文化祭・2

 ……なんなんだ、この状況は。

 「はーい、せっかくの晴れ姿なんですから仏頂面はなしですよー」

 「……この状況で、どうやって笑えってんだ」

 撮影役なのか、やけに立派な一眼レフを構えた宇佐美が、俺、佐伯、謡介さんに向けてにこやかに笑いかけてくるのに、俺は低く呟いた。

 「いいじゃん、仮装とかめったにできないしー。あ、会社の忘年会でこれ使えない?」

 「いやー、これすごい伸びるんだねー。まさか俺でも入るとは思わなかった」

 嬉々として女子生徒に交渉しているのは、二本差しまで腰に差した、着流しの浪人姿の佐伯。その隣でアメコミヒーロー的なボディスーツにマント姿で、妙に嬉しげな謡介さん。

 そして、俺だけは何故かタキシードを着せられ、まるで結婚式に参列する親族のようだ。

 これまでにそうそう礼装なんてものを着る機会はなかったから、ブラックスーツと違い、パーツの多さにも戸惑うし、何より着るのが結構面倒くさい。

 仕方なく白い手袋を両手にはめながら、俺はむっつりしたままレンズを睨み返していた。



 俺が若干不機嫌になっている時より、少し前。

 一言で言えば、被服室前はカオスになっていた。

 一瞬、歌を挟んで俺対女子高生四人(しかも全くの見ず知らず)の構図になりかけたところを、佐伯と謡介さんの登場でおさまったのはいい。

 けど、なんで皆ドレスなんだ?しかもクローン並みに同じ衣装なのはどういうことだ。

 「誤解してすみませんでした!ちょっと、時間が迫ってて、つい頭に血が上って」

 歌から説明を受けた相川という女子は、事情を理解するなり、即座に頭を下げてきた。俺は正直、ばつの悪い思いでそれを受けると、

 「俺はいいから。それより、何がどうなってるのか説明してやってくれ」

 「あ、そうでした!先輩、ごめんなさい、ドレスは別のところにあるんです!ちゃんと五体満足ですから、安心してください!」

 「そうなの?良かった……それで、当番は」

 「当番はいいんです!とにかく、これから一緒に来てもらえますか?」

 そう言って、歌の手を引こうとするのに、謡介さんが慌てて引き止めた。

 「待って待って、俺まだ妹のドレス見てないんだよー。そっちに行ったら見れるの?」

 「ついでに言うと、五体満足はまんま人体に使う言葉じゃないかなー」

 細かいことを笑いながら指摘した佐伯を、一瞬むっとしたように見返した相川は、謡介さんに向き直ると、きっぱりと頷いて、

 「見れます!もうこの際、皆さんも一緒に来ちゃってください!時間もないし!」

 「もう、相川ー。あんた説明足りなさすぎでしょ、歌も訳わかんなくなってるじゃん」

 呆れたような声に、その場の全員が顔を向けると、赤と黒の派手な衣装がそこに立っていた。言わずもがな、舞台衣装のままの宇佐美里沙だった。ただし赤毛のウィッグはもう外していて、長い黒髪は下ろしたままだ。

