心が泣いている
幼い頃から知ってる人間への感情とは不思議なものだ。俺は、自分が想像しているよりもずっと情というものがあるのだろうか。
彼らの良いところも悪いところも見てきた……好きとか嫌いとかではなく、お互いになんとなく理解して、理解されて……そんな何でもない関係……。
どれだけ中身が大人になったつもりでも、出会った瞬間にその頃の記憶が甦り、童心に返る。
瑠花の胸ぐらを掴んでいた悠人は、おずおずとその手を離し、視線を合わせようとしない。大我、美咲、芹那もそうだ。
向日葵ですら、俺と一瞬目が合うが顔を逸らす。
出会った瞬間、俺たちはあの日に戻ったのだ……
あの頃……あの中学3年のあの事件の日を思い出すように。
あの日、
「お前らはもう忘れたのか?一人の人間を壊しておいて、また同じことを繰り返すのか?誰かを傷つけないと、自分の存在を大きく出来ないのか?」
コイツらはきっと忘れている。忘れようとしているんだ。自分に不都合なことは記憶から抹消して、のうのうと同じことをしようとしている。
忘れているなら思い出させてやるよ!『パンドラの箱』は俺が開けてやる!
「は、はぁ?……何言ってんの?……あれは鵠沼くんを守ろうとして、みんなでやったことじゃん!」
「そ、そうだよ!……それをあの人が勝手にキレて……」
「違うな……俺はあの時に何度も止めた……やめてくれ……先生をイジメるなと懇願した……だがお前たちは、やめられなかったんだ。お前たちは快感だったんだよ。
「「「――!」」」
「向日葵……怖いのは分かるが、流されるな。今のお前はどうか知らんが、あの日、傍観者だったお前も同罪だぞ」
俺はそう言った。
「――!ご、ごめん……ごめんなさい、ユキちゃん……」
「俺に謝られてもな……睦先生は今もまだ万全ではない。俺は定期的に会っているが、もう教師をすることは出来ないだろう。3年1組の生徒全員が彼女の夢を壊したんだよ!」
「「「――!」」」
向日葵は弱い……弱いが故に誰かに縋って生きていかなければならない。今、彼女を救うのは簡単だが、この先を考えると同じことを繰り返す。一人で生きるのが難しいなら誰かがそばにいてあげることだ。そして、それは俺じゃない
「……うう……う、うう……ごめんなさい……」
向日葵は泣きながらその場に座り込んだ。
「鵠沼……お前は何がしたいんだ?」
「向日葵を守るんじゃないのか?」
「――何を言ってる?俺は睦先生を傷つけたヤツを許さないし、妹を傷つけるヤツには制裁を下す!そこに幼馴染みも何もない!お前ら全員、社会的に終わらせるんだよ!」
「「「――!」」」
「鵠沼くん!向日葵は、アンタをずっと想って……」
「ふぅ……迷惑だ。俺はもう向日葵の知る
「「「――!」」」
要望書……被害事実の文書を添付して、校長宛に対策要望書を作成して提出する文書。
そして俺は嘘をつく。
「全員だった……全員が被害を申し出てたんだ!もちろん、向日葵の名前もあったよ。被害者リストってなんだ?被害者は
全員ではなかった……コイツら4人の名前はあったが向日葵の名前は無かった。彼女はただ傍観していただけ……だが、それもまた彼女を孤立させる原因なのかもしれない。だから……
「だって、大人が忘れろって言ったじゃないか!だから、俺たちは、忘れようと……みんなで決めたんじゃないか!?」
悠人は俺の胸ぐらを掴み、興奮した様子で吠える。
「そんなこと知るか!大人の誰かがそう言って決めたことに従うなら……どうして、俺の声は届かなかった?……あの時、睦先生は苦しんでいた……誰かの声が届くなら、ずっと一緒だった俺の言葉に耳を傾けるべきだろうが!それを悠人も大我も、美咲と芹那も……向日葵も……誰一人、俺の声は届かなかった」
「「「――!」」」
「ユキちゃん……わたし……ずっと謝りたくて……」
「はぁ……手遅れだな。お前ら全員地獄行きだ!」
「――鵠沼!」
ガッ!と顔に衝撃が走る!
悠人の拳が俺の頬を弾く!
今は修学旅行中だ……問題を起こせば他の生徒に迷惑がかかる。派手に転ばないように顔の動きだけでチカラを逃す。
チラッと横を見ると、瑠花がコクリと頷く……さすがに優秀だ。何も言わずとも録画をしている。ククク、これで終わりだ!さっさと夢の国から退場してもらおうか!
それに気付いた大我が瑠花へ詰め寄る!
「お前……今、録画してたろ!スマホを出せ」
「断ります」
「その動画で脅すつもりだろ!?お前のことは妹に聞いて知ってるからな……動画を消さないと学校でヒドい目に遭うぞ!」
「くっ!」
大我……瑠花に触れるな!自分の表情が強張っているのを感じる……この距離なら一瞬で大我を打ちのめすことが出来る!鍛え抜かれた身体にチカラが入っていく……!
