一月

初詣

 年越しのお蕎麦から年明けのお節まで、父と兄との豪快なまでの食べっぷりを見届けて。

 元日は起きたらお雑煮を食べて、昼から腹ごなし、とばかりに、近くの神社に家族皆でお参りするのが毎年の恒例なのだが、今年は、翌二日にさらに出かけることになった。

 それは、これからいよいよ本番を迎える、里沙の合格祈願、というわけで。

 「その割に、本人が来れなくなるってのも気の毒だな……」

 「里沙、丈夫なんだけど、冷え症だから寒いのに弱いの」

 「歌、それは丈夫って言わないんじゃないかなー。でも、心配だねー」

 門前町の中心を貫く大通りの、その入口の左右に伸びた、丈高い石垣の前。

 そこに立ち、私、兄、倉岡さんの三人は、佐伯さんが来るのをじっと待っていた。

 電車でうっかり寝過ごしてしまい、降りる駅を一駅飛ばしてしまったそうで、すぐ折り返してくると連絡があったのが、およそ十分前。

 もちろん、里沙も来るはずだったのだが、今朝になって凄い声で電話が掛かってきて、


 『声、あんま出ないー。ごめん、熱出ちゃって行くの無理ー』


 実際は、台詞全部の音に濁点がついたような、酷いありさまで。

 分かった、お大事に、と伝えると、うー、と一声唸るような声を最後に通話は切れた。すぐあとに、めっちゃ寂しいー、残念ー、とメールが来たので、慰めておいたけれど。

 「けど、冷え症ならそれなりに対策してたんじゃないのか?」

 「うん。だけど、エアコンの操作間違えて、つけたままで寝ちゃって乾燥したみたい」

 「喉かー。まあ、凄くポジティブに考えればセンター前で良かったよね」

 過去に受験で苦労した兄が、そう言って深々と頷いている。確かにその通りだ。

 お参りに向かう人波は、三が日だけあって多いが、広く長い参道を埋め尽くすまでには至らない。吹きすさぶ、というほどではないものの、通る人々の間をすり抜けて時折頬をかすめる冷たい風は、さほど冷え症でもない私でも、ちょっと厳しい。

 白い息を細く吐きながら、少し緩めていたマフラーを巻き直していると、すっと横から手が伸びてきて。

 「もっときっちり巻いとけ。お前まで風邪引くだろ」

 そう言いながら、倉岡さんが手直ししてくれるのに、少し照れながらも頷くと、

 「わー、新年早々オカン気質発動中ー」

 何故か、唐突に背後から現われた佐伯さんにそう声を掛けられて、三人揃ってそちらを振り向く。と、目の前に紅白の何かが差し出されて、

 「明けましておめでとーございまーす。今年もよろしくー」

 とっさに受け取ってしまったそれは、可愛らしい棒付きの飴だった。

 梅の花をかたどった、一口に含んでしまえそうなもので、五つほどが袋に入っている。

 挨拶とお礼を伝えると、佐伯さんはにっと笑って、

 「遅れたお詫び。はい、謡介さんもー」

 「あ、金平糖だ。これ美味いよねー、有難う」

 「どういたしまして。倉岡はこれなー」

 「……なんで俺だけ焼きイカなんだ」

 「お前、砂糖の塊レベルの甘さは苦手でしょ。小さ目のにしといたから文句なしでー」

 そう言いながら、自身も買ったイカにかじりついている。香ばしい匂いがさっと立って、少しそそられてしまう。それに気付かれたのか、倉岡さんが声を掛けてきた。

 「食べるか?」

 「……ううん、いい」

 一拍置いて、私は首を振った。親切で言ってくれているのは分かるのだけれど、まだ、同じものを二人で食べるというのは、何か恥ずかしい。これが里沙なら、全く気にしないのだけれど。

