第3話

「ですが剣術を教える、というのは悪くないと思いますよ。いっそ王都を出て、故郷で試してはいかがです? 地方なら土地も余っているでしょうし」

「故郷? 故郷、なぁ……。十三で飛び出したきりだし、親類縁者がいる訳でもない場所だ。そこに今更戻っても、都落ちを笑われるだけだろうよ」

「……今まで、一度も里帰りしなかったのですか?」

「息苦しくて逃げ出した場所だぞ。帰ってなにをするって言うんだ?」

 そう呆れた口調で返しながら、住む世界が違うとはこういうことか、とアルシスは胸中だけで苦笑を漏らした。

 ギルド長にとって故郷は安心できる家があって、信頼に足る家族がいて、それはそれは素晴らしく居心地が良い場所なのだろう。だがアルシスにとっては、単に育った場所でそれ以上でもそれ以下でもない。

 覚えているのは乾いた土の匂いと、遠い山間に落ちる夕日の赤さくらいだ。

「ギルド長、奥歯に物が挟まったような物言いは止してくれ。大方、騎士団か国の上層部に言われてるんだろう? 元剣聖の行き先を把握しておけ、ってな」

 ギルド長が細く溜め息を吐いた。

「……ええ、実はそのとおりです。それと、くれぐれもあなたを国外に出すな、と言われています。剣聖を流出させる訳にはいかないですからね。どこかの土地に足をつけさせることが難しいなら、騎士団で顧問として迎えてみてはどうか、という話も挙がっているそうですよ」

 勘弁してくれ、とぼやくように言ってアルシスは天井を仰いだ。

「平民出のしがない冒険者が、お貴族さまたちになんの助言が出来るって言うんだ。聞く耳を持たないどころか、馬鹿にされるのが落ちだろ」

「とんでもない。あなたと行動を共にした方たちは、本気であなたを引き抜くつもりですよ。騎士団とは何度か共闘していますし、彼らもあなたの価値を十分に理解しているはずです」

 そこはかとなく誇らしげな口調でギルド長が言う。

 騎士団に所属している連中にも、気のいい奴がいることはアルシスも知っている。友人とまではいかないが、会えば親しく話をする者もいる。だが身分の隔たりというものは、考えている以上に大きいものだ。

 まともに剣を振るえなくなった冒険者が、賢しらに嘴を挟んでくれば、反発するだろうことは目に見えている。たとえ大枚を叩かれたとして、そんな針の筵のような場所に座りたいとは思えなかった。

「そう心配せずとも、俺は国を出るつもりはない。そんな真似をすればギルドの名簿から抹消されて、年金が貰えなくなるからな。この年までなんとか生き残ったって言うのに、掛け金分すら回収出来ないのは馬鹿馬鹿しいだろ」

「それはもっともですが、もう少し建前を取り繕ってください。ギルドの英雄とも言われていたあなたを引き止めるものが、ささやかな年金だなんて興醒めも良いところではありませんか。お偉方に説明する私の身にもなってください」

「その辺りを取り繕うのがおまえの仕事だろう? 俺の置き土産と思って、せいぜい頑張ってくれ」

「まったく、ひどい置き土産もあったものです」

 溜め息混じりに吐き出したギルド長は、それで、とアルシスに視線を当てて言った。

「当座の住まいはどうするつもりですか? 冒険者用の宿舎はギルド会員のためのものですから、辞めた方にお貸しするわけにはいきません。今すぐに出ていけとは言いませんが、部屋を引き払っていただく必要があります」

「あー……部屋の問題があったか。そうさな、ひとまずは馴染みの宿にでも移るかな。私物は無いに等しいし、しばらくは問題ないだろう」

 いつなにがあるか分からない冒険者稼業だ。大事な物は持っていないし、持たないようにしている。宿舎の部屋は寝に帰るばかりで、そこに置いてあるのも着替えと装備品がいくつか、嵩張るものはと言えば武器の手入れ道具ぐらいだった。

 宝飾品の類は興味がないし、報酬で得たものは金に替えて銀行に預けている。財産と言えるようなものなく、寄付同然の投資がいくつかあるばかりだ。

 なるほど、これでは国外流出を疑われるのも納得だ。自らの根無し草具合に苦笑しながら、アルシスは、とはいえ、と後を続けた。

「宿暮らしで残りの余生を過ごすつもりはない。いずれ落ち着ける場所を探すつもりだが、どこか良い心当たりはないか?」

「……故郷に戻るつもりも、王都に滞在するつもりもないのですよね? それでしたら、地方都市を当たってみてはいかでしょう。未踏破の遺跡も残っていますし、土地を買うにしても王都周辺よりは手頃ですよ。冒険者ギルドのある街なら、口利きをすることも可能です」

 なるほど、と頷く。

「それじゃあ調べてみるとするか。……宿舎はすぐに引き払うから、後で確認しておいてくれ。移住先が決まったら連絡する。――ああ、そうだ。忘れないうちに、ギルド章を返さんとな」

 言ってアルシスは剣帯に下げていたギルド章を取り外した。

 小さなメダルだ。楕円形をした銀の合金製で、口を開けた竜の横顔と、交差する二本の剣が刻まれている。

 裏面には名前と所属ギルド名が記されていて、万が一の場合には、これで個人を判別することができる。形が楕円なのも、飲み込みやすさを考えてのことらしい。

 身分証でもあり、首に掛けられた縄でもある。初めてこのコインを受け取った時は、誇らしさと未来への希望に胸を躍らせたものだ。今はすっかり古びて傷だらけになったコインをテーブルに載せる。つ、と滑らせたそれを受け取ったギルド長が、静かに頭を垂れた。

「確かに、受け取りました。……アルシス・フォード。長年に亘るあなたの、ギルドへの献身に心から感謝申しあげます。あなたと仕事をご一緒出来たことは、私にとって一生の糧となるでしょう」

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