後日談:四月
里親探し
河川公園で、おはぎの見つけた子犬を一緒に拾って帰ってから、一週間後。
四月に入り、歌もいよいよ専門学校に通い始め、まだ色々と手探り状態な時期だからと、俺は宣言通り、里親探しを手伝っていた。
幸い、というのも妙だが、職場での異動はなく、新採は昨年に瀬戸が来たばかりだから、今年は来ることはない。同じ課の別担当が幾人か動いたのみで、シマの構成は変わらないことが確定になった。というわけで、
「ベストショット、俺はこれだと思うけどなー」
「いや、僕はこっちだと思いますけど。垂れた耳が凄く可愛いじゃないですか」
「えー、アングル的にノーマル過ぎて面白くなーいー。雌なんだし、このごろんとした腹出しセクシーショット気味のー」
「お前はおっさんか!とにかく、どっちも送っとけばいいだろうが!」
昼休み、いつものごとく、佐伯と瀬戸と飯を済ませて自席に戻った後。
メール用に、スマホで撮っておいた子犬の画像を見ながら、好き放題に口出ししてくる佐伯と、控えめに主張する瀬戸に挟まれた俺は、さっさと両方の画像を添付してしまうと、一斉送信してしまった。
「あ、送っちゃったー。もっとアピールポイントとか書かなくて良かったのー?」
「写真で十分だろ。それに、あれ以上何書いとけっていうんだよ」
送った先は、支社や営業所の同期、友人、それから兄と弟だ。件名は『犬の里親募集』、貰ってくれそうな知人がいれば連絡を請う旨と、月齢、性別、獣医による諸検査及びワクチンの接種済みであることを明記してある。
既に本社内でもある程度聞いて回っているが、犬好きでも多頭飼いはちょっと難しい、と断られたり、できれば雄がいい、などという答えで、今一つはかばかしくはない。
歌も、友達や先生に一通り尋ねてみたのち、バイト先や学校などでも当たってみているが、まだこれといった反応はないようだ。ただ、獣医が院内の掲示板を使う許可をくれたそうなので、ポスター作ってみる、と張り切っていたようだが。
そんなことを話すと、佐伯はふうん、と唸って、
「深山家で飼う予定はないわけ?状況的には結構余裕じゃん、とか思うんだけど」
「見つからなかったらそうする、とは言ってたんだけどな」
極力里親を見つける、と歌が言うには、理由がある。曰く、
「愛情を向けるのが一点集中型に近いから、おはぎと子犬をちゃんと平等に扱えるか、っていうところで悩んでるらしい」
今のところ、おはぎと子犬の折り合いもいいし、見る限りではきちんとどちらの面倒も見ていると思うのだが、根が真面目な分、色々と考えてしまうようだ。
「あー、なるほど。そりゃすげえ分かるわ」
「ですよね。まだお会いしたことがなくても想像つきます」
「……何のことだ?」
訳知り顔で深々と頷いた佐伯に、瀬戸が苦笑混じりに同意しているのを見て、眉を寄せながら尋ねると、
「だって、歌ちゃんお前に対してもそうだろ。脇目も振らずって感じー」
「お互い様、ってところかな、とも思いますけどね」
……なんで、二人揃ってこうもストレートに突っ込まれるんだ。
付き合いの長い佐伯はともかく、瀬戸にまで当然のように断言されて、俺は黙ったまま、歌に現状報告のメールを送ることにした。
そして、その夜。
俺が送ったメールは、意外にも早く結果を出すこととなった。
「申し出てきた相手っていうのは、お前の友達か?」
『っていうか、大学の先輩。なんか写真で一目惚れしたって言ってた』
寮に帰る頃を見計らってか、電話を掛けてきたのは弟だった。サークル関係にメールを転送したところ、一つ上の先輩から即座に反応があったそうで、
『それがもう、タレ耳!タレ耳!ってすっげえ興奮しててさあ、普段割と物静かなのに明らかに変な人になってるから、ちょっとびっくりしたんだけど』
