午睡
河川敷から戻ってきて、しばらくして。
残ったもの(それほどなかったけれど)をタッパーに詰めたり、洗い物をしたりして。
空になったペットボトルや缶を、裏庭のストッカーに放り込んでリビングに戻ってくると、なんだかすっかり静かになっていた。
「皆、どこかへ行ったのかな……」
母は、さっきあらかた片付けが終わってから、上村さんを仕事部屋に案内していたから、きっとそっちで話し込んでいるのだろうけど、他の三人と、おはぎの姿も見えない。
と、リビングの隣の和室とを仕切る襖が、半端に開いているのに気付いて、そっと覗いてみる。
「……寝てる」
いつも置いてある座卓は隅にやられていて、畳の上に枕だけ、という格好で、兄と倉岡さんと佐伯さんが、なんとなく変なコの字を描くようにして寝転がっている。
その隅で、おはぎも座布団の上に身体を丸めて、すっかり熟睡しているようだった。
多分、兄が誘ったんだろう。自分は飲めないけれど、二人は結構飲んでいたみたいだから、酒抜いてから帰ればいいよ、などと言って。
と、腕に当たる冷風に気付いて、冷房の設定温度を見れば、二十五度になっている。すかさず温度を二十八度まで上げてから、そろそろと襖を閉める。
それから母に声を掛けて二階に上がると、納戸から適当なタオルケットを取り出して、両腕に抱えて階段を降りる。戻ってみた一階は、やはり酷くしん、としていた。
……人がいるって、分かってるのに、凄く静か。
そのことに少し不思議な感じを覚えながら、一旦リビングのソファにタオルケットを置いて、静かに襖を開ける。皆、わずかに姿勢が変わっているものの、良く眠っているのを認めると、奥から順に掛けて回った。
まず、兄。体格がいい上に背も高いので、足がはみ出すのはもう仕方がないと諦める。
次に、コの字の縦棒に当たる格好で寝ている、佐伯さん。多分平均的な体格なんだろう、普通に肩から足先まで、すっぽりと覆ってしまうことができた。
最後に、倉岡さん。
「……よいしょ」
しまった、声を出してしまった、と焦ったけれど、幸い起きる様子はない。同じように肩から掛けてしまうと、少しつま先がはみ出る感じでおさまった。
水色と、ピンクと、アイボリー。色も風合いも異なるそれらを眺めて、よし、と頷くと、最後におはぎ専用の、小さなタオルケットを掛けてやる。
と、一瞬だけぴくり、と耳を動かしたけれど、少し身じろぎをしただけで、また眠りに落ちる。ふかふかとした毛並みをそっと撫でると、気持ちよさそうな寝息が聞こえた。
「……ごめん」
佐伯さんに言われたことに、何故かは分からないけれど、うろたえてしまって。
それを逃がすように、おはぎに抱きついて、困らせて。
倉岡さんにも、なんだか申し訳なかった。心配してくれてるんだ、とは分かっていても、落ち着いて対応出来るには、時間がなさ過ぎたのだ。
からかわれた、のだろうとは思う。でも、その一滴の波紋が、思ったより大きくて。
「……歌?」
小さく名前を呼ばれて、一瞬反応が遅れる。
顔を上げて、首を巡らせると、倉岡さんがのろのろと身を起こすところだった。
寝起きのせいか、少し顔をしかめるようにしてから、軽く腕で目元をこすっている。
それから、掛けられているものに気付いて、軽く息を吐くと、
「悪い。すっかり寝ちまってた」
「ううん、いつもこんな感じだから」
こうして転がっているのが兄と父か、三人なのかの違いはあるけれど。
「まだ、三時過ぎたところだから。もう少し寝ててもいいと思う」
「ああ、いや。かなりすっきりしたから」
そう倉岡さんが言った時に、佐伯さんがごろりと寝返りを打った。タオルケットを抱き込むようにして半回転すると、低く唸るような声を上げて、動きを止める。
私はそっと立ち上がると、なるべく音を立てないようにしながら、部屋を出た。続いて倉岡さんも出て来ると、出来る限りゆっくりと襖を閉めてくれた。
「目覚まし、何か入れるけど、飲む?」
「いいのか?なら、コーヒーがあれば」
「ある。あったかいのか冷たいのか、どっち?」
「そうだな、熱いので。ちょっと冷えたみたいだしな」
「分かった。ちょっと待ってて」
ソファに座ってもらうように言ってからキッチンに回り、リビングに面したカウンターの上に常に置いてある、コーヒーメーカーを手元に下ろす。それから、豆を取り出そうと冷蔵庫を開けて、プリンの箱があることを思い出した。
店の名前の入った白い紙の箱は、うちのとても背の高い冷蔵庫(父と兄が選んだらこうなった)の幅の半分を占めるほどで、かなり大きい。参加人数は分かっていたはずだから、多めに買ってきてくれたのだろう。
……開けてみたいけど、皆で食べたいから、我慢。
そう自分に言い聞かせて、一番上の段に置いてある瓶に手を伸ばす。と、
「おい、取れるか?」
すぐ後ろから声がして、思わず手を引っ込めてしまう。慌ててぱっと振り向くと、倉岡さんが、上げた腕をそのままに、驚いたような表情を浮かべていた。
「……悪い。手が届かないんじゃないのかと思って」
きまりが悪そうに手を引いて、ちょっと困ったように眉を寄せるのに、私は小さく息を吐くと、
「びっくりした。でも、頑張れば届く」
「爪先立ちでも微妙じゃねえか。取るよ、これか?」
「違う。その隣の、青い蓋の」
そう言った途端、軽く左の肩に手が置かれて。
それを支えに、大きく伸ばされた右の手が、あっさりと瓶を取り上げてしまって。
「ほら、これだろ。……どうした?」
ことん、と瓶を天板に置いて見下ろしてくるのに、なんと言っていいか考えて、しばし。
「有難う。でも、近い」
そうきっぱりと言ってしまうと、ようやく意味が分かったらしい。
パーソナルスペース、どころではなく、肌が触れそうなほどに男の人に近寄られるのは、正直なところ、どうしていいのか分からなくなる。
倉岡さんは、何故か私の顔と自分の手を見比べると、不意に顔を赤くして。
「ああ、その……ほんとに、悪い」
顔をそらしてそう言うと、そっと後ずさりして、キッチンから出ていって。
ソファに戻ると、すとん、と腰を下ろして、何やら落ち着かなげに頬をしきりと撫でている。
多分、とても親切で、それも何もかもが無意識で。
だから、少しだけ胸のどこかが波立つのは、しばらくそっとしておこう。
やがて、忙しなくお湯の沸き立つ音が響いて。
久しぶりに漂う、目の覚めるような芳香に、私はゆっくりとそれを吸い込んだ。
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