 「……なんなんだ、これ。仮装大会でもやんのか?」

 「あ、鋭い。そんなところです」

 俺が思わず零した台詞に、宇佐美は唇を吊り上げると、男三人を見渡して言ってきた。

 「丁度男手が足りなくなっちゃったところだったんですよねー。良かったら、ついでに参加されませんか?」



 そんなやりとりの後、なしくずしに俺達まで歌と一緒に連れて行かれて。

 講堂の舞台脇、控室とは名ばかりのだだっ広い物置に入るなり、歌は、部員四人に引っ張られて、白いパーティションの向こうに姿を消した。

 「お待たせしましたー、小松先生ー、救いの神が現われましたよー」

 俺と佐伯と謡介さんは、宇佐美に案内され、銀縁眼鏡を掛けたジャージ姿の若い先生に引き合わされた。パイプ椅子に座ったままの先生は、やけに恐縮した様子で頭を掻くと、

 「こんな格好で申し訳ありません。実は、ほんの少し前に足を挫いてしまいまして」

 その言葉通り、左足の足首から足先まで、湿布の上にテーピングを施されていて、見るからに痛々しそうだった。その横には松葉杖も置かれているので、相当酷いようだ。

 なんでも、客として来ていた年配の女性が、階段を踏み外したのを支えたところ、踏ん張った足が滑ったらしい。

 「それで、何か男手が足りない、と聞いてきたんですが」

 「力仕事くらいならなんとでもなりますけど、何をすればいいんですか?」

 俺と謡介さんがそう尋ねている横で、佐伯は周囲に置いてある衣装などが気になるのか、そちらの方をしきりと気にしている。頷いた先生は、俺達三人を見渡すと、

 「プログラムの最後の方をご覧いただくと、文化部紹介、というものがあるでしょう?」

 そう言われて、手元のそれを開いてみると、確かにそう書いてある。後夜祭の一環で、校庭に設置した野外ステージで、各部がアピールを行うらしい。

 「今まで、手芸部は本当に大人しいことしかやってこなかったんです。だけど、深山が作っているものを見たら、これはもう絶対皆に見てもらわなきゃ!と思いまして」

 歌が引退するということもあり、はなむけの意味でサプライズを企画したのだという。そこに演劇部が噛んで、思ったより派手なことになったようだが。

 「へー、それで女の子は揃いのドレスなんだ。歌ちゃんのもああいうの?」

 「いえ、それはご覧になってからのお楽しみです。そこで、ご助力頂きたいのですが」

 言葉を切ると、先生は自身の足元に置かれていた黒いものを持ち上げた。随分と大きなガーメントバッグだ。

 「こちらを、お三方のどなたかに着ていただけないか、ということなんです」

 「これを?」

 たまたま、一番近くに立っていた俺はそれを受け取ると、とりあえずファスナーを開けてみた。中には、黒の光沢のあるジャケット、パンツに、サスペンダー、白のブラウス。

 蝶ネクタイとカマーバンドが出てきたところで、やっとどういうものか把握できた。

 「へー、タキシードじゃん。ツレの結婚式で確かこんなの着てたなあ」

 珍しそうに佐伯が蝶ネクタイを引っ張ってみているのに、先生は頷くと、

 「本当でしたら、僕がそれを着て、皆と一緒にステージに上がるところだったんですが、さすがにこの状態では……うちには、残念ながら男子部員もおりませんし」

 「その代役で、ということですか?」

 「そういうことです。バランス的に、正装の男性がいた方がインパクトがあるので」

 「うーん、そうすると俺は必然的に却下だね。先生と体格全然違うもん」

 ジャケットを取り出してみていた謡介さんは、一応胸元に当ててみながらそう言うと、先生に尋ねた。

 「先生、身長はおいくつですか?」

 「え、ああ、175センチですが……」

 「おー、倉岡とジャスト一緒じゃん!これは決まりでしょー」

 「俺か!?別にお前でも支障ないだろうが!」

 「とりあえず、倉岡さんでしたか、一度着てみては頂けないでしょうか」

 「だよねー、着れなかったらそれまでなんだし。だから、はい」

 先生の懇願するような視線を受けて、にこやかに、しかし有無を言わさぬ風情で、謡介さんにジャケットを手渡された俺は、しぶしぶそうせざるを得なくなった。


 そして、皮肉なことに、肩が少々きついこと以外は、ほぼ問題なく着れてしまった。

 さらに、俺が着慣れないものに悪戦苦闘している間に、佐伯と謡介さんは何故か仮装で参加することになっており、この妙な取り合わせになったというわけだ。

 「いやあ、本当に良かった。頑張って作った甲斐がありましたねえ」

 「え、これマジで先生が作ったの!?」

 「はい。僕の実家、実はテーラーでして」

 さすがに驚いた様子の佐伯に、先生があっさりと答えた時、パーティションの向こうから声が掛かった。

 「そっちオッケーですかー?こっちも終わりましたよー!」

 「ああ、大丈夫!」

 先生がそれに応じると、それを待っていたかのようにぞろぞろと女子が並んで出てきた。

 先に見た通り、皆同じ型のドレスで、色は全員淡いピンク。ノースリーブで腰の位置がやけに高く、そこからスカートが足元まで流れるように落ちているシンプルなものだ。

 何やらとても柔らかそうな薄い生地を重ねてあり、それぞれの肩のあたりには同じ色の花飾りがいくつかついていた。今は揃って綺麗に髪も結い上げ、しっかりとメイクを施されているせいか、皆顔立ちが大人びて見える。

