第32話

 デズモンドに礼と暇を継げて、アルシスと少年は駐屯地を後にした。

 帰りは馬を貸してくれると言うので、その気遣いをありがたく受け取っておいた。エリックは乗馬に不慣れだと言うので、アルシスとの相乗りだ。

 鞍の後ろに座って、おっかなびっくりアルシスにしがみついている。

 こうしていると年相応の少年のようにしか思えず、領地のために逃げることはしない、と言い切った凛々しさは欠片も伺えなかった。

 オルグレン領主が住まう館は、街の中央から少し先にある古めかしい建物だった。

 石造りで無骨な印象のそれは、国境に点在する砦に似ている。訊けばオルグレンはヴァラルク山脈に生息する魔物の、討伐基地を礎に発達していった街であるらしい。数年前の討伐の際に、騎士団が経由地としてオルグレンを選択したのも、どうやら所以あることだったようだ。

 乗騎したまま領館の門を抜ける。小石が敷かれたアプローチを進んでいると、領館の入り口に騒がしく人が集まっているのが見えた。誰も彼も、揃いのお仕着せを身に着けていた。

「エリックさま!」

 駆け寄って来たのは、少女と言ってもいい年頃のメイドだった。

 白いエプロンのついた紺のお仕着せ、髪も瞳も墨のような黒で、堀の浅い顔立ちをしている。面の白さは紙のようで、そのせいで黒目がちの瞳が強く印象に残った。

 少女は鞍から降りたエリックの腕に触れると、面白の顔から血の気を引かせて言った。

「ご無事でしたか? どこかお怪我はありませんか? お戻りが遅いので、ずいぶんと心配していたんですよ」

「大丈夫だよ、ベティ。僕はなんともない。こちらの方に、危ないところを助けていただいたんだ」

 エリックは言って、手綱を持ったままのアルシスに視線を向けた。

 釣られたようにアルシスを見た少女、ベティの目には、はっきりと警戒の色が浮かんでいる。大事な領主の側に見ず知らずの人間、それも風体の怪しい男がいるのだから、その反応も当然だろう。

 エリックは腕を掴むベティの手を軽く叩いてから、彼女を気遣う優しげな声で言った。

「詳しいことは後で説明するけど、この方を護衛として雇うことになったんだ。彼は大事なお客さまでもあるから、客間に部屋を用意してほしい。対応に粗相の無いよう、他のみんなにも伝えておいて」

「お客さまとしてですか? ……護衛、なのですよね?」

「うん。でも僕の恩人だ。ベティ、よろしく頼むよ」

 主からそう言われてしまえば、使用人の立場では従うしかないのだろう。

 ベティはこくりと頷いて、それから改めてアルシスに視線を向けた。

「主を助けてくださったこと、心より御礼申し上げます。すぐに部屋をご用意いたしますが、その前に手綱をお預かりします」

 アルシスはベティに手綱を渡しながら言う。

「こいつは騎士団からの借り物なんだ。すまないが、返却を頼んでも良いかい?」

「……ええ、はい。おまかせください」

 頷いたベティが男性の使用人を呼ぶ。彼が手綱を引いて去って行くのを見送って、アルシスはオルグレン領主の館に足を踏み入れた。

 無骨な外見同様、館の中も歴史を感じさせる造作だった。

 石張りの床に、石煉瓦を組んだ壁。壁面には防寒と埃よけのタペストリーが張られている。そのタペストリーも年月のせいで色がくすんでいて、元の絵図が判然としないものまであった。かなりの年代物だ。

 ぎしぎしと軋む階段を上り、通されたのは応接室だった。石造りなのは他と同様だが、窓が大きく取られていて、日差しの入る室内は明るかった。

 部屋の奥には暖炉があって、その手前に応接用のソファとテーブルとが並んでいる。

 アルシスは使用人に外套を預けてから、勧められるままソファに腰を下ろした。

 その正面に腰掛けたエリックが、ほっと息を吐いた。

 アルシスを見て、ちらと苦笑を浮かべて言った。

「見た目だけでなく、室内も古くて驚かれたのではありませんか? 過去に何度かここを壊して、新しく建て直そうという話も出ていたんですが、先立つものがなくて」

 自嘲するエリックに、アルシスは首を傾げる。

「古いのも悪くないと思うけどな。それに、ここは防衛の拠点でもあったんだろう? それなら壊すのは勿体ない。これだけ頑丈な建物は、建てようとして建てられるものではないぞ」

 ちらと見た限りだが、中庭はずいぶんと広く取られているようだった。

 井戸も複数あって、菜園になりそうな余地もある。いざという時には、領民を避難させて籠城することが可能だろう。

 獣海嘯に襲われた街では、住民たちが砦に籠もり、そうやって生き延びた例がいくつもある。

 アルシスがそう言うと、エリックは意外なことを聞いた、とばかりに目を瞬かせた。

「そういう考え方もあるんですね……。新しい建物の方が暮らしやすいし、ここで働く者たちも仕事がしやすい。そんなふうに思っていました。でも古いものが残ってきた、その意味を考えるべきなのかもしれません」

「それを言うなら、俺の言うことがすべて正しいとは限らないぞ。少年の素直さは美点だが、ご領主さまなんだから、少しは他人を疑ってかかった方が良い」

「……肝に銘じます」

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