すきなもの
「あ、あった」
自室に入るなり、机の上に置いたままだった携帯を見つけて、私はそれを取り上げた。
ベッドの上に鞄を置いてしまうと、そのまま横に腰を下ろして、じっと見つめる。
綺麗な、ライトブルー。機能などは正直良く分からないから、完全にこの色に惹かれて選んだものだ。とりあえず、メールと電話が出来れば問題ないし、カメラは撮れればいい。
とはいうものの、スライド式のそれを持ったまま、私は首をひねった。
「……どうするんだっけ」
まだ、買って少ししか経っていないから、操作方法が今一つ分かっていない。それに、確かメールアドレスの設定もしていなかった。さらに言えば、倉岡さんのアドレスもまだ入れていないことに気付いて、私は息を吐いた。
……なんで、こんなに慌ててるのかな。
とりあえず落ち着こう、と、深呼吸を一つしてから私は立ち上がると、壁に掛けてあったコルクボードに目をやった。
てんとう虫の形のピンで留めてあるのは、初めて倉岡さんと会った日に貰ったメモだ。それをじっと見ながら、携帯のアドレス帳を開き、ぽつぽつと一文字づつ打ちこんでいく。
「……できた」
前に一度入力を間違えたから、三度確認してからようやく登録を完了して、しばし。
こちらから送るには、もちろんアドレスを決めなければならないのだが、悩んでしまう。
迷惑メールが来にくいように、なるべく長いものがいいよー、と兄が言っていたので、長い単語、と考えてみるものの、まったく思いつかない。
と、控えめに扉を叩く音がして、はい、と応じると、
「歌ー?兄ちゃんだぞー。開けてもいいか?」
「大丈夫。どうぞ」
そう答えると、すぐに扉が開いて、兄が顔を出した。私より先に学校を後にしたから、もうお風呂も済んだようで、肩にはタオルを掛け、グレーのスウェットに身を包んでいる。
「あれ、まだ着替えてなかったのか」
「うん、先にこれ、メールとかだけ設定しようと思って。兄さんの用は?」
「そうだった。デジカメのデータ、USBに入れたから持って来たよー」
結構たくさん撮っちゃってた、と笑いながら、白の小さなメモリを渡してくれる。私は礼を言って受け取ると、ついでというわけではないけれど、相談してみることにした。
「メルアドが決まらない?」
「うん。長くしようと思うと、文字数の多い単語が思い当たらなくて」
「なるほど。でも、別にひとつの単語でなくてもいいんだぞ?間にハイフン挟むとか、アンダーバーとか入れて、いくつか繋いでいく形にするとか」
そう言われてみれば、兄のアドレスはそんな感じだった、と今更思い出す。
分かった、と頷いて、何にするか再び考えていると、兄は笑って、
「お前の好きなもの、とかでいいんじゃないか?おはぎとか」
「!そうする。有難う、兄さん」
「お礼はいいけどさ、明日代休だからって遅くなるなよー」
兄らしく、気遣うような言葉をくれると、タオルを軽く振りながら部屋を出て行った。
それを見送って、またベッドに座り直してから、好きなものを順に思い浮かべる。
「おはぎ、きなこ……」
好きなものは、幸いなことに色々ある。
裁縫をはじめ、手芸全般。散歩、てんとう虫モチーフ、母の作るごはん、牛乳。
最近だと、上村さんの作ってくれたちらし寿司。それから、
「花束、シュシュのプリン、カフェモカ……」
知らず、ほろりと口から零れた言葉に気付いて、思わずまばたきを繰り返す。
「……ミックスサンド、チョコレート」
そう続けながら、ぱたん、と後ろに倒れてしまうと、腕を上げて目を覆う。
くれるものが好きなものばかりなのか、それとも。
ふっとそんなことが頭に浮かんで、何かを逃がすように、意味もなく寝返りを打つ。
そうしているうちに、他にも好きなものが増えていたのに気付いた。
あの、良い香りと、大きな手と。
考えているうちに、触れられた背中が熱を帯びた気がして、私は小さな子のように身を丸めた。
結局、その夜は、それ以上何もできなくなって。
うっかり制服のまま眠ってしまったので、翌日はアイロンがけに追われることになってしまった。……結局、メールアドレス、どうしよう。
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