面接
公立高校といっても、地域によって日程は異なるらしいけれど、私の高校の卒業式は、三月の一日だ。だから、出来るだけ直後にアルバイトを開始すべく、目星をつけておいたところに電話を掛けていたのだけれど、
「……また、だめだった」
受話器を置いてから、さすがに暗澹とした気分で、私は呟いた。
タイミングが悪いと言うのか、時期的なものなのか、掛けるたびに『定員に達しました』『もう少し早ければ……』などと言葉は様々だが、ことごとく断られてしまったのだ。
今日までに試みてみたのは、カフェ、スーパー、ベーカリーショップ、和菓子屋、書店。学校帰りに寄れる場所ということになるから、家からその最寄駅までの沿線を狙ってみたのだけれど、面接にまでも持っていけない、というのはさすがに情けない。
四月からなら空きが出ますよ、と親切に言ってくださったところもあったので、それはしっかりと付箋を貼っておいたけれど。
……早く、仕事したいのにな。
四月からは学校が始まるから、出来ればそれまでに慣れておきたい。あれもこれも、は疲弊してしまいかねないから、と、先生からのアドバイスもあってのことだ。
しかし、今は下旬とはいえ、まだ二月だ。あまり焦っても仕方がない、と思いながら、またページをめくり、次はお茶屋さんだ、と電話番号を確認していると、
「歌ー、ホットチョコレート作るけど飲むー?」
「飲む。有難う」
突然、キッチンから掛けられた兄の声に、私は即答を返した。途端に、漂ってきた甘い匂いが鼻をくすぐる。
カウンターの上に置かれている、チョコレートペーストの入った、赤い蓋の可愛い瓶は、ついこの前、バレンタインに里沙が兄に贈ったものだ。
『受験の件とかで相談に乗って貰ったからー。お礼だからねお礼、変な意味じゃないよ!』
と、後日メールでそう聞いたものの、その日、帰ってきた兄はとても機嫌が良くて。
今も、鼻歌交じりでカップに差したスプーンを、くるくると掻き回していたが、
「よし、結構会心の出来だよー。あ、おはぎは絶対にダメだからねー」
そう言いながら、午後のおやつ(犬用おから入りクッキー)を、勢いよく尻尾を振っている彼女にひとつあげてしまうと、お盆を手にこちらにやってくる。
テーブルにそれらを並べると、兄は置いてあった雑誌を指先でめくって、
「付箋、増えたねー。今で、チャレンジ何か所?」
「全部で、十三か所……」
「ダース越えかー。んー、力仕事だったら俺の会社関連でも紹介できるんだけど、歌の腕力じゃ、さすがに勧められないしなあ」
「……フォークリフトの免許とか取れば、雇ってもらえるかな」
「そこまでするんなら、下手すると正社員勧められるぞー。そうだなあ……雑誌もいいけど、ぶっつけで貼り紙のあるところに飛び込んでみる、ってのもありだね」
兄の言葉に、私は頷いた。実は、既にいくつか試みてみたのだが、
「隣の駅のドラッグストアと、お蕎麦屋さんも行ってみたんだけど、空いてるシフトの時間が合わなくてだめだった……シュシュは、もう埋まってたし」
話していくごとに、ますます気が沈んできて、思わずうなだれてしまう。
と、兄が小皿に盛ったマシュマロをぽん、と私のカップに入れてくれると、
「まあ、とにかく休憩して。それから、ちょっと出かけようか」
「?どこに?」
「さっき、思わぬところからツテが来たんだ。歌が良ければアポイント取るよー、って言ってくれてるけど、どうする?」
そう笑いながら、兄が見せてくれたのは、佐伯さんからのメールだった。
From:佐伯くん
Title:業務連絡ー。
俺と瀬戸の予定がついたんで、今度の飲み、
全員オッケーでーす。
手配はこっちでやっとくんで、詳細はまた
連絡しまーす。
そんで、歌ちゃんのバイト、決まりました?
