十二月

クローバー

 歌と会った次の週、木曜日。

 シマの大半が支社に出張、という珍しくも静かな状況で、終業時間後、わずかに残った事務仕事を片付けていた時、

 「たっだいまー。あっれー、なにそのちょっと可愛い瓶」

 自席に座っていた俺の肩越しに顔を出した佐伯が、開口一番そう言ってきた。

 「……ハーブキャンディ。貰ったんだよ」

 何種類かは知らないが、オレンジ色の地に、含まれているハーブの細密画がプリントされた蓋に、英字で商品名が書かれたラベルが張られた瓶を、俺はマウスの横に置いた。

 確かに、書類棚とパソコンが鎮座した、味も素っ気もない机の上にあるにしては、明らかにそれは浮いていた。だから、わざわざ引き出しの中にしまっておいたというのに。

 なんで、よりによって出した瞬間に、こいつに見つかるんだ?

 俺は眉を寄せながら、話をそらそうと顔を向ける。佐伯はすかさず瓶を取り上げると、にやにやを隠さない笑みを向けてきた。

 「包装紙まで可愛いじゃーん。これ絶対にお前の趣味じゃないよね」

 白地に蓋と同じ模様がプリントされているそれを見ながら、確信を込めて言ってくるのに、俺は深々と息を吐くと、

 「歌がくれたんだよ」

 「ほー。それで?」

 「それでって、なんだ」

 「会ったんでしょ。なんかなかったの?」

 「……別に」

 仮にあったとしても、こいつにだけは死んでも言うか。

 この前、プラネタリウムの帰り際に、いつの間に買っていたのか、今日のお礼と言って小さな紙袋を渡してきたのだ。上村さんから貰った飴の話を覚えていたらしい。

 貰ったのは、家と職場用の二瓶で、もう一つは蓋がイエローだった。それはともかく、

 「そういや、お前だけ帰ってきたのか?」

 「うん、皆直帰。俺は単に忘れ物したんで戻ってきただけー」

 そう言って、瓶を持ったまま佐伯は自分の席に回ると、引き出しを開けて、ごそごそと探っていたが、やがて目当てのものが見つかったようで、

 「あったー。いやー定期忘れたからひっさびさに切符買ったわー」

 「出先が通勤圏外で良かったな。どうでもいいからさっさとそれ返せ」

 「返すけど、一個もらっていい?もー研修で喋りまくって喉ガッラガラでさー」

 「勝手に食え」

 俺が答えるなり、蓋をひねって飴を取り出しながら、俺にもひとつ投げてくる。空いていた左手で受け取ると、包装紙を剥いて口に放り込んだ。

 正直、妙な味だ。ほんの少しの甘みと、あとは複雑な苦みが大半を占めている。佐伯も似たような感想だったのか、顔をしかめると、

 「びっみょー……歌ちゃん、これ味見して買ったの?」

 「いや。甘くないやつ、で店員に聞いたら勧められたとか言ってたな」

 一応、薬用だとかで、確かに喉の不快感はかなりおさまるから、今の時期には有難い。暖房のせいで湿度は結構下がっているので、昼間は目ざとい部長にもねだられた。

 ちなみに、部長には異様に好評だった。もしかすると、悪食という奴かもしれない。

 「ところでさー、お前もう仕事終わる?」

 「今終わった。なんだ、飯か?」

 ファイルを保存し、シャットダウンの操作をしてしまうと、肩を鳴らす。ほぼ一日中、キーボードを叩いていたから、いい加減凝りもする。

 と、唐突にスマホが着信音を鳴らして、俺は眉を上げた。というのも、メールでなく、電話だったからだ。両親のどちらかか、と思いながら取り上げると、見もせずに出る。

 「はい、倉岡」

 『あ、出ちゃった。ごめんなさい』

 耳に流れ込んできた聞き慣れた声と、その妙な内容に、俺は思わず眉を寄せると、

 「ちょっと待ってろ。移動するから」

 そう言い置いて、席を立って足早に廊下に向かった。フロアは広いとはいえ、まだ俺の他にも残業組はいるし、雑音で邪魔するわけにはいかない。

 佐伯についてくんな、と手を振ってから、外に出た俺はようやく話し始めた。

 「いきなり謝られてもな。用があって掛けてきたんだろ、どうした」