 そのうち慣れるのかな、などと考えながら、参道に入り、本堂に向けて歩みを進める。

 そうしながら、兄に貰った淡い緑の金平糖を一粒口に入れると、意外にも、酸味が舌に伝わってきて。

 「甘酸っぱい。美味しい」

 「あ、それ、かぼすっぽいよ。俺のは……多分りんご?」

 「……お前も謡介さんも、美味いもの食べてる時めちゃくちゃ幸せそうだな」

 「そうかな……そうかも」

 隣を歩く倉岡さんに言われて、一瞬首を傾げたけれど、一粒づつ違う色を吟味しながら、しみじみと味わっている兄の姿を見て、思い直す。

 もっとも、私と兄では、根本的に食べられる量が違うけれど。

 「でも、倉岡さんも美味しいと思ってる時、もくもく食べてる」

 「そりゃ、食う時は黙って食うだろ」

 「そうなんだけど、甘すぎたり、あんまり好みじゃない時は、ここ、皺寄るから」

 とん、と、指の先で自分の眉間を指してみると、倉岡さんは珍しく困ったような表情になって。

 それから、ふいと顔をそらすと、黙ったまま焼きイカを口に運んだ。

 怒ったのかな、と心配になって見ていると、脇から佐伯さんが近付いてきて、ぽん、と肩を叩かれて、

 「歌ちゃん、あんま気にしなくていいよー、マジ照れしてるだけだからー」

 「……勝手に代弁すんな」

 少し不機嫌そうにそう応じた倉岡さんは、綺麗に食べ終わった串を、通り沿いに据えられたくず入れに放り込んでしまうと、足を速めて進んでいく。

 慌てて小走りでそれに追い付き、どう声を掛けようかと考えていると、倉岡さんは足を止めて、軽く息を吐くと、

 「……別に、お前に怒ってるわけじゃねえよ」

 低くそう言うと、腕を伸ばしてきて、私の手をそっと取った。

 大きな手は乾いていて、すっぽりとくるみこまれてしまうと、とても暖かい。

 だけど、こんな風にされるのは、まだまだ慣れていなくて、赤くなるのを抑えられない。

 どうしていいか分からなくて、おろおろとされるままになっていると、左と右からそれぞれ、兄と佐伯さんが追い付いてきて。

 「邪魔するのもなんだし、先にお参り行ってくるからねー」

 「頃合い見て連絡するけど、ほどほどにしとけー」

 兄は私の頭を撫で、佐伯さんは倉岡さんの肩を思うさま(ばしっ、と高く音が鳴った)叩いてから、まるで人波を割るような勢いで、奥へと歩いて行ってしまった。

 「……どうしよう」

 「……とりあえず、お前の用件、済ますか」

 結局、繋いだ手はそのままに、私と倉岡さんは顔を見合わせると、どちらからともなく頬を染めた。



 まずは、一番の目的、合格祈願のお守りを入手すべく、売り場へと向かった。

 作務衣のような墨染の装束に身を包んだ、若い僧侶(頭を丸めているから、たぶんそう)たちが、石畳の敷かれた道に何列にもずらりと並ぶ参拝客を、慣れた様子でさばいているのが見える。

