十一月
新月
文化祭が終わって、歌が忙しくなったこともあって、直接会うことはなくなった。ただ、その代わりにというように、メールが必ず一日一通は来るようになった。
幸い、こちらは繁忙期というほどでもないから、返すのにもさほど苦労はしない。やりとりを繰り返すうちに、自然に時間が決まっていった。
午後、九時。大抵の日において、お互いに何もかもが片付いて、一息つく頃合いだ。
風呂から出て、髪をぐしゃぐしゃとタオルで掻き回していると、今日もやってきた。
From:深山歌
Title:こんばんは。
今日も、作業を進めています。
デザインは難航したけど、なんとか軌道に乗りました。
言ってもらった通り、先生や後輩や里沙に見てもらって、
これいい!って言われたのが皆一緒で、びっくりした。
難易度は、正直上がったけど、頑張る。
あと、ちゃんと栄養補給はしています。大丈夫。
でも、前にもらったチョコが売り切れてて、残念。
スーパーの人に聞いたら、入荷待ちだそうです。
そちらは、残業ですか?
寒くなってきたから、気を付けて。
それと、おはぎがもこもこしてきました。冬の準備?
それでは。
ざっと読んで、懸念していたことが解決したらしいのを見取って、少し安心した。
歌が、文化祭直後に先生から推薦を貰って、専門学校に願書を出したのが十月中旬。そこから十二月中旬までに、奨学金を貰うための作品制作をしなければならないということで、えらく悩んでいたようだ。作ろうにも、着地点が決まらなければ作れない。
それで、俺に相談が回ってきたのはいいが、正直な話、女子の服となるとさっぱり分からない。なんとなく可愛い、とか、好感が持てる、という程度なら感想は言えるのだが。
だから、詳しい人間に相談してみろ、周りにたくさんいるだろ、と言ってみたのが功を奏したようで。
「……なんて返すかな」
添付されていた、確かに、毛並みが明らかに変わり始めているおはぎの写真を見ながら、ドライヤーで雑に髪を乾かす。最近、日が落ちるとぐんと冷えるようになってきたので、短いからすぐ乾くとはいえ、風邪を引くのも阿呆らしい。
スイッチを切って、邪魔なコードを適当に纏めてしまうと、洗面所の脇の棚に放り込む。
それから部屋に移って、あらためてスマホを取り上げると、返事を打ち始めた。
To:深山歌
Re:残業じゃない。
昨日はそうだったが、今日は定時に帰ってきた。
どっちかっていうと、今は佐伯の方が修羅場だな。
年末近くなると、余計にそうなる。
方針が決まったみたいで、良かったな。
お前、細いから、風邪引かないように気を付けろよ。
そろそろ俺の職場でも、マスクをする人間が増えてきた。
ちょっと乾燥してきたから、喉をやられるみたいだな。
そのせいか、上村さんがゆず味ののど飴をくれた。
有難いんだが、正直、俺にはかなり甘い。
少しそっちに融通したいくらいだ。
ところで、おはぎ、太ったんじゃないよな?
それじゃ、またな。
「……こんなもんか」
誤字がないかどうかだけ確認して、送信する。なんとなくだが、こんな風に、一往復で終わらせるように努めている。俺はともかく、向こうは追込みだからだ。
たまに続きが返ってくることもあるが、ラリーは最長でも三往復ほどで、昼間は絶対に送ってこない。まあ、校則があるから平日は送れないし、土日は俺もそれなりに出かける。
とはいえ、こんなにマメにメールのやりとりをするのは、初めてだ。男相手なら短いし、大抵用件のみで終わる。前は、と思い返したところで、苦い思いが沸き上がってきた。
……結構、堪えてるもんだな。
そんなことを思いながら、スマホを見下ろす。
壊れた時に、色々と中身が吹っ飛んだのをいいことに、そのまま一度まっさらにしてもらい、アドレスは必要のある友人や会社関係、実家と、それから深山一家だけになった。
実家は、両親がメール嫌いで、何かある時は電話を掛けてくる。兄と弟とは専らメールだが、たまに飲みに行くときくらいしか連絡はしない。
だから今、一番多くやりとりをしているのが、歌ということになるわけだが。
と、着信音が鳴ると同時に、ディスプレイに「
そういや、こいつが歌の次くらいだな、などと思いながら、メールを開く。
From:佐伯和巳
Title:やっと終わったー。
イレギュラーな仕事って、俺マジで嫌い。
主任も課長もフォローしてくれたけどさー、元々
俺のミスでもなんでもねえっての。
あー、帰るの心底めんどくせえ。
こういう時、寮はいいよなー。俺も住もうかな。
でも、このへん飲めるとこ少ないしなー。
ところで、今日も歌ちゃんからメール来た?