 あらためて見ても、結構凝ってるな、と感心していたのもつかの間、その後ろから現われた歌に、俺は絶句した。

 白の光沢のあるドレスを纏ったその姿は、なんというか、まるで別人だった。

 肩をすっかり出すスタイルのそれは、胸元と、細く絞られた腰から柔らかく広がる裾にかけて、レースと百合の花の刺繍があしらわれていた。さらに肘までのグローブをはめた両手には、ドレスに施された模様と同じ、大きな百合の花のブーケを抱えている。

 髪は短いまま何も変わっていなかったが、白と淡い緑の綺麗な花飾りが着けられていて、そこから長く緩やかにベールが下がっていた。

 いきなりこんな格好をさせられたのが相当恥ずかしいのか、歌は頬を染めたまま、顔も上げられないように俯いてしまっている。

 「おお、いいじゃん、さっすが花嫁衣装の威力!」

 「あー、これ見たら絶対父さん泣いちゃうなー」

 謡介さんはそう言って、用意していたらしいデジカメでひっきりなしに写真を撮っているし、佐伯まで珍しく本気で褒めている様子だった。

 まあ、分からなくもない。確かに綺麗だしな。

 するりとそんな言葉が浮かんだ一瞬の後、俺は内心うろたえたが、

 「はーい、それじゃそこのお三方と歌ー、流れだけ説明しときますねー」

 大股に進み出てきた宇佐美が俺達を手招きするので、仕方なく近付くと、男三人をひととおり眺めてきた。それから、何か納得したように頷くと、

 「それじゃ、そちらのイロモノ衣装のお二人は、申し訳ないんですけど演劇部の方で。倉岡さんは、予定通り歌とセットでお願いします」

 「わー、なんかさっくり言われたー」

 「まあ、確かに俺の格好じゃ、手芸部の雰囲気ぶち壊しだよねー」

 さすがに苦笑した佐伯と、自身を見下ろしてしみじみと言った謡介さんが頷き合う。と、小松先生がさらに説明してきた。

 とりあえず俺は花嫁の父役、歌は花嫁(格好が格好なので当然だが)、他の四人はブライズメイド(初めて聞いたが、花嫁の世話役らしい)という設定で進むらしい。

 「それで、倉岡さんは深山と一緒に、腕を組んでゆっくり歩いてもらうだけで結構です。相川がステージの上を誘導しますし、話すのも基本僕と彼女ですから」

 「それから、衣装とかのフォロー役は、香織かおり実歩みほめぐみがやります。ドレスは、絶対に汚さないように頑張りますから!倉岡さんも、ご協力よろしくお願いします!」

 妙に力の入った相川と、残り三人の部員に囲まれて、勢いよく頭を下げられてしまった。完全に退路が断たれたようで、俺は小さく息を吐いた。

 「……どうにもならねえのか」

 低く呟くと、隣で、歌が困ったようにこっちを見上げてきた。

 そのすがるような視線に、思わずぐっと詰まる。

 やめてくれ、その『一人にしないで』みたいな訴える眼差しは!

