アルバイト
三が日を含め、お正月休みをほぼ寝たきりで過ごしたという里沙が、なんとかセンター試験を終えて、出願も無事済んで。
一段落したお祝い、というのも変だけれど、一緒に遊びに行こう、ということになって、里沙の希望通り、カラオケで一頻り歌ってもらった、その後。
「あー、やっぱ久々にこぶし回すとすっきりするー」
運ばれてきたアーモンドラテを手に、満足そうに息を吐いた里沙に、私は笑って、
「喉、もう大丈夫そうで、良かった」
「まあねー、さすがにひと月近く経つもん。それに、あの飴めっちゃ効いたー」
やっぱご利益あんのかなー、と何かしみじみ言いながら、添えられた小さなスプーンでクラッシュアーモンドの散ったホイップクリームを、満足そうに頬張った。
カラオケボックスを出て、同じ通りを少し歩いた先にあるカフェは、私も里沙も好きな場所だ。ブラウンと白を基調にした落ち着いた広いフロアに、たくさんの席が備えられていて、焦って席を立たないといけないような慌ただしさはない。
それに、なんといっても、クッキーとケーキがとても美味しいのだ。
「ところでさ、歌、もうアルバイトするの?」
私が先ほど駅のスタンドで貰ってきた、無料の薄い冊子を指して、里沙が聞いてきた。
「うん、できるだけ早くしようかな、と思って」
赤と白の、自然と人目を引く配色のそれを軽くめくりながらそう応じると、里沙はうん、と納得したように頷いて、
「今のうちに色々とやっといた方がいいよねー。あたしは上手く受かれば四年だけど、歌は二年だし、就職だって早いしさ」
「それ、兄さんにも言われた。違う職種のことも経験しとくといいよー、って」
大学時代、居酒屋と交通整理のアルバイトを掛け持ちしていた兄は、学費の補填もそうだけれど、よく家族にお土産を買ってきてくれて、そのたびに面白い話をしてくれた。
それで興味を持ったのもあるけれど、私の通う専門学校の奨学金は、全額免除の制度はないから、なるべく同じように、少しでも自分でなんとかしたいのだ。
と、里沙は冊子を覗き込んでくると、指先でひとつの求人情報を指して、
「これ、居酒屋って大変そうだよね、時給の割に。酔ってる人も多いし」
「あれは、接客のなんたるかを修行する場だ、って兄さんが言ってた」
おかげで酔っ払いとクレーマーのあしらい方を覚えて、今の営業に役立っているそうだ。
それを聞いた里沙は、うーん、と軽く唸ると、考え込むように顎をつまんで、
「あと定番だとコンビニとか、ファミレスとか。歌だとショップ系、結構向いてそうな気がする」
「あ、スーパーのバックヤードとかも、結構面白いって」
そう私が言うなり、里沙はすっと眉を上げて、にやり、という感じの笑みを向けてきた。
「歌、それ言ったの、あんたの彼氏でしょ」
何故か図星を突かれて、私は抹茶ラテを飲みかけていた手を止めた。手から伝わる熱が、じんわりと頬まで上がって行くようで、思わず俯いてしまう。
彼氏、って、確かにそうなんだけど、そう言われてしまうと、何か凄く照れる。
里沙は、持ち上げていたカップをソーサーに戻してしまうと、手を伸ばしてちょん、と額をつついてきた。
「表情と声で分かるんだよねー。なんか嬉しそうっていうか、幸せそうっていうの?」
超にじみ出てる、と言われて、そんなにかな、と頬に手をやっていると、さらに里沙は追及してきた。
「ほらほら、せっかくだからどんなお付き合いなのか話してみなってー」
「どんな、って……普通に、お休みの日に会ったりとか、してるけど」
そう返しながら、私はこの間、倉岡さんと話したことを思い返していた。
「バイトの経験?まあ、そこそこあるけどな」
ボディバッグの件が一段落ついて、結局横型にすることが決まって。
最終デザインの了承を得てから、倉岡さんと私は、自室でお茶を飲みながら、のんびり話をしていた。……私のうろたえがようやく収まってから、だけれど。
