第35話
アルシスは厨房をぐるりと見回してから、芋の皮むきと格闘している女性に声をかけた。
「忙しそうなところ悪いんだが、ちょいと話を聞かせてもらっても構わないかい?」
麻袋に手を突っ込みながら、女性があっけらかんとした口調で言う。
「話をするくらいなら、口は暇だから構いませんけどね。でも、どうせなら、お客さんも手伝ってくださいな」
差し出された小さなナイフを受け取って、アルシスは苦笑を浮かべた。
「なるほど、効率的だな」
言って女性の隣に腰を下ろし、芋を手に取ってナイフを動かしていく。
危なげないその手付きに、女性は感心した顔つきになった。
「あらあら。護衛と伺ってましたけど、ずいぶんと手慣れてらっしゃる」
「俺は孤児院出身だからな。身の回りのことはなんでもやったし、このくらいなら、どうというほどのことでもない。作る料理が美味いかどうかは別だが」
「へええ、孤児院の。ここの料理人やメイドにも、同じ境遇の子が何人かいるんですよ。前のご領主さまがお優しい方でねぇ。手に職があれば食うに困らないだろうから、って優先して雇い入れてたんです」
話題を振るでもなく転がってきたそれに、アルシスは喜んで乗っかることにした。
「先代のご領主さまは、ずいぶんとできた人物だったんだな。その息子の少年が、あれだけ優秀なのも頷ける」
それは掛け値なしの本音だったが、仕える主を褒められた下働きの女性は嬉しそうに笑った。
「そうなんですよ、今よりずっと小さな頃から聡明でねぇ……。それにお優しくて、あたしらなんかにも声をかけてくださるんですよ。うちの料理長なんて、孫より可愛いって言い出す始末ですし、メイドのベティも心酔しきってますからね。オルグレンの領主に相応しいのは、エリックさま以外にいない、エリックさまの意見は絶対、って普段から言い張ってるんですから」
「ははあ、そいつはなかなかのたらしっぷりだな。だが上に立つ人間が、下の者に好かれるのは良いことだ。やろうと思って、できることじゃない。……せめて、成人してたらな」
「ええ、本当に。まだまだお小さいというのに、旦那さまがあんなことになって、無理なさってると思うと痛ましくて涙が出そうですよ。後見人の方が真っ当ならともかく、坊っちゃんの足を引っ張る始末ですからね」
包丁を振るっていた料理人が、棘のある声を上げる。
「おい、余計なことを言うんじゃねえよ。うちの恥を他所に晒す気か?」
「あら、別に良いじゃありませんか。護衛として滞在するんなら、すぐに分かることですよ」
少しも悪びれずに言う女性に、料理人が渋い顔になる。
空気が悪くなりそうなのを察して、アルシスは取り成す口調で言った。
「後見人については、少年――ご領主さまから少しだけ聞いてる。あまり人を悪く言いたかないが、先代領主とも似てないみたいだな」
「それどころか、まったく正反対のお人ですよ。坊っちゃんの耳に入れたくないから、みんな口を噤んでますけどね。若いころから女癖が悪くて、見栄っ張りで金遣いが荒くて、それで大旦那さまに追い出されたんですから」
包丁を動かす手を止めて、料理人が深く溜め息を吐いた。
「……実を言うと、うちの娘もクリフさまから粉をかけられたことがある。娘は領主夫人の身の回りの世話なんかしてたんだがね。それで目をつけられて、断るには仕事を辞めるしかなかった」
「ちょっと前までは、そういう娘がたくさんいましたよ。だから大旦那さまが追い出して、それから前の旦那さまが跡を継いで、みんな喜んでたんですけどねぇ」
ところが評判の悪い領主弟は、領地に戻ってきただけでなく、まんまと現領主の後見人の座に納まってしまった。
エリックが未成年である以上仕方のないことだが、周囲の者たちは忸怩たる思いを抱えているらしい。
アルシスは芋を剥く手を止めずに、疑問を口にした。
「……先代領主兄弟の仲は、どんな感じだったんだ? 正反対の性格なら、上手くいくとは思えないんだが」
料理人と下働きの女性が、思わずといったふうに顔を見合わせる。
口を開いたのは女性だった。
「仲が悪い、ということはなかったと思いますよ。前の旦那さまは、お優しい方でしたけど、少し気の弱いところがおありでしたし。弟のクリフさまに強く出られると、押し負けることが多かった、と聞いたことがありますから」
料理人が同意して頷く。
「だから久しぶりに戻ってきた弟を、追い出せなかったんだろうな。……借金で首が回らなくなったのを、なんで助けちまったかね。話も聞かずにさっさと追い出しておけば、坊っちゃんが苦労することもなかっただろうに」
前領主の失踪に、彼の弟が絡んでいると言わんばかりの口振りだった。
どうやら領主弟、クリフ・ノルディンの悪評は使用人の間でも広まっているらしい。
少し突いただけで情報が得られるのは助かるが、話を聞いた限りでは小物という印象が強い。そういう人物が、果たして爵位と領主という立場欲しさに無茶をするだろうか。
内心で首を傾げていたアルシスだったが、芋の最後の一個を剥き終えると、おもむろに立ち上がった。ナイフを返して言う。
「興味深い話を、色々と聞かせてもらった。いい退屈しのぎになったよ、助かった」
すっかり空になった麻袋に気づいて、下働きの女性が目を丸くする。
「あら、まあ。こんなに手伝って貰って、助かったのはこっちの方ですよ。坊っちゃんを守って貰わなきゃだから、また手伝ってとは気楽には言えませんけどね。でも来てくれたら、いつでも歓迎しますよ」
ちゃっかりしている彼女に軽く手を振って、アルシスは厨房を後にした。
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