第19話
庁舎は王都の遷都から間もなく建てられたもので、それで王城のそれと印象が似通っていた。左右対称の三階建てで、中央棟に高い鐘楼が据えられている。鐘楼に飾られた国旗と都旗とが、風に吹かれてはためいていた。
庁舎の入り口には騎士団のお仕着せを身に纏った騎士たちがいる。彼らはアルシスに気づくと、親しみのある笑みを浮かべて略式礼を取った。
気の良い彼らに軽く手を振って、アルシスは王都庁舎へと足を踏み入れた。
外見は歴史を感じさせる石造りの建物は、だが中はずいぶんと近代的な様相だった。
魔石灯に照らされた室内は明るく、入ってすぐのロビーには椅子がずらりと並んでいる。奥にはカウンターテーブルがあって、どうやらそこで受け付けをするようだ。
係員に声を掛けて用件を告げると、案内されたのは階段を上がった先、二階にある部署だった。
聞けば地方への移住希望者は少ないらしい。すぐに対応されると思いますよ、とにこやかに微笑む係員に送り出され、アルシスは長い石階段を上った。
二階には大きな絵画の飾られたホールがあって、そこから左右に廊下が伸びている。案内表示に従って進むと、丸テーブルがいくつかとカウンター、奥に事務机が並ぶ部屋に行き着いた。
暇そうにしていたお仕着せ姿の青年が、アルシスを見てはっと姿勢を正した。
「こんにちは、移住のご相談ですか? どうぞ、よければこちらにお掛けください」
茶色の髪をきっちり撫で付けた、真面目そうな青年だった。
彼に促されるままカウンターの席に着いて、アルシスはざっくりと自身の事情を打ち明けた。
話を聞いていた青年が、少し難しそうな顔になる。
「……鍛冶工房ですか。職人さんは独立すると、修行元から離れなければならないから大変ですね」
とおり一遍というふぜいで言って、青年は綴られた書類の束をいくつかカウンターの上に載せた。
移住を受け入れている都市の資料らしい。資料には領主の名に始まり人口や、気候や土地の性質に地価、付近の地形と地下遺跡があるかどうかなども記されている。
青年が示したのはどれもこれも、街道沿いにある規模の大きな都市だった。
工房を開くことを考えれば妥当な選択だが、しかしどうもあまりぱっとしない。さてどうしたものか、と思っていると、奥から女性がやって来るのが見えた。
眼鏡をかけた、堅物そうな印象の女性だ。切りそろえられた癖のない黒髪が、肩の長さで揺れている。
彼女はアルシスをじっと見つめてから、青年に向かって言った。
「良ければ代わりますよ。職人の地方斡旋でしたら、私の方が詳しいですから」
「ああ、ベリンダさん。良かった、助かります。自分には分からないことが多くて」
言って青年は席を立つと、アルシスに断りを入れてからその場を離れていった。代わりに席に着いた黒髪の女性が、にこりともせずに言った。
「ベリンダ・アシェルと申します。移住に関して、できる限りご希望に添うよう努めたいと思います。どこかご希望の土地はございますか? 具体的な地名でなくても、なんとなくの条件でも結構ですよ」
女性にしてはやや低く、だが聞き取りやすい声だった。話す言葉も知性を感じさせる。
ベリンダ、と名乗った彼女は、青年が置いていった資料をちらと見て、小さく苦笑を漏らした。
「……これらの土地はお気に召しませんでしたか?」
アルシスも苦笑する。
「こう資料ばかり並べられると、どれを選んだら良いのやら、でね。地下遺跡の有無が分かるのは助かるんだが、できれば住人の雰囲気も知っておきたい。商売をするなら大事だろう?」
「ごもっともです。――住まう人々の気質で言えば、山脈が連なる北部や国境に近い東部は、余所から来た方に厳しくあたることがあります。警戒心が強いのでしょう。ですが土地に馴染んでしまえば、誰もが優しく親切です」
余所者を拒む気風はどこにでもあるものだが、敢えて指摘するということは相当なのだろう。
ふむ、と頷いたアルシスに、ベリンダが言う。
「西部も同じく国境に面していますが、隣は友好国です。文化の流入もありますし、新しいものを取り入れる度量があります。海に面している南部も同様ですね。ただこちらは海運業を担う者たちが幅を利かせていますので、住人も少々荒っぽいです」
「なら、おすすめは西か南かい?」
「そうですね。ですが個人的な所見を言わせていただくなら、南――特にウェプリコッドをおすすめします」
「有名な交易街だな。……理由を訊いても?」
アルシスの問いに、ベリンダは微かな笑みを浮かべてみせた。
そんなふうに微笑んだ彼女は、冷たく事務的な雰囲気が消えて、理知的で美しい女性に見える。頬に零れた髪を耳にかけて、ベリンダは淡々とした声音で言った。
「先ほども申しましたとおり、南部に住まう者たちは血の気が多いです。街を守り住人を守る、という気概に溢れているからでしょう。それはつまり武装し戦うことを厭わない、ということでもあります。優れた武器工房は、間違いなく歓迎されますよ」
そう語るベリンダの様子に、おや、と思う。なんとなくだが彼女の口調が、その土地をよく知る者のそれであるように感じたのだ。
「……なあ、お嬢さん。ずいぶんと熱心にウェプリコッドを薦めてるが、もしかして土地の関係者だったりするのかい?」
苦笑含みに問いかけると、ベリンダがくすりと微笑った。
「申し訳ありません。少し、あからさまでしたね」
言って彼女は悪びれる様子もなく続けた。
「実を言うと、ウェプリコッドは私の故郷なんです。ですから優秀な方には、こうしてこっそり声をおかけしております。良き人材を得ることは、故郷のためになりますでしょう? もちろん、移住する方にも利点はご用意できます。実は私の兄が警備団に在籍しておりますので、多少でしたら融通を利かせることも可能です」
「なるほど、それは心強い」
迂遠な言い回しだが、要するに武器の売り先を確保してやろう、ということなのだろう。
遊びや酔狂で工房を開く訳ではないのだから、商売として成り立つと予め判っているのはありがたい。しかも警備団への口利きだ。これはなかなかの好条件ではないだろうか。
アルシスの心が揺れたのが分かったのか、ベリンダが笑みを深めて言った。
「こちら、資料をお渡ししておきますね。ああ、そうそう。兄でしたら商業ギルドにも顔が利きますから、土地購入する際にもお力になれると思います」
いたれりつくせりである。あまりに都合が良すぎて怪しいと思えてくるのだが、ベリンダはアルシスの警戒を見透かすような微笑みを浮かべてみせた。
「……ウェプリコッドが、あなたの立場や名を利用することはありません。それは断言します。ですが元剣聖をお招きすることは、我々にとって間違いなく大きな利益となるでしょう」
ですから、と言ってベリンダはファイリングされた資料をアルシスに差し出した。
「ぜひとも、ウェプリコッドにお出でいただきたいと思います。――どうぞ、これを。良いお返事を、心よりお待ちしておりますね」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます