編み物
どうにか十一月中に、試験用の作品が完成して。
それから、母と上村さん、小松先生のチェックを、なんとか一通り通過してしまうと、ちょっとした空隙が出来てしまった。
それで、久々に編み物に手を出したのだが、
「おはぎ、お座り」
そう言うと、まさしくきちん、という感じで座って、私を見上げてくる様子に、自然と笑みが零れる。続いて、そのままじっとしてて、と声を掛けつつ携帯を構え、正面からのアングルで撮ってしまうと、
「おはぎ、立って」
今度は、すっくと身を起こした姿を斜め後方から撮る。最後に、立ち姿のまま、全身を一枚撮ってから、よし、と言って緊張を解くと、尻尾を振っているおはぎの頭を撫でる。
「……うん、なかなか、可愛く出来た」
画像の出来栄えを確認して、私は呟いた。我ながら、本当に自画自賛だ。
撮ったのは、おはぎに作った毛糸のベストだ。元々、今年の冬は私が作ることになっていたのだけれど、受験だから落ち着いてからでいい、と母に言われていた。
ちなみに、去年は母が編んだ、紺と白のボーダーに、小さな雪だるまのワンポイント。
今年は暖かそうな色がいい、ということになって、赤をベースに、首元や裾周りに白の雪柄を配してみた。耳が出せるフードもつけて、なんだかサンタっぽい感じがする。
今日の夜、どれを倉岡さんに送ろうかな、と考えていると、玄関の扉が開く音が響いて、おはぎと揃って顔を向ける。と、
「たっだいまー。今日は勝ったぞー」
「おかえり。おめでとう」
そう答えると同時に、野球のユニフォーム姿の兄が、リビングに入ってきた。
白地に藍の刺繍で綺麗にネームの入ったそれは、町内会の草野球チームのものだ。
本当は父が入っていたのだけれど、単身赴任中は兄が代理で加入している。若手が入って戦力増強、とはお隣の乾さんの弁だけれど、勝率はそんなに上がっていない、らしい。
「おー、もう出来たのか。おはぎ、今年のも可愛いなー」
「うん、赤もよく似合う。あと、緑の地のも作ろうかなって考えてたところ」
両腕でひょい、という感じでおはぎを抱き上げていた兄は、高い高いをするようにしてから、そっと彼女を床に下ろすと、まじまじと全身を見つめて、
「それもクリスマスっぽくていいかもしれないなー。でも、歌、おはぎのもいいけどさ、なんか自分のものでも作ったらいいのに」
「自分のは、去年までに結構作ったから」
今年は、ほぼ縫製と刺繍に一年を費やしたけれど、去年は編み物にはまっていたから、ミトンとセーターは作ったし、マフラーは祖母の分を含め、家族全員分を編んでしまった。
期末試験も、結果はどうあれもう終わってしまったから、息抜き、ということもあるのだけれど、最終目標、次の専門学校の試験への緊張を紛らわせるには、やはり何かをしているのがいい。だから、いっそのこと、ブランケットなどの大物にチャレンジしようか、と考えていたところなのだが。
そう言うと、兄はそっか、と少し考えていたようだったが、何かふと思いついたように笑うと、
「じゃあ、倉岡さんに何か作ってあげたら?色々お世話になってるんだしさ」
さらりと言われて、私は思わず言葉に詰まってしまった。
そのことは、全く考えなかったわけではない。この間のことのお礼もしたい、とずっと思っていたから。だけれど、
「……迷惑に、ならないかな」
家族に贈るのと、そうではない相手に贈るのは、やはり重みが違う、という気がする。
もちろん、作るのだったら、使って貰えるに足るものを、というつもりではあるけれど。
そう言うと、兄は屈みこんでおはぎを撫でながら、軽く首を傾げると、
「俺が言うのも変だけど、大丈夫なんじゃないかなー。なんか、人がいいからさ」
「……うん」
きっと、思いがけないことに戸惑ったりはしても、嫌な顔はしない、とは思う。
そう思いはしても、ぐるぐるとまとまりなく巡る思いを持て余していると、テーブルの上に置いてあった携帯が、ふいに赤い光を放った。
「あ、里沙だ」
着信音の他に、イルミネーションの設定も個別に出来るので、色で分かるようになっているのだ。その機能に気付いたのは、本当に最近だけれど。
すぐ傍にいた兄が携帯を取り上げると、私に手渡してくれた。
礼を言って受け取ると、すぐにメールを開く。
「あ、模試、終わったんだ」
From:宇佐美里沙
Title:しゅーりょー!
