プレバレンタイン

 裁縫や編み物と同じ手先を使う仕事だというのに、どうにも苦手意識が消えないのは、やはり自分の舌に自信がなくて、作ったものに対して疑問を持ってしまう、からだと思う。

 だから、レシピ通り、指示通りに出来たと思っても、何かしっくりこなくて。

 「……美味しい、のかな」

 「どれ、貸してごらんな」

 教えて貰った通りに作ったものを口に含んで、首を傾げた私に、割烹着姿の上村さんが横から皿を取り上げると、同じように味を見てくれて、しばし。

 うん、と頷いて、私に返してくれると、唇の端を上げて、

 「初めてにしちゃ上等だよ。なんだい、そんなに心配なのかい?」

 「はい。これで正解なのかな、って、凄く考えちゃって」

 今日は、うちのキッチンで、上村さん主催、母、兄協賛の料理教室だ。

 開催してもらうようにお願いをしたのは、主に母なのだけれど、何故か兄が撮影(父に送るらしい)・試食担当として参加している。だからというか、材料費は兄が、いつもより積極的に出資してくれたのだが、

 『でないと、エンゲル係数うなぎのぼりだからねー』

 しかし、今回に限らずとも、常に深山家のエンゲル係数は高止まりだと思うのだけれど、それはともかく。

 コンロの前で、すっかり悩んでしまった私に、上村さんは眉を上げると、励ますようにぽん、と背中を叩いてくれて、

 「最初は欲張らずに、とにかく基本通り作ってみることさ。アレンジだなんだっていうのは、まともに出来てから初めてやってみりゃいいし」

 深鍋の中身を、レードルでくるりと掻き回して様子を見ながら、もう少し煮込むかね、と呟いて、蓋を掛け火加減を確認して、こちらに向き直ると、

 「それに、いくら相手が惚れた男だからって、気を張り過ぎて、妙なものを食べさせるわけにはいかないだろう?」

 少しからかうような口調でそう言われて、私は思わず深々と頷くと、

 「はい。落ち着いて、頑張ります」

 「いい返事だ。さ、次は魚の扱いだから、手元にはよくよく気を付けるんだよ」

 「はい、先生」

 とっさに口から出た言葉に、上村さんはちょっと目を見張って、それから照れたように微笑むと、とても綺麗な所作で、すっと姿勢を正してみせた。



 料理教室開催の、三日前。

 いつものように夕食が終わったあと、私は、上村さんとリビングの電話で話していた。

 『頼まれてたことだけどね、我ながら首尾良くいったよ』

 「あ、有難うございます。お手数掛けて、ごめんなさい」

 『いいんだよ、このくらいのこと。それに、何やら探偵になった気分で、いい刺激にもなったしね』

 笑みを含んだ声に、私もつられるように口元を緩めたものの、

 『それじゃ、さっそくだけどね。本人から聞き出したのは……』

 そう切り出されて、いけない、と気を引き締める。少し待って下さい、と一言断って、保留にしてから、慌てて二階に上がる。

 ただならぬと感じたのか、何事かと追いかけてきたおはぎに、騒いでごめん、と一撫でしてから、リングノートを一冊持ってくると、ペンを構えて、

 「お待たせしました。準備完了です」

 そう言うなり、隣でおはぎまでがわん、と一声鳴いて、電話の向こうで上村さんが吹き出す声が聞こえた。と、

 『やる気満々だねえ。まったく、うちの孫にも見習って欲しいもんだよ』

 「お孫さん……女の子ですか?」

 『いいや、男だけどね。今時、料理の一つも出来ずに所帯を持とうなんざ考えが甘いってもんさ』

 よくよく聞いてみると、上村さんはずっと共働きだったそうで、ご主人が家事に関して『やる気だけあって実力はなかった』ので、教え込むのに苦労されたそうだ。

 そういえば、倉岡さんは自炊もするし、掃除も洗濯もマメだよー、と佐伯さんが言っていたけれど、それを考えると、私ももっとしっかりしないといけない。

 よし、と心の中で拳を握ると、上村さんが聞いてくれた情報をしっかりと書き留める。

 密かにお願いしていたのは、倉岡さんの食べるものについて、のリサーチだ。特に大事なのは、絶対に食べられないようなものがないか、ということなのだけれど、

 「じゃあ、苦手、が甘すぎるもので、だめなのは、甘味の強い漬物だけ……ほとんど、好き嫌いはないんですね。凄い」

 『そうみたいだね。普段、無駄に残すようなこともしないようだし……それから、あの佐伯と瀬戸さんからだけど、頼んでもないのに情報を仕入れてくれたよ』