 その頭上を越すように、先を見渡した倉岡さんが尋ねてきた。

 「種類、多いな。どれにするんだ?」

 「里沙、赤が好きだから、あの赤いのにしようかと思って」

 壁際に『見本』と掲げられている、透明な蓋の付いたケースに並べられたものを指差しながら、私はそう答えた。少し大きめの、白と金の刺繍が綺麗なお守りだ。

 ふうん、と呟いてから、整然とした列に並んだ私の後ろに、倉岡さんが続いて並んだ。何か買うのかな、と尋ねる暇もなく、すぐに順番が回ってきた。

 無事に目当てのものを購入すると、流れに押されるように左手に向かい、列から外れる。倉岡さんは、と目で探すと、丁度同じルートで抜けてくるところだった。

 小さく手を振ると、気付いてすぐに寄ってきてくれて、

 「買えたか?」

 「うん、ばっちり。倉岡さんは、何買ったの?」

 白に朱色で寺社名が書かれた袋を手にしているのに、私がそう聞くと、ああ、と頷いて、袋から取り出してみせてくれた。

 「あ、可愛い」

 「なんか、おはぎに似てるだろ」

 それは、陶器で出来た、白黒ぶちの犬をかたどったお守りだった。参詣の折に、お供として連れられていた犬たちがモデルらしく、首には風呂敷包みを下げている。

 首元にはミニチュアの小判まで一緒についていて、なんというか、芸が細かい。

 こんなものを見逃していたなんて、と、思わずじっと見ていると、倉岡さんが笑って、

 「買えば良かった、って顔してるな」

 「……ばれた」

 もう一度並んでくる、と言って行こうとすると、軽く肩を掴んで止められて。

 「ほら。二つ買ったから、好きな色選べ」

 目の前に、それぞれに青と緑の組み紐がついたお守りを下げられて、思わず倉岡さんを見上げると、ちょっと眉を上げて、

 「なんだ?赤とかの方が良かったか?」

 「ううん、違う。何色でも嬉しい」

 ただ、こんなにしてもらっていいのかな、と思ってしまっただけで。

 それに、お揃いに出来る、ということもあって、それも単純に嬉しい。

 結局、さんざん悩んだけれど、青の方を選ばせてもらった。携帯と色目を揃えよう、と思ったからだ。

 お礼を言って、無くさないよう里沙のお守りも一緒に鞄に入れてしまうと、倉岡さんの袖を引いて、私は尋ねた。

 「お返ししたい。何か欲しいもの、ない?」

 あまり高いものは難しいけれど、と付け加えて、返事を待つ。門前町には色々なお店が縦横に広がりを見せて並んでいるから、食べ物でも飲み物でもおみやげでも、大丈夫だ。

 問われた倉岡さんはといえば、私を見下ろして、それからひとつ頷くと、

 「……ちょっと、こっち来い」

 「?うん」

 手を引かれてついて歩いて行くと、倉岡さんは参道の右手に伸びる、細い脇道に進んでいった。確か、本堂にも通じているけれど、途中に小さな神社があるという小道だ。

 そっちにもお参りに行くのかな、などと考えながら、立ち並ぶ冬枯れの木立の、しんとした空気の中を、さくさくと落ち葉を踏みながら足を進める。

 やがて、小道の脇に石段が見え始め、やや華奢な印象の、石造りの鳥居が姿を見せた。

 ここかな、と思い、倉岡さんを見たけれど、足を止める様子はなくて。

 私は内心で首を傾げていたものの、小道は緩やかなカーブを描きながら、さらに先へと伸びている。思ったより、長い道程のようだ。

 神社へと上る石段を通り過ぎ、元来た参道も見えなくなってしまった時、ようやく倉岡さんが立ち止まったかと思うと、こちらを振り向いてきた。

 と、顔を向けた途端、ぐい、と繋いでいた手を引かれて。

 つんのめるほどの勢いに、止まれずに、倉岡さんの胸に倒れ込んでしまうと、

 「……悪い。さっきは佐伯に、妬いた」

 背中に回された腕に、きつく抱き締められて。

 耳元に落とされた言葉が、腑に落ちるまでの時間が、とても長くて。

 「……さっき、って」

 音が聞こえてしまいそうなほど騒ぐ胸のせいで、切れ切れにしか言葉が出ない。

 空気を求めるように息を吸い込むと、シトロンの香りに包まれていることに気付いて、余計にうろたえてしまう。

 倉岡さんは、右腕を動かして、私の髪を撫でてくると、

 「お前に、佐伯が何気なく触れて……大した意味はない、って分かってるはずなのに、なんか無性に苛ついて。しかも、あいつ的確に図星突いてくるし」

 ……じゃあ、ほんとに、照れてたんだ。

 でも、どうして。

 声に出さない問いが、まるで聞こえたかのように、倉岡さんは耳元で息をつくと、

 「なんか、お前が俺のことをよく見てる、って分かって、変に気恥ずかしくなって……だから、悪かった」

 そう一息に言ってくると、もう一度、腕に力が込められて。

 それから、巻き付けられていたそれが、ゆっくりと解かれて、肩に手が置かれた。

 顔を見られてしまう、と焦った私は、何故か、倉岡さんにしがみついてしまって。

 「……歌、顔上げてくれ」

 「だめ。無理」

 困ったような声に即答を返すと、ますます優しい手つきで、髪を撫でられる。


 ……でも、よくよく考えたら、この体勢も凄く、恥ずかしい。

 

 今更ながら気付いたものの、まさしく四面楚歌としか言いようがなくて。

 結局、参道の方から年配のご夫婦が近くにやってこられるまで、しばらくそうしているより他なかった。



 その後、なんとか落ち着いてから、きちんと本堂にもお参りを済ませて。

 里沙へのお見舞いに、べっこう飴と葛湯を買うべく向かっていると、ふと思い出して、

 「倉岡さん、欲しいもの、まだ聞いてない」

 そう尋ねると、倉岡さんはおかしそうに喉を鳴らして、笑って。

 「七割方は貰ったからな。今日はもういい」

 ……残りの三割は、いったいなんなんだろう。

 考えてしまうと、さらに色々と思い出してしまうだけなので、私は大人しく頷いておくことにした。

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