夏の花・6

 毎年のことだけれど、織江川河川公園の花火大会は、なかなかに盛り上がる。

 花火自体が見事なのはもちろん、特に、飲食系の出店は毎年好評で、近隣の商店などが共同で出しているブースは、長い行列が出来てしまうほどだ。

 とはいえ、うちは、家を出てものの五分もあれば会場に辿り着いてしまうほどだから、実際に行くことは、まずなかった。

 何故かというと、我が家の二階にあるデッキに上がってしまえば、そこが会場代わりになってしまうからで。

 「マジで、絶好のポジションだったな」

 「お父さん、そこが気に入って、この家にしよう、って言ったくらいだから」

 酔い醒ましに、と母が淹れてくれた、冷たい緑茶のグラスを手にして呟いた彰さんに、私はそう応じると、ふっと顔を上げて空を仰いだ。

 今は、ここにいるのはもう私と彰さん、そして、隣にきちんと座っているおはぎだけだ。

 デッキには、昼の準備の時に、納戸から二人で運んできた竹製の縁台と、小さなテーブルだけを残して、後は皆片付けてしまった。

 花火自体はとうに終わってしまい、その代わりではないけれど、深い藍の空には、ごく細かな、白い光がそこここに瞬き始めている。

 そして、会場を後にしながら、それぞれに余韻を楽しんでいる人々のざわめきが、まだ祭が終わらないかのように、遠くここまで響いてきていて。

 「凄く、楽しかった」

 「そうだな。遼まで呼んでもらって、有難うな」

 「ううん。もうきなこのお父さんみたいなものだし」

 そう言うと、彰さんはおかしそうに喉を鳴らして、それからふと気になったのか、声を潜めて尋ねてきた。

 「……歌、あいつ、三好さんと付き合ってると思うか?」

 「どうかな。でも、まだ『先輩』って呼んでたし」

 ついつられて、ひそひそとそう答えながらも、私もそのことは気になっていたのだ。

 というのも、今日これまでの間に、ちょっとした展開があったからなのだけれど。



 例年、花火大会の日における宴会は、開始時刻の三十分前に始めることになっている。

 何故かというと、母曰く、『花火が始まると、せっかく作った料理が二の次になる』から、ある程度お腹に入れてもらってからがいい、ということなのだが、

 「俺が調理担当する以上は、そんなことは許さないからねー」

 「もーめっちゃこの仕込み頑張りましたもんね!はい歌、次揚がったよー」

 「ん、分かった」

 専用のフライヤーを前ににこやかにそう宣言した兄と、いい感じになった串を掴んではバットに上げていく里沙に応じると、トングを手にした私は、次々と乗せられた串揚げの山を、紙製の皿にバランスよく取り分けていった。

 その中身は海老、椎茸、ししとう、ウィンナーとピーマン、豚肉と玉葱、大葉とささみ、牛ヒレ、トマトベーコン、アスパラベーコン、餅チーズ、と多種多様だ。

 不思議なことに、この席だけは、必ず父か兄が全てにおいて差配することになっている。今年は父が不在なので、兄が仕切り役というわけだ。

 そんな次第で、座席のレイアウト(ちなみに、おはぎときなこは食事中のみ別室待機)からお品書きの作成、前日の晩の仕込みから、今日の段取りまで、きっちりとチャートを作って計画していて、

 『なにこれ。ちょっとした研修用のマニュアル並みじゃん』

 と、それを見た佐伯さんに、呆れ気味に言わしめたほどだった。

 それはさておき、やはりこういうものは揚げたてが醍醐味なので、熱いうちにすかさずお出ししなければならない。たくさん盛った二皿をお盆に乗せて、コンセントの都合上、少し離れたテーブルに持って行くと、遼くんがさっと振り向いてきて、

