第54話
オルグレン領主、カール・ベネディクトの帰還は、その重大さに反してひっそりしたものとなった。
そもそも領主の死とそれによる代替わりは、エリックの意向により周知されていなかった。誰に知られているものごとではないのだから、騒ぎになりようがなかったのだ。
とは言え領主館はその限りでなく、騎士たちに連れられてカールが戻ると、誰もが喜びに沸き立った。特にエリックの喜びようは相当で、彼はぼろぼろの姿の父親に抱きつくと、幼子のように泣きじゃくっていた。 一方領主の弟、クリフ・ベネディクトは、兄の帰還に不満そうな顔をしていたものの、無事を喜ぶ白々しい言葉をかけていた。
そしてベティはと言えば、彼女はほの白い顔を更に白くして、アルシスに怯えの眼差しを向けていた。
それは自身の行いが白日に晒されることへの憂慮などではなく、アルシスに対する純然たる恐怖だった。
地下遺跡に落とそうとしていた相手が、五体満足で生き延びただけに留まらず、行方不明の領主を連れ帰ったのだから、その反応もむべなるかなである。
とは言え恐れて余計な真似をしでかさないなら、アルシスとしてはそれで十分である。
これまでのことや、これからのこと、話し合いが必要なことは山ほどあったが、カールを休ませなければならない。騎士団の駐屯地で医者に診て貰ってはいるが、療養が必要であるのは言うまでもないことだった。
もちろんアルシスにも休養は必要だ。地下にいたのは一日足らずのことで、消耗らしい消耗はしていなかったが、それでも柔らかで清潔な寝台が恋しかったのだ。
カールの体調を鑑みて、話し合いは翌日に行うことが決まり、アルシスはその間のんびりと過ごすことができた。
そして翌日、話し合いは領主館の会議室で行われることになった。
参加者は領主一族と駐屯司令のデズモンド、警備隊第一部隊長のコリン、そしてアルシスだ。
ぼさぼさだった髪を整え、伸び放題だった髭をあたったカールは、やつれてはいるものの紛うことなく貴族の当主に見える。
彼の背後には家令が控え、ベティはエリックの背後にひっそりと佇んでいた。
会議室の席に着いた面々に茶が振る舞われ、そして口火を切ったのは当主であるカールだった。
「みなに集まって貰ったのは他でもない。私が失踪していた間に起こったことを報告してもらうためだ。それとこれからのことも話したい」
言ってカールは息子のカールに視線を当てた。
「まず、エリック。私が不在の間、おまえには大変な苦労をかけた。慣れないことばかりだっただろうに、よくやっていたと聞いている。私はおまえを誇りに思う」
父親から労をねぎらわれたエリックは、嬉しげに頬を紅潮させる。だがすぐに力なく頭を振った。
「いいえ、父上。僕は……僕は本当に無力でした。学んでいたことをなにひとつ活かせず、こなすべきことを前に右往左往するしかなかったんです」
「それが分かっているだけ、おまえは私よりよほど優秀だよ。私だってできないことばかりで、そのせいでおまえたちに迷惑をかける結果になった」
だから、と言ってカールはクリフに視線を向けた。
「クリフ、今度は私がおまえを追放する。血の分けた弟と思い大目に見ていたが、さすがに息子に手を出されては看過できない。貴族院に籍の抹消を申し出るつもりだ」
籍の抹消とは、つまり貴族ではなくなるということだ。ノルディン姓を名乗れず、これまで享受してきた特権を得られなくなる。
厳しい処遇に慌てた様子のクリフが、席を立ち机に手のひらを叩きつけた。
「い、言いがかりだ! 私はエリックに危害を加えたことはない!」
「だが使用人に命じて、息子を拐かそうとしたのだろう? ここには証人もいる」
カールは言って、アルシスに視線を向ける。それを追ってアルシスを見たクリフは、不愉快げに顔を顰めた。
吐き捨てるように言う。
「なにを馬鹿なことを……。私の言うことより、そこのならず者を信じるつもりか?」
「もちろん。彼は私の命の恩人だからな。それにアルシスどのは剣聖の称号を得た、正真正銘の英雄だ。本来であれば、我々は膝を突かねばならない相手だぞ」
「……は?」
クリフが唖然とした顔になる。エリックが「叔父上にも伝えてあったんですが」と困った顔で言うのを聞きながら、アルシスは苦笑して言った。
「元、剣聖だ。それに英雄と言っても、大したことはしていない。それに平民の出で、引退した今は正真正銘ただの一般人だ。膝を突くなんてとんでもない。あんまり真に受けるなよ」
黙って話を聞いていたデズモンドが、呆れた声で言う。
「ただの一般人は、単騎で竜を討伐しませんよ。遺跡に落ちて戻ってきただけでも尋常ではないのに、あなたは領主どのを生きて連れ戻した。剣聖の称号は返上していても、あなたはオルグレンにとっての英雄です」
「いや、領主が生きてたのは本人の運が良かっただけだろ。それに連れ帰ったのは騎士たちだ」
騎士たちと出会ったタイミングを考えれば、アルシスが落ちなくてもカールは助かっていただろう。
そう主張するアルシスに、首を振ったのは当のカールだった。
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