 『メール作るボタンと、電話掛けるボタンを押し間違えたの。慌てて、切れなくて』

 すまなさそうな声で歌が謝るのに、その様子が目に浮かぶようで、俺は苦笑を漏らすと、

 「別に、それなら直接言えばいいだろ。なんかあったのか」

 『うん、試験の服、出来た』

 「ああ、そうか。お疲れ」

 『有難う。なんとか、今月中に出来て良かった』

 「まあ、あんまりギリギリだと落ち着かねえしな。本番は大丈夫そうか?」

 そう尋ねると、一瞬だけ間があったが、すぐに意を決したような声が届いた。

 『なんとか、頑張る。お守り、貰ったし』

 「無駄に緊張しすぎんなよ。けど、一度きりだからな、腹据えてかかれ」

 『分かった』

 それから、来月は学校で何度か面接演習があること、試験の結果発表は十二月十五日ということを聞いて、通話を終える。と、

 「へー、発表、十五日かー」

 背後から掛けられた声にぎくりとして振り向くと、満面の笑みを浮かべた佐伯が立っていた。俺は思わず声を荒げると、

 「お前、どっから来た!出口は閉まってたはずだろ!」

 「庶務がまだ残ってたからー、作業中の会議室通らせてもらってあっちから出てきた」

 そう言って、廊下奥の非常階段に続く扉を指さす。L字型のフロア奥から会議室、さらに廊下を挟んでの別部署(同程度の広さ)を通過してから、やっとたどり着くルートだ。

 「……お前のその無駄な根性、なんか別の用途に使えよ」

 「えー、今就業時間中じゃないしー。そんで、合格したらお祝い、なんかあげんの?」

 その言葉に虚を突かれて、俺は眉を上げると、少し考えて、

 「別に、やるのはいいけどな。正直、何やったらいいのかさっぱり分かんねえ」

 「ええ!?お前、仮にも元カノがいた身でしょうが!なんかあげたことないの?」

 「俺が考える余地なんかなかったんだよ。全部、向こうが指定して来てたから」

 「……それはそれで、いいような悪いような」

 微妙な表情になった佐伯に言われて、少しばかり複雑な気分になりながら、俺は自席に戻ると、手早く片付けて更衣室に向かった。

 その間、俺の後ろをついて回りながら、佐伯は一心にスマホをいじっていたが、

 「あ、あった。倉岡ー、メール送っとくから」

 「は?何の話だ?」

 「俺の後輩が勤めてる店。女子向けアイテムにすげえ強い奴だから、行ってこーい」

 掛け声とともに、ジャケットの内ポケットに放り込んでいたスマホが着信音を鳴らす。

 仕方なくメールを開くと、ホームページへのリンクが貼られているので、飛んでみる。

 「……『コンベルサシオン』?」

 いわゆるセレクトショップというか、要するに小奇麗な雑貨屋らしかった。

 ざっと見た雰囲気としては、この間、歌と一緒に寄った店舗に似ている。ただ、結構な広さと、服やアクセサリーにも力を入れているらしいことが伺えた。

 場所も、別に行くに当たって苦になるようなところでもないが、しかし。

「お前の後輩、なあ……」

「言っとくけど、そいつ俺とぜんっぜん正反対のタイプだからねー」

 ……その言葉に安心していいのか、どうなのか。

 とにかく、そのまま佐伯の変な勢いに押されて、今週末に行くことを、半ば無理矢理に決められてしまった。まあ、元から予定はなかったし、それはいいのだが。


 この間も本とストラップをやったところだし、気を遣わせそうなんだよな……

 あいつ、変なところで律儀だから。


 ふと、あの時、歌が真っ直ぐに見上げて、言ってきた言葉を思い出す。

 まあ、祝いなんだし別に構わないだろう、と、俺は半ば言い訳をするように思い直した。



 そして、翌金曜日は瞬く間に過ぎて、土曜日。

 「……無駄に広いな」

 郊外型の巨大ショッピングモール、という形態も随分見慣れたものの、普段好んで行くかと言われれば、行かない方だ。目的の店に辿り着くまでがまず一苦労だし、何より休日ともなれば、家族連れで溢れかえるから、すぐに購買意欲が萎えてしまう。

