女子会

 週が明けて、三月六日。いよいよ、里沙の合格発表の日。

 私は店名の入ったエプロンのポケットを気にしながら、じりじりと連絡を待っていた。

 本命にしていた私立は、残念ながら落ちてしまったとのことなので、今日発表の公立が最後のチャンスとなる。だから、里沙も昨日は天命待っとくー、と言っていたのだけれど。

 とはいえ、今日はアルバイト(但し二週間は研修期間)を始めて、まだ二日目だ。凄く気にはなるけれど、とにかく作業手順をしっかりと覚えなければならない。

 倉岡さんや兄のアドバイス通り、聞き取った内容を、メモ帳を片手に必死で書き取っていると、麻野さんがそれを覗き込んできた。肩で緩く結んだ栗色の髪が、さらりと動く。

 「深山さん、真面目だなー。大丈夫だって、何回でも教えてあげるから」

 「それは有難いんですけど、ちゃんと一人でも出来るようにならないといけないから」

 シフトのこともあるけれど、ずっと指導役の麻野さんが傍にいるわけではないし、他のアルバイトの人達にも、迷惑を掛けないようにしたいのだ。

 そう言うと、麻野さんは何故か腕を組んで、何度もうんうんと頷くと、

 「なんと素晴らしい心がけ!分かった、じゃあ適度に見守ってるから頑張ろう!」

 「そうしてください。麻野さんは初日から、深山さんに過度に構いすぎですからね」

 いつの間にか背後に立っていた栗原さん、もとい副店長が、私の頭の上から腕を伸ばすと、崩れた商品を綺麗に直してしまう。と、じろりと麻野さんに視線を向けてくると、

 「心配なのは分かりますが、カルガモの子供並みにあとをついて回るのはやめるように。そっちが親役になるんですから」

 「はい、了解でーす。でもほら、わたし後輩っていう存在が人生初だから!なんかこう、わーって感じなんですよ!」

 「深山さん、今のうちに包装の手順を教えておきますから、カウンターに来て下さい」

 「さりげなく無視らないでくださいよー副店長ー!」

 私より若干小さい麻野さんが、身長のかなり高い副店長に抗議を始めた時、ポケットの携帯が震えた。とっさに手を入れ、スライドボタンを押して止めると、

 「何か、急ぎですか?」

 怪訝そうに尋ねてきた副店長に、顔に出てたのかな、と私は眉を下げると、

 「すみません。多分、友達の受験の結果が来たんだと思います」

 携帯は、緊急時などの連絡のために持っていても構わないが、仕事中に私用で見るのは当然厳禁だ。なので、あとで休憩時間にでも見るつもりでいたのだが、

 「……今から五分、一旦休憩にします。バックヤードに下がっておいてください」

 腕時計を見ながら、副店長が静かにそう言うのに、私が顔を上げると、麻野さんも肩を叩いてくれて、

 「時間なくなっちゃうよー。いってらっしゃーい」

 にこにこと送り出してくれるのに、私は慌てて礼を返すと、急いでレジ裏のバックヤードに入った。心を落ち着けるためにパイプ椅子を借りて、腰を下ろしてから、そろそろとメールを開く。と、

 「……合格、だ」

 しばらく、その文字をじっと見つめたあと、もう一度最後まで読んで。

 時計を確認してから、急いでおめでとうメールを送って、手芸部の皆に一斉送信して、それから兄、倉岡さんの順番で送ってしまう。

 深々と息をついて、ようやく気持ちを落ち着かせると、あと一分残っていた。けれど、融通を利かせてくれたのだから、早めに戻ろう、と席を立った途端、携帯が震えて。

 「……倉岡さん」

 一番最後に送ったのに、凄い速さだ、と思いながらメールを開けると、



 From:倉岡さん

 Title:良かったな。


 ほっとしただろ?

