クジラは歌う
瑠花……この可愛い妹は、相変わらずの黒いパーカースタイルで眼帯をしている。こういうイベント時には眼帯と手袋は欠かせないらしい。暑くない?
「くくく、これほどの人数が一ヶ所に集まると、念が集まりすぎて、僕の神経回路にも異常が見られますね……」
「人酔いしたんだね、瑠花くん……大丈夫?」
「うう……気分悪うよぉ……セカン……」
「ククク、瑠花よ。これを飲め」
「こ、これは……?」
「ククク、これは一時的に意識を身体から引き剥がす薬だ……とあるルートから手に入れた……飲む勇気はあるか?」
「に、兄さん……くくく、愚問です。有り難く頂きます」
「ふふふ、酔い止めね。相変わらずの準備の良さね、ユキタカくん」
「つばき……浴衣、似合ってるぞ。しかし、お前たちすごく目立つんだが……よく今まで双子ってバレないな……」
「ありがとう。でも、私はメイクして大人っぽくしてるから、見られても大丈夫なの」
「そうそう!同じ格好して歩くとバレるかもだけど、案外大丈夫っちゃ!」
「――!って言って両サイドから腕組まれると俺が目立つんだが……」
100万人が集まろうと、この麗しい二人には勝てない。両肩に二人の頬の柔らかさ……腕に温もり……肘に……あれだ……あの柔らかいやつ……身動きが取れん……。
「ぼ、僕は……どこに掴まれば……」
瑠花はそう言って俺のシャツの裾を掴む。こんな状態で歩く男はきっと100万分の1だろう。
それにしても、最近の花火大会には驚かされる。ドローンを使っての演出が素晴らしい。800機のドローンが空を駆け巡りクジラや関門海峡を描く!
花火の前の前座とは思えないほどのドローンショーには拍手喝采、歓声が上がる。
「すごいなぁ」
「ふふふ、来て良かったでしょ!ユキタカくん」
空を眺めるつばきの横顔はいつにも増して綺麗だ。
誰にも気付かれない程度の触れ合い……つばきと付き合っていることを知っているのは
前方の少し離れたところに歳三さんたちが見える……いつ振り向くかも分からないので、先程までのサンドイッチ状態はやめたのだ。
「これって花火いる?」
そんなことを呟いた。花火職人には失礼だが、それくらいに美しくロマンティックだ。
なぜなら、クジラが映し出されるどころか、空を泳いでいるのだ。こんなの見たことがない……。
「もぉ、失礼だよ。この後の13000発の花火で絶対感動するから!」
「クク、つばきは花火推しだな」
「だって……「花」でしょ!」
「なるほど……たしかに、つばきとあやめは綺麗だ」
「ふふ、ありがとう」
「……言わせたな?」
「あまり言ってくれないからね……うちの彼氏は……」
「いや……心の声では言ってるんだが」
「声に出さないと届かないよ!クジラのように歌って!」
「クジラの歌か……ザトウクジラは仲間とのコミュニケーションで歌を歌うそうだな」
「求愛のために歌うそうよ」
「へぇ〜」
「あれ〜?うんちく王は、どうしたと?」
「兄さんの知識量を凌駕するツバキ……恐るべし」
つばきと手をつないでいるのは瑠花だ。瑠花の心の支えになってくれるつばきとあやめには、感謝しかない。しかし、うんちく王の座はつばきには譲れんな……。
「ゴホンッ!ザトウクジラの歌は太平洋を越えて一つの集団から別の集団へと簡単に
「「「――!」」」
「くくく、兄さんさすがです!」
「デクからそんなセリフが出るなんて……うう」
「じゃあ、伝えないとね。ユキタカくん」
「――!お、俺の話じゃなくて、クジラの話だからな!」
俺たちはまだ歳三さんたちと合流しなかった。すぐ目の前に行けば合流できる……だが、俺たちだけの時間も惜しかった。そう思ったのはきっと……みんな同じ思いだろう。
こういう時間が永遠に続けばいいと心から思う。空に浮かぶクジラに願っても何の意味もない……だが、その声なき声は俺自身に
それがソロプレイヤー
ピコンッ![歳三さんが呼んでるよ]とさくらさんからのメールだ。
「じゃあ、合流しようか」
「そうだね」とあやめは歩き出す。
「……うん」とつばきは少しハリのない返事を返す。
つばきは、きっと俺と早良くんを会わせたくないのだろう……。
目を見れば分かる……
だけどゴメンな……
俺は今からお前を解放する!
