石鹸

 学校の合格祝いを、驚いたことに、上村さんと佐伯さんに頂いた他に、里沙や手芸部の皆からも貰ってしまって。

 何をお返しにすればいいか、家族に相談して色々と考えているうちに、冬休みになってしまった。合格が分かった夜、倉岡さんを誘ってしまったことに動揺して、そればかりに気を取られていた、というのもあるのだけれど。

 ともかく、休みのうちになんとしても用意して、年明けには渡す、と決めたのだが、

 『佐伯の好み?』

 「うん。うっかり、使わないものを贈るのも申し訳ないし」

 午後、九時過ぎ。

 メールだとやりとりに時間がかかるので、私は自室から倉岡さんに電話を掛けていた。

 上村さんや里沙たちに関しては、もう大体の傾向は決まっている。だけれど、佐伯さんだけは、さすがにどういうものが良いか、がすぐには出て来なかったのだ。

 見ていると、一番の仲良し、だという気がするし、使わないものや食べないものなどを把握していそうだから、尋ねてみたのだが、

 『そうだな……あいつは甘いもんでも酒でも節操なく飲み食いするからな。けど、特に好きなもの、なあ……嫌いなもんならすぐ出て来るんだけどな』

 「どんなもの?」

 『茄子。見た目に反して、熱入れると柔らかいから嫌だとかなんとか言ってた』

 「……それが美味しいのに」

 しぎ焼きやチーズたっぷりの茄子のグラタンがとても好きな私が、思わずそう言うと、倉岡さんは笑って、

 『だよな。ああ、食い物じゃなけりゃ、思い当たることがあった』

 ちょっと待ってろ、と言って、何やらがさごそと探しているような音がして、しばし。

 『あった。お前、このメーカー知ってるか?』

 そう言って、私も耳にしたことのある名前を挙げた。けれど、知っているだけで、店に行ったことはない。そう正直に言うと、

 『わりと近くに店があるみたいだから、行ってみるか?そうだな、二十八日あたり』

 返ってきた思いがけない言葉に、私は行く、と即答したものの、

 「でも、倉岡さん、その日って、仕事納めじゃないの?」

 兄の会社が毎年そうなので、思わずそう聞き返すと、

 『一応そうなんだけどな。俺のとこは半日で終わるんだ』

 仕事は前日で終えてしまって、当日は朝から大掃除、それからちょっといいお昼ご飯が出て、良いお年を、となるそうだ。……なんだか、ちょっと楽しそう。

 そんなわけで、二十八日の午後から、と約束して、出かけることになった。

 待ち合わせる場所や時間を決めて、通話を終える。仕事やお正月準備で、年内は忙しいだろうから、会えないかもしれない、と思っていたので、素直に嬉しい。

 でも、顔を合わせると、きっと照れてしまいそうな気もして。

 くすぐったいような想いを抱えたまま、私は傍らのぬいぐるみを引き寄せると、両手でぎゅっと抱き締めた。



 平日だけれど、人の行き交いはやはり多い、駅直結のショッピングモール。

 その広い通路のそこここに、ところどころ設置されているベンチのひとつに掛けて待っていた私は、思わぬ声を聞くことになった。

 「やっほー、大変長らくお待たせ致しましたー」

 「……悪い、撒き損ねた」

 明るい声で手を振りながらやってきた佐伯さんと、相反して、苦虫を噛み潰したような(本当にそんな感じだった)表情の倉岡さんが、揃って現われて。

 鞄を手にしたまま、私は驚いて立ち上がると、

 「え、佐伯さん?……どうしよう」

 混乱して、思わず変な言葉を返してしまうと、佐伯さんが吹き出して。

 「いや、別に歌ちゃんにどうかされるつもりはないけどさ。それに、邪魔しに来たわけじゃないし」

 「ううん、違うの。倉岡さん、今日の用事……」

 「いや、言ってない」

 「ん、なに?あれ、本気で俺いるとまずい感じ?」

 私の問いに、首を振る倉岡さんの様子に、佐伯さんが眉を上げて。

 結局、事情を話してしまうより他はなくなってしまったので、正直に伝えると、

 「あー、なるほど、それはごめん。でも、俺もマジでここに用事あったんだよねー」