 お前、まるで自分のことみたいに

 ずっと気を揉んでたもんな。


 それと、バイト頑張れ。

 あんまり慌てずにな。



 短いメールを読み終えて、ふと、佐伯さんから聞いたことを思い出す。

 『あいつマジメだから、絶対休憩中でないとスマホに触りもしないんだよねー』

 それが分かっているから、前もって、今日は結果が分かったら送ります、返事はあとで、と伝えておいたのだけれど。

 メールを閉じると、待ち受けに設定してある、コーヒーを飲んでいる倉岡さんの画像が浮かぶ。今もきっとこんな感じなんだろうな、と思いながら、私は携帯をそっとしまった。



 それからその日は、副店長と麻野さんにお礼がてら報告をして、仕事を教わって。

 なんとか無事に一日を終えて家に帰ると、母と兄とに色々と相談をして。

 そして、その週、金曜日の夜。

 リビングに続く和室にお客様用布団をびっしりと一面に敷き詰めて、集合して、しばし。

 「……里沙先輩、遅いですねえ」

 波打つ髪をシュシュで結びながら、香織ちゃんがぽつりと呟くと、その横で、ピンクのデジカメ(水玉模様で可愛い)の設定をいじっているユキちゃんが、唸るように言った。

 「もうちょっと遅い方がいいんですけど、まだ準備できてないんで……っていうかこの設定方法、なんかよく分かんないー!」

 ところで、こうして今、里沙だけを待っているのには、理由がある。

 手芸部の皆にお祝いに貰ったパジャマに着替えるのに、私の部屋を提供したのだけれど、なかなか思い切れないようなので、先に出て来てしまったのだ。

 正直なところ、その気持ちは、とても良く分かるから。

 それはともかく、私は何やら心底困ったような顔のユキちゃんに声を掛けた。

 「大丈夫?兄さんならそういうの詳しいから、呼ぼうか?」

 「そんなわけにはいかないですよー。皆でお世話になってるのにー」

 「ね、実歩、こういうの得意じゃなかった?」

 その様子を、ずっと横から見ていた恵ちゃんが、お風呂上りのストレッチに余念のない実歩ちゃんをつついた。よっ、と声を上げて、実歩ちゃんは身を起こすと、

 「いやー、でもあたしなんでもカンで動かしちゃうんで。余計になんかヤバくなるかもしんないですよー」

 それでも良ければ、と明るい笑みを向けられて、ユキちゃんは激しく首を振った。

 「ごめん、やめとく。なんかあったら姉ちゃんにシメられるかもしれないし」

 身を竦めながら、本気で怯えた表情になったので、そろそろ救援を求めるべきかな、と思っていると、足音が近付いてきた。と、

 「……里沙?開けていいよ?」

 うるさくないように閉めてある襖の向こうで、動きを止めた気配に向かってそう声を掛ける。すると、数瞬の間を置いてから、思い切ったようにがらりと、それが左右に開かれた。