 とにかく、移動で無駄に時間を食うのも馬鹿らしい。スマホでマップを表示してから、目的の店へとエスカレーターを上がると、雑貨系のショップが立ち並ぶ一角に出る。

 左右に別れた通路の右手に向かうと、その奥に目指す店がやっと見えてきた。

 『Conversation』とロゴの入ったエプロンを付けた店員がいたので、名前を告げて例の後輩を呼び出してもらった。

 さほど間を置かず、奥から背が高い、というよりはひょろ長い、と言うのが合っているような、やはりエプロン姿の大人しい雰囲気の青年が近付いてくると、俺に一礼してきた。

 「初めまして、栗原くりはらと申します。本日はどうもご来店有難うございます」

 「倉岡です。面倒なことをお願いしてすみません」

 そう言いながら、確かに佐伯とは正反対な印象を受けた。無駄に人懐こい雰囲気を発散しているあいつと比べると、酷く静かで内向的、と見える。

 短く波打つ黒髪にわずかに手をやると、栗原さんは生真面目な表情のまま首を振った。

 「いえ。佐伯からだいたいのお話は聞いておりますので」

 「……だいたい、って、あいつ何を」

 「聞いたそのままなんですが、『同期が、女子高生にアプローチすんのに悩んでるから、お前助けてやってー』と……」

 ……佐伯、週明け、覚えてろよ。

 余計なことを、と思い切り眉を寄せた俺に、栗原さんは苦笑を漏らすと、

 「先輩は、相変わらずみたいですね」

 「多分、五年くらいじゃそうそう性格は変わらないでしょう。特にあいつは」

 俺がそう言うと、心底納得したように栗原さんは頷いてから、ひとまずこちらへ、と、店の奥へと入っていく。と、えらくパステルカラーが並ぶ棚の前で立ち止まると、

 「彼女は高校生、ですよね。例えば、こんな感じのものは、どうですか?」

 そう言って示されたのは、猫や犬や子豚や羊、果てはカエルやトカゲまで多岐にわたるぬいぐるみの山だった。色も種類も顔立ちさえ様々なそれを、少し眩暈のする思いで俺は端から見ていったが、

 「いや、なんとなくこれじゃないって気がします」

 結局、何一つピンとこないまま全て見終わってしまった。おはぎに似たものでもあれば、考えたところなのだが。

 栗原さんは、それを聞くと小さく頷いて、俺に尋ねてきた。

 「その、お相手の趣味と言うか、ヒントになるような要素って何かありますか?」

 「要素……とりあえず、趣味は裁縫で、服とかが縫えるし、器用ですね」

 他には、特に犬、甘いもの、星が好きで、フライングディスクをやっていることなど、思いつく限りのことを色々と挙げていくと、ふと思い出した。

 「そういえば、花をやった時は、えらく喜んでたな」

 「花、ですか?……それなら、あのへんがいいかもしれません」

 当たりがついたのか、栗原さんはさらに奥へと進んでいく。タオルや食器などの日用品、鞄や帽子などが並ぶ棚の間を抜けると、レジ近くのガラスケースの前に案内された。

 中には、多種多様なアクセサリーが入っていた。指輪、ブレスレット、ペンダントなど、おそらく誰かに贈るには定番なものがずらりと並んでいる。

 栗原さんはレジに入り、小さな鍵を取り出してくると、ケースの扉を開けた。それから屈みこんで、中段にあるトレイを引き出してきた。

 確かに、それは一面の花だった。どうやら、同じメーカーのものなのか、花びらなどが全て艶やかな細工で作られていて、分かる限りでは桜、スズラン、クロッカス、それから何とも知れない、繊細な花の一枝が象られたものなどが並んでいた。

