同僚
高校時代のバイトからずっとこの仕事をやってきたから、裏方もレジも仕入れもこなし、いわば下積み期間が相当あることは間違いないし、その間に対人スキルも身に付けられ、なんとか無事に就職してからも、これといって戸惑うことはなかった。
本社にも、かつての上司や先輩がそれなりの役付きとしているし、年に数度の店長会議にも、随分と慣れてきた。……主に適当な店長のフォロー役、という意味で。
だけど、いわゆる企画系のアイディアをひねりだすのは、正直言って、大の苦手だ。
「副店長ー、眉間のしわ眉間のしわー。あんまり寄せてると取れなくなりますよー」
高めの声とともに、いつの間にか寄せていたらしいそれを目がけて、つつかんばかりに細い(さらに言うと短い)指先がずい、と近付いてくる。
それを、手にした資料ですかさずブロックしてしまうと、俺は麻野をじろりと睨んだ。
「邪魔するだけなら帰っていいから。それに、もう飯も食っただろ」
「いやーでもー、奢ってもらって何の立案もしないで帰るのは気が引けますからー」
「……それなら、何か浮かんだの?」
いささかならず嫌味を込めてそう尋ねると、麻野はうーん、と何やら考える様子だったが、いきなり鞄からスマホを取り出したかと思うと、素早く指を走らせて、
「とり急ぎ、可愛いものを見ると心がなごむと思いますよー!」
賑やかな擬音がついてきそうな、どこかおもちゃのような動きで、何か動くものが表示された液晶を俺に向けてきた。……結局、それは何にも浮かんでないってことだろ。
仕事も常の如く大過なく終わり、モールを出たすぐ傍にあるファミレスに、俺と麻野は晩飯を食べに来ていた。もう一人のパートさんは、まだ小学生の子供がいる女性なので、早々に帰ってもらったから、だいたいこのパターンで週に何度かは一緒になる。そして、流れで、たびたび奢ることになるのも。
一応、一番多くシフトに入って貰っている礼の意味もあるのだが、それはともかく。
「また犬ブログ?……しかも、新しい動画だし」
画面の中央では、黒っぽい毛玉のような子犬が、細い手が持つ赤いリボンを必死に追いかけている。手首がひるがえるたびに、跳ねるように飛ぶように素早く反応している姿は、まるでネジ巻きで動くぬいぐるみだ。
ぬいぐるみ、と考えたところで、ふっと頭の片隅に何かが過ぎる。それを逃すまいと、俺は勢いのままに問いを投げた。
「麻野、ぬいぐるみ、ってペアで持つものだと思うか?」
「ぬいぐるみですか?んー、あんまりでっかくないものなら持つかもしれませんねー」
これこのように、と言いながら、麻野が示して来たのは、キャンバス地のトートバッグだった。アイボリーをベースに、控えめな鮮やかさの赤とオレンジの蔓草めいた模様が、底の部分から、持ち手に絡まるように伸びている。
その蔓の先端あたりについているのが、小さなかたつむりのぬいぐるみだった。何か、ブローチのようになっているのだが、
「……あんまり、可愛くはないな」
「失礼な!わたしにとっては非常に愛らしい生き物なんですよ!」
子供のように唇を尖らせて、麻野はそれをつついてみせた。元々好きなものらしいが、それが高じてどうやら大学での研究対象にする予定、だそうだ。
……しかし、いったいこれをどう展開させるのやら。
ともかく、デフォルメではなくほぼ生体をそのまま写し取ったような姿(フィギュアに近いクオリティ)のそれは、ひとまず置いておいて、
「サイズ的には、まあこんなもんか……別にメインでなくてもいいわけだしな」
今回、本社から飛んできた募集企画のテーマは、ずばり『クリスマスのペア商品』だ。
企画書を、面倒なことに店舗ごとに最低一点はあげなければならず、今月末がその提出期限で、そこから選考、試作、さらにブラッシュアップを経て商品化の上店舗へ、という流れになるから、スケジュールとしては結構ぎりぎりのところだ。
「ブローチの形は、ちょっと場所を選びますよねー。針で穴開いちゃいますし」
「どこかに付けるものより、普通に置くタイプの方がいいかもな。ま、それはおいおい考えるとして」
珍しく意見を出してきた麻野にそう応じると、俺は脇に置いていた自分のスマホを取り上げて、ブラウザを開くと、ブックマークから当該のブログに飛んだ。
それは、深山さんの兄が運営しているという、『おはぎ』のブログだ。見るなりああ、とネーミングに納得するほどの、黒っぽい毛色の雑種の犬が、所狭しと載せられている。
そこからリンクを辿り、今度は『きなこ』(同じく薄茶色の雑種の子犬)のブログに移って、しばらく画像を見てから、俺は呟いた。
「犬と、猫……ペットとしてもポピュラーだし、やっぱりこのあたりかな」
「あ、企画、本気でぬいぐるみにするんですか?」
「ああ。けど、ただのぬいぐるみじゃペアにする意味がないしね……何か繋がりを作らないと」
