移り香
兄の言いつけ通りに、倉岡さんの買い物を手伝った後、寮の前まで送って。
帰り際に上着を返すと、ああ、と頷いた倉岡さんは、それを腕に掛けてしまってから、何故か買い物袋をごそごそと探って、
「ほら、これやるよ」
「……チョコレート?」
差し出してくれたのは、袋入りの、ボール状のチョコだった。
まるでキャンディのような、カラフルな包装紙にくるまれたそれは、パステルカラーがとても可愛い雰囲気だ。それにしても、いつの間に買ったんだろう。
なんだか意外な気がして顔を上げると、倉岡さんはちょっと眉を寄せて、
「またガス欠になっても困るだろ。時々ちゃんと補充しとけ」
「そうする。色々、有難う」
「ああ。おはぎも、またな」
そう言って身を屈めると、大きな手で、おはぎの頭を少し乱暴に撫でる。
その時、何か良い香りがふわりと漂ってきて、何だろう、と考えていると、
「そんじゃ、歌、そろそろおいとまするぞー」
「ん。おはぎ、おいで」
兄の声に、私は後部座席に先に乗り込むと、どことなく名残惜しそうな様子のおはぎに声を掛ける。と、耳をぴんと立てて一声鳴くと、尻尾を振りながら飛び上がってきた。
扉を閉めてしまうと、窓を開けて、横から顔を出してきたおはぎと一緒に手を振る。
倉岡さんは軽く手を上げて、それから背を向けて寮へと入っていった。
背中が見えなくなるまで見送ってから、まだ少しだけ興奮気味な様子のおはぎを撫でて落ち着かせると、座席に深く座り直す。
途端に、先刻の香りに柔らかく取り巻かれて、思わず首を巡らせた。
「ん、歌、何きょろきょろしてるんだ?」
バックミラー越しに、兄が声を掛けてくるのに、私は尋ねてみた。
「兄さん、何か香るもの、撒いた?」
「いや、別に。こないだ掃除したばっかりだしなー」
洗剤くらいなら使ったけど、と応じられて、私は正体不明の香りに、ひとり首を捻っていた。
帰ると、母にあらためて今日のことを、しっかりと絞られて。
さらには今後、私も携帯を持つことになって、次の休日に皆で買いに行くことになった。うちの高校は、基本的に校内での携帯の使用を禁じる、となっているから、実質通学時間内しか携帯を使えるタイミングがない。だから、卒業後でいいと思っていたのだが。
でも、倉岡さんとメールのやりとりがしやすくなるのは、いいかもしれない。
おはぎの写真もすぐに送れるし、と思いながら、自室に入り、着替えようと制服に手を掛ける。すると、またあの香りがして、やっとその出所を把握した。
「制服、か」
おそらく、柑橘系だろうか。微かに柔らかく、ほんのりと甘い。
自分では、香水など何か香るものを意図的につけたことがない。せいぜいがシャンプー止まりだから、おそらく掛けてくれた上着から移ったのだろう。
それにしても、なんだろう。凄くいい匂い。
兄や父も整髪料や制汗剤はつけるものの、どちらかというと匂いのしないものに偏っているから、全く見当がつかない。
ふと、香りが呼び覚ましたのか、髪に触れられた感触が蘇ってきた。
きっと、自分よりひとまわりほどは大きい手は、思いのほか優しくて。
……おはぎも、もしかしたら、こんな気持ちなのかな。
無造作に撫でられて、嬉しそうにしている姿を思い返しながら、私は紺の袖をくい、と引っ張ってみていた。
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