犬と猫

 世間的にも大した動きもなく、平穏な年の暮れ。

 例年通り、大晦日から実家に帰った俺は、すっかり片付いた和室で弟と飲んでいた。

 大掃除は母親と義姉の差配で、十二月に入ってから順に呼び出され、男ども全員で力のいる仕事は済ましてあるので、もう手伝うところもない。最後の買い出しも終わり、指示通りに冷蔵庫に入れてしまえば、あとは適当に年越しになだれ込むのが通例だ。

 「あ、彰兄ごめん、リモコン取って」

 俺と同様、なんとなく流していた番組を見ていた弟が、思い出したように言ってきた。

 「ほら。なんか見るのか?」

 「うん、特番に俺の好きな子が出るからさー」

 「……なんとかいうアイドルか?」

 渡したリモコンを操作している弟に、俺は尋ねた。

 弟は、オタクというほどではないと思うが、大学生らしく流行りのアイドルグループに詳しい。たまに友達とコンサートにも行っているようで、チケットが余ったから行くかと聞かれたこともあるが、正直どれが誰だかさっぱり分からないので、断った。

 と、弟は俺に向き直ると、少し憐れむような視線を向けてきて、

 「彰兄さあ、テレビの中の人でもいいから、ちょっとは女の子に興味持とうぜー」

 「語弊のある言い方すんな。それに、あんだけいるから、余計に似たり寄ったりにしか見えねえんだよ」

 派手な衣装で、パフォーマンスを披露しているグループは、それこそ画面を埋め尽くすほどの人数で、動き回っているせいもあるが、髪が長いか短いかくらいしか見て取れない。

 付き合いで見ていると、その中に歌に似ている姿を見つけた気がして、思わず目で追う。

 だが、振り向いた顔は、当たり前だが全く違う顔で。

 「あ、その子十番人気だよ。ボーイッシュ系がいいの?」

 「いや、別に、あいつは……」

 髪は短いが、そういう感じでもない。動きやすさ重視なのか、パンツを履いてくることが多いが、それでもどこか可愛らしい感じの組み合わせで。

 と、妙な気配を感じて弟に目をやると、何故か驚いて固まっていて。

 俺の怪訝そうな視線を受けて、ようやく口を開いた。

 「彰兄、もしかして、彼女いんの!?」

 「はあ!?馬鹿、でかい声出すな!」

 「えっ、マジ!?マジでいんの!?どんな子!?」

 すっかり興奮して騒ぎ出した弟を止めようと腕を伸ばすが、後ずさりで逃げられる。と、そのまま背後の襖にぶつかりかけた時、タイミング良くそれが開いて、

 「うっわ!」

 「……何やってんだ」

 勢いのまま隣のリビングに転がり落ちた弟を、木製の盆を手にした兄が、呆れたように見下ろしていたかと思うと、その身体をまたいで部屋に入ってきた。

 「彰、これテーブルに置いてくれ。みさおが味見してくれってよ」

 「ああっ、俺も食う!松風食いたい!」

 「りょう、騒ぐな。数はあるからさっさと起きろ」

 俺に盆を受け取らせると、弟の肩を掴んであっさりと引き起こす。俺より背は低いが、三人のうちで一番ガタイがいいから、細身の弟を動かすくらい造作もない。

 盆の上には、スモークサーモンやチーズ、それに弟が叫んでいた松風など、美味そうな酒の肴が盛られた白の仕切り皿と、銘々皿、割り箸が人数分乗せられていた。

 皿をテーブルの上に並べ、遼の隣に厚みのある座布団を置くと、兄は悪いな、と言ってあぐらを組み、グラスを持った。既に半ば開いていたビール瓶を向けると、それでいい、というように頷いてみせたので、そのまま注いでやる。

 持ってきてくれた皿も順に回すと、いつものように静かな口調で、兄が言ってきた。

 「お前みたいに気を回せれば、遼にも彼女が出来る可能性はあるんだけどな」

 「何気にひっで!それに、俺まだハタチだし!人生的に余裕あるし!」

 「来年就活だろうが。そんなに呑気にしてられねえだろ」

 「彰兄、まもる兄と連携やめて俺倒れる」

 間髪入れずに俺に突っ込まれて、遼は一応うなだれてみせたが、手元の皿にはしっかり松風と数の子が盛られている。相変わらず、好きなものには手が早い奴だ。

 「で、彰、彼女はメールの子か?」

 油断していたところにずばりと切り込まれて、俺は危うくビールを零しかけた。途端に弟まで復活して、思い切り目を輝かせている。兄はといえば、俺を見て唇の端を上げると、

 「いや、電話もか。お前、彼女と話すんなら聞こえないところにしとけ」

 「……庭に出てただろうが……なんで聞いてんだよ」

 「屋根にだいだいを回収しに行ったんだ。その時にな」

 橙、というのは、実家で飼っている雄猫だ。たまに屋根に上がったきり戻らないので、だいたい兄が呼びに行くことが多い。ちなみに茶トラで、毛色から命名したという点ではおはぎと同じ理由なのだが、それはともかく。

