第56話
「オルグレンのためにならない方が土地を治めるよりも、優秀なエリックさまこそが領主となるべきです。ですからカールさまが地下に落ちたことは、私にとって天啓に等しいできごとだったのです」
エリックが戸惑う声で問いかける。
「父上が地下遺跡に落ちたことを、僕に黙っていたのはなぜ?」
「それは……カールさまが落ちたことを報告をすれば、遺跡を捜索なさると思ったからです。それでもしカールさまが運良く生き延びていたら、エリックさまが領主になる道が遠くなります」
ベティのそれは既に聞かされたものごとだったが、アルシス以外の面々には衝撃であったようだ。部隊長のコリンですら、理解に苦しむ、という表情を浮かべている。
それらに気づいたふうもなく、ベティはアルシスに視線を向けた。
「カールさまのことを上手く隠していたつもりでしたが、フォードさんに嗅ぎつけられてしまったのです。ですがフォードさんは、オルグレンの人間ではありません。ふらりとやって来た方ですから、急にいなくなってもおかしくない。口封じするのに躊躇はありませんでした」
アルシスが苦笑する。
「だからって、いきなり襲いかかるなよ。おかげで地下に落ちるはめになって、まったく苦労させられたぜ」
「……地上から遺跡に落ちたことを、苦労のひと言で済ませないでください。普通は無事では済みませんし、生きて戻るなんて奇跡にも等しいことですよ。挙げ句に竜を単騎で倒すなど、上になんと報告すればいいのか……頭が痛いです」
渋い顔で言うデズモンドに、アルシスはけろりと返した。
「そのまま言えばいいだろ。そもそも俺がオルグレンに来たのも、クリス――近衛騎士団総長の口利きだ。それは知ってるだろう?」
「ええ、もちろん。あなたとお会いして、しばらくしてから丁寧な手紙をいただきました。アルシスどのが問題を起こさないよう、くれぐれも頼む、とありましたよ」
「まったく、あいつは俺をなんだと思ってるんだ」
呆れた声で言って、だがアルシスは漂う微妙な空気に気づいて首を傾けた。
領主一族にベティ、警備隊長のコリンまで、信じられない物を見るような目でアルシスを見ている。
「どうした、揃いも揃って奇妙な顔をして。なにか変なことでもあったのか?」
アルシスの疑問をさらりと流して、デズモンドがカールに向かって言った。
「この常識外れは脇に置いて、話を戻しましょう。それで――ノルディンどの。そのメイドの彼女は、どう処断なさるおつもりですか? アルシスどのへの暴挙を別にすれば、彼女は罪を犯したわけではありません。ただ口を噤んでいただけですから、罰することは不可能です」
デズモンドがそう述べると、カールが難しい顔になった。
「もちろん、それは理解している。だが彼女のような人物を、私は自分の息子のそばに置きたいとは思わない。アルシスどのへの罪を償うのは当然として、メイドは辞めてもらう」
言ってカールは息子のエリックをちらと見た。
「ベティはおまえが雇うことを決めた娘だ。本来であれば私が口を挟むべきではないが、さすがに今回の件は看過できない。私の決定に従いなさい」
エリックは厳しい表情の父親をじっと見つめ、それからこくりと頷いた。
「……ベティが分別のつかない振る舞いをしたのは、僕が主として不十分だったからです。その代償がベティと離れることなら、僕はそれを受け入れます」
エリックが受け入れたことで、ベティの身柄は警備隊に預けられることが決まった。
おそらくアルシスを襲った使用人たちと同様、数日の収監の後に解放されることになるだろう。
その後どうするかはベティが考えることであって、アルシスには関知できないものごとだ。逆恨みをされる可能性はあるが、彼女の実力のほどは把握している。
たとえ襲撃を受けることがあっても、まず問題なく対処できるだろう。
顔色の悪い警備隊長に連れられて、ベティが領主館を後にする。それにデズモンドが付き添って、会議室に残されたのは領主一族とアルシスだけになった。
アルシスはひと言断って席を立ち、だが退出しようとした彼をカールが引き止めた。
「アルシスどのの工房を建てる土地だが、具体的な希望はあるだろうか?」
問われたアルシスは目を瞬かせ、それから腕を組んで考え込んだ。
「具体的、と言われても困るな……。あいにくと、そこまでオルグレンの土地に詳しくない」
「なるほど、それはもっともだ。では、工房に相応しい土地の条件を教えてほしい。例えば大通りに面している方がいい、というようなものがあるだろう?」
確かに工房に向く土地と、そうでない土地はある。アルシスは考えを巡らせてから口を開いた。
「まず広さが必要だ。それと、できれば工房の近くに住居が欲しいな。夜に詰める必要はないが、魔力が尽きた後に家まで距離があると面倒だ。店舗を構える気はないから、大通りから離れる分には問題ない。とは言え街の中心から離れすぎるのは不便だな」
思いつくまま条件を挙げていく。カールは考え込む顔をしていたが、ややあってから口を開いた
「……候補をいくつか挙げて、その中から選んで貰うのが良さそうだな。選出に数日、時間を貰っても構わないだろうか」
「それはもちろん。急がないから、良い土地を選んでもらえると助かる」
にこやかに言ったアルシスは、ふと思い出して付け加えた。
「――ああ、そうだ。護衛の仕事は、今日で終わらせていいんだろう?」
カールが無事に戻って、クリフの追放も決まった。エリックの周囲に警戒すべき危険はなく、つまりはアルシスが護衛を務める必要はなくなった、ということだ。
アルシスの指摘で、そのことにようやく気づいたのだろう。エリックは驚いたように目を瞠り、カールは改まった口調で言った。
「確かに、これ以上はアルシスどのの手を煩わせる必要はないな。……私が不在の間、息子の力になってくれて本当に感謝する。護衛の仕事はこれで終わりだが、もし良ければ土地のことが決まるまで、引き続き領館に滞在してはどうだろうか」
それはずいぶんとありがたい申し出だったが、アルシスは苦笑して首を振った。
「さすがになにもない状況で、食客として居座れるほど肝が太くないんでね。街に宿を取るから、諸々決まったら使いを出してくれ。宿は以前世話になったのと、同じところで部屋を取るつもりだ。荷を取りに行ってもらったことがあるから、そいつに聞けば宿の場所は分かるだろう」
アルシスがそう言うと、カールは無理に引き留めようとはしなかった。
エリックも名残惜しそうな素振りを見せたが、領主子息らしい態度でアルシスに礼と別れとを告げたのだった。
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