見知らぬ天井
看護師の勤務体制は2交替制と3交替制とある。俺の母親は後者だ。日勤、準夜勤、夜勤とあり、かなり過酷な仕事だと思う。
離婚したことで一時的に実家に戻ったが、爺さん婆さんとは反りが合わないようで、結局は俺と二人暮らしだ。
親父と妹は神奈川に住んだままで、時折連絡がある程度。いや、妹からはよくメールがくるが俺はあまり返信をしない。彼女のことは今はそっとしておきたい……そんな感じだ。
なぜ、妹が親父のほうにいるかというと……母親と反りが合わないのだ。つまり、うちの母親は性格的にかなりクセがあるということだ。
そんなことを考えつつ、自分がいったい今どこにいるのかを推測している。
ふわふわのベッドに、いい香りのする部屋。カーテンもこだわっているのだろうシンデレラのブルーカーテン。ラグジュアリーな照明も部屋全体に統一感を持たせている。
きっと夢の国が好きな女の子が使ってるんだろう……。女の子?ヤバいんじゃないか?
barで一人寂しく飲む女性に声をかけ、意気投合した男女は一夜限りの関係に……朝目覚めると隣には裸の女が……とかいうシチュエーションじゃないよね。まさかシャーマンであるこの俺がそんな暴走を……。そういえば碇シンジも暴走した後に見知らぬ天井に遭遇した。そんなことを岩国先生に言ったら何て言うだろう……。
「守日出くんのお母様と連絡がついたわよ〜。今日は準夜勤だから夜中にしか帰れないそうなの〜。まだベッドで寝かせてるから、起きたらご飯にしましょうね」
「お母さん、ユキタカくんを泊めちゃダメかな?」
「デクを家で一人にさせられない……だっで……大怪我じでるんだぼん……うう」
なん……だと!?俺は八蓮花家にいるのか!?
ドアのに向こうから聞こえてくる声は3人!つばき、セカン、それにさくらさん。まさか……お、お父様もいらっしゃるのではないか!?これは早急に退散しなければ!
つばきとセカンも何を言ってるんだ。泊まるなんて、そんなこと無理に決まってるだろ!
「そうね〜。今日はお父さんもいないから内緒に出来るならいいけど〜」
なぁんだぁ〜お父様がいないんだったらいいかぁ〜……いや、ダメだろ!
お父様がいらっしゃらないのは助かったが、女性3人の中に思春期真っ只中の男子を泊めるなんて、君たちが許しても世間が許さんぞ!
「私もそれがいいと思いますよ。幸い明日は学校も休み、彼には今日と明日はゆっくりとした休養が必要だと思われます」
「ほらお母さん、岩国先生もこう言ってくれてるよ」
「うう……わだじのぜいでデク……」
アンタもいたんか〜い!……まぁテーピングが綺麗になってるから有難いけど……。
「私は医者でもあります。皆さんが診ていてくれたら私も安心です」
岩国先生……。俺のために……アンタ、ただの変態じゃなかったんだな。
「そういうことなら早速守日出くんのお母様に連絡してくるわね!」
さくらさん、軽っ!
「しかし、まさか八蓮花が双子の姉妹だとは知らなかったなぁ。この泣いてばかりのほうが八蓮花つばきだな。保健室でも泣いていた」
ま、まずい!入れ替わりはどうなっている!
「あ……」
「そうです。姉のつばきはいつもはこうではないのですが、学校で何かあったのでしょう。今日は情緒が不安定なようです」
「そうだろうな……今日はいろいろあったからな」
さ、さすがつばき……いち早く状況を把握し瞬時に入れ替わったな。ここまで運んでくれたのが岩国先生だとすると、そう答えるしかない。
後夜祭のとき、セカンの制服は濡れていて俺のジャージを着ていた。さくらさんから見てもセカンが青蘭の制服を着ていなかったからなんとかなったんだな。まぁ、さくらさんは何も気付きそうにないか……天然だから。
「しかし、こんな美人な双子に囲まれて守日出は幸せ者だな。私も妄想が
おいおい、セクハラ変態教師が漏れ出てるぞ。俺と双子姉妹とで何を妄想してるんだ。捗るとは何だ!捗るとは!
「守日出くんのお母様から許可もらったよ〜。よかったら5年くらい預かってもらえますか?って〜。お母様って面白い人ねぇ〜」
いや、あの人の場合、冗談で済まないことがあるからな。5年っていったら大学卒業してるし……学費をケチろうとワンチャン考えてないか?
「そういうことなら私はこれで失礼するよ。美人姉妹で彼を癒してやってくれ……ムフフ」
コラ、変態!ムフフって言ってるぞ。
ガチャっとドアが開いた。会話の内容からここを覗くだろうことはわかっていたので寝たフリをする。
すみません。岩国先生……手当てまでしてもらいましたが、心の準備が出来ていないので寝たフリをさせてもらいます。このご恩は後日、体で返しますので……体で返すの怖いけど……。
「ふっ……まだ寝ているようだ。まぁいい、この借りは体で返してもらうからな!守日出……ムフッ」
この変態はエスパーかよ!岩国先生の旦那さん、早く相手してあげないと、この人いつか犯罪者になるよ。
岩国先生が帰り、しばらくは3人の声を聞いていた。つばき、セカン、さくらさんの話し声は、家族だなぁと聞いていて心地が良かった。
誰かがいる安心感というものが自分にも残っていたんだと感じる。
母親が3交替だと日頃からまともに一緒にいることはない。身のまわりのことは自分でやる。むしろ、母親の面倒を俺が見てるといってもいいぐらいだ。
神奈川にいた頃とはずいぶん生活が変わった。あの頃はたしかにあったんだ……別の部屋から伝わる温もり、少し遠くに聞こえてくる話し声……懐かしい……ガラにもなくそう思っているとまた少し眠くなっていた。
そんなに長くは寝てなかったと思う。目が覚めたが目が開けられない……なぜかって?……誰かが俺のことを見ている、髪を触っている、手も握ったりしているんだ。
恥ずかしい。俺が寝ている状態をいいことにやりたい放題だ。華奢な指先が俺に触れる……くっ……目を開けられないから想像が膨らむ……つばきがイタズラしてるのか?
