雑踏のクジラ

8月16日

 

 お盆休みが明けると、課外は休みとなる。つまり、10日間ほど完全な休みとなるのだ。まぁ、俺くらい真面目で暇な男は、勉強くらいしかやることがないので図書館に行く。学生の本分は勉強なのだからな。


 下関生涯学習プラザにはコンサートホール、練習室、カフェ、図書館などさまざまな設備がある。エアコンの効いた快適な空間で、勉強するには最適なのだ。


 カフェや家、図書館など俺はけっこう勉強する環境を変える。いろんなところで勉強すると新鮮でなんとなく調子がいい、決して出来る男をアピールしているわけではない。


「守日出、この問題だが……」

「ん?……ああ、これはな……」


「なるほど……」

 

「神代、お前だったらこの問題どう解く?」


「う〜ん、僕ならこうかな」

「ほぉ、確かにこのほうが効率がいいな」


 神代楓かみしろかえで……学年トップの秀才にして超絶イケメンと仲良くお勉強……を約束していたわけではない。


 たまたま、ここでバッタリ会ったのだ。環境を変える俺は神出鬼没、どこで誰に会うかは、その日の運次第だ。


 ブブッと震えるスマホを確認すると瑠花るかからだ。


[トランザクティブ・メモリーを共有します。無事に神奈川へと帰還することが出来ました。兄さんとの久しぶりの邂逅かいこうに心躍る3週間でした。ツバキとセカンとの出会いは、僕の人生の中でも、とても大切なモノとなり、そのきっかけをくれた兄さんには感謝しかありません。本当にありがとうございました。PS.……たったの3週間なのに兄さんの言動にシビれない日はありませんでした。やはり、兄さんは僕の憧れの存在です。また会える日を楽しみにしています]


 立派に成長した妹に感動を覚えつつ、そっとページを落とす。基本的に返信はあまりしない。瑠花には情報を共有する時に改めて連絡することが多いのだ。それが許される相手……それが俺の妹だ。

 

 まぁ、見送る際には欧米さながらに抱きしめていたので気恥ずかしいというのも否めない。


「じゃあ、俺は帰るから」

「うん、気をつけて」


「あ……えっと……神代……お前の連絡先……聞いてなかったな……」

「――聞いてくれるの?」


「やはり、出来るヤツと勉強すると捗るからな……迷惑か?」

「いや、すごく嬉しいよ」


 神代の火照った顔を見ると、こっちまで恥ずかしくなる……生涯学習プラザの図書館で、俺たちは顔を赤らめながら連絡先を交換した……なんだこれ。


 図書館から歩いて10分、駅のスタバで昼食を取ろうとサンドイッチを注文する。


「そのサンドイッチ、私の奢りだと言ったら?」


 背後から声がかかり、誰かが俺の背中に手を触れる。声ですぐに誰かは分かるが、振り返らずに無視して会計を済ませる。


「守日出〜!旦那と同じリアクションせんでくれぇ〜」


「岩国先生……奢るから身体を触らせてくれ、なんて言うつもりでしょ。そういうのは旦那さんにお願いしてください」


「だって、旦那は守日出みたいな背筋がないんだもん!そっけないし、漫画のこと知らないし……最近では名前すら呼ばれてない……」

 

「ないんだもん……じゃないですよ。生徒に触るなんてセクハラですからね、牡丹ぼたん先生」


「――はっ!?私を名前で呼んでくれるのか?不倫か、不倫がしたいのか!?」


「いや……名前くらいならと呼んだだけです」


「……ふっ……守日出は少し変わったな。いや、かなり変わったのかな?八蓮花姉妹つばきとあやめのおかげだな」


「そうですか?……まぁ、変わったのだとしたら二人の影響でしょうね」


「素直になったな。休み明けが楽しみだ」

「保健室、顔出しますよ。オタトークしに」


「ふっ……シャツは脱いで来いよ」

「変態じゃないですか!……じゃあ」


 思いがけず岩国先生と出会ってしまった。こんなところをブラブラしているところを見ると、よっぽど旦那さんに相手にしてもらえてないんだな、こりゃ離婚も近いな。


 サンドイッチ片手に自販機でいろはす塩とレモンを購入する。駅の近くのベンチで日向ぼっこをしながらのお昼タイムだ。駅の近くだからといって人通りが多いわけでもない。俺は人目を気にせずにサンドイッチを頬張った。


