リタイア剣聖のたのしい武器づくり

いちいちはる

第1話

 しまった、と思った時には既に光が目前に迫っていた。

 アルシスは咄嗟に手を伸ばし、傍らの小さな身体を突き飛ばす。直後に降り注いだ光はアルシスの背を強かに叩き、伸ばした腕を弾き、防具のない手の甲を貫いた。

 凄まじい衝撃に、くそったれ、と口の中で呟く。

 アルシスは辛うじて無事だった利き手で、鞘からナイフを引き抜いた。手首を返す要領で鋭く投擲する。空を切り裂く勢いで飛んだナイフは、アルシスが狙い定めたとおりに魔獣の額に深く突き刺さった。

 一撃で絶命した魔獣が、どうと轟音立てて地面に崩れ落ちる。そのままぴくりともしない巨体を油断なく睨みつけながら、アルシスは腰に下げた荷袋から小瓶を取り出した。

 手探りで栓を抜き、瓶の中身を傷口に振りかける。

 銀貨二枚もする高級傷薬だ。値段は張ったがそのぶん効果は確かであるようで、手のひらの肉を貫くほどの傷がみるみるうちに塞がっていく。だが傷は塞がっても受けた衝撃の影響は凄まじく、手首から指の先まで痺れが残っていた。

 試しに手を握ったり開いたりしてみたが、まるで力が入らない。アルシスは背筋にひやりとするものを感じながら、倒れ伏した魔物に近づいた。

 熊に似た魔物だ。

 学術的な名称はあるのだが、その見た目から冒険者たちはクローベアと呼んでいる。

 熊のそれよりも身体は倍ほど大きく、牙も爪も恐ろしく鋭い。そしてアルシスが投げたナイフが刺さった眉間には、これがただの獣ではなく魔物である証の魔石が輝いていた。

 血のように濃い赤をしたそこにひびが入っているのを見て取って、アルシスはようやく警戒を解いて魔物からナイフを引き抜いた。

 ふう、と息を吐いて背後を振り返った。

「よう、おちびさん。無事か?」

 先ほど突き飛ばしたきりだった小さな姿に声をかける。

 十やそこらの少女だった。糊の利いた白いシャツに、仕立ての良さそうな臙脂色のスカート、革の短靴という、絵に描いたような良家の子女の出で立ちだった。

 肩より長い髪は金の巻き毛で、耳の上で二つに括られている。括られた左右で高さが違うのは、木の枝か何かで引っ掛けたからだろう。

 白い滑らかそうな頬には、うっすらと赤い掻き傷が出来ている。傷薬を残しておけば良かっただろうか、と思いながら、アルシスは少女に近づいた。

「立てるか?」

 少女がこくりと頷く。

 アルシスを見上げる瞳は空のような青色で、溢れる涙で潤んでいる。

 よほど恐ろしかったのだろう。目の縁も鼻も真っ赤になっていて、幼いその様子がいかにも哀れだった。

 手を差し出すと少女は瞬いて、おずおずとアルシスの手を取った。立ち上がらせてやってからざっと検めてみたが、頬の掠り傷以外は怪我をしている様子はなかった。

「――リリシア・ドゥラン、だろう? 書き置きを見た親父さんから、おちびさんの捜索依頼が出ている。無事なようでなによりだ」

 それにしても、と言ってアルシスは苦笑して言う。

「家出をするのは結構だが、今の時期に森に入るのは自殺行為だぞ。これに懲りたら、家出の計画は逃走経路も含めてよく吟味することだ。逃げるつもりが、怪我をしてもつまらんだろう」