 「それなら最初からそう言えよ……面白がってついてきてると思ったじゃねえか」

 「いやー、それはその通りだからー」

 「否定しねえのかよ!」

 「でも、こうなったら、佐伯さんにも来てもらって、選んでもらえばいいと思う」

 この際、というのも何だけれど、本当に欲しいものを聞いてしまえるのなら、何よりだ。

 そう言うと、佐伯さんがちょっと驚いたように目を見張ったけれど、すぐに倉岡さんに向き直って、

 「そんで、お前はいいの?」

 「……歌がそう言うんなら、俺は文句ねえよ。それに、お前だったら上村さんの返しもだいたい分かるだろ」

 「そうかも。職場で色んな年齢層対応してるしねー」

 少し不思議な会話に、私が首を傾げていると、倉岡さんが苦笑を浮かべて、

 「まあ、とにかく行くか。佐伯、酒の礼に前貰ったやつあっただろ、あそこだ」

 「あ、あれかー。納得」

 応じて、軽く頷いた佐伯さんは、あらためて私に向き直ると、にっと笑って。

 少しだけ顔を寄せてくると、内緒話のように小さな声で言ってきた。

 「ま、用件が済んだらさっさと退散するから、安心していいよー」

 二人っきりがいいでしょ、と付け加えられて、私は思わず頬を染めた。

 ……やっぱり、もう、ばれてる。

 すると、倉岡さんの手が佐伯さんの襟首を掴んで、ぐい、と猫みたいに引っ張って。

 「そう言うんなら、さっさと案内しろ。場所知ってるんだろ」

 「わー、聞こえてたー」

 ふざけながらも、こっち、と言って先に立って歩いていくその背中について、私も歩き出す。そうしながら、自然と隣に並んだ倉岡さんを見上げると、私を見返したあと、何か複雑な表情になって。

 どうしたんだろう、と思っていると、腕が伸びてきて、ぽん、と背中を叩かれた。

 優しく促すような手つきに、私は小さく笑みを返すと、目当ての店に向かうべく、足を速めた。



 やがて辿り着いた店は、鼻のいい人ならむせ返ってしまうのではないか、と思うほどに、様々な香りに溢れていた。

 「……これだけ集まると、結構きついな」

 「いやー、コスメ系よりはマシでしょー」

 眉を寄せた倉岡さんに、俺ファンデの匂いすっげー苦手なんだよねー、と言いながら、慣れた様子で佐伯さんが中に入って行く。その後について行きながら、アクリルで出来た透明な棚に、整然と並べられた商品を見ていくと、何の店かは一目瞭然だった。

 まず、石鹸。オリーブで出来た、荒く塊から切り出したような形状のものや、桜、柚子などの和物、バナナ、キウイなどのフルーツ系の香りや形のものなど。

 それに、バスキューブやバスオイル、シャワースクラブやコンディショナーなどがあり、それぞれの色もあいまって、見ているだけでなんだか楽しい空間だった。

 「こういうの、好きなのか?」

 「うん、好き」

 少し値段が張るから、こういう時にしか買えないけれど。

 倉岡さんに聞かれて、迷うことなく即答すると、手近にあったふわふわとしたタオルに手を伸ばす。フェイスタオルとバスキューブなどのセットも、いいかもしれない。

 そうして、しばしお返しの組み合わせを考えていると、

 「おーい、二人ともちょっとこっち来てー」

 佐伯さんの呼ぶ声が聞こえて、揃ってそちらへ向かうと、さらに可愛いものがずらりと並んでいた。

 「……食えそうだな、これ」

 そのうちの一つを手に取って、倉岡さんが言ったのも無理はない。ライムのスライスやシュークリーム、キャンディバーなどを模したものの正体は、バブルバスだ。

 季節柄、雪の結晶や雪だるま、果てはお正月用の松竹梅などもあったりして、面白い。

 星形のものをためつすがめつしながら、佐伯さんは笑うと、

 「俺、泡風呂超好きなんだよねー。長風呂し過ぎて母親と妹に怒られるくらい」

 「あ、妹さん、いるんだ」

 「いるよ、二人。しかも双子」

 聞けば、五つ下の妹さんがいて、なんと明日が誕生日らしい。何かとねだられるので、先手を打ってここに選びに来たのだそうだ。そのせいか、女性に贈るものなら選び慣れているので、よく上司などにプレゼントのセレクトを頼まれるそうで。

