第34話

 少年が、そう大げさに言った時だった。

 軽いノックの音が響いて、扉の横で控えていたベティがそれに応じる。ひと言、ふた言の短いやりとりの後で、彼女は淡々とした声音で言った。

「客室の準備が整ったようです。メイドが案内いたしますので、どうぞ」

 アルシスはちらとエリックを見る。彼は頷いて、はきとした口調で言った。

「部屋の確認が済みましたら、後は自由に動いていただいて結構です。叔父が使っている客室以外は、どうぞ好きに見て回ってください。今はベティがついていますから、僕のことはご心配なく」

「それじゃあ、そうさせて貰うとするか。――ああ、そうだ」

 立ち上がりながら言って、アルシスはベティに視線を向ける。

「街に宿を取っているんだが、誰か荷を取りに行ってほしい。それと後で、そこの彼女と話す時間を設けてくれると助かる。自由に動いて良いと言っても、今の俺の本分は護衛だからな」

 エリックの動きを知っておきたい。そう言うとベティは少し嫌そうな顔をしたが、エリックが許可を出すと、不満などまるでない、というふうに素早く態度を取り繕った。

 表情に乏しい割に、意外と感情が読みやすい。思わず笑ってしまうと、すれ違いざまにベティが眉間に皺を寄せたのが分かった。

 アルシスを客室まで案内してくれたのは、栗色の髪をした明るい少女だった。

 商家の生まれで、行儀見習いというかたちで働きに出ているらしい。

 彼女はアルシスに興味津々という態度だったが、客室に案内すると長居はせずに去って行った。

 なんでも今は人手が足りなくて、お喋りをしているとベティに叱られるらしい。

 この様子なら、館内をうろついても見咎められることはなさそうだ。

 アルシスは部屋に荷と外套とを置くと、ひと息入れることなく探索に赴いた。

 領主館は二階建てで、一階部分に外向きの部屋や施設が詰め込まれている。大人数を収容できるホールに、会議室、食堂、厨房などの水回りがそれだ。

 渡り廊下で繋いだ別棟には礼拝堂と穀物庫と倉庫があって、さらにその先に使用人の宿舎があるらしい。

 領主館の二階部分は領主一族の居住空間だ。居室に執務室、それと客室が並んでいる。

 エリックの叔父――クリフ・ノルディンは二階、エリックの自室からは一番離れた客室に部屋を用意されているそうだ。

 たいそう身持ちの悪いという御仁はひとまず脇に置いて、アルシスは一階部分をうろついてみることにした。

 石造りの建物内は、空気がひんやりとしている。窓の木枠は痩せて歪んでいるらしく、分厚いカーテンが隙間風に揺れていた。

 階段を下りて玄関ホールに出て、右手に向かうとその先が食堂だった。

 ずいぶんと天井が高い。木の長テーブルが三列。中隊程度なら余裕で収容できそうだ。そして柱にたいまつ掛けがあるのが、いかにも古い様式だった。

 壁にタペストリーと、歴代の領主の肖像画が並んでいる。その中で比較的新しいものを見ていくと、エリックによく似た面差しをした男性の肖像画があった。

 ネームプレートには、カール・ノルディン、と記されている。

 これがエリックの父親で間違いないだろう。

 癖の強い栗毛に緑の瞳、穏やかそうな三十代の男性だった。

 美化して描かれる絵画の印象は当てにならないが、とはいえ責任を放棄するような人物には見えなかった。彼の失踪には事情がある、とエリックが考えたのも分かるような気がする。

 アルシスはしばらく絵画を眺めていたが、印象以外に掴めるものがあるはずもなく、さっさとその場を後にした。

 食堂をそのまま抜けると、すぐ隣はパントリーだ。壁面を埋め尽くすように食器棚が並んでいて、部屋の真ん中に大きなテーブルが置かれている。

 ひと気のまい室内をぐるりと見渡したところで、不意に奥の扉が開いた。

 メイドキャップに白いエプロン、ワンピースを着た中年女性だった。

 彼女はアルシスを見て目を丸くすると、口元に手を当てた。

「あら、まあ。お客さまがいらっしゃるとは知らないで、大変失礼しました。この先には厨房があるばっかりですけど、もしかして迷ってしまいました?」

「ああ、いや、そういう訳じゃないんだ。今日からご領主の護衛になったんで、館内をうろつかせてもらってる。もし良かったら厨房を見せて貰いたいんだが……構わないかい?」

 そう訊くと、女性は不思議そうな顔で頷いた。

「別に面白いものなんてありませんけどね。でも、どうぞ。護衛の方がいらっしゃることは聞いてますから、気の済むまで見てってくださいな。――ああ、でも、厨房の道具には、なるべく近づかないでくださいね。今は夕食の下ごしらえの真っ最中なんです」

 言って女性は食器棚から皿を取ると、今来た扉から厨房へと戻って行った。

 彼女の後に続いて、アルシスも厨房に足を踏み入れる。その途端、むっとする空気が肌を撫でた。

 さして広くない空間に、調理器具がと所狭しと詰め込まれている。中央の調理台には食材が山盛りになっていて、その脇で料理人たちが包丁を振るっている。その向こう側は薪のコンロが並び、オーブンに載せられた大鍋から、もうもうと湯気が立ち上っていた。

 料理人のお仕着せ姿は四人。それ以外にも下働きの者たちがいる。

 先ほどの女性も下働きであるらしく、調理台に大皿を置いてから、厨房の片隅に向かった。

 勝手口には麻袋に芋が溢れそうになっている。女性は側にあった椅子に腰を下ろすと、慣れた手付きで芋の皮むきを始めた。

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