 「分かった、分かったから!ちゃんとついて行ってやるからそんな顔すんな!」

 「……うん。迷惑掛けて、ごめん」

 そう謝りながらも、明らかにほっとした様子の歌に、宇佐美が近付くと、

 「大丈夫だって。今回は演劇部が完全バックアップしてるから、安心しなさい」

 「……そう言われると、ちょっと不安なんだけど。里沙、派手好きだから」

 「……なんか妙なことさせられるんじゃねえだろうな」

 「ちゃんと真面目にやりますって。校外の方に迷惑掛けらんないし、あんまはっちゃけたら歌を怒らせそうだもん、無茶振りはなし、って約束します」

 本気で心配そうな歌と、眉を寄せた俺の視線を受けた宇佐美は、ひらひらと手を振りつつ、はっきりとそう言い切ってから、ちらりと佐伯と謡介さんの方を伺うと、

 「けど、なんだかあの二人には無茶振ってもいいような気がするんですよねー」

 「やめとけ、マジで」

 「兄さん、ノリノリになっちゃうかもしれないから、危険」

 思わず、真面目に忠告した俺と歌とを交互に見た宇佐美は、遠慮なく吹き出した。



 それから、後夜祭開始時刻、午後六時。

 宵闇に沈んだ校舎の間を、極力目立たないように、俺達は移動していた。

 「おい、大丈夫か?」

 「なんとか。裾、ちょっと怖いけど」

 慣れないハイヒールを履かされた歌は、やや頼りない足取りで進んでいる。その横を、俺はブーケを持って歩いていた。裾をからげて歩くのに邪魔になるからだ。

 その後ろを、汚れないようにと、ドレス姿の部員三人が必死で裾を持ち上げている。

 「なんか、女は嫁に行くとなったら大変だな」

 「そうかも。作ったけど、自分で着ることなんて考えてなかったから、余計に」

 「そういうところ、先輩は無頓着ですよね……あたしだったら、こんなの作れたら絶対見せびらかしますよ!着まくりますよ!」

 「うーん、一生にそう何回も着るもんじゃないと思うけどねー」

 「でもさ、サイズぴったりじゃん。自分用に作ったんじゃないの?」

 「ううん。お母さんのサイズで作らせてもらった」

 「それで一緒なの!?……俺の母親に爪の垢飲ませたいわー」

 などと、それぞれに好き勝手に喋りながら、中庭を突っ切り、校舎の裏をぐるりと迂回し、闇に紛れてこそこそと進んでいった。やがて、ようやく舞台裏のテントに辿り着くと、スタンバイ済みだった宇佐美が顔を出してきた。

 「お疲れ様でーす。さ、歌、皆もこっちから入って入って」

 巡らされた幕をめくって中に入ると、ご丁寧にカーテンで仕切った一角があり、そこに俺と歌が案内された。ビニールシートが敷かれてあり、汚れを気にしなくてもいいのと、隠し玉扱いなので、万が一、関係者以外に見られないためだそうだ。

 他の四人は、今までこの格好でさんざん校内をうろついていたので、待機中の演劇部と一緒になって、何やら話している声が聞こえてくる。佐伯と謡介さんは、打ち合わせだと宇佐美に呼ばれてそっちに行ってしまった。

 ふと静かになって、どちらからともなく小さく息を吐く。歌は俺を見上げてくると、

 「倉岡さん、引き受けてくれて、有難う」

 「まあ、思ったより大した内容じゃなかったからな」

 これが花婿役、とかなら考えたところだが、父役(年齢的には微妙だが)なら、無難な立場だし、支障もないだろう。佐伯にいじられるのは、いずれにしても避けられないが。

 「だから、お前はもう気にすんな。ここまで来たら最後まで付き合ってやるから」

 「うん」

 小さく頷くと、歌はふと気付いたように俺の胸元をじっと見つめてきた。

 「そこ、コサージュがいるんじゃなかったかな」

 「ああ、そういや、兄貴の結婚式ではなんかつけてたな」

 「うん。確かブートニア、だった」

 そう言うと、歌は手にしたブーケの中から、そっと百合を一輪引き抜いた。

 「少しだけ、屈んで」

 言われた通りに身を屈めると、胸ポケットにそれを差し込んで、固定する。

 その時、髪からなのか、ふわりと何か甘い香りがして。

 「できた。綺麗」

 満足そうに、柔らかく微笑んだ歌に、俺は妙にうろたえながら、ぎこちなく身を引いた。

 その時、準備が出来たのか、相川と宇佐美の声が届く。

 「せんぱーい!いよいよですよー!」

 「メイン二人ー、何事があっても動じないようによろしくねー」

 何か含みのある台詞に、思わず歌の方を見ると、何やら覚悟を決めたように、きゅっと唇を結んでいる。緊張しているのがありありと分かるその様子に、俺は腕を差し出すと、

 「しっかり掴んでろ。転んでも起こしてやるから」

 「……分かった」

 白い手袋越しに、指先の感触が腕に伝わってくる。

 やっぱり小さいな、と何気なく思いながら、俺は歌に歩調を合わせながら、ゆっくりと足を進めた。

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