相変わらずの脈絡のなさに、俺は思わず眉を寄せたが、ここで返事をしておかないと、すぐに余計な追撃がやってくる。しばらく液晶を睨み付けてから、手早く返事を打った。
To:佐伯和巳
Re:さっき来た。
いつも通り、進行状況を聞いた。
先行きは見えてきたらしい、ってことぐらいだ。
ここに住むって?やめとけ。
浴槽の狭さに耐えられない、とか言ってただろ。
一応、お疲れ。さっさと帰れよ。
佐伯には、歌と連絡を取っていることは知られているから、たまにこうして聞かれる。
どうも色々と勘ぐっているらしいが、だからといって困るようなことも特にない。ただ、有難いことに合コンの誘いはさっぱりとなくなった。
そういえば、前に一緒に飲んでからだな、とふと気が付いて、俺はその時のことを思い返した。
俺の勤務する会社は、工業団地の一角を占めている。となると、社屋の規模もそれなり、社員数もそれなりということだから、社員が全員弁当持参、などということはまずない。
だから、それを当て込んだ弁当屋や食堂が近くに何軒かあり、夜は居酒屋と化す店舗も少なくない。そんな店の一つに、俺と佐伯はだいたい週一のペースで行っていた。
「あーめんどー、ほんっと明日休みでなかったら俺もっとやさぐれてたわー」
ハイボールを片手に、珍しく疲れを露わにそう零した佐伯に、俺はビールを飲みながら返した。
「前の業者よりはマシだろ。担当者三人変わったやつ」
「あれは問題外だって。結局会社自体が夜逃げとかありえねえし、せっかく納期ギリで間に合うように必死でスケジュール組んでたのに冗談じゃねえ」
ラインの人間もめっちゃ頑張ってくれてたのに、とぶつぶつと続ける佐伯に、俺は軽く頷くと、
「だから、課長もお前の評価上げてくれただろ。元々、面倒な事態収拾に長けてるんだから、今回の案件も回ってきたんだ、くらいに思っとけよ」
少し詭弁めいてるな、と思いながら、宥めるようにそう言う。実際、営業が取ってきた内容を的確に把握し、生産ラインに組み込むスケジュール管理が佐伯の主な仕事で、俺が傍から見ていても能力は十分にあると思う。
それを聞いて、佐伯はちょっと眉を上げると、はあ、とわざとらしく息をついて、
「お前、ほんっとおだてんの上手いよなー。俺調子乗っちゃうよ?」
「乗っとけ。まだ来週もどうなるか分からないんだろ」
「うんまあ、週明けがヤマかなあ……主任が出て来るから大丈夫だとは思うけどさ」
休日越えの案件が一番イヤだわー、と嘆く佐伯に口を開きかけた時、スマホが震えた。
「あ、メール?」
「だな……そういやもう九時か」
俺の退社時間が午後七時過ぎ、佐伯の方は八時半だったから、飲み始めればすぐこんな時間だ。とにかく、メールを開けてみると、予想通り歌からだった。
From:深山歌
Title:一週間
お仕事、お疲れ様でした。
今日も、作品のデザインで悩んでいます。
ベースは決まってるんだけど、細かい所でこれ、って
いう決め手がなくて。三つまでは絞ったんだけど。
でも、そろそろ決めてしまわないと間に合わないかな。
なんとなく、慌てています。まだ、日はあるのに。
変なメールで、ごめんなさい。
今、おはぎにも心配されました。
落ち着くように、この子を撫でることにします。
それでは。
細くて小さな手が、おはぎの頭を撫でている画像を見ながら、俺はしばらく考えていたが、佐伯に断って、返事を返してしまうことにした。
To:深山歌
Re:煮詰まってるなら
一人で悩まずに、周りの誰かに聞いてみればどうだ?