 「瀬戸さん……あ、同じ係の後輩さん、ですか?」

 『ああ、歌ちゃんは顔を合わせたことはないんだね。そうだよ』

 先日のメールでの相談では、『後輩が悩んでいる』という内容だったので、名前を聞いていなかったのだが、これでやっと分かった。

 今度会った時に、その後を聞いてみよう、と心に刻みながら、上村さんの言葉を待つ。と、軽くため息のような音が耳に届いて、

 『それがねえ、あんまり役に立つ中身じゃないんだよ』

 主に佐伯さんがべらべらと喋っていった(上村さん談)内容というのが、


 「瀬戸をダシにして聞いてみたんですけどー、『バレンタインに彼女に作って欲しいメシ』って聞いたら、『……別に、なんでも』って返ってきましたー」


 「なんでも、って、一番難しい……」

 『だろう?どうせなら、もう少し詳しく聞き出してくれりゃあいいのにねえ』

 ちなみに、個人的な意見として、瀬戸さんは『普段よりちょっとおしゃれでいいもの』、佐伯さんは『高くていい酒飲みたーい』だそうだ。……どっちも、やっぱり難しい。

 そもそも、未成年だからお酒は買えないし、と考え込んでいると、上村さんが笑って、

 『ま、男どもの意見は話半分でいいとして、そうだねえ……なんだい、うるさいね』

 「?どうしたんですか?」

 突然、声が遠くなったのでそう尋ねてみると、何やらくぐもったような声が、しばらく遠くの方で聞こえていたけれど、

 『ああ、悪いね。孫が『俺はとにかく肉がいい』って騒いでるんだよ』

 それを聞いて、私は思わず笑ってしまった。というのも、同じことを言っていた人が、ごくごく身近にいるわけで。

 「なんだか、兄さんみたい。じゃあ、皆さんの意見を総合すると、ちょっとおしゃれで、お肉で、お酒、かな?」

 『ふん……そのあたりなら、あたしが以前に作ってみたものがあるけど、こういうのはどうだい?』

 そう言って、上村さんはさっそく、材料とレシピをざっと教えてくれた。一通り聞いて、なるほど、と頷くと、

 「凄くいいと思います。全部の意見もちゃんと入ってるし」

 『そうかい?それと、他に何か作るにしても、寮の台所は正直大した設備じゃないから、手間のかかり過ぎるものは避けておいたほうがいいね』

 それもあった、と、あらためてその点もノートに書き込んでしまうと、間違っていないかも含めて、おさらいのために内容を読み上げていく。と、

 「あらー、何かそれ美味しそうねー」

 それを聞きつけた母が、キッチンから出て来ると、背後からひょいと覗き込んできた。子機を持ったまま振り返ると、ノートを見ながら何やらふんふんと頷いていたが、

 「歌、ちょっと代わって貰っていいかしら」

 手を差し出されるままに、上村さんに断ってから子機を渡すと、母は普段通りにあれこれと話し始めた。長くなるかな、と思って、書いた内容を読み返していると、

 「……そうなんですよー、この際だから、花嫁修業の一環として」

 驚くような単語を耳にして、私は勢いよく顔を上げた。それに気付いたのか、母は私の方を向くと、器用に片眉だけを上げてみせて、

 「なあに、違うの?」

 さらりとそう問われて、私がものも言えないでいる間に、受話器からは上村さんの声が聞こえて。

 「うんうん、やっぱり早いに越したことはないですよね……じゃあ、そういう感じで。宜しくお願い致しますー、はい、では娘に代わりますからー」

 そう言葉を切って、母は私に向けて子機を差し出してくると、楽しそうに笑って。

 「実地で教えて下さるって。そういうわけだから、あとは上村さんと日程調整してねー」

 「え、あの、お母さん」

 「謡介ー、お兄ちゃーん、ちょっと暇なら降りてきてー!」

 呆然としている私をそのままに、リビングからすたすたと出て行ってしまうと、二階にいる兄を大声で呼び始めた。……あの性格は、兄さんに受け継がれてると思う、絶対。

 ともかく、やっとのことで立ち直った私は、慌てて上村さんと予定を詰めていった。



 そんな流れで、なんとか無事に、料理教室第一弾(予定)は終了して。

 母の用意してくれた、栗羊羹と煎茶をお出しして、皆でのんびりしていると、

 「ま、結局のところ、家庭の味に正解なんてのはありゃしないよ」

 その言葉に、おはぎと揃って顔を向けると、上村さんは茶托に湯呑を置いて、

 「自分の好みはもちろんだけど、それこそ好いた相手や子供が同じ舌を持ってるわけもないからね。そこは、時間を掛けてすり合わせていくしかないさ」