 小さくしゃくりあげた少女が、瞬きをする。

「……家出したこと、叱らないの?」

「そういうのは親父さんの仕事だ。俺はおちびさんを無事に連れ帰ることが仕事だからな」

 言って少女の頭を撫でてやる。

 少女は驚いたように目を見張り、それからくしゃりと笑顔になった。

 泣いたカラスがなんとやら、とはよく言ったものだ。さりとてぐずられるよりはよほど良い。

 アルシスは内心ほっと息を吐いて、周囲を見渡した。

 鬱蒼とした木々を越えた先にある街道の方向から、近づいてくる人の気配がする。

 少女の探索に駆り出された者たちだろう。派手に足音や物音を立てるのが煩わしく、それで行動を別にしていたのだが、どうやら痕跡を辿って追いついたらしい。

 引き渡す手間が省けたな、と思いながら気配のするの方へと進むと、ややあって探索隊の一団とかちあった。

「おお、アルシス殿、ご無事でしたか!」

 隊を率いて先頭を歩いていた男が、アルシスを見て安堵した声を漏らす。そしてアルシスの傍らに少女に気付いて、ぱっと表情を明るくさせた。

 男は倒けつ転びつ駆け寄ってくると、額に浮かんだ汗を拭いながら言った。

「ああ、リリシアさま、良かった。ご無事で本当に安心しました。ドゥランさまがとても心配なさっておいでですよ。部屋で書き置きを見つけた奥さまは、心労で倒れて寝込んでいらっしゃいます。まったく、どうしてこのような愚かな振る舞いをなさったのです。リリシアさまはドゥラン家を盛り立てていかなければならない立場ですのに、このような振る舞いをなさっては困りますよ」

 立て板に水の勢いで話す男を半ば強引に遮り、アルシスは苦い声で言った。

「説教なら後にしてやれ。それよりも冒険者ギルドへ遣いを出したい。悪いが探索隊からひとり貸してもらえないか?」

「……ギルドへ、ですか? それは構いませんが、一体なんのためにでしょう」

 アルシスに配慮してか、すげなく断りはしなかったが、その表情には不満がありありと浮かんでいる。

 何を考えているのか丸わかりで扱いやすいが、身近にいて楽しい相手ではない。先ほどの物言いと言い、少女が家を出たくなる気持ちが分かろうというものだ。

 アルシスは唇の端に苦笑を浮かべると、呆れを隠しもしない口調で言った。

「つい今しがた、クローベアを仕留めたところだ。クローベアが獣海嘯の先触れと言われているのは、さすがにあんたでも知っているだろう? ここいらに遺跡の入り口はないが、用心しておくに越したことはないからな」

「な、なんっ、なんだって!? クローベアだと!?」

 男が叫ぶように言って、周囲がざわりとする。

 国土に根を張るようにひろがる地下遺跡と、そこに眠る旧世界時代の財宝、生息する魔物から得られる魔石や素材で繁栄を享受してきたこの国は、他方少なくない問題を抱えている。

 数あるその内のひとつが、地下遺跡に飽和した魔物たちが地上へと溢れ出てくる『獣海嘯』と呼ばれる現象がそれだっだ。

 歴史を紐解けば建国の時代から存在しているこの事象は、だが発生のメカニズムすら未だ解明されていない。過去には探索し尽くされ閑散としていた地下遺跡から、魔物たちが突如として現れたという記録もある。

 遺跡から溢れた魔物は周囲の町や村を飲み込み、何もかも破壊し尽くした後、最後は共喰いによって沈静化する。人の手では防ぐことも、止めることも出来ない災害だ。人に唯一出来ることがあるとすれば、頑丈な建物に籠もって神に祈るのみである。

 そんな厄介な事象ではあるが、いくつか先触れと呼べるものが存在する。そのひとつがクローベアだった。

 本来であれば遺跡の最奥部に生息する高ランクの魔物だが、ごく稀に地上に現れることがある。そしてその出現からしばらくすると、地下遺跡から大量の魔物がどっと溢れ出すのだ。

 泡を食ったように慌てている男に、アルシスは呆れを含んだ口調で言った。

「だからギルドへ連絡が必要なんだ。理解したなら、急いで人を出してくれ。連絡は早いに越したことはないだろうからな」

 こくこくと頷いた男が、つばを飛ばす勢いで捜索隊に指示を出している。

 慌ただしく動き出した彼らを横目に、アルシスは眉間に深く皺を刻む。

 すぐそばに迫った災害に対して、負傷した左手を抱えた自分は、果たして役に立てるだろうか。痺れの残る手を握りしめながら、そう胸中で苦く呟いた。

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