 「あ、すっげーいい匂いー。こっちにもらっていい?」

 「ん、どうぞ」

 慣れた様子で、素早く空いた皿と新しい皿を取り換えてしまうと、わざわざ席を立って、母と上村さんの前にあったもうひとつも、同じようにしてくれた。

 と、その様子を見ていた佐伯さんが、目の前に座っている三好さんに顔を向けると、

 「倉岡弟、マメだねー。いっつもこんな感じ?」

 「そうですねー。こういう席では特に、なんでも先に立ってやってくれますよー」

 「……家ではそうでもないんだけどな」

 「彰兄、最近の俺はちょっと改善されてきてるの!お袋にも絞られてるし!」

 席に戻ってきた遼くんが、怒ったようにそう言いながら腰を下ろす。彰さんの前で三好さんの隣、という、そのポジション取りがごく自然で、仲良しなんだなあ、とふと思う。

 それに目をやった彰さんが、『ししとう』と端に書かれた串を取り上げながら言った。

 「そういや、兄貴も言ってたな。『あの先輩、って子が来るときは気が回るな』って」

 「こんな時にまで兄二人連携しないでー!もう条件反射なんだよ、サークルでそういう立ち位置なんだから!」

 「家と外で態度変えるのはよくないなー。俺みたいに終始一貫しなきゃー」

 「お前のポリシーはいついかなる時でも『気が向かないことはやらない』だろうが」

 「……彰さんって、もしかして、遼くんと佐伯さんに突っ込み鍛えられたのかな」

 間髪入れずに突っ込んでいる彰さんを見ながら、私が思わずそう漏らすと、何故か佐伯さんが、鋭くこちらに顔を向けてきて、

 「おー?歌ちゃん、いつの間にこいつのこと名前で呼んじゃうようになったのー」

 「肘でつつくな!割とマジで痛えだろうが!」

 空いた脇腹を、容赦なく攻撃された彰さんが声を荒げるのにも構わず、にやにやと楽しんでいることを隠す気もない笑顔で指摘されて、私は思わず赤くなったけれど、

 「だって、そうしないと、遼くんと区別がつかないから」

 これについては、実は、少し前に一悶着あったのだ。

 私の方が彼より年下だから、三好さんのように『倉岡くん』と呼ぶわけにはいかない、と言うと、遼くんからは冗談交じりに、

 『じゃあ、未来の弟だし、呼び捨てかさん付けでー』

 と言われたけれど、その場で即座に、彰さんに『だめだ』と却下されてしまった。

 ……ちなみに、未だにその理由は頑として話してくれないのだけれど、どうしてだろう。

 ともかく、なんとかそう返すと、ふうん、と呟いた佐伯さんは、意味深に目を細めて。

 くるりと身体を回して、正面に座っている二人を見比べると、

 「じゃあさ、三好さんは?なんて区別してんの?」

 突然に矛先を向けられて、三好さんはちょっと目を見開いたけれど、すぐに応じて、

 「倉岡くん、と、倉岡くんのお兄さん、ですけど」

 「えー、なにその呼称。いちいち長いしめんどくさいー」

 「そ、そうですか?ええと、じゃあ、お兄さんの方を倉岡さん、で……」

 「なんでそっちに行っちゃうかなー。後輩なんだし、弟の方を名前で呼んじゃえばいんじゃね?」

 さらに笑みを深くしながら、あっさりと提案してきた佐伯さんに、三好さんはますます瞳を丸くして。

 それから、何かおろおろとしたように、遼くんの方に顔を向ける。と、

 「……別に、俺はそれでもいいですけど。なんか支障あるわけじゃねえし」

 どこか、挑むように佐伯さんを一瞥した後、遼くんは真っ直ぐに三好さんを見据えて、そう言い切ってしまった。

 すると、何か彼女のスイッチが入ってしまったようで、

 「え、でもなんかそれってあのちょっとまずいっていうか馴れ馴れしくなっちゃうっていうかこの先どうしていいか分かんなくなりそうだしあのそれだけはできれば避けた」

 「ちょ、先輩、また!?何もテンパるほどのことじゃねえでしょーが!」

 慌てて止めようとしたのか、そう声を掛けながら、遼くんが三好さんの両肩を掴む。

 その途端に、びくりと身を震わせた三好さんが、見る間に頬を染めて。

 「……ごめん、なんか、無理ー!!」

 椅子を蹴って立ち上がると、遼くんを振りほどいた勢いのままに、デッキの丁度対角線上、反対側の端っこへと走って行ってしまった。

 と、そのまま、手すりにぶつかるようにして止まると、ずるずるとその場に座り込んで。

 「何やってんですか、もう!」

 それを見るなり、遼くんが転がった椅子を飛び越えて、あっと言う間に駆け寄ってしまうと、膝に顔を埋めるようにしている三好さんの横で、心配そうに覗き込んで、しばし。

 「全く、相変わらず野暮なことしかしない男だねえ」

 静まり返った場に、盛大なため息とともに、上村さんの声が静かに響いて、残った皆が一斉に顔を向ける。と、

 「佐伯。余所のお嬢さんをからかう余裕があるくらいなら、あんたもいい加減、自分の身を固めることを考えちゃどうなんだい」

 「えー、だって俺もう三十路近くだしー、あんまりいい人材も寄ってこないですしー。っていうかー、そんなこと言うんだったら上村さんが紹介してくださいよー」

 たしなめるような厳しい声音でそう続けるのに、佐伯さんが笑いながら切り返す。と、上村さんはすっと眉を上げて、

 「いい度胸だ。あんたがその気なら、紹介してやろうじゃないか」

 「あらー、もしかして、前におっしゃってた姪御さんですか?」

