第52話

 ひと月の間身動きが取れなかった割に、カールはさほど足萎えはしていないようだった。片脚と杖での歩行にまごつきはしたが、しばらくすると問題なく歩けるようなった。

 とは言え急場しのぎの杖では、快適にとは言えないようだ。

 カールは杖を持つ手を擦りながら、難しい顔で言った。

「やはり左手が痛むな。無事に地上に戻れたら、きちんとした杖を作らなければなるまい」

「義足を作る、という手もあるぞ。冒険者や騎士の中には、魔物を相手して四肢のどれかを失った者は少なくない。王都なら義肢や義足を作る職人もいるし、馴染みのやつもいる。もし義足を作るなら言ってくれ。腕の良いやつを紹介するよ」

 それは助かる、と穏やかに微笑んだカールは、不思議そうに首を傾けた。

「そういえば、きみはいったい何者なんだ? 息子の護衛と言っていたが、騎士や警備兵には見えない。その風体や話を聞いた印象では、冒険者としか思えないのだが……」

「元、冒険者だ。怪我をしたせいで引退して、今は鍛冶師見習いをやってる。工房を開く土地を下見にオルグレンに来て、暴漢に追われているエリックと行き会ったんだ」

 クリフの追っ手から助けたことを語ると、カールは目を丸くして、それから溜め息を吐いた。

「……なるほど、そういう経緯だったのか。アルシスどのは、私だけでなく息子の恩人でもあったのだな。これはなんとしても生きて戻って、きみの恩義に報いなければなるまい。もしオルグレンで工房を開くなら、希望の場所を無償で提供しよう」

「おいおい、本気かよ? そんなことを言われたんじゃあ、これはなんとしても、あんたを無事に地上に連れ戻さなきゃならないな」

 そう軽口を叩いたアルシスだったが、カールの言葉にやる気を引き出されたのは事実だった。

 巨大な地下遺跡の存在が明らかにされ、人流が増え栄えることが確実なオルグレンで、好きな場所をタダで得られるのだ。そもそも工房を開くのには大金が必要になる。今までに蓄えた金の大半をつぎ込むつもりでいたアルシスにとって、カールの申し出は素晴らしすぎるくらいに魅力的だった。

 これなら竜の一匹や二匹なら、余裕で倒せそうな気さえしてくる。

 アルシスは不敵に笑うと、カールを振り返った。

「よし、行こう。適度に休息は取るつもりだが、無理そうなら遠慮なく言ってくれ」

 こくりと頷いたカールを連れて、アルシスは出口へ向かうべく歩き出した。

 地下遺跡は構造だけ見れば、ごくごく単純な作りをしている。石壁に囲まれた部屋と、それを繋ぐ廊下の繰り返しだ。

 部屋の大きさや廊下の長さは千差万別だが、基本の構造さえ理解しておけば、よほどの方向音痴でない限り道に迷うことはない。もし道に迷ったとしても、部屋に印を残しておけば、いつかは出口にたどり着けるはずだ。

 幸いアルシスは方向感覚と空間認識に優れている。騎士団の調査隊が作った地図も頭に入っているから、進むだけならなんとかなるだろう。

 問題は、魔物だ。

 遺跡の上層で凶悪な魔物に出会うことは稀だが、なにごとも例外というものは存在する。それにオルグレンの地下遺跡は広大だ。似たような規模のモストライドでは、上層階にグリフィンの巣があったという記録が残されている。

 油断はしないほうが良い。そしてアルシスが懸念したとおり、巨大な竜と出会ったのは、落下地点から数えて五つ目の部屋に足を踏み入れた時のことだった。

 燃えるような鱗を持つそれは、竜の中でも低ランクに位置づけられている。吐き出す火炎と前脚の一撃、尾の振り下ろしにさえ気をつければ、さほど苦労する相手ではない。

 それでアルシスはカールに隠れているよう指示を出し、自身は剣を抜きつつ一気に駆けて竜へと迫った。

 アルシスに気づいた赤竜が、鎌首をもたげる。鱗の並ぶ首が膨らみ、辺りの温度が上がるのが分かった。

 火を吐く前兆だ。

 赤竜が顎門を開くと、口の奥に白々と眩い火球が見えた。

 あれを食らえばひとたまりもないが、避けてしまえばなんの害もない。アルシスは悠々と避けて、駆ける勢いのまま剣を払った。

 肉を絶たれた前脚から、どっと血が溢れた。

「ガアァァッ!!」

 赤竜が空気を震わすような咆哮を上げた。むずかるように振り下ろされた腕を避け、アルシスは剣に付いた血を振り払った。

 赤竜と反発する属性のおかげか、それとも使った銑鉄が良かったのか、素晴らしく切れ味が良い。竜の固い鱗を物ともせず、まるで紙を切るような容易さだった。

 知れずアルシスの口端が笑みに持ち上がる。

 ノールを手にした時の高揚感とは比べ物にはならないが、それでも血が沸き立つような思いがする。そしてなにより一瞬でも気を抜けば命を危うくするこの状況が、楽しくて楽しくて仕方がなかった。

 赤竜が振り上げた爪が頬を掠め、吐き出す火球が髪を焦がす。命を刈り取ろうとするそれらを掻い潜り、アルシスは振り抜く一閃で赤竜の前脚を切り落とした。

 バランスを崩してどうと倒れた巨体の、その喉元に滑り込む。逆鱗を目掛けて剣を振り下ろすと、その下に隠されている魔石の手応えを感じた。

 魔石を斬られた赤竜は絶命し、ぴくりとも動かなくなった。

 これが単独の探索であれば素材の剥ぎ取りにかかるのだが、今は脱出を目的としていて、足の不自由な連れもいる。それでアルシスは肉だけいただくことにして、部屋の手前で待機させていたカールの元へと戻った。

 通路と部屋の境目に座り込んでいたカールは、アルシスを見上げて呆然と言った。

「きみは……何者だ?」

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