「それ、引き渡して大丈夫そうなのか?」
いきなり不安を煽るような相手の情報に、俺がそう尋ねると、弟はんー、と唸って、
『あんなにはっちゃけたとこって、俺も初めて見たっていうか……そのへんは俺からもちゃんと確認しとくから。単なる度を越した犬好き、ってだけかもしんないし』
「ああ、悪いけどそうしといてくれ」
弟の見る目を信用していないわけではないが、ただむやみに甘やかすだけの相手に渡すのは避けたい。歌のおはぎに対する様子を見ているだけに、余計にそう思う。
そんなことを考えていると、弟は短く笑い声を上げて、
『わーかってるって、俺としても未来の
「……お前、なんかお袋に言われたのか」
どうやら、兄から両親に歌の情報が流れたらしく(事前に言ってもいいか、とは連絡があったが)先日、母親からの電話で、それとなく探りを入れられたところだ。
まだ、具体的にどうこうとは言われていないが、おそらくはそのうち一度連れて来い、との言葉が飛んでくるだろうことは間違いない。
もっとも、今は歌自身が何かと落ち着かない時期だし、何より兄の子が生まれる予定が近いから、十分に間を置くつもりではあるが。
しかし、その問いに、弟は意外な回答を寄越してきた。
『いや、俺には別にー。ただ、彼女の話聞いてから、
「は?なんでそんな」
耳に飛び込んできた内容に俺が戸惑っていると、弟は面白がっている様子で続けてきた。
『だって、義姉ちゃん一人っ子じゃん?そんで俺らはオール男兄弟だし、義妹が出来る!しかも可愛いって!ってものすんげードリーム炸裂させてた』
「あのなあ、気が早過ぎるだろうが!お前もちょっとは止めろよ!」
『そんなの無理だってー。彰兄も分かるだろ?予想通りっていうか、護兄はだまーって親父と機嫌よく酒飲んでるだけだしさあ』
ちなみに、お袋と義姉ちゃんとこのおばちゃんも参加してた、と、さらに頭の痛くなるような追撃を受けて、俺は兄に許可したことを心底後悔していた。
……くれぐれも、歌に変なプレッシャーがかからないように用心しねえと。
浮かれ気味の身内の暴走に頭を抱えながら、俺はとにかくこれ以上余計なことを言うな、と、弟に釘を刺しておいた。……なんか、会わせるのが、微妙に不安になってきたな。
そういった経過を経て、相手方との調整を済ませて、さらに一週間後。
歌、瑞枝さん、おはぎに加えて俺は、深山家のリビングで茶を飲みながら待機していた。ちなみに、謡介さんもいるが、二階の自室でなにやら作業中、だそうだ。
今日は、こちらから伺います、という申し出を受けて、弟も一緒に相手の車に同乗してくることになったので、こうして待っているわけだが、
「それにしても、随分準備万端にしたんだな」
「うん、あれもこれも、って用意してたら、増えちゃった」
ソファに座った右にはおはぎ、そして膝の上には子犬を乗せた歌が、そう応じてきた。
テーブルの上に置かれた、大きな紙袋に入った荷物の中身は、餌入れ、水入れ、室内用犬用トイレ、トイレシート、それから子犬用ドライフード、ウェットフード、犬用ミルク。さらには、散歩用の青い首輪に、同じ色のリードまでついている。
「これだけ揃えたら、貰う方も何の準備もいらないんじゃねえか?」
「そう思ったんだけど、兄さんが『いや、デジカメとパソコンは必須だよ!』って」
なんでも、子犬を拾ってからこの方、毎日のように撮影会状態だったそうで、
「お母さんも兄さんも嬉しいけど寂しい、って言ってたら、相手の人が『せっかくだしブログ開設します!』って連絡くれたから、兄さん、おはぎのブログ作り始めてるの」
「それでか。なんか、画像のストックめちゃくちゃありそうだな」
「とっくに四ケタ超えてるから、選別大変だー、ってにこにこしながら作業してた」
