フラッシュバック

「みなさん、おはようございます!まずはじめに、私はむつみエリカと申します。この度、こちらに着任することになりましたことを、心より嬉しく思います。


 学校は未来を切り拓く場所です。そして、その未来を担うのが、みなさんです。私たちは一緒に学び、成長し、力を合わせて素晴らしいことを成し遂げることができると信じています。

  

 そして、私はみんなと共に学び、笑い、挑戦し、成長することを楽しみにしています。


 3年生という大変な時期ですが、このクラスが、みんなにとって居心地の良い場所であり、夢を追い求めるための素晴らしい舞台となることを願っています。共に成長していきましょう!


 あとこれだけ!『みんなが人に優しくなれる大人になってほしい』……これが一番です!」


 新任にもかかわらず中学三年の担任として着任した睦先生、人好きのする笑顔に小柄な体型、真っ直ぐな性格で教師という仕事に希望と期待を持っていた。


 眩しかった……同級生には感じられない魅力が詰まった大人の女性に、僕は惹かれていった。

 

鵠沼くげぬまくん、君……ちょっとチカラ抜いていいんじゃない?」

 

「――え?」

 

「だってさぁ、バトミントンのユースチームでしょ〜、勉強も頑張ってるよね。学級委員に体育祭も応援団って……パーフェクト過ぎて言うことなさ過ぎだよ……このクラスは鵠沼くんが先生?ってくらい!」


「睦先生……」


「って冗談だよ〜!鵠沼くんって背も高いし大人っぽいから愚痴っちゃった!……個人面談で言うこともないし、雑談しようか!」


「もしかして、僕は睦先生の成長を邪魔してますか?」


「へ?……違う違う!そういう意味じゃなくて、疲れないのかなぁって思ったんだよ」


「……先生は最初の挨拶のときに『共に成長しよう』って……」


「フフフ、刺激受けてるよ!みんなからもそうだけど、鵠沼くんからは特にね!」


「特……別……ですか?」


「――?まぁ、君はスペシャルではあるけど、私にとっては、いち教え子だよ!」


 初めてだった……僕に期待しない大人。昔から早熟だったことで任されることは多かった。その期待に応えると喜んでくれることが楽しくて努力した。


 次第にそれが当たり前になり、当たり前を超えることをしないと喜んでもらえなくなった。


 努力した。


 周りの要求は膨れ上がっていく。


 努力した。


 とてつもないほど大きな壁があっても、当たり前のように言う。「鵠沼くんならやってくれる」……僕ならきっと出来るだろうと、そう言う。


 努力した。


 みんなが喜んでくれる。


 僕はみんなの求める鵠沼来高くげぬまゆきたかになれてるかなぁ……。


「鵠沼くん、ちょっと肩張り過ぎてない?君はまだ子供なんだよ!応援団やりたかったの?学級委員やりたかったの?バトミントンで世界一なんでしょ!欲張るな、欲張るな!クラスのことは私に任せなさい!ふんすっ」


「睦先生……」


「君を見てるとね……いつか壊れちゃうんじゃないかって心配になるんだよ。バトミントンだけでも充分頑張ってるでしょ。う〜ん、充分どころじゃないね……世界一だもんね」


「僕はみんなの期待に応えないといけないんです!」


「そっかぁ……強いなぁ鵠沼くんは……みんなの期待に応えてるんだね!じゃあ君は誰に期待するの?」


「僕?僕は……誰にも期待したことないです」


「じゃあさ!私に期待してよ!」


「――え?睦先生に?……何を?」


「えぇ?ひど〜い!」


「あ……すみません!誰かに何かを期待したことがなくて……その……ずっと、必死だったんで……」


 僕は泣いていた……


 期待していいよ、なんて言われたことがなかったから?


 この人の前だと頑張り過ぎなくていいから?


 それとも、好きな人が抱きしめてくれているから?


