第55話

「脚を落とすのがあと少しでも遅れていたら、私は生きていなかっただろう。それに恐ろしく高価な傷薬を使ってくれたから、後遺症で苦しめられことがなかった、と医者から聞いている。あなただからこそ、私は生きて戻れたのだ」

「そこまで褒められると、むず痒くなるんだがな……」

 ぼやくように零したアルシスに、ようやく驚愕から覚めたクリフが言った。

「騙りではなく本当に剣聖で、いらっしゃる? おまえ――いえ、あなたが?」

「だから元、だと言ってるだろう。ただの鍛冶師見習いに、そうかしこまるなよ」

 カールが小さく笑いを漏らす。

「それは無理な話だな。平民にとって剣聖は冒険譚に出てくるような英雄でも、私たち貴族にとっては違う。国と民に尽くせと教えられる我々だからこそ、その称号と意味と重さが分かるのだ。あなたに無礼を働くことは、すなわち陛下に背くことに等しい。つまりクリフがあなたにしたことは、私たちにとっては額面以上の罪がある、ということだ」

「そこまでのもんじゃないと思うんだがね。……まあ、オルグレンを追放されるって言うんだから、俺に対する嫌がらせも、それで手打ちってことでいいんじゃないか?」

 なあ? と警備隊長のコリンに問いかける。

 地方都市の警備隊では、剣聖に対する貴族のそれを目にする機会もなかったのだろう。

 腕の立つ冒険者程度に思っていた相手に、領主が下にも置かない扱いをしているのを見て、彼は目を白黒させている。とはいえ自分がクリフに便宜を図っていたことが、筒抜けになっていたことを理解したらしい。

 ぎくしゃくと姿勢を正し、丁寧な口調で言った。

「あなたを襲った者たちは、すでに取り調べを終えています。ですがその……前科も余罪もなく、被害も軽微だったことから、数日収監し、すでに釈放しております」

 クリフに阿っていたとはいえ、あまりに対応がずさんで笑ってしまう。

 苦笑するしかないアルシスの一方で、カールが厳しい顔になった。

「誰に命じられたのか、明らかにせず釈放したのか。……アルムどの、あなたがクリフと親しくしていたのは知っている。そのことを咎めるつもりはなかったが、職務に対して影響が出るなら話は別だ。このことは警備隊参謀に報告する。決して軽い処分にはならないことを覚悟しておくことだ」

「……は、はい。承知しております」

 苦い声で言った部隊長は、将来の芽を失くしたことを知り深く項垂れた。

 オルグレンが抱えていた問題の一端に片が付き、会議室にほっとした空気が流れる。それを断ち切ったのは、カールの厳しい声だった。

「残るはベティの処遇だ。……きみは、自分がなにをしたか理解しているだろう?」

 父親の言葉に、エリックが驚いたふうの表情になる。

 音を立てて背後のメイドを振り返った。

「ベティ……?」

 呼びかけに肩を震わせたベティが、小さな声で言った。

「……エリックさま、本当に申しわけございません。私は……エリックさまにお仕えするメイドとして、許されないことをしました。どのような処分でも、受け入れるつもりです」

「ベティ、なにを……いったい、なにがあったんだい?」

 エリックの問いかけに、だがベティは項垂れるばかりで口を開こうとしない。彼女の代わりに答えたのは、父親のカールだった。

「彼女は、私が遺跡に落ちた場に居合わせている。だと言うのに、そのことを誰にも告げることなく、今の今まで口を噤んでいたのだ。私が消息不明となったことで、騎士の方々にも迷惑をかけることになったと聞いている」

 カールに視線を向けられたデズモンドが、にこやかに応じた。

「助けを求める者に手を貸すことは、騎士として大切な責務のひとつです。ご子息の奮闘は素晴らしいものでしたし、探索に携わったことを迷惑などとは微塵も思ってもおりません。本当に、ノルディンどのがご無事でなによりでした」

 真摯なその物言いに、カールが表情を緩ませる。

 彼は短く礼を返してから、アルシスに視線を向けた。

「だが彼女の罪はそれだけではない。私に関することが露呈しそうになると、今度は口封じにかかったのだ。アルシスどのを遺跡に落としたのはベティだ」

「俺が落ちたのは、俺がヘマしたからだけどな。……まあ、彼女が俺を消すつもりでいたことは否定しないが」

 軽い調子で肯定したアルシスに、エリックが衝撃を受けた顔になる。

 信じられない、と呟いてから困惑いっぱいの声で言った。

「ベティ、どうしてそんなことを……?」

「エリックさまのためです」

 感情のない、淡々とした声だった。この段に至って黙り続けることが無駄だと悟ったのか、一度口を開いた後はなめらかに話し始めた。

「エリックさまは、素晴らしい方です。貴族であるにも関わらず、驕り高ぶったところがなく、優秀であるのに努力することを知っている。オルグレンの領主という地位に、エリックさまより相応しい方は他にいません」

 きっぱり言い切ってから、ベティはカールに視線を当てた。

「カールさまも悪い方ではありません。使用人を大事にしてくださいます。ですが優しすぎることは、必ずしも領地のためになるわけではありません。事実、あなたがクリフさまを切り捨てなかったせいで、エリックさまは必要のない苦労を負うことになったのです」

 痛いところを突かれたからか、カールが苦い顔になる。そのことに勢いづいたベティが、つらつらと後を続けた。

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