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「歳三さん、お久しぶりです。うちの妹までお世話になります」
「おう、ユキタカくん。いや、あの歳で起業するなんてたいしたもんだ。素晴らしいアイデアと想像力、将来が楽しみだよ」
「さすがです。もうご存知なんですね」
「まぁな、気になると調べてしまう私の悪いクセだ」
運転手兼秘書の田中さんは優秀だな……説明が省けて効率がいい。つばき、あやめ、瑠花、さくらさん、そして早良くんは、少し前のほうで、横並びに花火の開始を待っている。
横並びに並んだ姿は家族のそれだ……瑠花を受け入れてくれてありがとう。
「自慢の妹です」
「ふっ……そうか。最近、調子はどうだ?」
「その件で報告がありまして……」
目の前で盛り上がる5人は楽しそうで、俺たちの会話は耳に入らないだろう。さくらさんの隣にいる彼は控えめそうで、率先して会話をするタイプではない……か。
まだ、紹介はされていない……その前に歳三さんに言っておかなければならない事がある。
覚悟は出来ている……俺が伝えた内容はこうだ。
あやめと交際を始めたこと……
高校生らしい付き合いをさせてもらっていること……
歳三さんのもとで、いずれ学びたいということ……
つまり……いずれ
あやめと交際している件については、殴られることはなかった……もう、知っていたか、予想していたという可能性もあるかもしれない。実は、つばきもですよ……と言うと斬殺されるのでさすがに言えない。
「勉強のほうはどうだ?」
「模試で総合S1ラインにいるのでこのまま頑張っていきたいと思っています」
「そうか、期待している」
「任せてください」
「ふむ、吹っ切れたか……私が眠れる獅子を起こしたかな?」
「ハハ、どうでしょう」
つばきとあやめのためなら、獅子でもなんでもなってやる!
「そういえば、前につばきが言っていた許嫁の話があったな……今そこで、さくらの横にいるんだが、紹介しておこう」
キタ!身内になろうかという俺には、紹介するだろうと思っていた。そして、つばきの許嫁について、俺が関わるための「
「ユキタカくん、紹介するよ。
「初めまして、早良葵です」
女性のように華奢で、整った顔立ち、色白のイケメンアイドルのような風貌……背も低くて可愛いらしいイメージだ。
「あやめさんとお付き合いさせてもらってます、
俺はそう言った。
「――え?あ、あやめちゃんと?」
「はい、いずれは結婚もしたいと考えています」
「――結婚!?」
あきらかに動揺している。やはり彼はあやめのことが好きなのか……。
「はい、でも
「え?……あ、ああ……うん……つばきちゃんがそう言ってくれてるけど……」
「他に、好きな子がいる……ですか?」
揺さぶりをかける。
「ほぉ、そうなのか?葵」
あえて、歳三さんの前で言った。悪いな、早良くん。つばきの足枷を外してくれ……。
「――!あ……いや、僕は……」
「でも、それだったら、つばきさんに早く言ってあげたほうがいいですね。好きな人がいるからと……言いにくかったら僕から言ってあげま……」
「大丈夫です!」
「――?大丈夫……というのは、自分で言う……ということですか?」
「……あ……いや……」
「早良くん、失礼ですけど……つばきさんがどうして、あなたの許嫁になると言ったかご存知ですよね」
「……」
歳三さんも早良くんも無言。知ってる……
怒りがこみ上げてくる。
つばきの気持ちを知ってて……
つばきの自由を奪っている……
つばきは不自由だ。どうして解放してあげない!
「早良くんは、ピアノが得意らしいですね」
冷静に淡々と……俺はこの空気をぶち壊していく。
「――!え、えっと……今は……あまり……」
「ピアノはもうされてないんですね。僕もバトミントンを中学までやっていたんですよ。でも、辞めちゃいました。キツいですよね、人に期待されるのって……早良くんもやっぱりそれがキツくて?」
「いや、僕は……いろいろあって……」
「いろいろ?まぁ、結果が出なければ辞めろって言われますもんね!才能が無ければ辞めたほうが……」
「君に何が分かるんですか!」
ドン、ドン!と花火が打ち上がるその音に、早良くんの声は掻き消され周囲の人間には気付かれなかった……だが彼の表情は俺を睨み、憤りを隠せない。
簡単だ……。人の感情をコントロールするのには慣れている。触れられたくない部分に触れる、それだけだ。
だが、不穏な空気を感じたつばきが心配そうに振り返る。
歳三さんは変わらず無言だ。この男もまた俺を見定めようとまったく会話に入ってこない……。どっちも俺が潰してやるよ!