なんとか今日も終わったよー。
出来はまあまあ、ってとこかな。
相変わらず、理系はぜんっぜん自信ないけど。
そんで、さっき家から連絡あってさ、
うちの親、二人ともサークルに出かけるんだって。
だから、この後フリーになったんだけど、歌、
どっか遊びに行かない?
ちなみに、今は芦萱駅にいるよ。電車待ち。
「里沙ちゃん、なんて?」
「うん、午後から予定が空いたから、遊びに行かないかって」
今日は、土曜日。元々編み物のプランを立てる予定だったから、私も特に予定は入っていない。だから、行く、と返事を返そうとしたけれど、
「あ、それなら俺も行きたい。本屋に行くからついでに甘いもの食べに行こうと思ってたんだけど、一人じゃ寂しいからさー」
もれなく車で送迎サービス付きって言っといてー、と言い置いて、兄は奥のお風呂場へと向かってしまった。
その背中を見送ってから、私は簡単にメールを打った。里沙は、文化祭以来、すっかり兄とメル友になっているから、甘いものとセットであれば、なおさら行きたがるはずだ。
「これで、よし」
送信ボタンを押してしまうと、軽く息をつく。
まだ、お世辞にもメールを打つのには慣れているとは言えず、いささか時間が掛かってしまう。芦萱駅から法坂駅までは、間に五つの駅を挟んでいるから、返事が間に合わないということはないと思うのだが、ちゃんと返信が来るまでは、少しだけ心配だ。
と、ふと思い立って、私はおはぎに声を掛けると、二階の自室へと向かった。
階段の途中で、駆け上ってきた彼女に追い越されながらも部屋に入ると、机の横にある本棚を、しばらくじっと見つめる。
やがて、心を決めて一冊を手に取ると、そのままベッドに腰を下ろしてめくりはじめる。
昔、母から譲ってもらった、初心者向けのニットの本だ。
「確か、このへん……あ、あった」
何度も見ていたせいなのか、癖がついていたようで、その頁はあっさりと見つかった。
それは、アラン模様の、シンプルなマフラーだった。
房飾りなどもなくて、普段使いにも良さそうで、それに、なにより似合いそうだな、と、以前に、一目見て思ってしまったのだ。
少し手間は掛かるけれど、さほど毛糸も使わないし、クリスマスプレゼントにするなら、風邪でも引いてしまわない限り、多分、間に合わせられる。
職場で、喉、乾燥するって言ってたから。
冷やさないようにって、理由付けにはなるかな……
何やら言い訳めいた考えに、少しだけ揺らぎながらも、私は必要な材料を確認しながら、携帯のメモに落としていった。
それから、了解の返事をくれた里沙が、うちの最寄駅まで来てくれて。
おはぎと迎えに行っている間に着替えた兄が、宣言通りに車を出してくれて、三人で、郊外の大きなショッピングモールに出かけることになった。
「あ、カートにわんこ乗っけてるー。おはぎも連れて来れば良かったのにー」
駐車場からモールへの入口に向かう途中、ふと足を止めた里沙が声を上げた。
その視線の先を追うと、ミニチュアピンシャーを乗せた白髪の女性が、専用のカートを押しているのが見て取れた。それはもう、ちょこんとしていて、とても可愛いのだが、
「おはぎ、カート凄く苦手なの」
「そうなんだよなー。一度乗せてみたことがあったけど、『降りる!もう嫌!』みたいに珍しくじたばたしてさー」
結局、その後はずっと私が抱っこしたまま、売り場を回ることになったのだ。その頃はまだ生後七か月くらいだったから出来たけれど、今ではちょっと難しい。
「そっか、それでお留守番なんだ。よっし、帰りに犬用おやつ買って行ってあげよう」
「あ、それはおはぎ喜ぶよー。じゃあ、買い物の順番、どう行こうか」
そんなことを話しながら歩いている間に、丁度入口にあるフロアマップの前に辿り着いたので、三人並んでじっと見上げる。
「えーと、目的地、お兄さんは本屋だから三階、歌は手芸専門店だから四階だよね」
「うん。里沙は何か用事、ないの?」
「それが、特にこれ、ってわけじゃなかったんだよねー。ゆっくりお茶して試験疲れを癒そうかなー、って感じだったから」