……予想通りというか、むしろ今までやっていなかったことが不思議だ、というか。
間違いなく、歴代の衣装シリーズは載るんだろうな、などと考えていたら、チャイムが独特の音をリビングに響かせた。
すかさず歌が子犬を抱いたまま立ち上がって、おはぎもそれについて行く。俺も慌てて追い掛けると、先に玄関を降りて扉を開けた。
途端に、門扉の横にあるインターホンを覗き込むようにしていた髪の長い女性と、その横で面白そうにそれを見ていた弟とが、一斉に顔を向けてきた。と、
「あれっ、彰兄が真っ先に出てきた!?なんだよもうすっかり馴染んじゃってー」
「お前、人の顔見るなりそれか……歌、あれが俺の弟、遼な」
サンダルを履いて出てきた歌は、俺の隣に並んで、少し緊張した様子で二人を見やると、きちんと頭を下げて、
「初めまして、深山歌といいます。それと、この子がきなこ、です」
小さく微笑むと、驚くほど目を丸くして子犬を見ている女性に近付いて、とり急ぎ門扉越しに手を差し出させ、こんにちは、と挨拶させる。
それを受けた相手はといえば、声も出ない様子で、しばらく動かないでいたが、
「うわあ……凄い、写真のまんまだ!あ、あの、触ってもいいですか絶対に落としたりしませんから!えっとあのそれから是非ともおはぎさんも一緒に撮らせてください!」
「ちょ、先輩!ブレスと挨拶忘れてる!マジで落ち着いて!」
一息のうちにそれだけを告げて、黒縁眼鏡の奥の瞳を輝かせた女性と、すかさずそれに突っ込みながら宥める遼の様子に、俺と歌は思わず顔を見合わせた。
「……先ほどは取り乱しまして、本当に申し訳ありませんでした……」
やっと落ち着いた様子で、向かいのソファに弟と並んで座った女性は、頬を染めたまま深々と頭を下げてきた。その動きにつれて、緩く波打つ黒髪が、膝の上にしっかりと抱えられているきなこに触れて、時々くすぐったそうに耳を震わせている。
その前に、二人分の緑茶を用意してくれた瑞枝さんが、笑いながら湯呑を置くと、
「あら、いいんですよー。それだけ気に入って下さったんならこちらも安心だし」
「そう言ってもらえると、俺としてもほっとしました。三好先輩、もうトランス状態は勘弁してくださいよー」
「うー、ごめん……だって、ほんとに一目惚れだったから……」
珍しく、軽く叱るような口調で遼が言うと、ますます三好さんは身を縮めた。この様子だと、結構仲はいいみたいだな、と思っていると、
「そりゃ、こいつが可愛いのは俺も理解しましたよ?だけど、ブログのタイトル考えてたら朝でしたーとか、寝不足ハイで運転するとかは却下ですからね!」
「だ、大丈夫!帰りはこの子乗せてるんだもん、絶対に事故らないから!」
「俺が乗ってる時もそれなりに気を付けて、怖いから!それに助手席なんだし!」
「……コーヒーの方が、良かったかな」
「いや、どうせ出すなら帰り際の方がいいだろ、この様子だと」
小声で囁いた歌に俺がそう応じていると、足元に座っていたおはぎが、何事でしょうか、とでもいう風にこちらを見上げてきた。その首についているものを見て、ふと思い出すと、
「そういや、歌。用意してたやつあっただろ」
「うん、ちゃんと出来てる」
そう言って頷いた歌は、すぐに脇に下ろしておいた、さっきの大きな紙袋に手を入れると、あるものを取り出してきた。
「これ、もし良かったら、使って下さい。おめかし用でも、普段使いでも」
両手に乗せて、テーブル越しに差し出したそれは、えらく可愛らしい代物だった。
それは、光沢のある赤茶色の布で作られていて、正面になる位置にはコサージュというのか、八重にかたどられた花がついていた。そこから伸びた共布のリボンを、首の後ろで結ぶようになっている。