「デッく〜ん!ちょ〜奇遇なそ!」

「――モゴモゴ……モゴモゴ……もご……はどうだ?」


「うんうん。デッくんのおかげで、もうすっかりいいよ〜あの後もデッくんが事情聴取とかいろいろと動いてくれたって警察で聞いた……本当にありがと!」


「モゴモゴ……問題ない。あんなヤツは俺が地獄に落としておいた」


 角島海水浴場での事件。白髪くん事件は次の日に俺が警察に行き事情聴取を受けた。あやめと柚子にはトラウマにならないようにと俺が処理したのだ。


 柚子は2、3日ほど元気が無かったそうだが、今はこの通り元気だ。


「ププッ……ホントにデッくんはすごいなぁ。みんなが惚れるのも頷ける!」


「いやいや、嫌われてる数が多すぎだろ」


「そう思ってるのも本人だけなんよね〜」


「はいはい。……っで今日は部活帰りか?」


「そうなそ!中国大会まで行けたし!全国目指して頑張っちょるそ!」


「そうか。すごいなぁ柚子」


「――な!ななな、なんで罵るどころか、褒めてるそ!?」


「いや、普通に褒めるだろ。頑張ってる人間を罵るなんて、どんだけ俺は悪魔だよ」


「だって……ウチ……デッくんに罵られたいそ……チカラが出んそ……中国大会勝てんそ……」


「はぁ……ドMが過ぎるぞお前……」


「だって……」


「わかった。今度練習見てやるよ。そして罵ってやる」


「――えぇぇ!いいそ!?むっくんも喜ぶよ!」

「いやいや、ムッツリくんは見てやらないが……」


「とにかく、デッくん!約束なそ!男に二言はないそ!」

「ああ……夏休みが明けたら見てやるよ。連絡してくれ」


「うん!」


 それにしても今日はよく知り合いに会う。スマホを見て連絡が入っていないことを確認して、シーサイドモールへと足を運ぶ。


 4F、しまざわ書店で参考書を物色しに行くと、目的の参考書コーナーに派手な服装のギャルがいる。


「ギャルも勉強するんだな」


「――え!?守日出!ア、アンタ……こ、こんなところで何してんのよ!」

 

「それはこっちのセリフだな。参考書コーナーに用事があるのか?」 


「し、失礼ね!もう高二の夏も終わるし勉強しないとって思ってるの!」


 野原莉子のばらりこ……最近はコイツとも縁がある。ギャルで、クラスマッチではリーダーシップを取っていたんだが、ここ最近は妙にオドオドした雰囲気の変わり者だ。


「ほぉ……いい心がけだな」

「……どうして上から目線……」


「俺のほうが勉強が出来るからに決まってるだろ?」

 

「――うっ!……たしかに……参考書ってどれを選べばいいか分かんなくて……」


「お前は基本からやってもまだ間に合うだろう。そうだな……まずは、これとこれを3周解いてからだな」


「――え?教えてくれんの……?」


「参考書を選ぶくらいどうってことない」


「あ……ありがとう……」


「まぁ、せいぜい頑張れ。じゃあ俺は自分の探すから」


「う……うん……あ、あのさ!たまにはメールとかしてもいい?この間、連絡先も聞いたし」


「なぜ?」


「いや……別に……勉強とか?教えて欲しいし……」


「断る……いや……」

 野原は、たしか……神代が好きだったな。

 

「今度、神代と一緒に勉強するんだ。お前も来るか?モチベーションの高いヤツは歓迎するが……」


「――いいの!?」

「ああ、夏休みが終わったらな」

 

「コーチ!わたしも参加していいですか?」


「「――!」」


 声のするほうを見れば、豊田陽菜とよたひながウキウキした雰囲気で立っている。バレー部も帰りか……というか今日はどうなってる。山口県は本当に狭い……行動範囲が限られてるのも問題だな。


「陽菜!?」

 

「豊田……お前は部活があるだろ?」

「神代くんもバスケ部ですよ、コーチ!わたし……コーチの教えなら勉強もやる気あります!」


「陽菜ってそんな感じだったっけ?」


「ふぅ……わかった……神代には俺から言っておく。豊田、ついでにお前の連絡先も教えてくれるか?」


「もちろんです!」


 二人と別れ、スマホを確認するとメールが届いている。


 [ユキくん、歳三さんから……話があるから顔を出せって(>_<) 今日来れる?]


 さくらさんからだ。待っていた答えをくれるようだ。


 [お邪魔します]


 俺はそう返信した。


 3日前のあの日……


 海峡花火大会のとき……


 皆を残し、先に帰る俺を追ってきたのは一人……


♦︎♢♦︎♢♦︎♢♦︎♢♦︎♢


8月13日


 人の流れとは逆方向に……人の視線とは逆方向に……そんな風に歩んだ高校生活。それを象徴するかのように人混みをかき分けていく。


 今回、俺の狙いは早良葵さわらあおいの心の内を知ることだった。そして、歳三さんにも知ってもらうこと……。


 つばきは父親に憧れている。


 認めて欲しいと思っている。


 だから、迷惑をかけたくないと思ってるんだ……歳三さんが動けば、こんな贖罪のような許嫁は簡単に破棄できるはず……自由を手に入れられるんだ!


 だけど、つばきは歳三さんに助けを求めない。自分なりの解決法で彼を救おうとしたんだ!


 歳三さんもまた……それを傍観している。


 俺が出来ることは、歳三さんを動かすことだ。捨て身だがこうするしかなかった……。


 ごめんな……つばき。 


「ユキタカくん!」


 その声に立ち止まりそうになる足を叩き踏み出す。振り返らずに守日出来高もりひでゆきたかという道を歩いていく。


「待って!ユキタカくん」


 歳三さんさえ動けば俺はお払い箱だ。あとは二人の幸せを陰ながら見守りたい……これから俺がやっていくことは二人から少しずつフェードアウトしていくことだ……嫌われてもいい、嫌ってくれたほうがどんなに楽か……俺は二人を好きになり過ぎてどうしようもない!


「このまま帰ったら、泣くから!」


「――!」


 人目も気にせずに大声で叫ぶつばき。それでも歩みを止めるわけにはいかない。振り返ると抱きしめてしまうから……逃れられない無限ループに陥ってしまうから……。


「ユキタカくんの嘘つき!」

「……」


 彼女はもう泣いているのだと声で分かる。


「私たちの笑顔のためなら世界中を敵に回していいんでしょ!だったら、泣かせないでよ!………………だったら、責任取ってよ!…………責任取って、二人とも幸せにしてよ!」


 俺は歩みを止めた振り返る……二人とも幸せにする……そんなのどうやって……近付いてくる彼女の目を見て訴える。


「私たちは……ユキタカくんの笑顔が見たいんだよ……」


 歩みを止めた俺に……歩み寄る彼女はそっと唇を重ねた……


 雑踏の中でキスにざわつく声は届かない……


「約束……守ってよね」


 ただ彼女の言葉だけが耳に残る。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る