緑茶の入った湯呑を手にしながら、倉岡さんは思い返すように天を仰ぐと、
「平日は、実家近くのスーパーで品出しと生鮮食品の仕分けと包装、土日は、あれば、工場の倉庫整理とか、ガソリンスタンドとか、土方の短期バイトも結構出てた」
「凄い。それ、ずっとやってたの?」
「ああ、高校入ってから。さすがに就職があるから、五年目で辞めたけど」
「五年?」
もしかして、と思ったことを言葉にする前に、倉岡さんは頷くと、
「俺が出たのは、高専だったから。バイトも一応許可制だったけど、割と自由にさせて貰ってたし、何かやるなら今のうちだと思ってたからな」
高専だと、卒業後はそのまま就職する率が高い、と聞く。大学に編入する人も結構いるみたいだけれど、倉岡さんは最初からいくつかの企業を目指していたそうで、
「実は、今の会社を選んだのは、支社でバイトしてたから、ってのもあったんだ」
「ええと、敵情視察、みたいな?」
「いや、別に敵じゃねえだろ」
「じゃあ、潜入捜査」
「さらに方向性がズレてんぞ……微妙に合ってる気もするけど」
短期のアルバイトを通じて、勤務体系や職務内容、職場環境などが、自分の望んでいるものに近かったため、求人に応募する気になったのだそうだ。
それを聞いて、私は小さく息を吐くと、
「……倉岡さん、偉い」
今の私とほぼ同い年だというのに、そこまできちんと将来のことまで考えていたなんて。
感嘆を露わにじっと見つめていると、倉岡さんはどこかくすぐったそうな表情になって、
「別に偉くはねえよ。まだ下に弟もいたし、兄貴がさっさと結婚したから、出来るだけ早く家も出るつもりだったし、それだけだ」
……やっぱり、偉い。
聞けば聞くほど、家族のことまでしっかり考えていて、思わず唸ってしまう。
なんだか、簡単に『社会勉強だから』と、軽く考えていた自分を反省してしまって。
「そうなると、私の場合、やっぱり被服関係の方がいいかな……」
「それでもいいとは思うけどな。でも、お前はずっと服を作るのに携わっていくつもりなんだろ?」
「うん。そのつもり」
それでも、目指すのはデザイナーかパタンナーか、企業に就職するのかそれとも独自にやっていくのかなどは、これから学んでいく過程で見えてくるのだろう、とは思っている。
でも、手仕事をするのは本当に好きだから、きっと、ずっとこの手で何かを作っていくんだろうな、ということだけは分かっていて。
自分でも気付かないうちに、開いた手のひらをじっと見つめていた私に、倉岡さんは、腕を伸ばしてくると、ぽん、と頭を撫でてくれて。
髪に触れる優しい手つきに顔を上げると、ほんの少しだけ喉を震わせて、笑って。
「大方、どんなバイトだって何かの役には立つと思うし、あんまりこだわり過ぎずに、お前がやってみたい、と思うことをやればいいんじゃねえか、って思うんだけどな」
出来るのは今のうちだけだから、と言ってくれる言葉が、すんなりと胸に沁みて。
「そうする。有難う」
揺らいでいた気持ちが、すっと凪に戻った気がして、思わず頬が緩む。
と、倉岡さんは、どうしてだか、少しためらうような表情を向けてきて。
それから、手を動かして、そのまま私の頬をくるむようにしてしまうと、しばらく何か言いにくそうに口ごもっていたが、
「……でも、絶対、危なそうな仕事はすんなよ」
危なそう、と言われて、どんな仕事だろう、と一瞬考えてしまったが、結局思いついたのは、
「……新薬の治験とか?」
「……むしろどっからその発想が出てきたんだ」
「兄さんが、他社で求人掛けてるよー、って話、この間してたから」
「ああいうのは、かえって万全の態勢敷いてるんじゃないのか……って、そうじゃなくてな」
「高層ビルの窓清掃とか」
「それこそプロしか無理だろ!だから、そういうんじゃなくて」