セカンが文化祭テンションでまた子犬のようになっているのか?
吐息がかかるくらい近い気がする……俺は今、夜這いをかけられている……そう妄想せざるを得なかった。
「ありがとう……」その呟きとともにキュッと手を握られた。声を聞くと、それがさくらさんであることが分かる。
どうやら俺は人妻にモテるらしい。
岩国先生とさくらさんの旦那さんから殺されないようにしなければならない……と思いつつもドキドキした。だって、さくらさんめちゃくちゃ綺麗だもん。
20歳くらい離れててもいいっすよ。ダメなら俺の母親になってもらえませんかねぇ。入れ替えましょう!姉妹が入れ替わったように母親も入れ替えちゃいましょう!
「ちょっと、何してるのお母さん!」
「あぁ……待って、あやめ!もう少しだけ……引き離さないで、あやめだけ守日出くんを独り占めはズルいよぉ〜」
「もぉ、油断も隙もないんだから!わたしもお風呂入るから、デク起こさないでよ!」
目を開けてはいないが、どうやら、さくらさんはセカンに引きずられていったようだ。セカン……もう少し遅くても良かったぞ。
目を閉じたまま、ぼんやりと自分の置かれた状況を考える。どうして俺の意識が無くなったのかはどうでもいい、俺はかなりの人間に嫌われているから大体の想像はつく……それよりも、誰が服を脱がし、身体を拭き、着替えさせてくれたのか……理由よりそっちのほうが気になる。そして恥ずかしい。
「ユキタカくん、本当はもう起きてるでしょ?」
ギシリとベッドが軋む。ふわりと鼻腔をくすぐる甘い香りが風呂上がりなのだと想像させる。
ベッド脇に座ったのだろうか、少しだけ体温を感じる距離、耳元で囁くのは……つばきか。
くっ……すでに俺の覚醒に気付いている!?
そして、耳元で囁くのはやめて!
思春期男子を舐めてもらっちゃ困る。いろいろと問題が起きるのでシャーマンモードを実行する。
つばきの問いには答えずに、あわよくば、このまま朝まで寝てしまおうと……。
「あわよくば、このまま朝まで寝ていようと考えてるでしょ?」
――!ここにもエスパーがいたか!もっとも敵に回してはいけないのは、神代でもクラスの一軍ギャルでもない!この八蓮花つばきなのだ!
「イタズラしちゃいますよ!」
つばきのイタズラにも興味はあったが、シャーマンから天使にクラスチェンジするといけないので、観念して目を開けることにした。
すると、目の前にはクラスチェンジするまでもない天使がいた。
潤んでもいないのにキラキラと輝く瞳、潤いのあるクチビル、陶器のようにキメが細かい白い肌、サラサラで絹のような髪……
その天使と目が合い、ゴクリと生唾を飲み込んでしまった。
どうしてそうなるんだ?
俺は起きているんだぞ
いや、寝ていてもこれは違うだろ……
つばきは俺にキスをしようとしている
これを拒絶する勇気は無かった……。
目と目が合ったまま……。
無言であることが合意なのだと……。
その瞳に吸い込まれるように、受け入れた。
キスをするときは息はするのかな?
目を閉じるタイミングはいつなんだろう?
つばきの吐息が俺の唇に触れ
ドクンと胸の鼓動を感じると思考が俺の中を巡る!
キスで唇が重なると、俺の上唇は彼女の上唇の上にあるべきか下にあるべきか……そんなことを考える時間が無限にあるように感じたのは、ドーパミンが大量に分泌されたからだろう。つまり、神経伝達物質であるドーパミ……
フラッシュバックのように、切り取られた思い出が浮かぶ……彼女のむくれた顔、泣いて目も腫れ鼻水を垂らしたブサイクな顔、華奢な体の感触、見上げる可愛い笑顔……
セカン……思い出のグリーングラスの曲とともに彼女を胸に抱いていたあの時間が脳内を支配する……俺は……
コンコンッとノック音で我に返る。
ガチャッとドアが開くと「つばきちゃん、ここにいたの?」……さくらさんがこの部屋につばきを探しにきたようだ。
「うん、ユキタカくんの様子を見にね!」
「つばきちゃんも心配だよねぇ私も〜」
ベッド脇の重みは無くなっていた。
いつのまにか握られていたはずの俺の手には微かにつばきの温もりが残っている……。
キスの直前、いつ目を閉じたのか分からなかった俺は、その唇が触れたのか触れてなかったのかすら分からないキス未遂に困惑していた。
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