「ああ、だったら、俺は本屋に行くからさ、二人で毛糸買いに行っておいでよ」
相談の結果、それぞれの用件が済んだらメールで連絡の上集合、その後皆で甘いもの(高津園の新作の、ほうじ茶チーズケーキ)ということになった。
最後に、一階のペットショップで子犬や子猫を見て、おはぎのおやつを買えば、完璧だ。
方針が決まったところで、揃って緩やかな速度のエスカレーターで、のんびりと上っていきながら、店内のあちこちに飾られた、可愛いリースやオーナメントを眺める。
「なんかもう雰囲気からして師走だー、って感じだよね」
「そうだなー、そろそろ柚子湯と年越し蕎麦、手配しとかなきゃ。あ、お歳暮もだ」
「兄さん、お蕎麦、できたら去年のところのがいい。ニシン、美味しかった」
何気なく零された言葉に、兄と私がそれぞれに答えると、里沙は細い眉を跳ね上げた。
「いやいや、二人とも色気より食い気過ぎだし!その前にクリスマスっしょ!特に歌、あんたはどうすんの?」
「どうする、って?」
何を問われているのか見当がつかなくて、とりあえずそう尋ねると、眉を寄せた里沙は、すかさず後ろに立っていた兄を振り返った。
「マジで聞いてますよね。お兄さん、この子、本気でどうしてくれましょうか」
「うーん、とりあえず三階に着いちゃったから、ひとまず里沙ちゃんに一任しとくー」
「え、いいんですか?思いっきりけしかけるかもしれないですよ?」
「あんまり暴走しないようにねー。それじゃ行ってきまーす」
にこやかに兄はそう答えると、背中越しにひらひらと手を振りながら、書店のフロアに向かって歩みを進めていった。それを見送って、三階の踊り場で足を止めていた里沙は、傍で待っていた私に向き直ると、
「なんかさあ、お兄さんとあんたって、似てないようで似てる気がする」
「……そうかな」
しみじみと言われて、どういうところだろう、と思いはしたけれど、この様子では深く聞かない方がいいような気がしたので、それ以上の追及は止めておいた。
それから四階へと上がって、通い慣れたフロアを左手に折れると、すぐに目当ての店に辿り着いた。この階の面積のうちおよそ四分の一ほどを占めている店舗を、物珍しそうに見渡しながら、里沙は感心したように声を上げた。
「すっごいねー。あらためて見ると生地ってでっかいー」
「あ、あっち、里沙の好きなキラキラ系、あるけど」
さまざまな生地が並ぶブースの隣、多種多様な種類が揃うビーズのコーナーを指差して、私がそう言うと、里沙はあっさりと手を振った。
「あー、それは惹かれるけどあとで。今はあんたの買い物が最重要なんだから」
そう言い切ると、遠くに見える『編み物』カテゴリの通路へと足を進める。私とはコンパスがかなり違うので、どんどん歩く里沙に頑張ってついて行く。
今日の里沙の服装は、背の高さに映える赤のロングコートに白のふんわりしたセーター、それからチェックのパンツにショートブーツだ。なんとなく、模試には制服が定番だろうと思っていたので、あえて私服にしている理由を前に尋ねたのだが、
『だって、あたしがセーラー服ってだけでなんかコスプレっぽいじゃん』
と言われて、その場にいた全員が、思わず納得してしまったことがある。
ともかく、ようやく辿り着くと、壁際に備えられた棚や、足元に置かれたセール品の籠まで、ずらりと並んだ毛糸の山を、里沙が呆れたように見上げた。
「うっわ、ここも凄い。色の種類ハンパないし」
「ん。同じ色でも、ちょっとづつ違うから」
それに、単色だけでなく混ぜ色などもあるし、糸の太さや、素材も異なる。化繊はもちろん、ウール、カシミア、アンゴラ、アルパカなど、色々と各種揃っている。
「これだけあるんだったら、先に色決めなきゃ終わらないよね。何色にするの?」
そう聞かれて、私はプラネタリウムの時の、倉岡さんの服装を思い返した。
この間会った時は、深い色合いのネイビーのジャケットと、黒とグレーの薄手のニット、それにダークブルーのジーンズ、という取り合わせだったはずだ。
