夏の花・3
兄は、血縁であるだけに、他人では言いにくいことを、容赦なく指摘してくる。
そして、嫌なことに把握され過ぎの身内視点、プラスとっくに成人した男としての視点まで加味されてくるから、正直うっとうしいほど正しいことがあって、さらに腹が立つ。
だから、時々こうやって反撃、さらに実力行使に出るわけで。
「あーもう、うっざ!準備出来たんなら勝手に行けばいいでしょ!」
「えー、お前も行けばいーじゃーん。せっかく二対二で用意してやったのにー」
寝転がっていたソファから起き上がりざま、鋭く振り抜いた足を、わずかに身を引いてかわした兄は、一向堪えた様子もなく、へらへらと言い返してきた。
その気楽な表情を崩してやりたくて、思うさま頬を引っ張ってやろうかと思ったけど、なんとなく嫌な予感がして、とりあえず正面から睨み返すと、
「余計なお世話過ぎ!だいたいあたしは薫に紹介しろって言ったんであって、こっちを巻き込むとか、お兄、マジで、馬鹿」
「うっわー断定されたー。だってー、売れ残り二人が両方とも引かねえんだもん、なら、お前が行けば丁度いいじゃん?」
「バランスだけ取りたいんならよそで調達して。とにかく、絶対行かないし」
兄がしつこく言ってくるのは、今夜の織江川花火大会のことだ。薫に誰かまともな人を紹介できないか、と言ってみたら、あっと言う間にセッティングしてきたのはまあいい。
でも、姉妹で合コンめいた場に行くなんて冗談じゃない。薫のことは大事だけど、色恋沙汰までずかずか立ち入るような真似とか、絶対にごめんだし。
それに、こっちにだって、色々とあるんだから。
吐き捨てるようにそう言ってやると、見もせずにつけっ放しにしていたテレビを消して、さっさとリビングを出ようと背を向ける。と、
「ま、いいけど。お前も一応、身ぎれいにだけはしといた方がいんじゃね?」
「……なんでそんなことしなきゃいけないのよ」
妙に含んだような台詞に、思わず振り向くと、兄は手にしたスマホに目を落としていて。
こっちのことなんかもうどうでもいいように、何やらしばらく操作していたかと思うと、
「よっし、完了ー。んじゃ俺もう出るし、ちゃんと戸締りだけしとけよー」
「は?お兄、薫と一緒なんじゃないの?」
「いんや。だいたいあいつとっくに出かけたし」
「……じゃあ、なんであたしに行けとか寝言抜かしてたわけ」
あっさりと返ってきたその言葉に、あたしは声を低めた。
何なの、今日に限って。わざとらしく事を荒立てるような真似とかして、めんどくさい。
だけど、それには答えず、兄はにっ、と満面の笑みを向けてくると、
「こっちは深山家にお呼ばれされてるから、それなりに遅くなるんで」
深山家、というと、確かお兄の同期の彼女……でよかったっけ。
どういう縁かは知らないけれど、何故かそこの家族ぐるみで付き合いがあるらしくて、同期の人とセットで、しょっちゅう話に出て来る。のはいいけど、
「どうでもいいけど、人の彼女と仲良くなるより、マジ自分をなんとかしろって感じ」
「俺はいいの、もう運命の相手が目の前に転がってくるまでほっとくからー」
やる気のない台詞に、あたしが反射的に眉を跳ねあげると、兄はすっと口角を上げて。
こっちがぎくりとするような、あからさまに嫌な笑みを向けてくると、
「それに、転がってきてるのにあえて見逃すような奴にそう言われるとか、超心外ー」
神経を逆なでするように、狙った口調でそう言ってくるのに、半端なく苛立ちが募る。
煽る気なんだったら受けて立ってやる、と口を開きかけた時、兄のスマホから着信音が響いた。……電話か、やなタイミングで。
「はい佐伯ー……ああ、そっか多分部屋だわ、いつも通り。……はい了解、言っとくしそんじゃー、うん、後頼んどく」
電話に出た兄は、流れるように応答を終えてしまうと、あたしに視線を向けてきて。
「紫、携帯チェックしてこい」
珍しく、笑いもせず、酷く真面目な口調で告げてきたのに、少しひるむ。
こちらの顔が強張ったのが見て取れたんだろう、兄はちょっと表情を緩めると、すっと手を伸ばしてきて。
そのまま、人差し指を曲げると、いきなり渾身のデコピンをお見舞いしてきた。
「った……!」
相当本気で繰り出されたそれに、それしか言えずに額を押さえて、しゃがみ込む。
確実に赤くなっていそうな衝撃に、目の端に涙がにじむのが、またむかつくし。
すると、兄は小さく笑い声を上げて、
「さっさと行ってこいよー。焦らしプレイだって長引けば待ってくれないしー?」