 睦先生は、俯き泣いていた僕を抱きしめてくれていた。さっきまで向かい合って座っていたのに、いつの間にか後ろから抱きしめてくれている。


 子供のように泣く僕を安心させるように……


 僕よりも小さな身体で大きな心を持って包んでくれた。

 

「助けてほしいときは、私に言って!全力でフォローするからね!」


 優しく囁かれたその言葉に「はい……」とだけ頷くと、「フフフ、私、先生っぽい?」と冗談っぽく笑顔で返してくれる。


 睦先生とならどこまでもいける……そんな気がした。



 僕たちの関係は不純なものではなく、先生と生徒……それ以上でもそれ以下でもない。たまに、逆転する時もあったが、それもコミュニケーションの一つ、そういう認識だった。


「鵠沼くん、聞いてくれる?田中先生が私の授業の進みが遅いからやり方変えろって言うんだよ!」


「ハハ、田中先生の授業は淡々としてますから、たしかに進み早いですね。でも……」


「で、でも?……ゴクリ……」


「睦先生の授業のほうが楽しいから、生徒からすると、きっと勉強を好きになってくれてますよ!」


「おぉ!それは嬉しい!……でも、鵠沼くんは優しいからなぁ」


「お世辞ですよ」


「えぇ?何それ〜」


「ハハハ、先生同士もいろいろあるんですね。生徒のこともあるのに」


「分かってくれる〜?大変なんだよ〜」

「先生にはなりたくないですね」


「そこは、私に憧れて先生になるって言って欲しいなぁ」

「あ、そうでした」

「フフフ」

 

「でも、『みんなが人に優しくなれる大人になってほしい』ですよね!それは、僕の目標ですよ」


「う〜ん、鵠沼くんはすでに優しくて思いやりもあるからなぁ……そうだねぇ……君はもうその先に行けそうだよ!これから君の前にとても大事な人が現れたとします……」


「大事な人……?」


「うん、その時には、全員に優しくなれるんじゃなくて、大事な人だけを守れる強さを持って欲しい!例えそれが、鵠沼くんにとって、その他大勢を敵に回したとしてもね!」


「……なんか矛盾してますね」


「フフフ、難しいよね。だって、『人それぞれ大事なモノって違う』でしょ!鵠沼くん……君の大事なモノは何?」

 

「僕の大事なモノ……」


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 睦先生との楽しい学校生活は長くは続かなかった。最初は変な噂を立てられることから始まった。


「鵠沼くんと噂あるって!」「うっそ!信じらんない」「あの女マジうざい」「私たちの鵠沼くんなのに!」「鵠沼って日本のエースだろ?ヤバくない?」


 僕のせいだ……僕が先生に甘えるから……。


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「みんな、ごめん!僕が先生と仲良いのが気に入らないよね!でもそれは、学級委員として相談しているだけで、特別扱いとかではないんだ!睦先生はみんなのことをちゃんと見てるんだよ!」


「鵠沼くんは謝らなくていいよ」「そうそう、悪いのは鵠沼をそういう目で見てるあの人が悪いんだよ」「鵠沼くんをみんなで守ろうよ!」


 

「ち、違うんだ!みんな、ちゃんと聞いて!」


「安心して!わたしたちの鵠沼くんには指一本触れさせないから!」「鵠沼は将来、俺たちの自慢だもんな!」「そうそう!」「じゃあさ、先生を無視しない?」「だね」「ウザかったしね!」


「みんな、お願いだ!先生にヒドいことをしないでほしい!頼むよ、先生は……睦先生はみんなのことが大好きなんだよ!」



「鵠沼っち優しすぎ〜」「ホントみんなのヒーロー!」「頭上げて……鵠沼くん……大丈夫だよ」


 大丈夫じゃなかった……睦先生へのヒドいイジメが始まった。無視だけでなく、僕が見ていないところで行われていることがとくに陰湿で、睦先生を追い詰めていく。


 授業中の無視……


 教壇の落書き……


 誰が書いたのか……先生への誹謗中傷が掲示板に貼り出され……


 男子生徒が睦先生のスカートを脱がして辱め……


 親たちからのあらぬクレーム……


 僕へのわいせつ行為をでっち上げ、学校へと進言していた……

          

