ここでキスして

 キスは麻薬だ……唇を重ねたときに相手の感情が流れ込む。快楽が脳を溶かし、呼吸を忘させ、頭に酸素が届かない。酸素欠乏症が記憶障害を引き起こし、その後の事はあまり記憶にない。


 バーベキューをしたことも、ぼんやりとしか覚えていない。当たり障りのない会話をして、なんとなく、そこにいた……そんな感じだった。


 あやめは普通だったと思う。つばきや瑠花と普通に接していた。俺はただそれを眺めていたに過ぎなかったのだろう。


 家に帰り着き、自室で見慣れた天井を見ながら、そんなことを考えていた。



 次の日、目が覚めると午前7時20分……学校には間に合わないと思い、俺は課外に行かなかった。


 無遅刻無欠席……進学に有利だと、頑張ってきたが今日でそれも叶いそうにない。受験は一般入試で頑張ろうと心に決めてLINEのページを開く。


 今日は、つばきとあやめのどっちが学校に来るのか分からなかったので、グループLINEに連絡を入れる。


 グループLINE[なかよ4]


 自分 [体調不良で学校休みます]


 つばき[どうしたの?]


 あやめ[えぇ〜!?わたし学校なのに!]


 瑠花 [今日、あの人いますか?]


 自分 [海の疲れかな?寝れば大丈夫だと思う]


 瑠花 [今日、あの人いますか?]


 つばき[私、家に行こうか?]


 あやめ[わたしも行きたかった〜(>_<)]

 

 自分 [大丈夫だ。明日にはまた学校に行く]


 瑠花 [今日、あの人いなかったら行きます]



「やっば!ユキ!朝ご飯ないじゃん!」


 ガチャッとノックもせずに部屋へと入って来るのは、守日出四葩もりひでよひら……母親だ。


「ああ、悪い。今日はコンビニで済ませてくれ」


「――ハァ?だったら早く起こしなさいよ!遅刻するでしょうが!」


「スマホを見てみろ。何度もコールしたが起きなかったんだよ!」


「だったら、叩き起こしなさいよ!」


「この前、叩き起こした時に、ブチ切れてたのはどこのどいつだ!スマホをコールして起こせと指示したのはアンタだろうが!」


「ちぃ!気が利かないな!」


「ほら!早く準備しないとマジで遅刻するぞ!」


「――あぁ!もう30分!」


「車を飛ばせば10分で着く。5分で準備して出ればギリ間に合うだろ?」


「ぐぬっ!夕飯は任せたよ!」


「はいよ!」


「……っていうかユキ、学校は?」


「体調不良で休む」


「……あっそう、連絡は自分でしなよ」


「問題ない。担任にはメール済みだ」


「ちぃ!お気楽な学生め!」


「あと2分で準備しないと遅刻だな」


「どわぁ〜!ヤバい!」


 四葩は普段からこんな感じだ。身の回りのことは、俺がいないと何も出来ない。いや、出来ないんじゃなくて、実はしないだけだ。


 なぜ、そう思うのかというと、この人の仕事っぷりを見て驚愕した……忘れ物を届けに行った時のことだ……看護師長として君臨していただけでなく、医師すらも手足のようにコキ使い、指示を出していたのだ。


 周りからの信頼感?……恐怖?……肌で感じたものは、やっぱこの人怖ぇ〜だ……幼い頃からマッサージを擦り込まれ、奴隷のようにやらされていた事が頭をよぎる。


 支配者とでもいうべきか……守日出四葩は自らのテリトリーを支配する。まぁ、普段はこんな感じで、だらしない人間だがな。


「んじゃ行くけど……アンタ、ホントに体調悪いの?そうは見えないけど」


「――うぐっ!」


 見抜かれているか……。


「まぁ、いいけど。瑠花に欲しい物でも頼んだら?」


「――瑠花が来てるの知ってたのか!?」


「やっぱ、来てるのね。来てるなら顔出せって言っといて」


 カマをかけられたか……。


「自分で言えよ」


「ふん、あの子にはアンタが言うのが一番なのよ」


「……分かった、いちおう言っておく」


「あと……あやめちゃんだっけ?さくらさんとこの……今度紹介しなさい!」


「――!」


 さくらさん……付き合ってるの言っちゃったか……。


 四葩はバタバタと準備して出て行った。


 昨日から食欲がないので朝風呂でも入ってゆっくりしておこうと、とりあえず瑠花にメールをする。


 [今日、ヤツは日勤らしい。それまで、来てていいぞ]


