第57話

 オルグレン領主から宿に使いが来たのは、領主館を辞してから五日後のことだった。

 宿の主人は領主の使いが、アルシス対して下にも置かない対応をするのに仰天している様子だった。宿の主人はたいそうな話し好きだから、戻ってくるころには噂が広まっているに違いない。

 そう苦笑しつつ領主館に向かい、数日ぶりに会ったカールから、工房に相応しい土地と建物を譲り受けたのだった。

 土地は街の中心からやや外れた位置にあったが、工房を構えるのに十分な広さがあった。

 前の住人は王都に店を構える商人で、オルグレン滞在の際の別宅にしていたのだという。

 通りに面した二階建ての建物が住居、裏手にある平屋が倉庫だ。

 多少は手を加える必要はあるが、工房とするには十分過ぎるほどだった。改装の資金も出してくれると言うので、その申し出はありがたく受け入れることにした。

 仕事が軌道に乗るまでは、いかに資産を目減りさせないかが肝要なのだ。工房に金を注いだ挙げ句、素材が変えなくなっては目も当てられない。

 アルシスは土地と建物の権利書に署名すると、移住の手続きを済ませたその足で王都に戻った。

 来たときと同様、帰りの足も翼竜である。

 オルグレンの滞在はひと月ほど、さして長い期間ではなかったが、王都の景色を見ると不思議と懐かしい気分になった。

 師であるダニエル邸も同様で、煉瓦造りの建物にほっとする。

 いつもどおり工房に引っ込んでいたダニエルは、アルシスがオルグレンへ移住すると聞いて、苦笑というには含みのある顔で言った。

「そうなるだろうとは思ったが、やっぱりオルグレンか」

「なんだよ、そのやっぱりって言い方は。オルグレンに思うところでもあるのか?」

「いやいや、そういう訳じゃねえな。たがオルグレン行きは、あの美人総長さんの持ってきた話なんだろ? おまえさんは、意外に義理堅いとこがあるからな。無碍にはしないだろう、と思ってただけだ」

「あいにくと義理じゃなくて、単純に利益を考えた結果だよ」

 オルグレンで発見された地下遺跡の調査は、ほとんど終えたと聞いている。間もなくギルドとの連携も始まり、となれば噂は冒険者を介して一気に広まることになるだろう。

 つまり今ここで遺跡について口を噤む必要はなく、それでアルシスはオルグレンで起こったあれこれについてダニエルに語って聞かせた。

 話が広大な地下遺跡に及ぶと、ダニエルは感じ入ったような声を漏らした。

「なるほどなあ、新しい地下遺跡か。しかもモストライドよりデカいとなれば、国中から冒険者が集まってくるだろうな」

「これなら仕事には困らないと思わないか? それに領主とも縁ができたし、工房と土地はタダだ。もし仕事にあぶれても、遺跡に潜るって手もある」

 言ってアルシスは道具袋に手をやった。

「ああ、そうだ。すっかり忘れてたが、これはダニエル爺さんへの土産だ」

 取り出したのは、地下遺跡で倒した赤竜から剥がした鱗だった。

 綺麗に断ち切れている逆鱗と、肉を取る時に剥がしたうちの幾つかだ。

 赤竜はその見た目どおり、火の要素を多く含んでいる。鱗は武器の生成時に使えば、良い素材になるだろう。

 アルシスから手渡された竜鱗をまじまじと見つめたダニエルは、唸るように言った。

「……この逆鱗は、おまえさんが切ったのか?」

「竜を手早く仕留めるなら、そこを狙うのが一番だからな」

 竜の討伐方法はいくつかあるが、確実なのが逆鱗を断つ方法だ。

 正確にはその下にある魔石を斬っているのだが、結果として逆鱗も斬っているのだから似たようなものだろう。

「こいつはノールで斬ったのか?」

 問われてアルシスは苦笑する。

「それが聞いてくれよ。なんの準備もなく落とされたもんだから、手持ちはナイフ一本だけだったんだ。幸い羊皮紙と素材はあったから、ナイフをばらして、落ちてた木箱から釘を拾い集めて、なんとか片手剣を作ったのさ」

「ほ、面白いことを考えやがる。……その剣、持ってるか?」

 目を輝かせて聞いてくる師に、アルシスはもちろんと頷いた。

 ノールの横に下げていた片手剣を剣帯から取り外し、ダニエルに差し出した。

 急ごしらえの鞘から剣を抜いたダニエルは、剣のバランスを見て、刃の鋭さを確かめてから、面白そうな声音で言った。

「面白い形だな」

「他人の短剣を参考にしたんだ。……ヴァラルク山に狩猟部族がいるのは知ってるだろ?」

「ん? ああ、話には聞いたことがある。ちょっと変わった武器を使って、恐ろしく腕が立つんだったか」

「そう、そのやたらに腕の立つ山の部族だ。オルグレンの領主館に、そこの出だっていうメイドがいたんだよ。そいつが使ってた短剣が、そんな感じでな。実際の短剣は、もうちょっとカーブがきつくて、刃幅も分厚かったが。でもそれじゃあ俺には使い難いんで、ちょっと改良させてもらったんだ」

 ベティが使っていた短剣は、アルシスが生成したものと比べると刃が幅広で、長さも手首から肘までほどの短いものだった。

 あれはあれで小回りが利いて良さそうだが、遺跡に棲み着く魔物と渡り合うには物足りない。さりとて長さを確保するには素材が足りず、もし素材が潤沢にあったとしても、片手では上手く取り扱えなかっただろう。

 アルシスの解説に耳を傾けていたダニエルは、片手剣をしげしげと眺めて言った。

「なるほどな……。だからこんなに刃が薄いのか。耐久性にはちと難がありそうだが、そいつは切れ味でカバーすれば良い。片手で扱うことを考えれば、重さは邪魔になるだろうしな。そうか、それでこの形状か。……ふうむ、急場凌ぎにしてはよく考えたもんだ」

「水の素材を加えたのも、結果的には良い方へ転がったな。火の属性が強い赤竜と反発するどころか、なんというか……撫でて斬るような按配だった」

「反発しない? 属性の相性と優位性はあるだろうが、反発が無いというのは聞いたことがないな……」

 考え込むように言ったダニエルが、剣を矯めつ眇めつしている。アルシスにひと言断ってから魔力を流し、不思議そうに首を傾けた。

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