 「おおー!!先輩、かっわいい!」

 「やったあ、裾もジャストですよね!歌先輩のおかげです!」

 実歩ちゃんと香織ちゃんがそれぞれに歓声を上げて、やっと姿を現した里沙の姿を見上げている。私も例外ではなく、頭の先から足の先までじっと見やると、うん、と頷いて、

 「可愛い。よく似合ってる」

 「……ありがと。ぶっちゃけすっごい恥ずかしいんだけど」

 何か色々と諦めたのか、ユキちゃんと恵ちゃんがデジカメとスマホで写真を撮りまくっているのも放置して、珍しく頬を赤く染めている。

 その姿は、フード付きのフリースパジャマだ。市販のものに手芸部全員で手を入れて、膝から下と袖先を、ふわふわとしたボア素材に切り替え、フードには耳を付けてみた。

 ちなみに、里沙は白で、フードにはウサギ耳。同じく私はベビーピンクで、クマ耳。

 あとは手芸部全員が猫耳で、ユキちゃんが水色、香織ちゃんがクリーム、実歩ちゃんが淡いグリーン、恵ちゃんがオレンジ、となっている。

 ため息をついて、後ろ手に襖を閉めると、里沙は私の隣に腰を下ろした。香織ちゃんがその様子を見ながら、嬉しそうに笑うと、

 「先輩方の分、しっぽつけようか、最後まで凄く迷ったんです。でも、寝る時に邪魔になっちゃいますよ?って先生に指摘されちゃって」

 「……小松先生、そこは突っ込むとこじゃないし」

 「え、ウサギ、だめだった?」

 耳が他の動物より長い分、赤いリボンまでついていて、とても可愛いのだが。

 ちょっと心配になった私の言葉に、里沙は力なく首を振ると、

 「いいんだけど、なんかあたしには可愛すぎっていうかさー」

 「いつもマニッシュな感じの服が多いから、こういう時くらい、思い切り可愛くしてもいいと思う」

 きっぱりと断言してしまうと、そうかな、とまだ照れている様子なのが、可愛い。

 と、突然吹っ切れたように顔を上げた里沙は、フードを勢いよく跳ね上げてしまうと、

 「うん、コスプレ!コスプレって思えば恥ずかしくない!ってことだから歌、さっさと倉岡さんに画像送る!田村、あんたも彼氏に送っちゃえ!」

 「え、それは、ちょっと」

 「あ、恵はさっき一足先に送ってましたよー」

 「ちょっと、実歩!内緒だって言ったのに!」

 「ユキ、それって直接携帯に転送とか出来たかなあ」

 「……出来た、気がするけど……やり方分かんない」

 などと、しばらく送る送らない、の騒ぎになって、結局根負けして、押し切られて。

 絶対これ可愛い、と言って貰った画像を、皆の送れ送れコールに乗って、送信して。

 「よくやりましたー。歌、めっちゃ真っ赤」

 「……返信、怖い」

 里沙に、よしよしとばかりに頭を撫でられながら、私は俯いた。

 引かれないかな、というのが先に立って、どうにも落ち着かない。それに、こんな風に送るのも、初めてだし。おはぎの画像は、今日も『女子会バージョン』を送ったけれど。

 「大丈夫だと思いますよー。こっちは反応良かったっぽいし」

 実歩ちゃんの声に顔を向けると、恵ちゃんが頬を染めて、じっとスマホを見ながら操作している。無料通話アプリで何度かやりとりをした後、ほっと息をつくと、

 「なんとか、可愛い、って言って貰えましたー」

 幸せそうに笑って、ピースサインを向けてくる。その姿をすかさずユキちゃんが撮ってしまうと、ちょっと眉を寄せて、ごろんと寝転がりながら零した。

 「純粋に疑問なんだけどさー、恵。好きになるってどっから始まるの?」

 「え、ユキ、そこから聞くんだ」

 「だって、男友達はそりゃいなくもないけど、あれだけいる中でいいな、って思うのがなんかピンとこないっていうか」

 「んー、でもそれって多分、きっかけとかあるよね?」

 同じように寝転がった香織ちゃんが、恵ちゃんにそう尋ねると、しばらく首を傾げていたが、

 「なんだろ……彼、たまたま、中学から一緒だったんですけど」

 クラスが一緒になったことは一度もなかったけれど、その時からどうしてか、野球部で、真面目に練習していたことは知っていたそうだ。

 そんなある時、校庭近くを歩いていると、突然鋭い金属音が響いて、驚いて。

 「顔を上げたら、ボールが空めがけてぐんぐん伸びていって……凄いなあ、ってぽかん、ってしてたら、彼が近付いてきて、にーって笑って、『だろ?』って言ったんです」

 それから、時々話すようになって、高校に入ってもそんな感じで、今に至る、そうだ。

 話を聞き終えた里沙は、ちょっとからかうように唇の端を上げると、

 「それ、完全にあんた狙いだったんじゃないの?」

 「ええ!?でも、そんなに都合よくホームランなんて打てないですよ!」

 「なるほどー。確かに、行動把握して、回数こなしてればいつか当たるかもしんないし、何よりどうでもよければ声なんか掛けないですよねー」

 実歩ちゃんの指摘に、何か思い当たることがあったのか、恵ちゃんはますます頬を赤くして、やがて、ぽつりと言った。

 「……そうかな。そうだったら、嬉しいなあ」

 その、なんとも言えない表情が、とても可愛らしくて。

 女の子だなあ、と思ってじっと見ていると、はっとしたように恵ちゃんが首を振って、

 「もー!わたしだけなんだか恥ずかしいじゃないですかー!今度は、歌先輩ですよ!」

 「ですよねー。やっぱ文化祭のこともあるし」

 追い打ちをかけるように実歩ちゃんが笑うと、香織ちゃんとユキちゃんが揃って頷く。

 「それに、彼氏が社会人、って周りに全然いないし」

 「っていうか、あのあとどうやって付き合うところまでいったのかとか、まだあんまり聞いてなかったですもんねー」

 「……話してもいいけど、なんで皆、取り囲んでくるの?」

 じりじりと間合いを詰めてくる手芸部四人から、なんとなく後ずさると、背後に里沙が回り込んできて、肩を掴まれて。

 「だって、あんた肝心なところになると、いっつも照れてはぐらかすじゃん?いい加減具体的に吐いてもらってもいい頃かなーって思って」

 ……この猫撫で声は、本気だ。

 確実に逃がすつもりのない里沙の声に加えて、にこにこと笑っているのにちょっと怖いオーラを漂わせている四人に迫られて、私は困ったように眉を下げるしかなかった。



 そして、結構容赦のない質問攻めに遭って、つかえながらも色々と話して。

 しばらくして、かなり動揺した声で倉岡さんから電話が掛かってくるまで、ずっとそのままだった。

 ……ひとまず、あの画像が嫌だった、というわけじゃなくて、良かった。

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