「暖色はあんまり身に付けないと思うから、寒色か、モノトーンかな……」
「んー、じゃあこのへんのブルーグリーンとかは?」
「いいと思うけど、ちょっとチクチクするかも」
差し出してくれた毛糸を、そっと首元に当ててみてから、私はそう返した。
色はもちろんだけれど、マフラーの毛糸を選ぶ際に最も重要なのは、肌触りだ。ことに敏感な首に巻くのだから、不快感を伴ってはどうしようもない。
というわけで、二人して、『柔らかい』とタグのついているものを狙って、端からそっと触れていった。まるで、一つしかない当たりを求めるかのように、指先で探っていく。
しばらくそうしていると、ふいに、これかな、と思う手触りに触れた。
取り上げて首元に寄せてみると、ふわふわとして痒くもならず、なんとも気持ちいい。
「ん、それいい感じ?」
「いい感じ。触ってみる?」
近付いてきた里沙にそれを渡すと、色々と試してみてから、おもむろに頷いてきた。
「これだね。あとは、色どうする?」
そう言われて、棚を見てみると、同じ商品で色は五色あった。
白、黒、ダークグレー、オリーブグリーン、ブラウン。
しばらく、二人揃ってそれらを眺めていたが、やがて里沙が沈黙を破った。
「なんとなくだけど、白とブラウンはナシかなあ」
「黒も、ちょっと違う気がするから……これか、これ、かな」
二つの毛糸玉を手に取って、じっと見つめながら、どちらがいいかひたすらに見比べる。
すると、ふっと、プラネタリウムから引き戻された時の光を思い出した。
「こっちにする」
「ダークグレー?いいんじゃない、オンでもオフでも使えそうだし」
里沙がそう言ってくれるのに頷くと、四つの毛糸玉を手に取った。このくらいで十分なはずだ。もしかしたら、少し余るかもしれないけれど。
それから、選ぶのに意外と時間が掛かってしまったので、急いで会計を済ませて。
同じ階に設けられた休憩所で、ふかふかしたソファを一列確保してしまうと、買い物がひとまず終わった、と兄にメールを送る。
すぐに『もう少しでそっちに上がる』旨の返事が返ってきたので、里沙にそう伝えると、
「そっか。それで、歌、ほんとにどうすんの?」
「何を?」
「マフラーに決まってるじゃない。あの人にあげるんでしょ」
「うん。出来たら、寮に持って行こうかな、とは思ってるけど」
荷物にして送ることも考えたけれど、それは少し不躾かもなー、と兄に止められたのだ。
そう言うと、里沙は深々とため息をついて、
「あーもう、なんでそういう発想になっちゃうのかなー……一回誘ってもらってデートしたんだから、今度はこっちからクリスマスデートに持ってっちゃえばいいのに」
デート、とずばり言われて、私は目を見開いた。
二人で一緒に出掛けたことが、一応、そうも呼べるということは分かっていても、何かうろたえてしまって、思わず俯いてしまう。
だって、倉岡さんの方は、そんな風に意識していないかもしれないのに。
しばらく私の方をじっと見ていた里沙は、何を思ったのか、腕を伸ばしてくると、よしよしとばかりに髪を撫でてきた。
「ま、誘うかどうかはともかくさ、頑張れー。微力ながら超応援してるから」
「里沙、それ強いのか弱いのか分からない」
「そのへんは雰囲気でー。それと、ちゃんと結果も教えるんだよ?」
思わずそう言った私に、里沙は口角を上げると、悪戯っぽい笑みをひらめかせてきた。
声には出来ず、ただ小さく頷きを返しながら、その肩越しに遠目にもそれと分かる兄の姿を見つけて、立ち上がる。
言葉にするなら、きっともう、ただの二文字で済んでしまう。
でも、それをぶつけてしまうのは、正直なところ、とても怖い。
それでも、心を決める時は、着実に近付いてきている。
胸の奥で育ったものが、静かに開こうとしている気配に、私はそっと目を伏せた。
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