第33話
やはり素直な少年に苦笑して、アルシスは室内を見渡した。
先ほどの黒髪のメイドが、扉の横で気配もなく控えているのが目に留まった。
部屋付きということは、主であるエリックから信頼されているのだろう。領館に戻った際に少年を案じていた様子から、彼女も主に対する忠誠心の高さのほどが窺えた。
「ところで護衛に関してなんだが」
言って、エリックに視線を戻す。
「今日初めて会った人間に、四六時中そばに張り付かれても窮屈だろう。だから、護衛する範囲を決めておきたい」
「範囲、ですか?」
「少年は領館にいる使用人を、どこまで信頼できる?」
アルシスの問いに、エリックが微かに息を呑む。少年は考え込むふうに拳を口元に当て、それから慎重に言った。
「家令は信頼できます。父の代から長く仕えてくれていますし、根が真面目で実直で、裏切りとは無縁です。それから……そこにいるベティも」
アルシスは少女をちらと見る。主から信頼を寄せられたのが誇らしいのか、感情に乏しい表情の中で、口元に微かな笑みが浮かんでいるのがわかった。
エリックはそれを優しげに見やってから、生真面目な口調で続けた。
「使用人を統括しているのが家令で、メイドを纏めているのがベティです。ふたりが目を光らせているので、使用人たちも妙な真似はできないでしょう。……叔父に利があると考えて近づく者もいるので、すべてとは言えませんが」
エリックが苦い声で言ったそれに、引っかかりを覚えてアルシスは眉を上げた。
「そこの彼女がメイドの纏め役? ずいぶんと若いようだが……」
「メイド長が病で休職しているので、その代理です。こう見えて、今いるメイドたちの中では彼女が一番の年嵩なんですよ」
聞けばベティの年齢は二十二歳だという。
メイドは自身の結婚で辞めることが多いので、その年齢なら確かに年嵩の部類に入る。
だが、とアルシスはベティをまじまじと見つめてしまった。
どこをどう見ても、彼女は十代の少女にしか見えなかった。驚きを隠せないでいるアルシスに、エリックが含み笑いを漏らした。
「彼女は有能ですよ。日常の業務はもちろんのこと、僕の護衛役も務めているんです。彼女は北部山岳地帯の生まれなので、武器を持って戦うことにも慣れていますから」
「へえ、北部の生まれか。ヴァラルク山脈のこっち側に流れてくるのは珍しいな」
北との国境を隔てるヴァラルク山は、厳しく連なる峻峰のせいで人流がほとんどない。山岳地帯の民も起伏の緩やかな北部に住まいを据えていて、エリックの言うように、彼らが南側に流れてくるのは非常に稀なことだった。
噂に聞く山岳地帯の民は狩猟の腕に長け、ナイフ一本で鹿を狩ることもあるらしい。対人でもその力は遺憾無く発揮され、山中の奇襲戦にかけては右に出る者はいないという。
半月状に湾曲した短剣を用いて、たったひとりの戦士が一個小隊を殲滅した、なんて話を耳にしたこともある。
華奢で子どものような体格のベティだが、彼女もそういう戦い方をするのだろうか。
興味深く眺めていると、ベティが居心地悪そうに身じろいだ。
さすがに女性に対する振る舞いではなかったか、とアルシスは内省してからエリックに視線を戻した。
「それなら俺は、彼女を補うかたちで動くのが良さそうだな」
エリックがこくりと頷く。
「そうしていただけると助かります。ベティにはメイドの仕事がありますし、僕にずっとついている訳にはいきませんから」
「……今日、ひとりで出歩いたのはそのせいかい?」
領主という立場の人間は、伴もなしに出歩くことはしないものだ。ましてやエリックはひ弱な子どもで、武力に対する対抗手段を持っていない。
暴漢に襲われればひとたまりもないだろう。
実際、アルシスが助けに入らなければ、エリックは容易く追っ手に捕らえられていただろう。
その軽率さを指摘した訳ではなかったが、エリックは苦い表情を浮かべて言った。
「あれは……叔父の目を欺くためだったんです。父の捜索を依頼することはつまり、叔父に対する疑念を詳らかにすることでもあります。妨害されるのは目に見えていましたから、それであえてベティを置いて、僕ひとりで部屋を抜け出したんです」
結局、見つかってしまいましたが。そう言って少年はしょんぼりと肩を落とした。
年相応の子どもらしいその素振りにちらと笑ってから、アルシスは疑問を口にした。
「捕まれば二度と領館から出られなくなる、と言っていたな。今の状況なら少年を閉じ込めることは容易いし、最悪危害を加えることもできるだろう。……それについては、どう考えてる?」
「まるきり安全とは言いませんが、叔父が僕に手出しする可能性は現状ほとんどないと思っています。騎士団に助力を求めに行って、すぐに僕が姿を消すようなことがあれば、疑われるのは火を見るより明らかですから」
どうやら、その程度の保身はできる人物であるらしい。
「ですから別の方法を使って、僕に対する圧力をかけてくるのではないか、と考えています。例えば新しく雇った護衛に、なにがしかの取り引きを持ちかける、などという手を使って」
「なるほど。新しく入ってきた護衛なら、古くからの使用人と違って買収もしやすいだろうな」
こくりと頷いたエリックは、探るような目で言った。
「……実を言うとアルシスさんのことは、あえて叔父に情報を流そうと考えています。元剣聖という名声は、叔父にとって魅力的に映るはずです。まず間違いなく、叔父は動くでしょう」
エリックがなにを言いたいかを悟って、アルシスは口端を吊り上げて笑った。
「それを逆手に取って、俺に探ってほしい――か?」
「ええ、そのとおりです。もし探ることが難しいようなら、目一杯に引っ掻き回すだけも構いません。もちろん護衛の範囲を超えることがらですので、無理にとは言いませんが……」
「確かに護衛の仕事じゃねえな。だが、悪くない手だ」
「では……?」
期待するような目に、アルシスは頷いてみせる。
「せいぜい動き回って、目当てのものを釣り上げてやるさ。じっと待つよりも手っ取り早そうだしな」
「ありがとうございます、アルシスさん。今日、あなたに会えたことは、僕にとってなによりの幸運でした」
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