そして、おはぎはといえば、深紅の同じデザインのものをつけていた。元の毛色が濃いせいか、人には派手な色でも、なかなか似合っている。
「え、いいんですか?しかもお揃いって……」
「せっかくなので。女の子だし、可愛くていいかな、って思って」
どうぞ、と歌が促すのに、一瞬きなこを見下ろした三好さんが、有難うございます、と受け取って、そろそろと首に巻き付けると、少し余裕をもたせて蝶々結びを作る。
それから、ようやく出来栄えに納得がいったのか、抱き上げて、正面から穴が開くほど見つめたかと思うと、ふいに遼に向き直って、
「この色、すごく似合う!倉岡くん、ほら、すっごい可愛いよ見てみて!」
「あーはいはいそうですね!めっちゃ可愛いですからちょっとテンション抑えて!」
まさに全開の笑みを向けられて、適当な様子で返しつつも、遼の目が一瞬見開かれて、さらに頬が若干赤らんだのを、俺はうっかり認めてしまって。
なんとなく気恥ずかしくなって、隣の歌を見ると、同じような表情で俺を見ていて。
近くにいたおはぎの頭をむやみやたらと撫でながら、どうしたもんか、と視線を交わし合った時、
「おーい、やっと渾身のきなこDVD完成したよー……ってあれ?もう来てたんだー」
まるでトロフィーのように、DVD-Rの入ったプラケース(無論タイトルまで印字済み)を高々と掲げた謡介さんが、嬉々とした様子でリビングに現われて。
その場に漂っていた微妙な雰囲気は、実にあっさりと雲散霧消してしまった。
それから、全員揃ったところで、三好さん持参のバウムクーヘンを、あえての濃いめのコーヒーと一緒に、文字通り食べ尽くして。
アドレスとブログのURLを一通り交換した後、三好さんはきなこを、遼は大量の荷物を抱えて帰って行き、どうにか無事に引き渡しは終了した。
角を曲がって、その後ろ姿が見えなくなるまで二人と一匹で見送ってから、何やら考え込んでいる風情の歌に、俺は声を掛けた。
「やっぱりちょっと、寂しいか?」
そう尋ねてみると、歌は静かに首を振って、笑みを返してきた。
「三好さん、いい人みたいだし、きなこも懐いてくれたし、大丈夫」
「それならいいんだけどな。なんかお前、俯いてたから」
かなり真剣な表情だったから、少しばかり心配になったのだが、杞憂ならそれはそれでいい話だ。そう思って、とりあえず中に戻るか、と背中を向けた時、
「……彰、さん」
聞き逃しそうな微かな声で、不意にそう呼ばれて。
思わず振り向こうとした時、それを止めるかのように袖を掴まれて、
「あの、弟さんも、『倉岡さん』だから……これからは、そう呼んでもいい?」
「……悪いわけ、ねえだろ」
今にも消え入りそうな細い声に、無理矢理に絞り出した声を、どうにか返す。と、
「……良かった」
小さな手が、するりと俺の手の中に滑り込んできたかと思うと、そっと指を絡めてきた。
……なんなんだ、これは。忍耐力テストか。
初めて使われた呼称に、いわく言い難い衝撃を受けた上に、その場所が場所で。
さすがに、いつ後ろの道を誰が通るか分からない状況で、手を出す訳にもいかなくて。
どう転んでも、これ以上どうしようもない事態に陥った俺は、行儀良く足元に座って、小さく鼻を鳴らしているおはぎを見下ろすと、深々とため息をついた。
その後、謡介さんと三好さんがメインとなって、『おはぎ・きなこ連合王国』が瞬く間にウェブ上に出来上がって。
さらには橙まで登場し始めたところを見ると、結局、遼もなんだかんだで巻き込まれているらしい。
……ひょっとしたら、あいつが彼女いない歴に終止符を打てる日は近い、かもしれない。
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