歳三さんが無言であろうが、つばきがこっちを見てようが、構わず続ける。
「早良くんの気持ちなんて分かりませんよ。あなたのことは、ほとんど知らないんだから」
「だったら、知ったふうな口を聞かないでください!」
「そんなに悔しいなら、どうしてピアノをもっと頑張らないんですか?」
「――なっ!……頑張りました……頑張ったんです!でも、仕方がないじゃないですか!ピアノっていうのはたったの数ヶ月でライバルとは差がついてしまうんです!あなたのやっていたスポーツなんかと一緒にしないで下さい!」
スポーツなんかと……か。ずいぶんメッキが剥がれてきたな。一つのことを極めようと志した者なら分かるはずだ……すべてのモノは等しく難しい。ピアノだろうが、スポーツだろうが、すべてはつながっているんだ。
そんなことも分からないような人間は、努力というものを分かっていないのだろう……。この男はただのアマちゃんだ!
「ふぅ……ククク……アンタは、つばきを都合のいい言い訳にしてるんだ。自分の不甲斐なさを、彼女に押しつけて……逃げてるだけのバカ野郎だ!アンタのクソみたいなプライドでつばきを縛りつけるのは辞めろ!アンタがやるべきなのは、下手でもなんでもピアノを死ぬほど頑張って、好きな女の大事な人を、罪の意識から解放してやることだ!過去の栄光に
「――うっ!」
パンッ!と花火とは違う高い音とともに視界がブレる。痛みが走り、頬には細く華奢な手の感触が残る……。
そう……それでいい……。
「ユキタカくん……どうして……こんなこと……」
つばきは涙を流し、震えた声は聞き取れないほどに儚い。
早良くんは、俺へのビンタが自分を庇ってくれたと思ったのだろう。つばきの背中に隠れるとオドオドしながらも、顔を出し吠える。
「ど……どうして君にそんなことを言われなくちゃならないんだよ……き、君には僕たちのような絆はないだろ!」
「葵……」つばきは、そんな弱々しい彼を憐れむように見つめる。
「ククク、絆ねぇ……それって、
「もう、やめて!」
つばきはそう言うが、それくらいじゃもう止まれない。つばきの声に反応したあやめ、瑠花、さくらさんが集まってくる。
周りの人間は花火に夢中だ。少し揉めている俺たちには興味もない。
「き、君は、あやめちゃんと付き合ってるんだろう?つばきちゃんは関係ないはずだ!」
「あるよ……だって俺は、つばきとあやめを愛してる。二人の笑顔のためなら、腕が折れようが足が折れようが、世界中が敵に回ってもいい!自分で自分を守れないようなアンタとは根本的に違うんだよ!」
「ユキタカくん……」
「デク……」
「すみません、歳三さん。せっかくの花火大会なのに……でも、いくらつばきが決めたことだからと言って親たちがそれを鵜呑みにするって、おかしくないですか?なんでもかんでも一人で決めさせることが教育じゃないでしょ。例え両家にとってそれが都合良くても、時には自分が悪者になってでも……子供の
「……私に意見するのか?」
歳三さんは鋭い目つきで俺を睨む。
そう……これが本来の俺の姿だ。一番大事なモノのためなら、なんだって出来る。
「反論できますか?」
「……」
「ユキくん……」
「デク……」
「ユキタカくん……」
「兄さん……」
「まだ、花火の途中ですが、今日は失礼します」
「……田中、彼に車を出してやれ」
「は、はい!」
「お気遣い結構です。車は混むので電車で帰ります」
「そうか……」
「さくらさん。瑠花をお願いします」
「うん……気をつけて帰ってね」
さくらさんは、申し訳なさそうに……潤んだ瞳で俺を見る。ありがとう……とその瞳は言っていた。
この雰囲気で俺を追うような者はいない。これでいいんだ……花火は見れなかったけど、ちゃんとクジラは歌ったのだから……。
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