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「いい加減にして!」


 パンッと教室内に響く音……


「……あ……違うの……殴るつもりは……」


 睦先生が女子生徒を殴った。女子生徒は唇を切り、血が滲んでいる。


 泣き喚く女子生徒……


 頭を抱えてうずくまるのは、自分がしてしまったことが信じられないといった様子の睦先生……。


「大丈夫?」「殴るなんてヒドい!」皆が女子生徒を囲むように集まり睦先生を責め立てる。


「みんな!先生も殴りたくて殴ったわけじゃないんだよ!ちょっと気が動転してたんだ」


 僕はうずくまる先生の前に、両手を広げて庇うように立った。


「鵠沼くん!美咲が殴られたんだよ!」「そうだ!殴ったほうが悪い!」「どけよ!鵠沼」「俺たちが暴力教師を成敗する!」


「み……みんな……先生は……」


「アンタたち、うるさ〜い!!どいつもこいつも、子供のくせに大人を舐めるんじゃない!」


 壊れた……


 奇声を上げながら生徒たちに暴力を振るう睦先生……


 小柄な彼女は教科書を投げ、机を蹴り飛ばし、数人の生徒に怪我を負わせた……


 僕はただ……呆然と立ち尽くすことしか出来なかった……。


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「あなた……エリカの教え子ってことは……」


 俺と睦先生の視線を遮るように割って入った女性は、怒りで言葉が震えている。きっと、睦先生の友人なのだろう。この様子だと事情を知っているようだ。


「はい……光陵学園中学三年一組の卒業生です」

 俺はそう言った。


 パンッと腰の入ったビンタをもらい。ガシャっと地面にスマホを落としてしまう。殴られる覚悟で言ったのだが、震える俺の手にはチカラが入ってなかったようだ。


 参拝客が多数いて、行き交う人々は俺たちの場違いな雰囲気を物珍しく見ている。だが、それも長くは続かない……。


 ザァーッと突然の大雨に人々は俺たちを見ているどころではなくなったのだ。


「ちょっと!涼風すずか!鵠沼くんに何してるの!?」


「エリカは黙って!」


 その強い口調に睦先生は怯えるように両手で肩を抱く。こんなことで怯えるなんて……やはり先生の心は……まだ……。


「あなたたちのせいで……エリカは……エリカは……この子の夢を!心を壊して……う、うう……それなのに、あなたたちはのうのうと生活してるんでしょ!」


 土砂降りの雨の中……涼風さんという人は俺の胸ぐらを掴みそう言う。彼女は泣きながら俺に訴えている……。


 涙は雨で掻き消されるが、心の傷は残るんだと……。


 過去橋にいるのは俺たちだけ……雨に打たれてずぶ濡れになっても彼女は俺を離さず、睦先生は両肩を抱いたまま俯いている……。




 俺から言えることは一つだけ……。


「睦先生……僕はまだ、あなたに期待していいですか……?」



「――!」


 

 胸ぐらを掴む彼女にではなく、後ろで怯える睦先生を見て言う。



 勇気を出して、睦先生の目を見て……


 あの頃の彼女に向けた笑顔で……



 目と目が合った時……俺たちの間に流れ込む記憶がフラッシュバックしていく……。



「あなたねぇ!何言ってんの!エリカはねぇ……」

「涼風!」

「――!エリカ……?」

 

「彼は違うの……彼は、私の初めての教え子よ」


 睦先生はそう言うと、胸ぐらを掴む彼女の手をそっと外し……


「エリカ……」


 俺を抱きしめた。 


「鵠沼くん……また背が高くなった……?」


「……睦先生が縮んだんじゃないかなぁ?」 

「フフフ、何それ?ヒドい……君はずいぶん大人になったんだね」


「少しは睦先生に近付けましたかね?」

「歳の差は変わらないよ」

 

「変わりますよ……だって、あの時子供だった僕は、もう大人になってるんだから……」


「生意気〜!」

「ハハハ、睦先生……?」

「うん?」

「抱きしめられて嬉しいですが、俺も大人なんで……そろそろ解放してもらわないと……」


「ダメ!鵠沼くんは、私がいないと無理し過ぎるから!」

「いや……あの……連れがいまして……」

「えぇ〜?彼女〜?」

「いえ、そういうのではないんですが……」


「エ……エリカが……どうして?……顔が雰囲気が、あの頃に……う、うう……戻って……」


 土砂降りの中、睦先生に抱きしめられたまま、傘を差した二人が視界に入る。


「デク……その人……」

「ユキタカくん……」


 これには、とてつもなく深い理由がありまして……

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