 [わかりました。適当に何か買って行きます]


 [朝風呂入るから、来たら勝手に上がっててくれ。カギはメーターのとこに置いておく]


 [無用心ですね]


 [今日だけだ]


 [了解です]


 風呂を溜めている間に部屋の片付けをして、無駄な時間をなくす。とりあえず瑠花はまだ来ていないのでカギをメーターの上に置き、カギを閉め風呂に入る。


 風呂……風呂はいい。基本的に夏はシャワー派だが、何か考えたい時は風呂に入る。キスのこと、あやめのこと、つばきのこと……過呼吸になっていたからといってもキスはキスだ。


 あやめが過呼吸にはキスが有効だ、なんてことは知らないだろう。つまり、二人を好きだと言った俺を受け入れてくれた。


 大好きだと言ってくれた……だが、正直どうしたらいいのかわからない。


 この夏に、期間限定とはいえ、俺はつばきとあやめの彼氏となっている。例え受け入れてくれようとも、俺自身が自分に嫌悪感を抱くとあんなことになる。


 あやめのキスに救われたのは、身体だけじゃなくて心もだ……あの時、俺は壊れそう心をすんでのところで繋ぎ止めたのだ……。


「ハァ……つばきに何て言おう……」


 風呂に浸かり、そんなひとりごとを言っていた。


「あやめと何かあった?」


「ああ……キスされた…………ん?……………は?」


 ガチャッと風呂場のドアが開くと、つばきが立っている。今までのカジュアルな雰囲気とは一転して、可愛らしい白のワンピース姿……髪は下ろして毛先がウェーブしている。品のあるお嬢様スタイルは、とても似合っていて綺麗だ……それでいて……って!


「バ、バカ!どうしてここにいる!というか覗くな!」


 つばきは浴室にペタペタと入って来て風呂の中を覗き込む!バシャッと、俺は大事なところを瞬時に隠した。


 つ、つばきさん……彼女だからって、なんでも許されるわけじゃないですよ。


「ユキタカくん……元気そうだね」


「あ……ああ……さっきまでキツかったんだよ……」



「はぁ……良かった……心配だったんだよ」


「お……おお……悪い……」


 つばきはチカラが抜けるようにバスタブにもたれた。白いワンピースが濡れていくことなんて気にする様子もない。


「つ、つばき……とりあえず……服が濡れるから浴室から出ないか?というか、もうけっこう濡れてるんだが……」


「そんなのいいから、あやめとキスしたってホント?」


「………………ああ……した……ごめん……」


「どうして、謝るの?彼氏なんだから当たり前でしょ?」


「あの……とりあえず風呂から上がってもよろしいでしょうか?」


「どうぞ」


「いや……つばきがいると恥ずかしいんだが……」


「じゃあ、ここでキスして」


「――は?今?ここで?俺、裸なんだけど」


「ここなら邪魔が入らないでしょ」


 つばきは珍しく拗ねたように口を尖らせた。


「あ、あやめの時は、俺が過呼吸になってたんだ……それであやめも夢中だったんだ……と思う」


「じゃあ……公平に私からキスするね!」


「――!ま、待て……せめて服を着させてくれ!」


「だって、無防備じゃないとユキタカくん……拒否するかもしれないから……」


「しないしない!とにかく落ち着け、つばき!」


「ううん、あやめと先にキスしてるからきっと拒否する」


「わかった!約束する!」


「本当に?」


「ああ、本当だ」


「……ダメ、やっぱりここでキスする!」


「あ、危ないって!滑るから!」


「大丈夫!」


 バスタブの中へと身を乗り出したつばきの顔が浴室の温度で上気している。髪も湿気を帯びてしっとりとして、取れかけのカールが濡れたワンピースに張り付く。


 俺の両手は大事なところを隠して身動きが取れない。


 つばきが思いっきり身を乗り出したとき!


 バスタブで手を滑らせたつばきは、体勢を崩して……「――あっ!」とバスタブの中へ……バシャンッと湯船にダイブしたつばきは、俺と混浴状態だ。


 そこへ……ガチャッとドアが開く。


「おう、ユキ!風呂か?今日、準夜勤だったわ……は?……ユキ……お前……なんだその子は?」


「あ……誤解するなよ。これには話せば長くなるほど深い理由があってだな」


「ユキタカくんの……お、お母さん?」


 丸裸の俺が、びしょ濡れで下着スケスケになったつばきと混浴中という最悪の状況で、守日出四葩もりひでよひらが帰って来た。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る