 その横で、面白そうに成り行きを見守っていた母がそう言うと、佐伯さんの笑顔が若干崩れて。

 それを見逃さなかったのか、上村さんはにやり、という表現のままに笑みを作ると、

 「そう、あたしの姉の子だよ。器量は悪くないが、誰に似たのか気性がきつい子でね。ま、楽しみにしておおき」

 眼光も鋭く、緩やかに腕を組んで、ふん、と鼻を鳴らした姿は、なんというか、有無を言わせない感じで。

 「……良かったな、佐伯。今度こそ運命の相手かもしれねえぞ」

 「周到にお膳立てされた運命の相手とかー、ぶっちゃけまっぴらごめんなんだけどー」

 軽く息を吐いて、その肩に手を置いた彰さんに、さすがの佐伯さんも、力ない声でそう返すばかりだった。



 その後は、ほとんど間を置かずに、花火が始まってしまって。

 しばらく座り込んだまま、何やら話し込んでいた遼くんと三好さんは、いつしか並んで、高く空にひらめく光の花を、じっと見上げていて。

 そっと、別室から連れてきたきなこを放してあげると、嬉しそうに駆け寄って行って、その近くにちょこんと座って、二人と一匹、になって。

 「……そのうち、ちゃんとお付き合い、になるんじゃないかな」

 その姿を映したかのように、じっと見上げてくるおはぎの頭を撫でてやりながら、私は小さく呟いた。

 宴会がお開きになって、後片付けを皆でした後、遼くんは、きなこと三好さんを、兄が上村さん、佐伯さん、里沙の三人を、纏めて車で送って行った。母は、父と電話中だ。

 だから、ひょっとしたらだけれど、現在進行形、なのかもしれない。

 そんなことを考えていると、彰さんは小さく息をついて、

 「だよな……あー、変なこと聞いて悪い。兄貴も親も、そのへんを気にしてたから」

 何やら詮索したような気持ちになったのか、どことなく気恥ずかしそうな口調に、私は思わず笑ってしまうと、

 「彰さん、お兄さんだ」

 「なんだそりゃ。しょうがねえだろ、あいつ、これまで全然女っ気なかったんだから」

 そう言って、照れくさそうに下を向くと、誤魔化すように手を伸ばして、おはぎの頭を少し乱暴に撫でた。次から次へと撫でてもらえて、彼女も嬉しそうに尻尾を振っている。

 そういえば、遼くんも、彰さんに似ているところがある。どこか危なっかしいところのある三好さんのことを、先回りしてフォローしたり、荷物を持ってあげたり、優しくて。

 まだ、お会いしたことはないけれど、上のお兄さんも似ているのかな、と考えて、ふと気付く。

 「お兄さんで、倉岡さんで、彰さん……」

 「?なんだ、いきなり」

 「呼び方。一年で、随分変わったな、って思って」

 葦の原で会って、家に来てもらって、それから、気付けば段々と近付いて行って。

 このひとを好きになって、こうして隣に座って、まるで当たり前のように名前を呼べるようになって。

 それはきっと、とても特別で、幸せなことだ。

 「……歌?」

 問いかけるように呼ぶ声が、初めて名前を呼ばれた時のことを思い起こさせる。

 応じて、顔を上げると、大きな手が頬をくるんでしまって、額に、唇が優しく触れて。

 それから、手が離されたかと思うと、軽く肩を掴まれて、

 「こら。目、閉じろ」

 「……はい」

 小さく笑って、そう促してくる彰さんに頬を赤くさせられながらも、そっと瞼を伏せる。

 初めてされるわけではないのに、そのたびにどうしても、こんな風に緊張してしまう。

 多分、いつかは触れられることも、当然のようになるのかもしれないけれど、でも。

 「……来月、お前の誕生日だな」

 「……うん」

 重ねていた唇を離して、間近に顔を覗き込んできた彰さんに、どうにか頷きを返す。

 じっと見られているのが恥ずかしくて、逃げ出したいような気持ちを隠せずにいると、喉を震わせるようにして、彰さんはまた、笑って。

 するり、と背中に両の腕を回してくると、くるみこむように抱き締めてきた。

 「たまには、我儘言えよ。出来ることなら、なんでもしてやるから」

 耳元でそう囁かれたけれど、して欲しいことなどとっさに思いもつかない。

 だから、結局、いつも望んでいることを伝えてしまうしかなくて。


 「あの……一緒に、いてください」


 しがみつくように、回した腕に力を込めて。

 この先もこうして傍にいて、離れないように、ずっと。


 「……それは、我儘にもなってねえだろ。そんなの、当たり前だろうが」

 髪を撫でながら、さらりと肯定の言葉を返してきた彰さんは、深々と息を吐いて。

 それから、わずかに腕を緩めると、見上げた私にもう一度、そっと唇を重ねてきた。



 そうして、後日。

 里沙や麻野さんに、かなり真面目に『わがままとはどういったことか』について、相談してみたのだけれど。

 「何それ、超のろけじゃん」

 「おお、なんていうか究極の贅沢な悩みって感じ……!さすが彼氏持ち!」

 里沙にはばっさりと斬り捨てられ、麻野さんには妙に感動されてしまった。

 ……誕生日、もうすぐなんだけれど。本当に、どうしよう。

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河川公園 冬野ふゆぎり @fuyugiri

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