第31話
ふむ、と言ってデズモンドは顎をざらりと撫でる。
彼は思考を巡らすように沈黙して、それから重々しく口を開いた。
「……最後に、ご尊父を見たのは?」
それはエリックが待ち構えていた問いだったのだろう。幼さの残る顔を厳しくして、少年は迷いなく言った。
「叔父です。名はクリフ・ノルディン、僕の後見人です。父が行方不明になった日、大事な話があるから、とオルグレンを訪れ領館に滞在しています。父が自室に下がったのも、叔父と話し合いをするためでした」
「つまり……ご尊父の失踪に叔父上が関わっている、と仰りたいのですね?」
こくりと頷いたエリックは、顔を俯かせて手のひらに視線を落とした。
「いくら爵位を継いだと言っても、僕は子どもで、領主としてどう振る舞うのが正しいのかすら分かっていません。国に後見人が必要、と判断されるのも当然でしょう」
ですが、と言ってエリックは顔を上げる。
「叔父はその立場に相応しい人物ではありません。領地を離れいていたのは、女性関係で揉め事を起こしたから、と聞かされています。それだけでなく、金銭面でも問題を抱えているそうです。父に会いに来たのも、借金の申し入れをするためではないか、と言われています」
「なるほど。ずいぶんと評判のよろしくない人物のようですね」
四角四面なデズモンドの返答に、だがエリックは失望するでもなく続けた。
「叔父は僕を利用することで、オルグレンを食い物にするつもりです。父を操ることは難しくても、子供の僕なら容易いと思っているのでしょう。その証拠に、僕がこちらに伺おうとしていることに気づいた叔父から、妨害を受けています」
エリックの話を黙って聞いていたアルシスは、僅かに眉を上げる。
つまり少年が路地で追われていたあれは、つまり金持ちそうな子供を狙った破落戸ではなかった、ということなのだろう。
エリックはちらとアルシスを見てから、デズモンドに視線を戻して言った。
「叔父の手の者に連れ戻されそうになったところを、アルシスさんに助けていただきました。あの状況で捕まっていれば、僕は二度と領館から出られなくなっていたでしょう」
状況を考えれば、大げさな、とは言えなかった。
デズモンドから問う眼差しを寄越されて、アルシスは頷いてみせた。
「少年が追われていたのは事実だ。だが俺に面通しや、証言の類は期待しないでくれ。犯人たちはフードを被っていたし、後ろ姿をちらっと見た程度だ」
デズモンドが目を丸くする。
「用心深いあなたにしては、珍しいですね」
「さすがに顔をしっかり確認できる状況じゃあなかった。……人数は三名。足音を聞いた限りだが、あれは騎士や警備隊の兵士ではないだろう。統率の取れていない動き、視認の甘さからもそれは確かだ」
「ただの破落戸のように見えた、と?」
「さあ、それはどうだろうな。連中の着ていた外套は、その手の輩が身につけるような物には見えなかったが」
顔を隠すためのフード、裾は地面に届きそうなほどに長く、身体をすっぽり覆い隠していた。
外套に使われる厚手のウール地は、買えばそれなりの値段がする。少年を追っていた連中は、それを揃いで身に纏っていたのだ。
ただの破落戸には有り得ない姿だろう。だがそれも先代領主の弟、その配下と思えばなるほど納得がいく。
デズモンドは難しい顔をしていたが、慎重に言葉を選んでいることが分かる口調で言った。
「オルグレン領主であるノルディンどのが、街中で追われたのは由々しき事態です。この件については、騎士団で調査いたしましょう。遺跡調査の名目で駐屯しておりますが、治安維持は我々の責務です」
ですが、と言ってデズモンドは表情を曇らせた。
「叔父上の件は、騎士団で手を出せる範囲を超えています。なぜなら爵位継承に関する諍いは、紋章院主導でなければならないからです」
エリックが落胆したふうに視線を落とした。
「……ええ、もちろん分かっています。ですが、それならせめて、父の探索だけでもお願いできないでしょうか?」