どうやら二連続で予想を大幅に外してしまったらしい私は、さらに次なる回答を探していたけれど、軽く指先で頬をつままれて、顔を上げる。
と、弱り果てたようにため息を吐いた倉岡さんは、手を離してしまうと、俯いて、
「……割はいいかもしれねえけど、深夜とか、帰りが遅くなるようなのは心配なんだよ。なんかあったら、すぐに迎えに行ってやれるか、っていってもそうはいかねえし」
……お付き合い、って、こういうことなんだろうか。
深く想われているのが、言葉だけでなく仕草のひとつひとつから、伝わってくるなんて。
「悪い。めちゃくちゃ自分勝手なこと言ってるのは、分かってるんだけどな」
下を向いたままの倉岡さんの首は、まるで季節はずれの日焼けをしてしまったように、真っ赤になっていて。
そんな様子を目にして、私もとっさにどう反応していいか、分からなくなったけれど。
手を伸ばして、さっきしてくれたように、おそるおそる頬に触れて。
微かにだけれど、伝わってきた震えに、応えるようにそっと撫でてみると、
「あの、心配掛けないように、ちゃんと勉強して、頑張るから」
社会人、という立場になるには、きっとまだまだ未熟で、何もかもがこれからだけれど。
いつかきっと、背伸びしなくても隣に並べるように、追いついてみせるから。
そんな思いも密かに込めつつ、そう告げると、倉岡さんはのろのろと顔を上げて、
「なんか、今一つズレてるような気がすんな」
「え、決意表明、したつもりなんだけど」
「いや、それはそれでいいんだけどな……だから、なんていうか」
頬に添えていた手を外されてしまうと、痛くないくらいにぎゅっと、掴まれて。
それから、両の手で包み込むようにされて、正面から見据えられると、
「なんかあったら、甘えろ。とにかく、呼べ」
「……はい」
向けられた視線の強さと、あまりにもきっぱりとした台詞に、思わず頷いてしまって。
「……よし」
どこか満足そうにそれだけを言うと、まるでおはぎにするように、頭を撫でられて。
最終的に、髪がくしゃくしゃになるくらいまでにされてしまったけれど、どうにも倉岡さんが嬉しそうで、私は結局、止めることが出来なかった。
と、最近のことをかいつまんで伝えると、里沙は運ばれて来ていたアップルタルトに、いきなりぐさりとフォークを突き立てた。
「あーもう無理!あっま!甘すぎ!あんたもうめっちゃ大事にされてんじゃん!」
「……うん」
素直にそう思うしかなかったので、頷くと、私も手元のミルクレープを切って、一切れ口に入れた。……これも、甘い。
でも美味しい、と味わいながら食べていると、里沙はしばらくあー、とかうー、とか、悶絶寸前のようなうめき声を上げていたけれど、ぴたりと動きを止めて、
「たまにクラスの奴とか、部員ののろけとかも聞くけどさあ、ここまで破壊力あんのは初めて、マジで」
「あ、演劇部も?」
「も、って……手芸部、誰か彼氏出来たの?」
「うん、恵ちゃん。なんかね、隣のクラスの子だって」
初詣で告白成功したんですー、と言って、嬉しそうに縁結びのお守りを見せてくれて。
可愛かったなあ、と思い返していると、いつの間にか里沙が、私の隣に来ていて。
顔を向けると、何か企んでいるような笑みを浮かべて、肩を掴んでくると、
「歌、あたしが合格したら、あんたん家で手芸部全員召集ね」
「お泊り会?多分、大丈夫だと思うけど……」
「それで、あんたと田村揃えて、告白事情大暴露大会するから」
「え」
でも、と返しかけたけれど、里沙の目が反論を認めてくれそうにもなくて。
結局そのあとも、プレお泊り会、と言われて、これまでの色々を聞き出されてしまった。
……恵ちゃんは、申し訳ないから、当日は極力かばってあげることにしよう。
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