そう言い捨てるなり、後も見ずにさっさとリビングを出ていってしまった。
すぐ後に、玄関の方から扉の閉まる音と、施錠する音が続けて耳に届いて、ようやっと我に返ると、言われたことを反芻する。
のろのろと、膝を伸ばして立ち上がると、あたしは二階へと向かった。階段を上がってすぐ、薫と共用にしている部屋の扉を開けると、自分のベッドに近付く。
と、枕元に放っておいた、携帯が光を放っていて。
「……やっぱ、あいつなんじゃん」
来ても来なくても嫌だから、見ないようにしてたのに、なんで。
折り畳みのそれを開けるなり、目に飛び込んできた名前に、あたしはメールを開いた。
From:潤平
Title:前から言ってた
花火大会、行けるようになった。
今日は、店長に頼み込んだし、確実に
六時で返してもらえるから。
前の、予定潰れた分、埋め合わせる。
どうしても無理だったら、返事頼む。
兄の言動から、ある程度の予想はしていたとはいえ、実際に目にすると動揺が走る。
しばらく考えてから、余計なことは一切まじえないと決めて、返事を打った。
To:潤平
Re:そう。
無理じゃないけど、あたしだけになるよ。
もう聞いてるだろうけど、お兄も薫も別口で
行っちゃったし、両親も仕事だから。
それでもいいんなら、待っててやるけど。
我ながら可愛くない、と自覚している文面を一瞥してから、送信する。
返事が来るまでの間、今更のようにベッドに腰を下ろして、液晶をじっと見つめる。
仕事中だから、そんなに早くは返ってこないはずだし、そんなことしても意味ないのに。
と、ほとんど間を置かずに光を放った画面に、あたしは驚きながらもすぐに反応した。
From:潤平
Re2:分かった。
そっちの家に、六時半。
多分、それ以上遅くはならんと思う。
和巳さんが心配するから、鍵掛けとけよ。
また着く前に連絡する。
普段話す口調そのままの、淡々とした文面を、馬鹿みたいに何度も読み返す。
そうしながら、兄の言った言葉が不意にぐさりと刺さった気がして、唇を結んだ。
別に焦らしてるとか、そんなんじゃなくて。
ただ単に、望んだ答えは絶対貰えない気がして、勝手に竦んでるだけなのに。
でも、確かにこのままじゃ不毛だから、と思い切って、あたしは立ち上がった。
浴衣とかはさすがに、今からじゃ用意も出来ないけど。
せめて、気合い入れて綺麗にして、迎え撃つ覚悟でいなきゃ、落ち着かない。
この間買ったワンピースとミュールにしよう、とクローゼットに向かいかけた時、また携帯が音を鳴らした。
「……潤平?」
もしかして駄目になったんじゃ、と考えてしまって、開けるのを躊躇する。
でも、そんなのいつものことだし、と自分に言い聞かせて、またメールを開いた。
From:潤平
Re3:
店長が時間休くれた
今から帰る
すぐ行くから泣くな
「……なにこれ」
しかも、慌ててたのか、タイトル空白だし。
加えて、最後の一文が、まるで意味が分からなくて混乱していると、再び画面が光って。
「もう、なに、今度はお兄!?」
From:和巳兄
Title:じゅんぺーから
メール来た?
まあ、来ないわけないだろうけどー。
いい加減、ケリつけろよ。
ガキの頃から何年やってんの、お前ら。
ちなみにこれ送っといたからー。
メールに結構容量の大きい添付ファイルが付いているのを見て、さっと嫌な予感が走る。
しかも、どう見ても拡張子は動画であることを示していて。
絶対ろくでもない、と思いながら開いてみて、すぐにそれを確信する羽目になった。
……お兄、帰ってきたら無事に済むと思わないでよ。
さっきの、しゃがみ込んで涙目になっていた情けない姿を、鮮明に撮られていて。
短いとはいえ、潤平を慌てさせるには、十分過ぎるほどなのは間違いなくて。
でも、どうしよう、返事。
『心配しなくていい』って言っても余計に心配させそうだし、それに、出かける用意もちゃんとしないといけないのに、あいつ帰ってくるの、三十分くらいしかかからないし。
「ああ、もう!とにかく服!」
多分、どれだけ顔作ったって、薫並みに化粧崩れそうな予感は、するけど。
あんたのために綺麗にしたんだから、って、分かってもらいたいから。
クローゼットから引っ張り出したワンピースを手に、姿見の前に立ちながら、あたしは自分の瞳を真っ直ぐに見返して、挑むように顎を上げてみせた。
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