 「なー、彼女どんな子?可愛い?護兄、なんか聞こえなかったの?」

 「大したことは聞こえてないから安心しろ。しかし、おはぎってのは何なんだ?」

 「そこかよ……」

 兄の言う通り、歌と話していたのは、まあ、いつものようにたわいないことだった。

 親父さんが昨日やっと帰ってきたとか、おはぎが年明けに向けて正月バージョンになったとか、初詣はどうするかとか、そういったことだ。

 とにかく、手っ取り早い方法として、スマホにさっき送られてきた画像を表示すると、二人に見せた。

 「これが、おはぎか?」

 「あ、わんこかー、すっげ、衣装凝ってて可愛いじゃん」

 「クリスマスとリバーシブルになってる、とか言ってたな」

 この間のツリー模様のベストを裏返すと角松模様が現われて、首のチョーカーはリースから鏡餅に変えられている。しかし、何かとマメだな、歌も瑞枝さんも。

 「犬も可愛いけどさー、彼女の写真ないの?」

 「……そういや、撮ってねえな」

 遼に言われて、あらためてそのことを思い出す。

 パソコンには、文化祭の時の画像が結構あるが、こっちには入っていない。俺は撮られるのも撮るのもさほど興味がないから、今まで気にしたこともなかったが。

 一枚ぐらい、入れといても良かったかもな……

 いや、それはそれで、こいつに見られたら面倒だ。

 そんなことを考えていると、遼がむっとしたように頬を膨らませた。

 「なんだよー、じゃあ基本情報くらい提供しろよー」

 「まあ、それくらいは酒の肴に吐いてもらうか」

 「やっり、護兄こっちについたし!えーと、そんじゃあいくつ?年下?」

 いきなりそれか、と俺は一瞬ためらったが、どうせいずれ追及はされる、と思い直して、大人しく吐くことにした。

 「……十八」

 そう言うなり、兄は眉を跳ね上げ、遼はかなり長い間絶句していたが、

 「マジ!?俺より年下とか!」

 「どういう縁があったのかは知らんが、若いな……」

 「え、それで、どっちから!?まさか彼女からとか!?」

 「……そうだよ」

 「うーわー!彰兄むっつりなのに!なんでそんな美味しい展開!?」

 「お前の俺への評価がどんなもんかは分かった。もう飯おごってやんねえぞ」

 「そうだな。こいつに金使うより、彼女に使ってやれ」

 「また二人で連携してー!なんだよー、高校生とかありえねー……」

 騒いだ挙句、頭を抱えて床にごろりと転がった弟はもう放っておくことにして、ぬるくなった酒を飲み干す。間を置かず、兄が瓶を差し出すので、有難く注いでもらうと、

 「まだ、連れては来ないのか?」

 「……付き合い始めたのがクリスマスなんだよ。いくらなんでも早いだろ」

 「そうか。お袋が喜ぶと思ったんだけどな」

 「なー、彰兄、その子可愛い?」

 「寝転がったまま聞くようなズボラな真似する阿呆には答えねえ」

 「じゃあ起きる!正座もするから!」

 へこみやすいが復帰も早い弟の性格を思い出して、反射的に答えたことを後悔しながら、俺はしばらく口をつぐんでいたが、

 「……まあな」

 つまらない嘘も言いたくなかったから、それだけをどうにか答える。

 遼が目を丸くし、その隣で兄が喉を震わせると、グラスを置いて無言で立ち上がった。

 「兄貴?酒なら取ってくるぞ」

 「いや。橙を連れてきてやるから、お前は写真撮ってやれ」

 膝を立てかけた俺に、そう言い置いて襖を開けると、兄はリビングを抜けて、奥の階段から二階へと上がって行った。

 遼はといえば、複雑な表情になった俺と、兄が去った方を交互に見比べてから、

 「……彰兄、どういうこと?」

 「……結構、聞いてたんじゃねえか」

 淡々としていながら、やけに的確に俺や遼のことを把握するのは昔からだが、しかし。


 「お前、猫も好きなのか?」

 『うん、動物はだいたい好き。猫には、まだ縁がなくて飼ったことはないけど』

 「そうか。じゃあ、おはぎの写真の礼に、うちのを撮って送ってやるよ」


 さすがに実家だから、そんなに長々と話していたわけでもない。

 なのに、このくらいの話で、なんで相手が彼女だとかまで分かるんだ……

 心当たりのある会話を思い返していると、小脇に橙を抱えた兄が戻ってきた。元々弟が拾ってきたのだが、何故か兄に一番懐いている。多分、必要以上に構わないせいだろう。

 逃げられないようにか、後ろ手に襖を閉めてしまうと、兄は腰を下ろして、

 「ほら、橙。ちょっとじっとしてろ」

 穏やかな声で促しながら、自分が座っていた座布団の上に座らせる。

 一声高く鳴くと、言われるままに、大人しくきちんと揃えた足に長い尻尾を巻き付けて、こちらを向いた橙に、俺は諦めたようにスマホを向けた。



 それから、兄に促され、遼に冷やかされながら歌にメールを送った後。

 「……なんで分かったんだ、兄貴」

 遼が席を外した隙に、俺がそう尋ねると、兄はあぐらの上で喉を鳴らしている橙を撫でながら、こともなげに返してきた。

 「お前が、今まで聞いたこともないような優しい声だったからな」

 聞くんじゃなかった、と悔いたが、それこそ後の祭りというやつで。

 ともかく、お行儀良くて可愛い、と歌が返して来たので、それで良しとすることにした。

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