第24話
「――は? 俺が?」
唖然として言うと、クリスティアナが思い切り苦い顔になった。
「これだから、自分の価値に無自覚な奴は困るんだ」
「いや、だが俺は政治の知識も学もない、ただの元冒険者だぞ。そんな奴を代官にしようなんざ、いくらなんでも無理があり過ぎるだろうよ」
そんなもの、と言ってクリスティアナが鼻で笑う。
「後からどうにでもなる。知識がないなら学ばせてやれば良いし、それでも足りない場合に妻がいる。おまえもあいつと話して分かっただろうが、ベリンダは頭が良い。あいつが手綱を握れば、多少の駄馬でも問題なく走るだろう」
「さすがに駄馬って言い方はないだろ、駄馬は」
半眼になって返したアルシスに、クリスティアナが白けた目を向ける。
「別に間違った評価じゃないだろう? おまえは剣聖の名に恥ない優秀な剣士だが、人の心の機微に疎いところがあるからな。ベリンダから秋波を送られても、まったく気づいてないのがいい証拠だ」
「馬鹿言え。彼女は徹頭徹尾、事務的な態度を崩さなかった。あれで婿取りを警戒しろ、と言う方が無茶だ」
「……ふうん、彼女、か。ずいぶんと親しげに呼ぶじゃないか」
「おい。なんで、そこで拗ねるんだよ」
呆れ混じりに言うと、クリスティアナがぷいと顔を背けてしまう。それで取りなすようにお茶のお代わりと、アルシスの分の焼き菓子を差し出すと、クリスティアナは満足そうに頷いた。
どうやら彼女はドナの焼いた菓子も、お茶も相当にお気に召したらしい。
そちらも綺麗に平らげて、それからクリスティアナは真面目な顔で言った。
「おまえがベリンダを娶って、次か、その次辺りの代官になっても構わない、と言うならウェプリコッド行きも好きにすれば良い。だが……私は、おまえのそういう姿は見たくはないと思う」
「俺も自分が政治に向いているとは思わねえよ。それに女房の尻に敷かれるだけならまだしも、周りを親族で囲まれるのは、さすがにちょっとな」
それに本音を言わせて貰うなら、外堀を埋めて追い込むような遣り方は好みではない。それなら正面切って、婿にどうだ、と誘ってくれた方がよほど好感を持てただろう。
「しかし、参ったな。これで移住先探しは、また始めからか」
言って顔を顰めると、クリスティアナが躊躇いがちに口を開いた。
「この状況で言うと、妙なふうに取られそうだが……。実は、移転先に良さそうな土地なら、私にひとつ心当たりがある」
「――へえ、どこだい?」
わざわざ前置きしてまで言うのだから、なにか裏があるということはないだろう。
そもそもクリスティアナは、腹芸や工作の類を苦手としている。彼女の表裏のない真っ直ぐな気性を思えば、それも当然のことと言える。アルシスが勘繰りをしていないと分かったのか、クリスティアナはひとつ咳払いしてから口を開いた。
「王都から北、ヴァラルク山脈が見下ろす位置に、オルグレンという地方都市がある。おまえも、名前くらいは聞いたことがあるはずだ」
「ああ。中央街道から、少し外れたところにある街だろ? 近くに廃坑がある以外は、特色らしい特色もなかったと記憶しているが……」
「鉱山は一応、まだ生きてるらしいがな。――それはともかく、そのオルグレンの付近で先日、大規模な地下遺跡が発見された。今は騎士団が拠点を置いて、遺跡の調査をしているところだ。調査で特に問題が出なければ、じき冒険者たちに開放されるだろう」
「新しい地下遺跡か! しかも大規模となると……モストライドぶりじゃないか?」
思わず前のめりになったアルシスに、クリスティアナはやや戸惑いつつも頷いた。
「担当者も、同じことを言っていた。まだ仮調査の段階だが、モストライドよりも広くて、十八フィラールはあるらしい」
小規模な地方都市なら、まるごと入りそうな規模である。アルシスは興奮を隠せず目を輝かせたが、すぐに自分の左手を思い出して苦笑を浮かべた。
「……惜しいな。ギルドを辞めてなかったら、すぐにでも探索に乗り出したんだが」
「おまえが現役だったなら、騎士団も協力要請を出していただろう。……怪我は、どうなんだ?」
気遣う声音で問われて、アルシスは苦笑を深くした。
見た目にはなんの異常もない左手を、ひらひらと振ってみせる。
「普通に暮らしていく分にはまったく問題ない。鍛冶もやれてるしな。だが……ノールを振るうには不十分だ」
アルシスが冒険者として生きてきた時間は、ノールを手にしてからのそれとほぼ同じだ。物言わぬ剣であっても、アルシスにとってもはや相棒に等しい存在だった。
アルシスが剣聖の称号を得られたのも、ノールあればこそ。だが左手の自由が利かない現状、ノールの性能を万全に引き出すことは不可能だ。しかしだからと言って、今更ノール以外の剣を扱おうとは思わなかった。
ノールを扱えなくなった時点で、冒険者としてのアルシスは終わったのだ。
幾度も戦場を共にしたクリスティアナもそれを十分理解しているのか、食い下がるようななにかを口にすることはなかった。
そうか、と短く言ってから緩くかぶりを振った。
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