「ちなみに、ペア、って恋人とかそういうイメージですかねー」
「いや、もちろん時期的に想定はしてあるだろうけど、明記はされてない」
質問にそう答えると、麻野はふむ、と小首を傾げていたが、やがてうん、と頷いて、
「手をつなぐ、肩を組む、とか……あ、あと、腕を組む、もいいかなあ」
「ぬいぐるみにそうさせる、ってこと?」
「そうですそうです。副店長、つながり、って言ったでしょ」
「……なるほど」
俺はそう呟くと、いつも持ち歩いている手帳を鞄から取り出して、余白のあるページを探した。どうにか空いたスペースに、浮かんだイメージをざっと列記する。
「繋ぐ、を表現するのは結構そのままだと難しいな。スナップ、ボタン……あまり硬い素材を入れるよりは、なしで作る方がいいか」
「確かに、ボタンだと肩組みとか腕組みには向きませんねー」
「なら、ワイヤーだ。中に仕込んで、ある程度自在に曲げられるものにして……」
言いながら、ほんの落書き程度に簡単な図を書いていった。犬、立ち耳と垂れ耳。猫、短毛と長毛。直立型にして、足はそのまま垂らす感じで。
「それで、こう腕だけで繋いでいく形で……」
「おおー、たくさん並べるとなんかラインダンスっぽいですねー!」
「別に踊らせるつもりはないけどね。よし、こんなもんか」
思い切るようにそう言うと、俺は手帳をぴしゃりと閉じた。思いのほか鋭く響いたその音に、麻野は顔を向けてくると、
「ん、もうお帰りですか?」
「こんな時間だしな。あとは帰ってからどうとでもするよ」
腕の時計を見ながらそう応じると、俺は伝票を取って席を立った。
どうにか発案さえ出来れば、あとはそれらしく文言を整えて、纏めていくだけのことだ。それにどのみち、この案がすんなりと採用される、などとは端から思っていないし。だが、
「今回も助かった。有難う」
ひとまずの感謝を込めて、俺は麻野に礼を告げた。
こうやって、麻野とあれこれと喋っているうちに、思考が良く纏まる、ということが多々ある。そのおかげで、日々の業務の改善点が浮き上がって来たり、お客様への対応などの向上に繋がることがあるから、なかなかあなどれない。
そして、そう言われた方はと言えば、見る間にへらっ、と相好を崩して、
「へへー、どういたしましてですよ!その代わり、企画書にはわたしの名前もちゃんと入れておいてくださいねー」
「これ、店舗単位での企画書だぞ……まあ、店長には言ってみるけど」
「やったー!あ、それとですね副店長、ペア的な意味では、歌ちゃんにも聞いてみるといいかもしれませんよー」
「深山さんに?なんでまた」
ぬいぐるみも作ったことがある、とは聞いているから、そのあたりのことだろうか。
そんなことを考えつつ、レジで支払いを終えた俺の隣を、やけに忙しなく足を動かして歩きながら、麻野は胸を張ってみせると、
「それはですねー、ちゃんと彼女はお付き合いしている方がいるからですよ!わたしや副店長だと、所詮ひとり者の悲哀というか発想というかー」
……ちょっと評価を上げたかと思えば、こいつは。
悪気なく(ある、にしては馬鹿正直すぎる態度だ)、人のコンプレックスを的確に抉ってくるわりに、どうやら同士めいた気分でいるようで。
だから、こうして長く一緒にいたところで、肩が凝ることもまるでないわけだけれど。
「麻野、さっさと大学で相手探した方がいいな。俺みたいになる前に」
「探して見つかるものなら苦労はしませんよー!それにですね、今はわたし、バイトが一番楽しいから、彼氏とかはあとまわしでもまったくもって困らないです!」
「……せめて、そこは勉学が一番、とかにしておけよ。親が泣くぞ」
そう言いながらも、自分の職場を『一番』と言って貰えるのは、やはり気分が良くて。
まあ、いささか寂しい私生活はともかく、同僚にはそこそこ恵まれているんじゃないか、などとふっと思う。と、
「あ、そうだ。やはりここは店長にバツイチ的視点の意見も聞いてみるべきですかねー」
……前言、さっそく撤回させる気か。
俺はともかく、あの人の場合は結構シャレになってないぞ。
無言で眉を寄せた俺を見上げてくると、麻野はおかしそうに笑って。
また短い指先で自身の眉間を指しては、しわ固定ー、と連呼してくる姿に、とりあえず俺は苦笑を返した。
翌日、麻野に言われた通り、深山さんに企画の件をさらっと話してみた。
すると、瞳を輝かせた彼女は、瞬く間にいくつかのサンプルを作って持ってきてくれて、店長と相談の結果、本社の許可を得て、企画書とともに提出することになったわけだが。
……ある意味、麻野の読みは当たってた、ってことでいいんだろうか。まさか、な。
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