 「ここのものだと、イヤリングやブローチが主流なんですが、指輪もあります」

 「……いや、それはいいです」

 サイズがそもそも分からない、というのもあるが、指輪というもの自体、受け付けられない気がした。なんとなく、縛り付けてしまうような気がして。

 そう考えた途端、預けたままのものを思い出して、ぎくりとする。

 知らず表情に出たのか、栗原さんは少し眉を寄せると、難しい顔をして考えていたが、

 「じゃあ、これかな……」

 呟くように言いながら、もう一つのトレイを引き出してきた。

 そこにも、淡いピンクの小花や青の勿忘草わすれなぐさ、黄色のガーベラなどが並んでいたが、ふと目に入ったのは、新緑めいた色合いのブローチだった。

 「……クローバー?」

 四つ葉のクローバーと、シロツメクサの花。

 なんか、どこかで見たな、と考えていると、歌に貰った招待状だ、と思い出した。

 思わず手に取って見ていると、栗原さんが声を掛けてきた。

 「それ、いいですよ。『幸福』ですから」

 「幸福?」

 「四つ葉のクローバー。花言葉です」

 言われてみれば、見つけると幸運だ、などと、小さい頃に誰からともなく聞いた記憶がある。河川敷で、兄弟で探したこともあるが、結局誰も見つけられなくて。

 何故かは分からないが、妙に惹き付けられる気がして、結局、俺はそれを包んでもらうことにした。慣れた様子で、栗原さんは包装や飾りの色などを聞いてくる。

 結局、贈るものに合わせた、淡いグリーンに白のリボンにすることにして、一息つくと、

 「その子、喜んでくれるといいですね」

 「……そうですね」

 器用に包んでくれながら、何気なくそう言われて、俺は頷いた。


 多分、歌のことだから、どんなものでも嬉しそうにするだろうという気はする。

 だけど、出来れば。


 「はい、大変お待たせ致しました」

 しばらくして手渡された紙袋は、鮮やかなまでの赤、緑、白のクリスマスカラーだった。この時期ならもう、プレゼントを探す人々が、この広い中を右往左往しているんだろう。

 雪の結晶やツリー、てっぺんの星などがあしらわれた紙袋を、俺はあらためて見直すと、礼を告げてから、思わず呟いた。

 「こういうの、あいつ、好きそうだな」

 「ああ、今年のショッパーは、特に女性受けがいいですね」

 そう言われてみれば、通路を歩く客のほとんどが、サイズは違うが同じ袋を持ち歩いている。その中には、大なり小なり、贈る相手への気持ちが込められているに違いなくて。

 「お忙しいところ、有難うございました。助かりました」

 「いえ。宜しければ、次回はその彼女もお連れになってください」

 やはり生真面目な表情のままそう言われて、俺は無言で苦笑を返すと、店を出た。

 流れる人波を避けて歩きながら駅に向かっていると、やたらと行列が出来ているケーキショップを見やって、ふと我に返る。


 ……よく考えたら、別にこんな、いかにもなものを買う必要もなかったんじゃねえか?


 残るものでなくても、それこそ消え物や、祝いなのだから花でも贈れば良かったはずだ。しかし、今更こんなやたらと可愛らしいものなど、他にどうしようもない。

 そう葛藤していると、ふいにコートのポケットでスマホが震えた。

 液晶に表示された名前を見るまでもなく、にわかに走った嫌な予感通り、佐伯からだった。



 From:佐伯和巳

 Title:ミッション完了?


 栗原から『終わりました』ってだけ連絡あったよ。

 なんか、すっごい可愛いやつにしたんだって?

 ちなみに、俺は詳細は知らないんだよね。

 栗原の奴、全然口割らねえんだもん。まあいいけど。


 あ、そうそう、俺と上村さんの連名で、

 シュシュの焼菓子セット贈ることにしたから。

 歌ちゃん、フィナンシェとか超好きらしいよ。

 そんじゃ、お疲れー。



 ……あの阿呆が、そういうつもりならそう言っとけ!


 乗せられた俺も俺だが、やはり何かはめられた気がするのは否めない。

 声に出さずに、内心で佐伯を思うさま罵りながら、俺はひたすら液晶を睨み付けていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る