 「ついでに自分の分も買おうと思ってたんだけど、それを歌ちゃんに任せまーす。けど、まず妹のから選んじゃうから、ちょっと待ってて」

 「分かった。じゃあ、先に上村さんのを見てくる」

 それに、少しだけ気になることも、あるし。

 そういうわけで、しばらく、店内をそれぞれにさまようことになった。

 まずは、先ほどから目をつけていた、バスキューブを籠に入れる。かなり悩んだけれど、珍しいアヤメに決めてしまう。それに、花びらの形のペタルソープ。こちらはローズで、淡いピンクやイエローがいかにも可愛い。最後に、フェイスタオルの色でさんざん悩んでから、結局手触り重視の、柔らかな白になった。

 こんな感じかな、と納得したところで、次のターゲットに向かう。と、目指す棚の前で、倉岡さんが商品を両手にして、何か悩んでいた。

 「倉岡さん、どうしたの?」

 「え?ああ、どっちだったのか、分かんねえんだ」

 「……石鹸?」

 近付いて見せてもらうと、左手のものはレモンイエロー、右手はシトロンイエロー、とラベルが貼られている。どちらも手のひらほどの大きさの、どこかゼリーのような質感のキューブソープで、うっすらと透けているのが綺麗だ。

 「前に佐伯から貰ったって、さっき言ってただろ」

 「あ、これなんだ」

 「結構匂いが気に入ってたんだけどな。買おうかと思ったら、区別がつかなくて」

 試しに見せてもらうと、確かに難しい。濃淡の差はあるのだけれど、よく見ないと分からないくらいだ。けれど、

 「もしかしたら、分かるかな……」

 そう思って、まずはレモンイエローから、深々と香りを吸い込んでみる。

 爽やかな香りだけれど、違う気がして、次のシトラスイエローを同じようにしてみると、

 「あ、これ。こっちだと思う」

 「……なんで分かるんだ?」

 「前に、ジャケットから、同じ香りがしたから」

 元はなんなんだろう、ってずっと気になっていたから、そのせいで分かったのかもしれない。それに、とても好きな香りだから。

 と、仕事帰りだから、倉岡さんがスーツのまま来ていることに、ふと思い立つ。

 今日も、同じ香り、するかも。

 建物の中は暖かくて、コートの前を開けているから、確かめようと胸元に身を寄せると、

 「ちょっ、待て!」

 「え?」

 直前で、肩を掴まれて、止められてしまって。

 見上げると、倉岡さんが何故か、頬を少し赤くしていて。

 「あのなあ……お前、こっちの都合も考えろ」

 「……ごめんなさい」

 よくよく考えたら、いきなり衣服の匂いを、などというのは、かなり非常識だ。

 衝動的に過ぎてしまった、と、うなだれた私の肩から離された手が、そのまま頭の上に置かれて。

 「……だから、時々、心臓に悪いんだよ」

 呟くように低く零された言葉の意味を、しばらく考えてしまって。

 ようやく思い当たった気がして、顔を上げようとすると、

 「はーい、そこのラブラブカップルー、店内でのいちゃつきは超ご遠慮くださーい」

 どこからか届いた、アナウンスめいた佐伯さんの声に、二人揃ってびくりとして、首を巡らせる。それでも姿が見えないので、どこだろう、と何気なく後ろの棚を見ると、

 「こっちこっちー。この棚透明度すごいねー、めっちゃ見放題」

 わざわざ棚の商品を一部脇に寄せて、アクリル板を透かして、こちらに手を振っている佐伯さんがいた。

 「お前、何手の込んだ真似してんだ!さっさと元に戻しとけ!」

 「うん、とりあえず目的は達成したからそうするー」

 声を荒げた倉岡さんに、あっさりとそう返してくると、まるでカーテンを引くように、タオルなどを素早く寄せてしまうと、ちゃんと棚を回ってきて。

 「まあでも、あえて『バ』を付けなかっただけ親切ってもんじゃん?」

 「大してダメージは変わらねえだろ……」

 にこやかにそう言ってのけた佐伯さんに、倉岡さんはげんなりしたように息を吐いた。



 それから、上村さんのお返しに、佐伯さんの評価(全然オッケー!)を貰って。

