第20話
ナイフが七本に、槍の穂先が三本。ダニエルから頼まれていた生成をこなすと、アルシスは工房内に据えてある丸椅子に腰を下ろした。
先日、王都庁舎で渡された資料をテーブルに広げる。
資料の一頁目に書かれているのは、ウェプリコッドの簡易地図、それと周辺地域の情報だった。
主要産業は交易と漁業だが、内陸側にある鉱山も少なくない税収を上げている。国の管理化にある地下遺跡が二箇所、少し離れた位置に未調査の遺跡もあるらしい。
地下遺跡は国の管轄になるので、都市の警備団とは別に騎士団の拠点も置かれている。騎士団に関しての情報はさすがに少ないが、警備団については規模の詳細と、構成図まで記されていた。
さすがにこれは、移住担当の部署で得られる情報ではない。おそらくは兄が警備隊にいる、と言っていたベリンダが独断で横流ししたものなのだろう。
元剣聖であるアルシスを取り込みたい、という意図がひしひしと感じられる。
苦笑しながら資料を捲ると、次に載っていたのはウェプリコッドという土地の概要だった。
ウェプリコッドは領主ではなく代官が治める土地で、代官は五年の任期制、最長で四期まで務めることができるらしい。現在の代官は名をブルーノ・アシェルだ。どこかで聞いた覚えがある名だと思えば、ベリンダのファミリーネームと同じである。
先日のベリンダの振る舞いを考えれば、単なる同姓、ということはありえないだろう。親か兄弟、もしくは親類であることは容易に想像がついた。
「これは……そう簡単には逃してくれそうにねえなぁ……」
思わずぼやくと、生成武器の仕上がりを見ていたダニエルが顔を上げた。
アルシスが見ていた書類を覗き込んで、不思議そうな声音で言った。
「そいつは、移住先の候補か?」
「……ん? ああ、まあな。候補と言うか、熱烈な勧誘を受けてるところだ。貰った資料を眺める限りは、そう悪い土地でもないんだがな」
「ふむ、なにか引っかかるかね」
「あまりに話が出来すぎてるんだよ。上手い話には、ってよく言うだろ? かと言って騙そうって感じでもなくてなあ……」
言いながら貰った資料をダニエルに差し出す。ぱらぱらと頁を捲ったダニエルは、ひとつ頷いてから言った。
「――ウェプリコッドか。別に悪い噂は聞かんがね。ただ、ここにも書いとるが、領主を置かない変わった土地ではある。商業ギルドが強い影響を持っとって、冒険者ギルドなんかは頭が上がらんらしい」
「へえ、商売の土地ってことか」
「聞こえの言い方をするなら、まあ、そうだな。だが実際のところは、大昔に海運業とは名ばかりの、海賊連中が居着いてできた街だからなあ。
詳しいな、と言うとダニエルが肩を竦ませた。
「儂の師匠の工房が、ウェプリコッドの隣街だったからな。直接のやり取りは無かったが、噂話の類は色々と流れてくるもんだ」
「ああ、そう言えばクレイゲンで修行した、って言ってたな。それなのに、近場のウェプリコッドで工房を開かなかったのはなんでだ?」
資料を見る限り、人や物の出入りの多いさかんな栄えた街だ。
近くには鉱山もあるし、国外から珍しい素材も手に入る。ここまで工房を開くのに良い条件が揃っているというのに、遠く離れた王都まで出てくる必要はないのではなかろうか。
そう不思議に思っていると、ダニエルがなにかを噛みしめるような複雑な表情を浮かべてみせた。
「儂が修行しとった工房は、なにしろ規模がデカくてな。弟子も同時期に複数おって、まあ、それだけ人数がいたら、馬の合わない奴も出てくる。中でも兄弟子は性格が悪くてなあ……。顔を合わせれば喧嘩しとったもんだが、そいつが先に工房を開いたのがウェプリコッドだったのよ」
「なるほど、それなら選択肢には入らねえな」
「だろう? だがそいつも既に引退して、工房もだいぶ前に閉じたと聞いとる。儂の弟子だからと言って、厄介なことにはならんだろう」
そもそも鍛冶屋は独自のギルドを持たず、横の繋がりが希薄だ。師と弟子でさえ、独り立ちしてしまえば他所という扱いになる。ましてや兄弟弟子の工房のことなど、気にも留めないのが普通だった。
そう考えるとダニエルがそれを把握していたことは珍しいと言える。アルシスが不思議そうにしていたのが伝わったのか、ダニエルが溜め息混じりに言った。
「うちの亡くなった家内が、兄弟子の妹でな。親戚付き合いがあるから、ある程度の情報は入ってくるんだよ」
「嫌ってた兄弟子の妹と結婚したのか? そいつは……ずいぶんと物好きだな」
「うるせえ、勢いに押し負けたんだよ」
そう言うダニエルがあまりに苦い声と顔だったので、堪えきれず吹き出してしまった。
ダニエルが白い目を向けてくるのも構わず笑っていたアルシスだったが、家の方から気配がするのに気づいて視線を向けた。
今日はドナが食事を作りに来ているから、おそらく気配の主は彼女だろう。
そう思ったとおりに、ややあって工房に顔を見せたのはドナだった。エプロン姿の彼女は、困惑しているふうの複雑な表情で言った。
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