 「そうですよね。年とともに好みも変わるし……まあ、うちは男二人が子供舌だから、楽させてもらいましたけどねえ」

 「?お母さん、私は?」

 「歌はねえ、お義母かあさんの味が大好きだったでしょう。洋食よりは和食派だったから、慌てて教わり直したくらいかしら」

 母が『おかあさん』という時は、父方の祖母を指す。私が小学生の時に亡くなってしまったけれど、ずっとここで同居していて、たくさん可愛がってもらった。

 ちなみに、おはぎの名前をつけてくれたのは、母方の祖母だ。母の郷里はとても遠いので、年に一度くらいしか会えないけれど、少しだけ、雰囲気が上村さんに似ている。

 懐かしいな、と思い返していると、二階に上がっていた兄がリビングに入ってきて、

 「歌ー、なんか着信音が部屋から聞こえてたぞー。電話じゃないっぽいけどー」

 「あれ、そういえば、置いてきてた」

 「やれやれ、それじゃ携帯の意味がないじゃないか。急ぎだといけないから、早く見ておいで」

 優しくたしなめるように上村さんに言われて、私は慌てて二階へ上がった。まだ、倉岡さんからメールが来る時間ではないから、里沙かもしれない。

 ところが、部屋に入ってみると、テーブルの上の携帯は白い光を放っていて。

 「佐伯さんだ……なんだろう」

 メールが来ること自体も意外なのだけれど、今日は倉岡さんに、佐伯さんも一緒に瀬戸さんの買い物に付き合う予定だ、と聞いていたので、余計に首を傾げてしまう。

 ともかく、メールを開いてみると、ちょっと気になる内容が目に入ってきた。



 From:佐伯さん

 Title:こんにちはー。


 秘密特訓、順調に進んでるー?

 今、まだ瀬戸が選ぶのに悩んでて、

 倉岡が辛抱強く付き合ってやってるところ。

 俺はとっくに飽きて来ちゃったんだけどー。


 ところで、つかぬことを聞くけど、

 白とピンクだったら、どっちが好き?



 ……ほんとに、なんだろう。

 質問そのものがかなり唐突だから、どうしたものか、と考えたけれど、素直に『白』と答えを送る。と、ほどなく返事が返ってきて、



 From:佐伯さん

 Re2:ありがとー。


 お礼に、リアルタイム倉岡送っとくね。

 それと、素直な子には、近いうちに

 何かいいことあるかもしれないよ?



 意味深な内容の短い返事には、言葉通り、倉岡さんの画像が添えられていた。

 見覚えのある黒いコート姿で、両手に何かを持って、見比べるように視線を向けているけれど、丁度手元は見切れてしまって、それが何かまでは分からない。

 ……それにしても、凄く真剣に悩んでるみたい。

 瀬戸さんのお手伝いかな、と考えていると、また携帯が光った。今度は、青だ。

 「え、電話?」

 まさかこんなに突然に掛かってくるとは思わなくて、少し慌てながら通話ボタンを押す。と、何かこちらから言う前に、倉岡さんの声が聞こえてきた。

 『……今の、メール見たか?』

 「え、佐伯さんからの?うん、見たけど」

 どうしたの、と返すと、倉岡さんは、しばらく迷っているように黙っていたけれど、

 『画像、俺以外、何も写ってなかったか?』

 「?うん、倉岡さんだけ。何か写ってないといけなかったの?」

 『いや、そういうわけじゃない。悪い、時間取らせて』

 また夜に連絡するから、と言って、すぐに切れてしまった。……ちょっと、寂しい。

 でも、出先なんだし仕方ない、と思い直して、その代わり、ではないけれど、もう一度さっきの画像を開いてみた。

 「……あれ、これ」

 よくよく見てみると、倉岡さんの手元から、少しだけ何かがはみ出している。

 それは、見たところ布のようで、白くて。


 ……もしかして、『いいこと』って。


 しばらくその横顔をじっと眺めてから、ようやくのことで携帯を閉じる。

 それをしっかりと握り締めて、私は立ち上がると、小さく呟いた。

 「……よし」

 美味しい、って言って貰えたら、というのも、もちろんだけれど。

 これからもずっと、傍にいられるように、色々と学んで、身に付けていって。

 手の中にある微かな熱を、そっと指先で撫でてしまうと、私は気合いを入れるように、すっと背筋を伸ばしてみせた。

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