もし、決まってなかったらなんですけど、
俺の後輩からヘルプコールが掛かったんで、
良かったら、どうかなって。
店はここなんですけど、他の系列店とかでも
別にいいっぽいでーす。
「あれ、ここ、『コンベルサシオン』?」
メールの最後に載っていた、連絡先とマップを見ると、どう見ても間違いない。しかも、自分で気に入った商品を買ったこともある店舗だし、働けるものならとても有難い。
通学との兼ね合いも考えて、しばし検討した結果、お願いします、ということになって、さっそくこれからお伺いすることになった。
家からの通勤時間も見るために、電車で兄と移動して。
いささかならず緊張しながら、約束した時間の少し前に店に辿り着くと、見覚えのある後ろ姿が、エプロン姿の店員さんと並んでいるのが見えた。と、
「あ、来た来たー、ハイタワー&ミニマム兄妹ー」
「珍妙なコンビ名付けないでくれるー?第一印象がそれで固定されちゃうでしょー」
にこやかに、しかし即座に言い返した兄の台詞に、佐伯さんはにっと笑うと、
「バイト先ではあだ名くらいついてなんぼでしょ。それにほら、歌ちゃんも笑ってるし」
そう指摘されて、慌てて口元を隠すと、佐伯さんの隣に立っていた男性が頷いて、
「先輩の言うことは、常に話半分でいいですよ。多分、分かってらっしゃると思いますけど」
「お前、いつの間にそんな口真顔ですらっと利けるようになったのー」
「無駄に鍛えられましたから。誰とは言いませんけどね」
表情を変えないまま、慣れた様子で佐伯さんに言い返した男性は、私と兄に会釈すると、
「失礼しました。『コンベルサシオン』、副店長の栗原と申します」
「あ、有難うございます、深山歌です。本日は、お世話になります」
真面目そうな外見のイメージそのままに、丁寧に差し出された名刺を受取って、こんな作法で良かったかな、と思いつつ礼を返す。
何故か兄まで受け取りつつ、それを見ながら感心したように口を開いた。
「お若いのに、もう副店長なんですか」
「いえ、ここは社員が店長と私だけなので。自動的にそういう肩書になるんです」
もう少し人員が増えると有難いんですが、と零しつつ、ここからは私だけが奥へと案内されることになった。その間、兄と佐伯さんは、適当にモール内をうろついてくるー、と去っていった。……なんだか、すっかり仲良しになったみたい。
何度か来た店内を進んでいくと、アルバイトなのかパートなのか、綺麗な栗色に染めた髪を、高く結い上げたエプロン姿の若い女性が、こちらをちらりと見てくる。
思わず頭を下げると、少し驚いたようにくりくりとした目を見張って、それから小さく手を振ってくれた。
そのおかげで少し緊張がほぐれて、幸先がいいかもしれない、と思いながら、レジ裏のバックヤードに続いて入る。白いパーティションで仕切られたそこは、ざっと見て四畳半ほどのスペースに、スチールの机とパイプ椅子が並べられていて、壁際にはずらりと金属製のラックが据えられていた。
それに、中は商品なのか、大小さまざまなダンボールが積まれ、何故か端の方に小さな2ドアの冷蔵庫と、電気ポットが据えられているのが、ちょっと不思議な感じだった。
奥の椅子に座った栗原さんに、お座りください、と勧められて、腰を下ろす。
それからは、至って普通の(というような場数はさほど踏んでいないけれど)面接だった。
まず仕事内容の説明があって、レジ打ち、プレゼント用含む包装作業、商品の品出しと整理が主な仕事で、基本的に残業はないが、棚卸時期にはある、ということだった。
それから、こちらは高校を三月に卒業予定であること、四月から専門学校生となること、学費の補填のためにも、授業のない時間にシフトを希望している旨を伝え、調べておいた学校の講義時間割、年間スケジュールなどを、尋ねられるままに答えていった。
それらを確認して、栗原さんはじっと手元の手帳と、手渡した履歴書を確認していたが、とん、とボールペンでそれを叩くと、
「シフトはこちらとしては有難い時間帯ですね。バイト経験はなし、と……少しお伺いしますが、手先は器用な方ですか?」
「はい、手芸全般が趣味なので、なんとかそう言ってもいいかな、と思います」
「手芸……もしかして、服なども縫えますか?」
「一応、出来ます」
そう答えると、栗原さんは、参考に持って来た学校のパンフレットを取り上げて、納得したように頷くと、
「分かりました。採用します」
「え、こんなにすぐに、ですか?」
あまりにもあっさりと言われてしまったので、驚いてそう聞き返すと、栗原さんは苦笑して、
「もちろん、本社に報告がいるけれど、ここの店の人事は、基本的に自分の管轄なので、大丈夫です。それに正直、本当に即戦力が欲しいところだから」
少しだけ砕けた口調になると、小さく息をついて、困ったように眉を寄せると、
「今回、緊急に佐伯先輩に頼んだのは、ベテランのパートの方が急に辞められることになったので、大ダメージを食らいまして。それで、早急に補充人員をということになって」
「お一人が辞めてしまうと、そんなに大変なんですか?」
「いえ、普通ならさほどでもないんです。入ってくる時に、店員の女性がいたでしょう?」
さっきのポニーテールの人だ、と気付いて頷くと、栗原さんは指先で眉間を押さえて、
「他は問題ないんですが、手先が驚くほど不器用というか……大雑把で。店長もかなり適当だから、特に、先様にお渡しするような包装となると、ちょっと……」
……確かに、それは渡される方も、ちょっと困るかもしれない。
でも、不器用ってどの程度なんだろう、と考えながら、必要な提出書類などの一覧表と書式を一式貰って、書けるものは書いてしまって。
今後の日程等を確認の上、遅くとも来月初めには連絡をいただけることになった。
一通り落ち着いたところで、ポットでティーバッグのお茶を淹れてくれた栗原さんは、私にも勧めてくれながら、思いがけないことを尋ねてきた。
「ひょっとして、深山さん、クローバーのブローチに心当たりはありますか?」
その言葉に、驚いて顔を上げると、やっぱり、というように、栗原さんは頷いて、
「あの時は、私が対応させてもらったんですが……その様子だと、うちの商品、喜んでもらえたみたいですね」
「……はい」
あの時ここで、きっと色々と迷いながら、選んでくれて。
その心を表すように、柔らかな色合いで包まれたそれは、幸せそのもので。
「でも、どうして私だ、って分かったんですか?」
よくよく考えれば、倉岡さんがわざわざ名前などを言うはずもないし、と思って聞いてみると、栗原さんはちょっと微妙な表情になって、
「……具体的な内容は、守秘義務を履行しておきます。それに、まあ、言ってしまうと半ば以上、のろけみたい、というか」
……いったい、どんなこと、言ったんだろう。
予想外の回答に赤くなりながら、なんともいえない空気になってしまった部屋の中で、私は俯いたまま、ひたすら静かにお茶をいただくことに集中していた。
それから、兄と佐伯さんと合流して、お礼に皆でご飯を食べて。
帰る途中の電車の中から、今日の事の次第を、倉岡さんにメールで送っておいた。
……今度会う時、またあのブローチ、つけて行こう。
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