「そこまでっちゃ!今の会話は録音しとうよ!」
「「――!」」
何やらよく分からない派手なサングラス……ミッキーの口元がデザインされたマスク……耳付きパーカーのフードを被ったヒーロー!
「セカン!」
瑠花があやめの後ろへ隠れる。二人合わせてフード姉妹!
あやめが可愛いらしく……いやカッコよく登場!全身が夢の国に覆われた彼女は、ポーズまでは取らないがタイミングとしては完全にヒーローのそれだ!
ちょっとダサい魔法少女の登場に、ダークサイドへと落ちそうになった俺はふっと引き戻される!
ふぅ……あやめはいつもそうだな。俺に光をくれる……そんな彼女を見ていると、俺は俺でいられる。
口角が上がった俺を不気味に感じたのか、悠人と大我は一歩下がる。
周囲にはたくさんの人で溢れている。俺たちだけがぽっかり空いた異空間に存在するように、取り囲み嘲笑する人々、訝しむ人々……その中をかき分けて叫ぶ声!
「ユキタカくん!」
つばきは俺の胸に飛び込んでくると、殴られた頬にそっと触れながら心配そうに見つめる。こ、こんな、大衆の面前で密着されると……恥ずかしくて、せっかくの緊迫感が……俺の作戦が……
「もぉ……また誰かを救うために悪者ぶったんでしょ!しょうがない人だなぁ……ふふふ」
「――ち、違っ!」
「ううん、大丈夫……分かってるから。私たちはちゃんと分かってる」
つばきとあやめはブレない……ずっと俺を信じてくれるし愛してくれる。俺には過去なんていらない……未来さえあれば歩いていけるんだから。
(ダメだよ……私たちを愛してるからって過去を捨てようとしないで!)
(――つばき!……いちいち心を読むなよ)
(ふふ……やっぱりそうなんだ)
(はぁ……つばきには勝てないなぁ)
「ハ……ハハ……鵠沼って落ちぶれたくせに、やる事やってんだな!」
「だな!横浜の武勇伝でも聞かせてモテてるんじゃないか?ハハハ」
「ユ、ユキちゃんは……そんな人じゃ……」
「もういいって向日葵!アンタ、あんなこと言われたんだよ!アイツめっちゃヒドいヤツじゃん!」
「そうそう、あんな可愛い彼女が出来て調子乗ってるんだよ!」
イジメは絶対に許されないことだが、解決するときは、ちょっとしたきっかけで解決することがある。
それは、同じ罪悪感を背負わせること、仲間意識を作ってやる事、共通の敵が現れることだ。
向日葵のそばに俺はいてやれない……だったら……コイツらに守ってもらえばいい!
ククク、人の心は簡単に操作することが出来る。俺を圧倒的な悪としてお前らの記憶に刻み込んでやる!
「ククク、お前ら程度が俺に勝てるわけないだろ?
(ユキタカくん……心が泣いてるよ)
心が泣こうが関係ない!
「コイツ悪魔だ……」
「ヒドい……」
「うう……ユキちゃん……う、うう……違うんだよ……ユキちゃんはね……」
「向日葵、大丈夫?鵠沼くんが、こんな人だったなんてね……」
「こんなヤツをずっと憧れてたなんて、向日葵が可哀想……」
頃合いだな……。
「今後、俺に関わろうとすれば、お前らを破滅させる。二度とツラを見せるな!……ああ……あと……もう一度言わせてくれ……俺はお前らのことが大っ嫌いだ!じゃあな……」
つばきの手を取り、あやめと瑠花に目配せをする。
立ち去る背中に、かつての友の罵倒を浴びながら……。
(ユキタカくん……涙を拭うのは私がしてあげるから……安心して!)
(ありがとう……)
「言っておくがデクが過去に何したかなんて俺たちは知らね〜よ!でも、コイツの凄さは分かる!」
「なんだかんだ世話するんだよなぁ……気にくわねぇが、めっちゃいいヤツだしな」
「頼りがいがあるんだよねぇ、海では迷惑かけたけど」
「そうそう!あの時は守日出がいなかったら大変だったと、思う!」
「コーチほど凄い人に出会ったことありません!」
「ま、まぁ……なんだかんだ、優しいんだよね。勉強見てくれるし……口は悪いけど」
「デッくんは、器用そうで不器用だからねぇ」
「守日出、僕たちは君の味方だよ!」
――!みんな……!
俺の背中に罵倒を浴びせていたヤツらの前に立ちはだかるのは……青蘭高校のみんな……班の連中だけでない。
ふぅ……まったく……コイツらは俺の邪魔ばかりする……だからあえて言おう。
「お前ら……余計なお世話だ!」
俺は笑顔でそう言った。
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