしてみっともなく騒ぎ立てた。


「ゆ……床が勝手に動いてらぁ!」

「そうだね」


《ピピッ、中央広場へは次の角を左、です》


「おいおい、宙に矢印が浮かんできたぞ!」

「……そうだね」


「おい見たか? 今すれ違った二人、男同士で手を繋いで――」

「お前、少し黙ってろ。汚らわしい!」


「サーセン……」


 怒鳴られたニゲラはバツが悪そうに背を丸める。カシアはその様子を苦笑いしたが、自分も初めてアキヴァルハラを歩いた時のことを思い返す。すると、彼のことを笑えなくなった。誰でも慣れない文化に触れれば、こうなってしまうのだと。


 移動歩道が終着を迎えて、広々としたエントランスに足を踏み入れる。ここはセントラルの中心部にあたり、パインを何枚も重ねた多重構造になっていて、その巨大な吹き抜けはフロア200階分の高さがある。

 それと正面にあった巨大なスクリーンにはCPの消費傾向や、天気や交通情報が流れていた。

 カシアが手摺りから真下に広がった広場をヒョイっと見下ろす。フロア一階には巨大な樫の木が植えられていて、30階に届きそうな勢いで丈を伸ばしている。その周囲には噴水が四つ取り囲み、赤茶色をしたレンガ調のタイルが幾何学模様を描いていた。


 三人は溢れた人混みに紛れて早足で移動すると、上級職員が使用する専用エレベーターに飛び乗る。これは以前、マツリカが使用していたものと同じだ。

 そして、ここがカシアの腕の見せどころとなる。天井にあった黒いセンサーがすぐさま反応し、腕輪の情報を読み取ると三人の身分確認が行われる。もし不手際があればこの密閉空間に閉じ込められてしまい、すぐさま保安マーキナーに取り囲まれてしまうだろう。


 高鳴る鼓動、緊張で掌に汗が滲み出る。

 そして――。


《ピッ》


 緩やかに動き出したエレベーター。カシアの偽装にまんまと騙されたシステムは、不審者を乗せて警戒厳重な管理区画へと登り始めた。


「ふひ~、大丈夫だったか。こんな逃げ場のない場所に閉じ込められちゃあ、生きた心地がしないぜ。ところでまだ着かねぇのか?」

「200階あるからしばらくかかるね。カメラに擬似信号を送って映像も音声もループしてあるから、何を喋っても平気だよ。今のうちに場所と確認しておこう」


 腕輪をタップし、カシアは内部情報を映像化して二人に見えるようにする。浮かび上がった3Dマップを元に、それぞれの目的地までの道のりを指示していった。


「到着したら僕とシキミは201階のメディカルセンターへ。ここに薬学試験ラボがあるから、恐らくヒマワリもそこにいると思う。薬の調合法と一緒にね。ニゲラは一人になるけど、こっちの貨物用エレベーターに乗り換えて地下24階の動力制御室へ行ってほしい」

「おい、200階まで登らせといて今度は地下かよ……」

「ごめん……地下に通じるエレベーターは、この管理区画にしかないんだ」

「チッ」

「ニゲラ、ちゃんと聞いていなさい。私達が失敗すれば全てが終わりなんだぞ」


 あれ? カシアはふと、何か忘れているような気がした。

 さほど重要ではなさそうだが、胸にぽっかりと穴が空いた感じがして……。


「ねぇ、僕たち何か忘れてない?」

「いや? 特に問題になることはないはずだが……ん?」


 シキミも何か引っ掛かったようで、首を傾げた。


「まぁ、すぐに出てこない程度のことなら問題無いだろうよ」

「そうだね。大したことじゃないよ、きっと」



 段取りを説明し終えたカシアは3Dマップを閉じる。すると、ニゲラが急に神妙な顔つきでこちらに詰め寄り、カシアの肩に腕を乗せて両方のまなこをジッと覗き込んできた、ちょっと気色悪い。


「おい、カシア」

「な、何か言い忘れてたかな?」

「てめぇはいけ好かねぇ野郎だが……もしもの時はお嬢を頼んだぞ。それにお前も捕まったりすんなよ。俺はお嬢が悲しむ顔なんて見たくねぇ」


 それは意外な気遣いだった。


「ああ、約束するよ」


 カシアが何気なく右手を差し出すと、彼は煙たがった面でその手を強く握ってくれた。


《管理区画に入りました――》


 そして――アナウンスと共にエレベーターの扉が左右に開かれる。




 中は薄暗く、足元に照らされたブルーライトが人影をくっきりと浮かび上がらせる。どことなく見覚えがある。そう、マトリカリアに連れられてエデンに移った時の通路によく似ていた。

 カシアはもう一度3Dマップを展開して現在地を確認すると、地下に通じる運搬用エレベーターまでニゲラを案内する。


「決行は19時、ジャストだよ」

「とりあえず発電施設ってのをぶっ壊しゃあ、電気が止まるんだろ? そんなもん、一人で十分だ。俺は爆破の天才だぜ?」


 ニヤリとニゲラが笑うと、心配げにシキミが声をかける。


「危なくなったら、一人でも脱出しなさい」

「了解っす。ではお嬢、また後ほど」


 ニゲラが敬礼するとひし形の格子が閉じられ、エレベーターは鈍い音を立てて地下へと降下していく。彼が見えなくなるまで見送ると、カシアは大きく息を吐いて気を引き締め直した。


「行こうか、ヒマワリの元へ」

「うん……必ず、助け出そう」


 互いに相づちを打つと、カシアとシキミはメディカルセンターへと続く非常階段を駆け上がる。


 作戦開始まであと二時間。


 この時、カシアは別のことも考えていた。

 全てが終わった後で……シキミとヒマワリ、どちらの手を取るのかと。


 カシアに対する二人の想いの深さはよく知っているし、カシアも二人と同じくらい大切に思っている。けれど、ボタンのかけ違いで三人はこうして出会ってしまった。


 その事実も、想いも、消しようがない。

 だが、いつかどちらか選ばなければならない時が来る。


 カシアはまぶたを伏せて、答えようのない難題を胸の奥深くにしまい込んだ――。

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