 バスバブルは、思い切って気になっていたキャラメルミルクとロッククリスタルにして、凄い意味で楽しみー、と言いながら受け取ってもらって。

 店を出て、お茶を飲みに行こう、となったところで、倉岡さんが私の肩に軽く触れた。

 「悪い、ちょっとATMに寄ってくる」

 「ん。いってらっしゃい」

 手を振って見送ると、佐伯さんと二人で、邪魔にならないように通路の脇に避ける。

 人の行き交う広い通路を挟んで向かい、何台も立ち並ぶそれらには、年末が近いせいもあるのか、結構人が並んでいる。時間がかかるかな、と思いながらその様子を見ていると、

 「そういや、歌ちゃん。お返しのお礼に、ちょっといいものあげようか」

 「え、それはだめ。だって、お返しラリーになるし」

 慌てて私がそう言うと、佐伯さんは口角を吊り上げて、悪戯っぽく笑った。

 「大丈夫だって。それに、コスト0だけどレア度高いよー?」

 「……そう言われると、気になる」

 「でしょー。はい、ほらこの通り」

 そう言って、いつの間にか手にしていたスマホを見せてもらって。

 そこに表示されている画像を見て、私は目を見開いた。

 多分、更衣室かどこかだろうか。開いたロッカーに向かって、おそらく帰り支度をしている倉岡さんが、贈ったマフラーを巻いてくれている、その一瞬が捉えられていて。

 「……使ってくれてるんだ」

 「うん、マジ律儀に行き帰りきちーんと。あ、ちなみにアップバージョンもあるよー」

 佐伯さんの指先が滑ると、画像が切り替わる。今度は、間近でマフラー姿を撮られて、やめろ、と言うように眉を寄せている。なんだか、凄く、らしいというか。

 「他に何枚か撮っといたから、まとめて送るよ」

 「有難う。えっと、じゃあ、アドレス……あれ、どうやって交換するんだっけ」

 スマホとの交換の仕方がとっさに分からなくて焦っていると、佐伯さんが助けてくれて、なんとか無事に完了する。……そういえば、倉岡さんも兄の分も、手で入力したんだった。

 「こら、お前ら、何勝手にトレードしてんだ」

 と、不機嫌そうな声とともに、戻ってきた倉岡さんが、ひょい、とスマホを取り上げてしまった。画面を見るなり、顔をしかめて佐伯さんを睨むと、

 「この間からやけに撮られると思ったら、やっぱりか」

 「えー、いいじゃんそんくらい。それに、彼女に待ち受けにしてもらうのは基本でしょ」

 そんなことをさらっと言われてしまって、条件反射のように赤くなってしまう。

 すると、倉岡さんは、私を見下ろして、しばらく黙ったまま何か考え込んでいたけれど、

 「……欲しいのか?」

 向けられたその言葉に、思わず顔を上げると、何度も頷いてしまって。

 隣で、佐伯さんが思い切り吹き出すと、

 「あーもう、なにその犬みたいな反応ー。倉岡、さっさと送ったげてよー」

 「……仕方ねえな。けど、お前も無断で撮るなよ」

 「えー、じゃあ、自撮りする?」

 「絶対にやらん!」

 そんなやりとりをしながらも、代わりに倉岡さんが操作して、ちゃんと画像を送ってくれた。さっそく中身を確認してみると、普段は見ることのできない、職場での倉岡さんが(さすがに仕事中はないけれど)たくさん詰まっていて、不思議な感覚にとらわれる。

 「……なんだか、職場見学してみたい」

 つい、ぽろりと、そんな感想が唇から零れてしまって。

 「あ、それ面白そう。総務に掛け合って臨時パス出してもらおうかー」

 「でも、邪魔になるから、真面目にアルバイトとか募集してないかな」

 「……真剣に検討すんのはやめてくれ、頼むから」

 具体的な話に突入しそうになった佐伯さんと私に、倉岡さんは深々とため息を吐いた。



 その後、焼き立てワッフルの店で、三人で熱々を堪能して。

 別れ際に、佐伯さんに香りの答え合わせをしてみたら、見事に正解だった。

 ……あのソープ、今度内緒で買いに来よう。

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