プロも友達もいるだろ。女子向けだったら、俺は正直
役に立たないから、そっちが頼りになるんじゃないか。
今、佐伯と飲んでる。
こいつも、面倒な案件を抱えてて、悩んでるとこだ。
俺は当事者じゃないから、半端な返事しか返せないが、
なんかできそうなことがあれば、言ってこい。
差し入れくらいなら、出来なくもない。
それじゃ、またな。
そこまで書いて、送信しようとしたところで、ふと何か暑苦しいことに気付く。
と、すぐ脇から佐伯が覗き込んできているのに気付いて、俺はぎょっとして身を引いた。
「お前なあ、何やってんだ!堂々と見てんなよ!」
「えー、いいじゃん、別に恥ずかしい内容じゃないみたいだしー。なに、歌ちゃん悩んでんの?」
「……まあな。見ての通りだ」
仕方なく答えると、佐伯はふーん、と気のないように漏らして、椅子に座り直したが、
「倉岡ー、写メ撮ってー」
「は?」
唐突な要求に顔を向けると、佐伯はいきなり渾身の変顔を披露してきた。まったく予期していなかった俺は、思わず吹き出すと、
「こんなとこでやんな!宴会の時だけにしとけ!」
「いいから早く撮ってよー。笑かしたらちょっとマシになるかもしれないじゃん」
変顔のままそう言われて、俺はようやく佐伯の意図を理解した。カメラを起動すると、アップ気味でさっと撮ってしまう。シャッター音が響くと同時に、佐伯は顔を戻すと、
「あー疲れた。これ維持すんの結構大変なんだよねー」
「……画像に残すと余計にダメージでかいな、これ」
とにかく、せっかく(というのも変だが)なので、メールに添付して送信してしまう。
すると、さしたる間を置かずに返事が返ってきた。
From:深山歌
Re2:びっくりした!
吹き出すのこらえようって、うずくまってたら、
心配して、おはぎが鳴いて。
それを聞いて兄さんが来ちゃって、大変でした。
写真、兄さんに転送したけど、いいよね?
有難う。なんだか元気、出ました。
言ってくれたことも、そうしてみます。
佐伯さんにも、お礼をお伝えください。
二人とも、お仕事頑張って。
それでは。
「……だってよ。良かったな」
返信内容を見せると、佐伯はうんうんと満足そうに頷いて、
「捨て身でやった甲斐があったなー。これ、男にはもれなく受けがいいんだけど、女の子には諸刃の剣だし」
「ギャップで引かれるんだろ。お前、黙ってりゃそこそこなんだから」
「うわー、的確な評価ありがとー。しかしまー、歌ちゃんは素直でいい子だねー」
「……そうだな」
言われてみれば、そうだ。
なんというか、ひねた返事が返ってきたことがない。それに、あいつみたいに愚痴しか書かれていない、なんてこともないし、こっちの返しに逆切れすることもない。
「なに?彼女褒められてヤキモチ?すっげー皺寄ってるー」
「誰が彼女だ、誰が。……つまんねえこと思い出しただけだ」
笑いながら人の眉間を指さす佐伯に、我ながら不機嫌な声でそう返す。
それに、俺も人のことをとやかく言えた義理でもない。慣れない異動先で、次第に募る苛立ちと焦りに、返事をするのも億劫になって。
ようやく落ち着いてみれば、向こうからの連絡も少なくなって、それでも支障はなくて。
今更ながら、なんであいつと付き合ってたのかさえ、もう朧だ。
「何思い出してんのか知らないけどさー」
最後のフライドポテトをつまみながら、佐伯は、残りのハイボールを空けてしまうと、さらりと言ってきた。
「底に溜まった澱を掻き回したところで、元に戻りたいわけじゃないんでしょ、お前」
「……そうだな。それほど執着してるわけでもなかったみたいだ」
ただ、傷つけられたなけなしの自尊心が、時折、嫌なくらいにうずくだけで。
みっともねえな、と思いながら、ビールを煽る。このまま続けても悪酔いしそうな気がして、次をどうするかぼんやりしていると、
「よっし、そろそろ出ようぜ」
そう言うなり、さっさと立ち上がった佐伯が、伝票を取り上げて、入口近くのレジに向かう。俺は慌てて椅子を引くと、足早に追いついた。
「待てよ、俺も払う」
「あーとーで。先に出といて」