「それは……」
デズモンドが口ごもる。先代の領主が失踪して、既に三週間が過ぎている。その痕跡を追うことは、文字どおりに困難を極めるだろう。ましてや相手が生きているか、死んでいるかすら分からないのだ。探す方向性すら判然としないのでは、雲をつかむようなものだろう。
デズモンドは渋い顔をしていたが、それでも跳ね除けることはしなかった。
「我々が優先すべきは遺跡の調査です。ですから動かせるのは、半個小隊にも満たない数名のみ。それでもよろしいのであれば、探索に協力いたしましょう」
「ありがとうございます……!」
エリックは安堵した声で言って、それからアルシスに視線を向けた。
「アルシスさんも、ありがとうございます。あなたが助けてくださらなかったら、こうしてアンデル司令にお会いすることも、助力を得ることも叶わなかったでしょう」
「別に礼を言われることはしてないさ。……それよりも、この後はどうするつもりだ?」
「この後、ですか?」
不思議そうに問い返すエリックに、アルシスは思わず苦笑する。
「領館に連れ戻されれば、二度と外には出られない。そう言っていただろ? それなのに、このまま帰るのか?」
「……はい、そうするつもりです。たとえ自由を失うとしても、僕はオルグレンの領主です。責務から逃げては領民に顔向けできなくなります。それに……領館にいるのは、叔父の味方ばかりではありませんから」
きっぱり言い切ったエリックに、アルシスは素直に好感を抱いた。
この年齢で、ここまでの覚悟を持てる者など、そう見られるものではない。彼は長ずれば、間違いなく良い領主になるだろう。
素行の良くない後見人に、使い潰されて良いとは思えなかった。
アルシスは口端を吊り上げて笑うと、エリックに向かって堂々とした口調で言った。
「いい心構えだ、気に入った。少年が思うように動けるよう、微力ながら俺が手を貸してやろう。冒険者は引退したが、それでもまったく戦えないって訳じゃない。護衛くらいは務まると思うんだが、試しに雇ってみるってのはどうだ?」
ぎょっとした顔になったのは、エリックだけではなかった。デズモンドが慌てたふぜいで、がたん、と椅子を鳴らして立ち上がった。
「え、いや、ちょっと待ってください。地方貴族のお家騒動に、あなたほどの方が首を突っ込むつもりですか?」
「だめか?」
「い、いえ、駄目、とは言いませんが……。ですが、なにもそんな厄介なことに関わらなくても良いではありませんか」
確かに貴族の揉めごとなど、関わって楽しいものではないだろう。
余計な柵が増えることになるし、剣聖という称号を失ったアルシスには、もはや貴族の振るう権力に対抗する手段がない。下手を打てば罰される可能性だったある。
デズモンドの心配はもっともだったが、アルシスは軽く肩を竦めて言った。
「だからと言って、子どもが困っているのを見過ごすのは趣味じゃないからな。おまえだって騎士なんだ。弱きを助け強きを挫くのが信条なんじゃないのか?」
「それは……そうなんですが」
デズモンドは、痛いところを突かれた、という顔になった。しおしおと再び腰を下ろし、それでも気遣う眼差しをアルシスに向ける。
それを苦笑して受け止めてから、アルシスは少しだけ表情を改めた。
「そう心配せずとも、引き際くらいは弁えてるさ。たとえ腹の立つことがあったとして、剣に物を言わせるようなことはないから安心してくれ」
本当だろうか、と言いたげにしているデズモンドから、アルシスはエリックに視線を転じる。
少年は戸惑いを露わにしていたが、思ったよりもしっかりした口調で言った。
「本当に、護衛をお願いしてもよろしいのですか?」
「俺で不足がないなら」
「まさか、とんでもない。――是非とも、よろしくお願いします」
エリックが深く頭を下げて、元剣聖の臨時雇用契約が成立したのだった。
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