あっさりとそう返してくると、しっしっ、と言わんばかりに手を振ってみせる。むっとしたものの、ここで揉めても邪魔になるだけなので、仕方なく引き戸を引いて外に出た。
それなりに混んでいた店内に籠っていた熱気が嘘のように、ひんやりとした夜気が肌を刺す。二車線の道路が縦横に走る団地内は黒々としていて、もう人気もない。
時折思い出したように通る車を見るともなく見ていると、またスマホが震えた。
誰だ、と思いながら見ると、歌だった。連続で来るのは珍しいな、とメールを開いた時、背後で引き戸が開いた。
「お待たせー。あれ、またメール?」
「ああ。悪い、ちょっと待ってくれ」
From:深山歌
Title:綺麗に撮れたので
送ります。
雲の間から見える星が好きなんだけど、
今までは携帯がなかったから、いつも
タイミングを逃して、撮れなくて。
今晩は、月はないけれど、晴れていて、
空が凄く澄んでいます。
遅くに、ごめんなさい。
それでは、おやすみなさい。
帰り、気を付けて。
添付された画像は、記された言葉の通り、酷く綺麗で。
確かめるように顔を空に向けると、針の先のようないくつもの光が目に入ってきた。
「こっちは、雲はないな」
「そりゃ離れてるもん。意外と見えるもんだねー」
手をかざしながら、同じように空を仰いだ佐伯が声を上げる。
工場などからの排気は多少なりともあるだろうが、街中に比べると地上の灯りは少ない。満天の、とはとても言えない、それでも目を引くそれらを見ながら、ふと思いつく。
「さーて、んじゃあ、お前の部屋に行きましょうかー」
「はあ!?帰るんじゃねえのかよ!」
思わぬ台詞に、考えていたことを断ち切られてそう言うと、佐伯はにっと笑って。
「今日は奢ってやるから、代わりに泊めてー」
帰るのめんどくさくなった、と続けるのを、俺は睨み付けると、
「何が目的だ?」
「うん、せっかくだから夜を徹して今後の傾向と対策について話し合おうと」
「……一応聞いとくが、何のだ」
「えー、そりゃお前と歌ちゃんがなんか進展するための」
言いかけるのを無視して、俺は先に歩き始めた。心底阿呆だ、こいつは。
「ちょっと待ってよー。俺さー角の銭湯行きたいんだってー」
「勝手に行ってこい!」
「あとコンビニ寄ってパンツとー、シャツとー。ついでに酒とつまみ買おうっと」
どう転んでも本気で押し掛けてくる気らしいことを察して、ため息をつく。いい加減に面倒くさくなった俺は、振り向かないまま言い捨てた。
「言っとくけど、毛布までねえぞ!」
「別にいいよー。朝まで起きてりゃいいんだし」
……俺を巻き添えにする気満々だな、こいつ。
気を晴らすのに有難いような、やはり若干むかつくような心地で、俺は黙ったまま足を進めた。
それから、俺だけでなく、何故かあいつの今後の傾向と対策まで聞かされて。
とはいえ大半が、長男だからいい年だから、って母親が嫁嫁うるさい、そんなの、妹が婿もらってなんとかすりゃいいじゃん、とかいう愚痴だったが。
さんざん喋って、次の日はえらくさっぱりした様子で帰っていった。結局あいつの方が何かしら溜まっていたのかもしれない。
そういえば、と、俺はあの時考えていたことをようやく思い出した。
少し迷ってから、スマホで検索をしてみる。記憶通りの名前だったようで、一発でそのホームページに辿り着く。
一通りの情報を見終わると、メーラーを起動して、しばらく考えていたが、
To:深山歌
Title:星が好きなら
お前、プラネタリウム興味あるか?
そこまで書いて、続きを打とうとした時に、指が滑ってうっかり送信してしまった。こうなると、返事を一旦待つしか仕方がない。
まあ、興味がない、っていうんなら、それはそれでいい話だしな、と頭を掻く。
正直、どうしたいのか、などと、はっきり分かっているわけじゃない。
ただ、どうにも、何かしら繋がりはあった方がいい、という感じで。
我ながら訳分かんねえ、と、画面を見つめながら、俺は小さく呟いていた。
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